第15話 ライバル宣言
地方官の館は、王宮に比べれば小さいとはいえ丁寧に整備がされている。掃き清められた玄関に設けられている灰色の石段は高くはないが、駆け上がればさすがに息が切れる。
けれど、陽菜は茶色の髪をピンクのドレスと共にふわりと靡かせると、驚いて見つめているリーンハルトの腕の中へと飛びこんできた。
「びっくりしました! おとといから急にお姿が見えなくなって」
「陽菜。体は」
「ああ――」
二日前の夜に、階段から落ちた時の怪我のことをいっているのだろう。リーンハルトの言葉に陽菜は照れくさそうに笑うと、少しだけドレスの裾を持ち上げた。
「打撲だといわれました。足もひねったわけじゃなくて、打っただけだから、少したてば痛みもひいてくるって。だから、ほら」
もう普通に歩けますと証明するように、軽やかにドレスの裾をなびかせると、ピンク色の靴を履いた足首でかたかたとタップを踏んでみせる。
「そうか――ならば、いいが」
リーンハルトの歯切れが悪いのは、この世界では女がドレスの中にある足首を見せるようなことはしないからだ。しかも、わざと。
(やっぱりそういう関係ってわけ!?)
違うというのなら、赤くなったりしていないで、裾を下ろすように言いなさいよと怒りがわいてくるが、きっと陽菜にしてみれば、なんでもない行動なのだろう。
(そうよね! わかっているわよ、私だって前世では体操服を着ていたんだもの!)
ましてや、職場ではタイトスカートだった。今更、足首ぐらいでどうこうはいわない。ただ、リーンハルトが照れたような顔さえしていなければ――。
(なによ! やっぱり陽菜を女性としてみているんじゃない!?)
それなのに往生際が悪いと、笑っている陽菜の側にいるリーンハルトを睨んでしまう。しかし、その視線の前では、急に陽菜が見つめたままのリーンハルトににこっと笑いかけた。
「ところで。今日、こちらで聖姫を決める試験をされるんですよね? だったら、ぜひ私にも試験を受ける機会を与えてほしいんです」
「どこからそれを?」
突然申し出られた内容にリーンハルトの方が驚いている。逆に陽菜は、意表をつけたことが嬉しかったようで、にこにこと笑ったままだ。
「神殿から。ヴィリが聞いてきたので」
話しながら振り返った先では、陽菜の言葉に、淡い褐色の髪を持つ神官が丁寧に頭を下げた。慇懃だが、そこから上目遣いに見つめる瞳は、まるでこちらを挑発するかのようだ。
「陛下が、大神殿に出されたお手紙の内容を伺いまして」
「ヴィリ神官。いくらお前が陽菜付きの神官とはいっても、王の手紙の内容を勝手に知っているとはどういうことだ」
「勝手にではございません。陛下からの手紙が届きまして、すぐに大神官様が私にお尋ねになったのです。今聖女は二人いる。しかし、前例にもとづけば、聖姫の位を与えることができるのは各王の御代に一人だけ。ですから」
にっと顔を上げながら、こちらを見る。窺いながら上げられていく鳶色の瞳は、まるで獲物を狙う猛禽のようにしたたかだ。
「平等を期するために、ぜひ陽菜様にも、聖姫試験に参加させていただきたく――――。これは、大神官様や神殿の上層部の一致した意見にございます」
「お願いします! 私、聖姫の位を取って、堂々と陛下の横に並びたいのです! 今の私では、異世界から来ただけのなにも持たない娘ですから――――」
(なるほど?)
懸命に訴えている陽菜の様子に、思わず心の中で頷いてしまう。
(つまり、王と並ぶ聖姫の位を手に入れて、今度こそリーンハルトの王妃になりたいというわけね? こちらの世界では、滅んだとはいえ、一国の王女である私に生まれではかなわないから――)
だとしたら。
(うん?)
と、イーリスは首を傾げた。そして、ぽんと手を叩いてしまう。
(あら? じゃあ、これは別に勝っても負けても、私にはお望みの展開になるのではないかしら?)
ならば滑稽だ。どちらにしても、リーンハルトにはもうイーリスと離婚という未来しか残っていない。
そのことに気づいてこほんと軽く咳払いをすると、こみあげてくる面白い気持ちを抑えながらリーンハルトを横から覗き見る。
(少しは焦っているのかしら?)
ついわくわくとしてしまう。だから、笑い出したくなる口元を押さえて、ちらりと見上げた。
「どうするつもり?」
平静を装って尋ねたが、どうしても口元が緩んでしまうのは止められない。
(どっちにしても、これで私とあなたの離婚は確定! どう転んでも、未来は同じよね!)
