第67話 異世界からの証明③
王妃宮に戻ると、間もなく話を聞きつけたギイトが急いで駆け込んできた。
「イーリス様、至急の用件と伺いまして……!」
息を切らしながら、駆け込んできたギイトは、部屋の中に座っている自分と陽菜の様子に、ただならぬものを感じたのか。
焦った顔で、二人の聖女の顔を交互に見つめている。
「ああ、ギイト。突然呼び立てて悪かったわ。でも、今すぐ調べたいことができて――」
「調べたいこと?」
目をぱちぱちとさせる様子に、陽菜がこくこくと首を縦に振っている。
「レナさんの様子がおかしいんです。あまりにも、私たちがいた世界のことについて答えられなくて!」
「それは……」
はっとした顔をギイトもしている。
「もちろん、まだ決まったわけではないわ。でも、偽物の可能性も浮かびあがってきたの」
――偽物!
聖女を崇拝するミュラー教の神官からすれば、まさかの事態だったのだろう。ただ騙るだけではなく、歴代の聖女と同じように不思議な品を携え、奇跡を起こしたと水銀中毒を治してみせたのだからなおさらだ。
「はっきりさせたいから、それを確かめるためにも、神殿から歴代の聖女についての詳しい記録を取り寄せてきてくれないかしら」
「は、はいっ! わかりました。至急大神官様にかけあってみますので……」
ひょっとしたら、ヴィリ神官のように狡猾なタイプならば、最初から疑っていたのかもしれない。だが、根が誠実なギイトには本当に予想外の事態だったのだろう。慌てて頭を下げている後ろで扉が開くと、リーンハルトが大量の書籍を侍従たちに運ばせてくる。
「王宮書誌部にあった記録は、これで全部だ。やはり、この王宮ができたジギワルド王から後のものがほとんどだが」
「ありがとう、助かるわ」
「で、では私は神殿にあるそれより前の聖女の記録を出してもらうように話してきます! 大神官様も話を聞かれたらすぐに許可をくださると思いますので……!」
慌ててギイトが駆け出していくが、リーンハルトが持ってきた書誌部に残されていた記録だけでも調べるとなれば、かなりの量だ。
自分とリーンハルト、それに陽菜と、リーンハルトの侍従と王妃宮の女官数人で、調べだしたが、三時間ほどして戻ってきたギイトが持ってきた神殿の重要保管文書とあわせると、二つ用意して組み合わせた大きな机の上は、もう完全にいっぱいになってしまっていた。
パラパラとこれまでの聖女の記録を辿り、出身地にまつわるような言動が残っていないか調べる。
机の上に積まれた本をすべてだからすごい量だ。
手分けをして探し始めたが、簡単に見つかるようなページ数ではない。
「くそっ……! ジギワルド王の命令書を発見できれば、もっと早く解決することができるのに……!」
いくつものページを辿りながら、リーンハルトが呟く。
「そういえば、いなくなった隠された民たちの行方はわかったの? あの命令書と彼らが陽菜召喚に関わった証言さえ得られれば、ポルネット大臣を捕まえることができるけれど……」
「行方をくらませた当時の目撃証言を集めた結果、どうやらポルネット大臣の領地に入ったことまでは確かめられた。だが、そこからよほど巧妙に隠したのか、なかなか住まいが掴めない」
「そう……」
過去に断罪されて、また今回も罪になると知りながら聖女召喚に手を貸してしまった彼らだ。きっと、今度こそ一族が皆殺しにされるのではないかと怯えて、誰にも見つからないように隠れてしまったのだろう。
重苦しい空気が部屋に漂いだしたとき、あっと陽菜が声をあげた。
「イーリス様! ありました。これなんか、そうではないでしょうか!?」
陽菜が調べていたのは、比較的年代の近い書籍の記録だ。呼んだ勢いのまま、今の文字に近い書体で綴られた文章の一箇所を指さしていく。
『私が生まれたのは、昔は、木国と呼ばれるほど森林に恵まれた国で――』
