第65話 異世界からの証明①
その日は誕生日パーティーで、夜まで抜けられなかったということもあり、イーリスは翌日陽菜と連れたってレナの住まいへ向かうことにした。
今日から三月だからだろうか。
ほんの一日たっただけだというのに、日差しが昨日までよりも暖かくなったような気がする。
しかし、レナの住む北側の離宮へと向かうイーリスの気持ちは、生憎とうららかなものではなかった。
「レナが偽物かもしれないなんて――」
歩く間も、気持ちはまさかといったものと、どこかこれまでに感じていたレナの態度に答えが見えてきたような、奇妙な感覚だ。
「まだ、はっきりと決まったわけではありませんが。少なくとも、私たちと同じ世界から来た者ではないはずです」
「そうね。まず、それについて確かめないと……!」
「でも、そう簡単に口を割るでしょうか? 私が見たところ、レナの陛下への執着は異常ですが」
柔らかな白い日差しが照らす離宮への階段を上る間も、陽菜が隣から心配げに顔を覗かせてくるが、もし偽物ならば当然だ。聖女を騙るなどあるまじきこと。大陸で広く信仰されているミュラー教の教えからも、聖女を国の支えとしているリエンラインとしても、決して認められることではない。
それでも、国王陛下の妻になれると言われれば、その役に命をかけて挑んでみようという女の子も現れるだろう。ましてや――レナが口にしているリーンハルトへの憧れを、もし昔から持ち続けている子だとしたら。
――まさか!
ポルネット大臣と親しげだった彼女の姿に、嫌な予感が脳裏に打ち寄せてくる。
ぎゅっと一度貝細工の扇を握り直した。
「大丈夫よ、それについては策があるわ――」
「策?」
「ええ。彼女が異世界の品だと人に言っていた道具を見せてもらうの。それを確かめれば、私たちがいた世界から来たのか、それともほかの世界から来たのかがわかるはずだわ」
「ああ! そういえば、なにか音楽機器を持っているようなことを噂されていましたものね」
「ええ。それに同じ世界でも、別の時代から来た可能性もあるわ。前に話されていた聖女蕗子様は、現代に近い時代から過去のリエンラインに飛ばされたようだったし――」
それならば、逆に自分たちと同じ世界でも、過去の時代から今のリエンラインに召喚された可能性もあるはず。
(それならば、足を見せないことも納得できるけれど……)
なぜだろう。彼女の自分に見せる刺々しい眼差しに、頭の中で嫌な警鐘が鳴り続けている。
「なるほど。そういうことなら、その品を見たら、彼女が同じ世界の別時間から来たのかどうか判断できますね」
顎に指を当てながら、隣で陽菜がこくこくと頷いている。
玄関を入り、南側の棟へ進むと、すぐに胡桃色の髪をした男と女がイーリスに気がついてやってきた。以前にもレナの側に仕えているのを見たことがある顔だ。
一瞬女が険しい顔をして、イーリスの前に立ち塞がるように挨拶をする。
「申し訳ありません。ただ今、レナ様には貴族の令嬢たちが来られておりまして……」
「ああ、かまわないわ。昨日の怪我のお見舞いに来ただけだから」
ちょっと顔を見させていただくだけでかまわなくてよ、と伝えれば、相手の眉が断るためにか、さらに強く寄せられた。
「おい、王妃様だぞ? 失礼しました。王宮での作法にまだ慣れてはいないものですから」
側にいた男が慌てて女の肩を掴んで止める。不満げな女が、再度口を開くより男が前に出てくるほうが早かった。
「より貴人の方をお待たせするのは失礼になりますゆえ。どうぞ」
なによ、王妃と言ったって元じゃないとかなんとか小声で聞こえたような気もするが、さすがにこれが欠礼にあたることはわかっていたのだろう。
イーリスが帰ると宣言しない以上やむをえないと思ったのか、案内していく男の背を忌ま忌ましそうに見つめている。
そのまま南棟の階段を上り、レナの部屋の前へと案内された。扉の前に着くと、中からはいくつかの楽しそうな声が響いてきている。
「あら、やっぱりなんて美しい鳥なのかしら」
「ほかの令嬢たちの噂で聞いていましたが、こんなに不思議な鳥がいるなんて。異世界って不思議ですのね」
はしゃぐような声が聞こえているのから考えると、どうやら訪ねてきているのは同年代の令嬢たちのようだ。きっと、自分の聖女としての地位を確立するために、茶会などで知り合った貴族の令嬢たちを招いて異世界の品を見せているのだろう。
こんこんと男が扉を打ち鳴らし、返事が来る前にそのノブを回した。
「失礼します、レナ様。王妃様がお見えにございます」
なぜだろう。先ほどからこの男は、自分のことを昔の敬称を変えずに呼んでいるようだ。
(レナ側の人間のはずなのに……)
ちらりとその覚えのない顔を見上げたが、すぐに目は、視界の端に映った部屋の中で飛んでいる鳥の姿に縫い留められてしまった。
(あっ!)