それなのに、リーンハルトは楽しげに窺うイーリスの前で、僅かに顔をしかめたままだ。そして、少しの間沈黙が下りた。一瞬悩み、すぐに口を開く。
「問題はないだろう。神殿がその意向ならば、陽菜が勝った時には、いざとなれば一王二妃制度を導入すればなんとかなるはずだ」
「はあ!? なんで、そうなるのよ」
「前に君がいっていたじゃないか。君が前世過ごした国では、昔一人の君主に二后制度があったと。聖女が現れた際には、王妃にする。これは、リエンラインの不文律だが、聖女が二人という事態は今までになかった。ならば、陽菜が聖姫となった暁には、神殿も特例として二妃を認めざるを得まい」
「な、なんでそこまで……!」
(私との離婚を拒むのよ! 陽菜が王に並ぶほどの聖女になったら、そのまま陽菜を王妃にしてしまえばいいじゃない!)
それなのに、今までになかった日本の後宮制度までを取り入れて、二人の妃を並立しようとする。
「ちなみに、その場合、公式の場での序列は、陽菜が一位だ。きちんと覚悟しておくがいい」
言われる言葉に、手がぶるぶると震えてくる。
「つまり……その時は、私は妃という名前でも、妾同然ということね?」
「王妃は王妃だ。陽菜を妻に迎えても、離婚はしない」
「あなたの腐った性根はよくわかった……!」
自分でもよくこんなのが出せると思うほど、地を這うような声が響いてくる。
「ようく、わかったわ! 私は、必ず勝ってあなたとの離婚を勝ち取ってみせるから! 絶対に、あなたの妾になんて成り下がらない!」
ぴしっと指を突きつけて言ってやったのに、リーンハルトは、少しだけこちらを見ると、表情も変えずに歩き去ってしまう。
「あ、陛下! 待ってください!」
去って行く後ろ姿を陽菜が急いで追いかけようとする。しかしドレスの裾を摘まんで、石造りの廊下を走り出そうとした時だった。急に思い出したように、くるりとこちらを振り向いたのは。
「では、イーリス様。私も王妃になりたいので、正々堂々と勝負しましょうね!」
(何が正々堂々よ!)
にっこりと笑っている。その笑顔の裏で、人を嵌めて汚名を着せたくせに。それなのに、陽菜は言い終わると、ひどく明るい笑顔でリーンハルトのあとを追いかけていく。
(あーむかつく!)
リーンハルトを追いかけて腕をとる陽菜の姿を見ているだけで、胸がムカムカとしてきた。
あまりに腹がたつので、誰も見ていないのを良いことに、こっそりとあかんべーをしようとした時だった。
「イーリス様!」
(まさか、この声は……!)
突然かけられた声に振り返れば、王宮で別れたはずのコリンナが、柑子色の明るい髪を揺らしながら、後ろの方に止まった馬車から飛びだしてくるではないか。
「ご無事だったんですね!? 家出をされたあと、やっぱり私、心配で――」
まさか、こんなに息せき切って階段を上ってくるほど、心配してくれているとは思わなかった。
「コリンナ! どうしてここへ」
久しぶりに再会した懐かしい姿に、思わず両手を広げて迎えてしまう。
「陛下がイーリス様が見つかったから、側で世話をするようにと、男爵邸まで早馬を寄越してくださったんです。ああ、でもよくご無事で……! ギイトは、どこですか? 今も一緒に?」
(ギイト――)
言われた名前に思わず息を呑んでしまう。その様子でわかったのだろう。何かよくない事態になっていると気がついて曇ったコリンナの顔に、必死で自分を鼓舞する。
(しっかりするのよ、私)
心の中で自分の頬を一度ぺちっと叩いて、口を開く。
「ギイトは捕まってしまったわ。今は、牢屋に入れられていて、私が勝たなければ王妃の誘拐という罪で、首を刎ねられてしまうの」
「そんな!」
驚いたコリンナの顔が、すぐに忌ま忌ましげなものに変わる。
「それもこれも、全てあの陽菜という女のせいです。ギイトにはそんな度胸も計画性もありませんのに――。真面目以外」
「うん。真面目以外」
(さすが、人をよく見ているわ、この子)
思わず頷いてしまうが、尚更負けられない理由を思い出した。
(そうよ、ギイトのこともあるわ!)
だから、コリンナの両肩をぎゅっと握って、まだ不安そうにしている彼女を落ち着かせてやる。
「大丈夫。必ず、私が聖姫になって、リーンハルトに一方的な命令をさせたりしないから――」
(決して、負けられない! 何があっても!)
最早、問題は自分の離婚だけではない。必ず王と並ぶ地位を手に入れて、牢にいるギイトを処刑させたりはしないと、イーリスは金色の瞳をきっと前にあげた。