第60話 リーンハルトの誕生日②
レナは、そのまま上座に座るリーンハルトへ近づいていくと、後ろにいた側仕えの男から受け取った小さな花束を胸の前で抱いた。
「陛下」
微笑みながら話す様子は、まるで夢見る女の子のようだ。
白い頬を僅かに赤く染め、初々しい眼差しで前にいるリーンハルトを見つめている。
その手が胸に掲げているのは、乙女恋草だ。リーンハルトの瞳を思わせる水色で作られ、周囲には銀に塗った樅の枝が華やかな彩りとなって添えられている。美しくてひらひらとした青い花弁は、まるでいくつもの蝶がレナの手の中で止まっているようで、その上にある赤く染まったレナの頬の様子と合わせても、名前に負けない可憐さだ。
「あの……私、陛下にぜひ誕生日のお祝いに身につけていただきたくて。花束を、コサージュにしてみましたの。今日のお召し物にもあうと思います。どうか、身につけてはいただけないでしょうか」
「なっ!」
その様子に、イーリスの側にいたコリンナが口を開いてレナを凝視した。
「なんて図々しい! イーリス様のおられる前で、陛下に乙女恋草を選んだばかりか、あまつさえ身につけるようにお願いするなんて!」
さすがに、レナのこの贈り物には、周囲の貴族たちもざわめいている。
花ならば受け取る――過去にリーンハルトが明言したため、受け取らないわけにはいかない。しかし、新しい王妃候補でもある聖女からの乙女恋草という贈り物。ましてや、王の誕生日という晴れの日に、その心臓に最も近い胸につけてほしいだなどと――。
「これは……どうなるんだ……?」
「受け取らないわけにはいかないでしょう? 花ならば受け取ると申されたのは、陛下ですし」
「だが、聖女様からの乙女恋草を受け取って、胸につけるというのは、いわば逆プロポーズを受け取るのも同じなのではないか?」
ざわざわと周囲が、リーンハルトとその前に立つレナの様子に注目をしている。
ここで、王が過去に言ったとおり、花束を受け取り、レナの気持ちを受け入れるのか――。
ぐっと唇を噛みしめているリーンハルトの様子に、イーリスも思わず心配で見つめてしまう。
(ど、どうしよう……。花束を受け取れば、レナの気持ちを受け入れるというのも一緒だし……)
かといって、あのリーンハルトに、王としての自分の言葉を翻すなどできないだろう。
ごくりと、唾が喉で嫌な音をたてていく。
その時だった。
「任せてください、イーリス様。この状況、私がなんとかして見せます」
えっと、横を振り返れば、さらりと動いたのは茶色い髪を愛らしく結っている陽菜ではないか。
「え、陽菜っ!?」
びっくりするが、もう陽菜は手にさっきの花冠を掲げて、リーンハルトの前へと歩き出していく。
(ちょっと、待って!? それをまさか、今リーンハルトにかぶせるの!?)
そうすれば、確かにレナ一人のを受け取ったわけではないから、レナの告白の効果を弱めることはできるだろうが、代わりになにやらリーンハルトがすごい姿になってしまいそうだ。
頭に花冠、胸には花のコサージュ。
(あ、童話に出てくる精霊の王子様みたいで、似合うかも!)
って、そうではないと、内心でつっこんでしまう。
(そりゃあ、そんなファンタジーな姿でも、リーンハルトなら似合うけれど!)
でも、なにかが違う。少なくとも、今のこの場の空気が、わけのわからないほうへいってしまうのは確かだ。
ごくりと見つめる前で、陽菜は明るい笑顔で進み出ると、リーンハルトの前に立つレナに並んだ。
「陛下」
にこっと笑って、青い花冠を捧げ持つ。
「お誕生日おめでとうございます。聖女レナに並んで、聖女陽菜。私からもお祝いの品を贈りたく存じ上げます」
(あ! なるほど!)
レナに並んで、陽菜が贈り物を渡すことで、この時間を聖女から王へのプレゼントの時間に変えてしまった!
