第66話 異世界からの証明②
まるで王妃宮の品かと思うようなテーブルの上に置かれた箱は、こちらの世界にしては、珍しいガラス作りだ。異世界では、透明な素材で作られた品が多いと聞いて、薄い桜色のガラスでその話に合わせたのかもしれない。
表面にいくつもの梅紋様が刻まれた箱は、窓から入る光を反射してきらきらとしている。
「まあ、なんて綺麗な――」
令嬢たちは、精緻な造りに感嘆してほうと手を合わせているが、ガラス細工なので、外から中味は丸わかりだ。
中に入れられているのは、丸眼鏡のレンズぐらいに見えるサイズの金属板だろうか。
「動きなさい」
レナがそう命じただけで、金属の板がくるくると回り、表面に刻まれた突起が上にかけられた棒に当たっていくつもの音を奏で始めた。しかし、どう見てもこの仕組みはオルゴールだ。
(いえ……違うわ。オルゴールならば、こんなふうに声だけで動いたりはしないはず!)
じっと見てみたが、動かすためのゼンマイや蓋の開け閉めで入るスイッチなども、どこにもないようだ。
それになによりも――。
「イーリス様……」
こそっと側から陽菜が手を伸ばしたのは、やはり音に違和感を持ったからだろう。
ひどく高くて澄んだ音だ。まるで空中を渡る風が葉を揺らしていく細かなさざめきや、降る雨が広がる田んぼの水面を揺らして、微かなりんという音で、取り巻く世界を揺らしていくかのような――。
「これが……異世界の音楽……」
いくつもの重なり合った荘厳な自然の音が醸し出すハーモニーに、令嬢たちもしんみりと聞き入っている。
だが、イーリスはぐっと扇を握り締めた。
(違う!)
確かに、ヒーリング音楽ならば、似たようなものが向こうの世界にもあるのかもしれない!
だが、それはもっと現代の複雑な機器を駆使して音が出されるし、こんなふうに奏でられるものではないはずだ!
隣から、こそっと陽菜が袖を引っ張ってきた。
「ヒーリング音楽の自然の音を集めたものに似ている気はしますが、それにしてはなんだかおかしいような……」
「そうね。なにかで録音されたものならともかく、あんなオルゴールみたいな形状で出せる音楽ではないはずよ」
オルゴールは、基本一回弾くたびに一音だ。こんなにいくつもの複雑な音を一度はじくだけで出すことなど出来ない。
気持ちを落ちつかせるために、一度すっと息を吸った。
「美しい音ね、雷の力を使って鳴らしているの?」
「雷?」
その瞬間、レナが馬鹿にするように笑った。
「この音が雷に聞こえるなんて――。イーリス様、褒めたくないのなら素直にそう言えばよろしいのに」
くすくすと堪らないように笑っている。
「あら? ごめんなさい。あまりに不思議な美しい音楽だから、どうやって鳴らしているのかと思って――。オルゴール……と呼んでもいいのかしら?」
イーリスが、この品の名前を呟いたことでほっとしたのか。
真っ直ぐに翡翠色の瞳で見つめると、ふっと笑ってくる。
「ええ――イーリス様もご存知のとおり、オルゴールの一種と言ってもいいかもしれませんわね。不思議な音の正体については――そうね、魔法とでも思っていただければ」
「あら。昔話に出てくる魔法だなんて、ロマンティックですわ」
二人の令嬢たちがはしゃぎながら桜色の透明な箱を見つめている。だが、イーリスの頭の中では、違うと警告が鳴り響く。
(おかしいわ……! これはどう見ても、最新の機器を組み合わせて作られているようには見えないのに……)
中にあるのは、こちらの世界でよく見るようなネジや歯車だ。明らかにオルゴールそのものの造りなのに、一はじきで複雑な音色をいくつも奏でるなんて!
(それになによりも!)
「イーリス様……今のレナの言葉、もしかして……」
「ええ。電気を知らないみたいね」
向こうの世界ならば、多くの者が知っていることだ。たとえ知らないほど貧しい所から来た可能性があるにしろ、それならばレナの身に備わった尊大な言葉遣いや態度との違いはどういうことなのか!
