第64話 リーンハルトの誕生日⑥
「えっ、どういうこと!?」
とっさに陽菜の顔を見つめた。しかし、いつも朗らかな彼女の顔は真剣だ。白い指を持ち上げ、しっと唇にあてたことで、ただならぬ事態の雰囲気を感じた。
「ここでは、ちょっと――」
いつも明るくあっけらかんとしている陽菜が、言葉を隠すほど慎重になるとはよほどのことだ。
この場の取りなしを大翼宮の管理官に任せ、急いで隣にある控えの間へと入っていく。
側に立ち陽菜の言葉を聞いていたリーンハルトも一緒に部屋に入り、誰も追ってくる者がいないことを確かめてから、慎重に扉を閉めていく。
「陽菜、さっきの話は――――」
レナが、自分たちと同じ聖女ではない?
一体、それはどういうことなのか。
黒い瞳をじっと見つめていると、しばらくして陽菜は、リーンハルトの握っていたノブがパタンと閉まった音をあげるのを待っていたかのように口を開く。
「話したとおりです。イーリス様も先ほどのレナの様子をご覧になったでしょう? レナは、私たちと同じ聖女ではありません」
「ま、待って。それは、どうして――」
あのとき、なにがあったのだろう。自分の目には、ただレナが転んだだけに見えたが、それ以外にもなにか陽菜がそう思うようなことがあったというのだろうか。フォークダンスは一般的だが、通った学校によっては知らない種類だってありえる。知らなかったが問題ではなさそうなのに――。
混乱して、額に手を置いたが、その前で陽菜は自分とリーンハルトの瞳を交互にじっと見つめてくる。
「私、陛下が言われたレナには違和感がないということについて、考えてみたんです」
「ああ……」
そう言えば、確かにリーンハルトがそう話していたことがあった。
あれからいろいろなことがあって、そのまま深く考えずに忘れてしまっていたが。
「その陛下の言葉が、私には妙に引っかかったんです。だって、私には逆にレナの言葉や行動は、違和感のあるものばかりでしたから」
(リーンハルトには違和感がなくて、陽菜には違和感があるもの?)
なんだろう。それは、なにか不吉な予感がする。
その前で、くるりと陽菜の視線はリーンハルトを見つめた。
「違和感がないってことは、陛下は、つまりレナの言葉を普通に感じられるのですよね?」
突然話を振られたリーンハルトが驚いた顔をしている。しかし、ぱちぱちと二度瞬きをしたあと、腕を組んだまま頷いた。
「ああ。奇妙な話かもしれないが、俺はイーリスや陽菜と話している時は、時々自分と感覚が違うと思うことがあるんだ。レナにはそれが妙にないというか――」
「それは、レナが『農民』とか、妙に身分制度を意識した言葉遣いをしているからじゃないですか?」
言われて、はっとした。そうだ。思い起こしてみれば、確かにレナは『農民』とか『町人』『平民』そういう言葉をよく使っていた。自分は、この世界で生まれ育ってそういう言葉をよく聞いて育ったから、特に違和感を抱かなかったが――。
自分の考えにドキンと心臓が鳴る。
(こちらの世界で生まれ育った私やリーンハルトには違和感がなくて、向こうの世界で育った陽菜には違和感があるもの)
指摘されたリーンハルトにも、思い当たることがあったのだろう。アイスブルーの瞳を大きく開くと、しばらくして、頷くように考えこんでいく。
「言われてみれば……。そうだ。俺は君たちと話している時には、いつも自分と平民を対等な関係として扱う君らの視点に、はっとさせられる。聖女で、王宮に住み、俺たちと同じ階級の人間なはずなのに、君らはまるで自分たちはそんな特別なものではないかというように、無意識に彼らを同じ人間として捉え話す姿に、――俺は、いつもなんだか、国民は自分と同じように大切にしなければいけない存在だと気づかされるんだ……」
「えっ!? そうだったの!?」
「ああ。君は、こちらの世界の王族で生まれ育ったから、貴族らしい言葉遣いや立ち居振る舞いも身につけているが。やはり、彼らの命を対等なものとして捉えている視点に――いつも、はっとさせられる」
まったく気がつかなかった。確かに、王族としての言葉や振る舞いはこちらの世界で身につけたものだが、前世で育んだ命についての考え方までは変わることがなかった。特に、身分制度など過去のものとなった日本で生まれ、すべての国民は平等であるという教育を受けたからだろうか。命は誰でも等しく大切だと考えていたのは事実だ。
(だけど、レナにはそれがない……?)
「で、でもそれだけでは。ただ生まれ育った環境が違っただけかもしれないわ。向こうの世界でも、身分制度が厳しい国はあるし。特権意識が強い環境で育っただけなのかも」
「ええ。だから、今日私はレナにカマをかけてみたんです。単なる育った場所の違いによるものなのかどうか」
まっすぐにイーリスを見つめながら話す陽菜の言葉に、ゴクリと喉が鳴る。
「イーリス様。あの時のレナの言葉を覚えておられますか?」
「あの時?」
「ええ。転んだあと起き上がって、自分の足を隠した瞬間の――」
『こんな――、こんな恥辱! 生まれて初めてですわ!』
脳裏に甦ってきたあの瞬間のレナの悔しげな叫びに、頭の中で渦巻いていたもやが、すっと開けていくような気がする。
「あの時、レナは足を見られたことが、生まれて初めての恥辱だと叫んでいた……?」
「そうです。私たちの世界でも、足を見せない文化の方はいますが、そういうところの女性はほかの肌もあまり見せるのを好みません。ですが、レナは顔も肩も腕も、普通に出ている服を着ていますよね?」
脳裏に、今までレナが着ていた服の数々を思い出す。そうだ。聖女の白の衣装を着ていた時はともかく、普段の彼女は、体のほかの部分を特に隠すことはなかった。
あちらの世界でも、昔ならばともかく――。
女性が足だけを隠すのは、こちらの世界の文化だ!
「まさか……!」
「では、レナは……!」
顎が震えるイーリスの側で、リーンハルトも身を乗り出すようにして叫んでいる。
「そうです。彼女は私たちとまったく同じ聖女ではありません。違う時空から来た者か――もしくは、うまく仕立てた偽物の可能性があります」
偽物――――。
陽菜の放った言葉に、背筋がひやりとしていく。まさか、という疑念がイーリスの瞳が揺れる間にも、心の中では大きく膨らんでいこうとしていた。