「間違いないわ。これは、日本の今の和歌山県から三重県のことよ」
急いでイーリスも側から覗きこむ。どうやら、陽菜が調べていた六代前の王の御代に現れた聖女は、近畿の南部が出身だったらしい。
「なるほど……。直接じゃなく、そういう文章か……」
頷きながらそれよりも昔の神殿の冊子をめくっていたリーンハルトが、ふとあるページで手を止めた。
「それなら、これもそうじゃないか? ジギワルド王が即位する数十年ほど前の記録だが――」
『私が父から土産にもらった絵に描いてあった女性の服にデザインが似ているのです。キトンという西の服なのだそうですが、夏などによく、とても軽そうだったので――』
「そうよ、これがヒントよ。キトンということは、古代ギリシャの服ね。そして、交易路の街で生まれて、父親と一緒にいくつかの高原や砂漠の側を通り海辺まで足を伸ばしたとあるから、きっと彼女は今のシルクロードの生まれだったのね」
(きっと、父親が東西を旅して交易していたのだろう)
そして、手に入ったものをより高く売るために海岸の街まで行き、そこで召喚されたのかもしれない。
そう思いながら見つめていると、隣で古い文書を読んでいたギイトが、はっと手を止めた。
「でしたら、これなども、そうでしょうか……?」
ギイトが今持っているのは、ここにある文書の中でも一番古い部類の一冊だ。当時は、まだ今の紙は貴重だったのだろう。木簡をいくつも糸で連ねて巻いたものを広げて、かなり薄くなってしまった墨の字を必死に追っている。
ここまで古文書になると、こちらで生まれ育ってからも歴史好きだったイーリスにでさえ解読は難しい。神殿で普段からこういう文書を目にする機会のあるギイトだからこそ、すらすらと読み解いているが、さすがに文字ではわかりにくいので、今の文章に直して話してもらう。
『私の故国では、夫の死後その愛人の手足を切り落とし、人豚と呼ばせた呂后という女性の話がございます。聖女と呼ばれ、異世界の生まれとはいえ、夫に浮気疑惑があれば、寛大な気持ちになるのは難しいとおわかりになっていただけますでしょう?』
聞いたリーンハルトの顔が、心なしか引きつっているような気がするのは、過去に自分も浮気疑惑をもたれたことがあるからだろうか。
思わず引きつってしまうほど、赤裸々な過去の聖女の言動だ。
「当たりね、呂后ということは、中国の生まれだわ」
ほかにも黄色い河が海に流れ出る話が出てくるから、きっとこれは黄河のことなのだろう。
当時どんな夫婦喧嘩があったのか察せられるが、神殿に保管されていた文書には、このあと王が平謝りしたというから、きっと一時の気の迷いのようなものだったのに違いない。
「こういう少しの手ががりを辿っていけば、きっと過去の聖女の出身もわかるわ……!」
「そうですね! 大変な作業ですが、頑張りましょう!」
「これでレナが聖女を騙っていたことがわかれば、きっとポルネット大臣を罰することもできます」
ギイトと陽菜が口々に言ってくる姿に、イーリスも少しだけ微笑んでしまう。
「そうね……。そして、ポルネット大臣を捕まえることができたら、陽菜。あなたを向こうの世界に帰してあげる方法も、きっとわかるから……!」
だから頑張りましょうと手を取ったときだった。
「――待てよ……。ひょっとしたら、命令書はあそこに……」
がたんとリーンハルトが席を立ったのは。
そして、テーブルの一番隅で文章に埋もれていた侍従のところに行くと、何事かを告げたのだ。
「リーンハルト?」
「確証はないが、これだけ法務省と王宮書誌部を捜しても出てこないとなれば、残るのはあそこしかない」
「え!? 一体、どこに」
この王宮で法務省以外に、王の重要な命令書を保管しておくような場所があっただろうか。
しかし、リーンハルトは、侍従が出ていった扉のところで振り返りイーリスに向かって頷いたのだ。
「ああ。残るとすれば――あとは、瑞命宮だ」