しかも差し出したのが花冠では、みんな今の今まで気にしていたレナのコサージュ以上に、陽菜からのプレゼントに興味津々だ。
「聖女陽菜。そなたからも贈り物をいただくとは、ありがたく思う。しかし、それは……花飾り?」
まさかその花冠をつけろということだろうかと、微妙にリーンハルトの顔が引きつっている。
その前で、にこっと陽菜は笑った。
「はい。この花冠は、陛下の身に帯びておられる色をイメージしてお作りしました。ですから、陛下の色を宿すこの花を、聖女レナの花ともども、陛下の色を纏わせたい最愛の方に贈っていただきたいのです」
「なっ……! 誰が、そんなことを!?」
横で、レナが目を大きくしているが、その瞬間、陽菜の足がだんとドレスの下で、レナの靴を踏んだ。
まさか、陽菜が攻撃してくるとは思わなかったのだろう。
瞬間、思わず痛みに目を閉じたレナの横で、陽菜がにこっと笑っている。
「どうぞ。私だって、雄々しい男の方である陛下が花を身につけられるのが照れくさいことなど、百も承知しておりますわ。だから、これは陛下の愛の証しとして」
どうか最愛の方に――と差し出される花冠を受け取る横で、レナが悔しそうに陽菜をものすごい瞳で睨んでいる。本当は文句を言いたいのに、足の痛みに耐えるのが精一杯で、唇を噛みしめることしかできないのだろう。その横で涼しげな顔をする陽菜は、レナのコサージュも一緒に手にとり、リーンハルトへと差し出していく。
一瞬驚いた顔をしたリーンハルトも、陽菜の機転に気がついたのだろう。ふっと笑うと、昔よく陽菜に見せた笑顔で二つの花を手に取り、こちらを振り返った。
「イーリス」
「は、はいっ!?」
え、まさかあそこまで行って、受け取れということなの、とどきっとしたが、花冠を手に持ったリーンハルトは、かつかつとこちらへ歩いてくる。
そして、イーリスの前に立つと、ふわりと水色の花冠をかぶせた。
「うん、よく似合っている」
「え……」
突然のことにぱちぱちと目を瞬く。しかし、その前で、リーンハルトは花冠をかぶったイーリスを嬉しそうに眺めているではないか。
「やはり、俺の色は、君が身につけるのが一番よく似合う」
(待って、待って! これ公衆の面前での大告白じゃない)
焦るが、周囲はどこか「ああ、やっぱり」という眼差しだ。あらあらという眼差しや、面白くなさそうな視線もあるが、大半はやり直そうとしているリーンハルトの姿を、生温かく見つめてくれている。
「それと、このコサージュは……」
さすがにレナからの品までイーリスに渡すのは、気が咎めたのだろう。
くるりと振り返ると「グリゴア」と自分の側近を見つめた。
「お前に下賜しよう。幼い頃から相談に乗ってくれて、一番信頼している先生だ。これからも俺にその真心を捧げてくれ」
言うと、側に控えていた侍従が近づいて、グリゴアの胸にぱちんと青いコサージュを留めていく。
(あらあら)
折角のレナの逆プロポーズが、まったく違う胸に飾られてしまった。
前に立つレナは、心底悔しそうだが、リーンハルトから最も信頼している師匠といわれたグリゴアは満更でもないようだ。
胸に飾られた花を嬉しそうに、そして誇らしげに見ている様子に、まあいいかという思いが湧いてくる。
二人の様子を見比べて苦笑をしていると、目の前にはいつの間にか広い手が差し出されていた。
「踊ってくれ。次期王妃候補として、ぜひ俺のダンスパートナーに」
それは、あの日の問題で、勝った方を次の王妃候補として扱うと約束したことを言っているのだろう。
(まったく、これではどちらに対しての褒美なのか――)
これはあの日の勝者として自分に与えられるものなはずなのに、なぜかリーンハルトの方が踊りたくてたまらない顔をしている。でも、悪くはない。今日という特別な日に、最愛の人の手を一番に取れるのだ。だから、嬉しい笑みを隠しもせずに手を重ねると、そのまま流れる音楽に合わせて、螺鈿の間の中央へと進み出た。