頭の奥で、激しく偽物という可能性が明滅を続ける。
ぐっと強く扇子を握り締めた。
「とてもステキな品ね。初めて見たわ」
じっと見つめながら言えば、その声音でようやくレナもなにかを察したのだろう。
「参考までに教えてほしいの。その品は、向こうのどこの国でお求めになったの?」
はっとしたように、レナが翡翠色の瞳を見開いている。
「う……海の側ですわ。明るくて、華やかな――」
「それだけだと、候補がいっぱいですわねえ。もし帰ることができたら、レナさんとの今日の思い出に私も探してみたいと思うので、買ったところをもう少し具体的に教えていただけませんか?」
陽菜の言葉に、はっきりとレナの顔に焦りが浮かんだ。
「今も売っているとは限りませんわ。一点ものと聞いていましたし――」
「そうなんですか? 向こうでは、音楽機器の一点ものというのは少なくて。大抵はもう大量生産なのですが」
おかしいわねと陽菜が愛らしく首を傾げている。
それにレナは慌てて顔を逸らした。
(この様子――)
明らかに不自然だ。
「では、代わりにレナさんが育った場所について、教えていただけますか? 陽菜が探す時のヒントにもなるし。折角ですもの、向こうの思い出話もしたいわ」
「別に――よくある街ですわ。ただ、初めて行った海の側にあった店のことは、よく覚えていなくて……」
これ以上訊くなというように背けられ続ける顔に、追い打ちをかけていく。
「あら? 大丈夫。海の名前なんてしれていますもの。どの名前の海の側だったのかさえ教えてもらえれば――」
もちろんはったりだ。実際は、海の名前だけで側にある街の名前を絞るなどできるはずがない。
だが、海の名前ならば、多くはない。向こう世界のどれかでも、レナが答えることができるのかどうか――。
ぐっとレナが眉根を寄せた。
「あまり有名な海ではありませんから……」
海で有名ではないとは驚きの表現だ。そもそも数が少なく、レナの言動から察せられる一般の教育を受けてきたと思われる者ならば、決して難しい問いではなかったはずなのに――。
「あら? それなら、もっとざっくりと大陸名でもいいですよ! たった六つしかありませんし!」
横から意図を察した陽菜が援護をしてくれる。
「そ、それは……!」
たった六つと聞いて、明らかにレナの顔に動揺が走った。翡翠色の瞳を開いて、口をもごもごとさせるが、その隙を逃さずにイーリスが追い打ちをかけていく。
「ああ、なんでしたら、その大陸や海で昔あった事件などでもかまわないわよ。歴史は得意ですから、話を聞けばだいたいの場所はわかると思うし――」
実際、細かな事件まで網羅しているわけではない。それでも、レナが本当に知っているのでなければ、明らかな矛盾点が出てくるだろう。
「私は……」
身を乗り出しかけていたレナの手が、強くドレスを握り締めていく。
そして、ふいと顔を背けた。
「――イーリス様が来たのとは違う世界からなのですわ。だから、話しても通じないと思います」
はっきりと、逃げたと感じた。
「そう。それは残念ね。では、今日はお客様がいらしているようだから、また今度レナさんの生まれ故郷のお話を聞かせてくださる?」
「――ええ」
顔を背ける彼女に、軽い挨拶だけで背を翻すと、カツカツと離宮の廊下を歩いて階段を下りていく。
「イーリス様!」
側についてきていた陽菜が、南棟を出たところで慌てて声をかけてきた。
「おかしいわ! あのレナの反応――」
「やっぱり! イーリス様も感じられましたか?」
「ええ。向こうの世界のことをなにも知らなくて。それにほかの世界からだなんて! あれでは、まるで……」
自ら偽物だと言っているのも同然ではないか!
「ほかの世界からと言うのも苦し紛れの嘘にしか聞こえませんでした! でも、どうします? ほかの世界からだと言われてしまっては、嘘かどうかはわかりませんし」
「そうね。レナがその手で来るのなら、方法はただ一つ」
ばっと扇を広げて、玄関の外に立っていた衛兵に命じた。
「ギイトを王妃宮に呼んで! 今すぐ、歴代の聖女の召喚された世界について調べるわ!」