第77話 トリルデン村にて⑧
瞬きもせずに手の中で輝く不思議な力を見つめた。
使い方など、皆目見当もつかない。悩んでいると、側に立っているリーンハルトが下を向いているイーリスを覗きこんできた。
「イーリス!」
かけられた言葉で横を見る。
「リーンハルト……」
悩んでいるのが声でわかったのかもしれない。
「イーリス! あの水を、この力でなんとか海に出すことはできないか!?」
「海に……」
「ああ、近くの川に流したのでは、流域の街や村に被害が出てしまう。それよりは、あれをなんとか海に流し込むことができれば――」
薄氷色の瞳が真剣に告げてくる内容に、頭の中で、急いで昔読んだ本たちを思い出しては、記憶を辿っていく。
そうだ、確かにリーンハルトの言うとおりだ。
このまま川に流したのでは、流域に凄まじい被害が起こるだろう。
(もし、それを防ぐことができるとすれば――)
受け取った手から、神の力はゆっくりと体へ入っていこうとしている。それにともない、少しだけこの力の使用方法も理解できたような気がした。
頭の中では、思い出していた本たちから、ひとつのページの文面が浮かんでくる。
(そうよ、この方法だわ。今使えるとしたら、これしかない!)
「オデル!」
だから、両手をまだ白金で輝かせたまま、杖を握っている隠された民を見つめた。
「この力をあなたに預けるわ!」
叫ぶと同時に、体に吸い込まれかけていた光をもう一度両手に取り出して輝かせながら、オデルへと駆け寄っていく。
「だから、お願いよ! この力を使って、放水路を作って!」
「え……、放水路?」
きっとこの世界では馴染みのない言葉だったのだろう。神の白い力に触れたことで、半ば朦朧としていた意識をはっきりと覚醒させて、オデルがこちらを見つめてくる。
その瞳を覗きこんで叫んだ。
「ええ! あの水がこの地で溢れたり、近くの川に流れ込んだりすれば、流域で広大な洪水が起こるわ! それよりは、隣のガウゼン砦のある尾根との間の谷を使って、異世界の河の水を海へ流す緊急の放水路を作ってほしいの!」
谷は昔は川が流れていたようだが、今は完全に涸れて、人も通わない急峻な渓谷となっている。だが、昔とはいえ川があっただけに、その切れ目は海までも続く。さらに山は険峻で、海のすぐ側まで切り立っているから、山を越えた向こう側にあるギルニッテイの街にまで、被害がいくことはない。
(――ここに水を流せば!)
ギルニッテイの街に流れるセレツ川の水を溢れさせることなく、バルリア海まで水を誘導できるはずだ!
そう、前世の世界で昔から洪水対策として築かれていた多くの放水路のように!
「この神の力を使って……ですか?」
「そうよ! 水が外に溢れないように、あの境界のすぐ下から谷まで堤を築いてほしいの! 繋がった異世界の河の水を、そのままそこに流せるように!」
もし、今ここでこの不思議な力を瞬時に扱える者がいるとすれば、それは魔力の使い方を熟知しているオデルしかいない。
頼む間にも、空からこぼれてくる水の雫は、確実に多くなっていく。先ほどまでは霧雨だったが、今では勢いのある雨のようだ。
時間がもうあまりない。
焦りながら、必死で頼むと、オデルは手の中で輝いている白い光を見つめた。
「ですが、これを受けとれば、私の母が……」
(そうだったわ。オデルは、母親の命で脅迫されているのだった)
ぐっと眉根を寄せた瞬間、後ろから声が響いた。
「受け取ってくれれば、君の母親を助け出すまで、ここであったことに箝口令を敷こう。元々ポルネット大臣についてはグリゴアに探らせている。監禁場所もすぐに見つかるはずだ」
「それならば――」
母親が殺されることはないとわかり、ほっとしたのだろう。
触れていた光に、オデルが改めて手を伸ばし、静かにそれを受け取った。
「わかりました。やってみます」
頷いた姿を確かめ、今も空でひび割れていく鏡を見つめる。