声として出ないよう、慌てて貝細工の扇を口元に持ち上げるので精一杯だ。
だが、部屋の中ではまるで生きているように機械仕掛けの鳥が、金色の翼を羽ばたかせ、レナの腕へと止まっていくではないか。
緑のくちばしは、エメラルドで作られているのだろうか。上下に動くたびに、クルッククルックと鳴く様子には、叫びださないのが不思議なほど金色の瞳を大きく開いてしまう。
(この機械細工の鳥は――!)
ギルニッテイの隠された民の家で見た魔法仕掛けの鳥ではないか!
それを異世界の品と見せていた。
では、レナは――!
(やはり、偽物!)
そうだ、あのあとイーリスに住まいを知られてから、隠された民たちはどこかに姿を消してしまった。また弾圧を受けることを恐れたのかと思っていたが、もしそれがポルネット大臣の今回の件に関わっていたからだとしたら?
てっきり、彼らが新しい聖女を陽菜同様に呼びよせて、そのことを知られるのを恐れたからだと思っていた。だが、よく考えてみれば、それほどの短時間に幾人もの聖女を立て続けに呼び出すことなどできたのだろうか。
(そうよ。あの時、オデルは大きな魔法を使用した後は、しばらくは力が溜まるまでなにもできなくなってしまうと言っていたわ!)
目の前で次々と繋がっていく糸に、思わず扇を強く握り締めてしまう。
だが、その前でレナは扉の向こうから現れたイーリスの姿に、明らかに嫌そうに眉を顰めた。
「なんの用ですの?」
機械仕掛けの鳥を手にとめた姿に、声だけは平静を装って話しかけていく。
「レナさん、今日の調子はいかがですか?」
「調子? 別になんともありませんが……」
腑に落ちないという顔をしている姿に、陽菜がにこっと笑いながら自分の横に進み出る。
「それならばよかったです! 昨日私が誘ったフォークダンスで派手に転ばれていたので、足を怪我されたのではないかと心配だったのです!」
明るく言い放った陽菜に対して、こちらの真意に気がついたレナの顔が、みるみる赤くなっていく。
その様子を見て、くすっと令嬢たちがわずかに笑っている様子を見ると、どうやら彼女たちは心の底からレナの味方ではないようだ。
(だけど、この反応――)
大勢の人前で転んだのだからわからないこともないが、それにしてはいささか過敏すぎる気がしてしまう。
「そんなことを確かめにいらしたの!? 私が足を晒したのが、そんなにも面白くて?」
ぶるぶると手が震えているところを見ると、どうやら彼女にとって転んだ足を見られるのは、凄まじく名誉を傷つけられることだったらしい。
だが、レナの剣幕に驚いたのだろう。笑っていた令嬢たちが、一斉にこほんと素知らぬ振りをした。
――まるで、なにが彼女をそこまで怒らせているのか、それが通じるかのように。
だから、ことさら艶やかに笑った。
「いいえ。ただ、レナさんが音楽が流れる異世界からの品を持っておられると聞いたので。久し振りに向こうの音楽を聴かせていただきたくなって」
心の中で様子を窺いながらにっこりと笑うと、その言葉に同調したように陽菜が横から言葉を続けてくる。
「私も、最近ホームシックで。なんだか向こうの世界が時折ひどく恋しくなるので、せめてあちらの音楽でも聴かせてもらえたらと思いまして!」
「それは――……」
明らかにレナの顔に動揺が走り、言いよどんだ時だった。
「まあ、異世界の音楽!? それは、ぜひ私達も聞いてみたいですわ!」
「きっと聞いたことのない旋律なんでしょうね!」
「ええ。向こうの音楽は、こちらと違う楽器もありますから。馴染みがないと、ちょっと驚かれるかもしれませんが」
にこにこと陽菜が頷いているのは、きっとエレキギターやドラムを指しているのだろう。
「陽菜様もよく話しておられますものね! 違う世界の音楽の話を聞くたびに、私もぜひ一度耳にしてみたいと思っておりましたの!」
ですから、ぜひと一緒にねだってくれる二人の令嬢たちは予想外の援軍だ。
「たいしたものではありませんわ。あちらでは当たり前の品ですし」
見せるほどの物ではないと言うかのように拒んでいるが、それを通すにはこれまでの行いが仇となった。
「そんな! この間の茶会でも、レナ様の不思議な音楽の箱の話は聞きましたわ! ぜひ、私たちにも異世界の品を見せてくださいませ!」
「そうですわ。とても不思議な音色だとお聞きして、今日も機会があればぜひお願いしてみたいと思っていたのですよ!」
「あ、あれは少し調子が悪くて……」
「それならば、外側だけでもお願いします。私も懐かしい故郷の品をぜひ見てみたいですし」
追い打ちをかけてくる陽菜の言葉に、レナも拒むことができないと思ったのだろう。
ぐっと眉を寄せると、渋々廊下にいたメイドに命じて、「あれを」と一つの小さな箱を持ってこさせた。
そしてコトンとテーブルの上に置く。
「どうぞ」
静かにテーブルに置かれた箱に、見ていたイーリスの視線はそのまま縫いとめられてしまった。