第59話 リーンハルトの誕生日①
ポーンと、青い空に花火が打ち上がる。
昼間なので、白い煙をまき散らしているだけだが、いくつも鳴らす祝砲と、近衛騎士団付属の楽隊が鳴らすトランペットの音とで、王宮のみならず都中が、慶びごとの華やいだ空気に包まれている。
「わあ! すごいですね!」
隣で、素直な感想をもらしているのは、陽菜だ。
「でしょう? 毎年、この日は圧巻なのよね」
笑いながら同意してしまうのは、今いるこの螺鈿の間が、見事に花だらけだからだ。
朝から、次々と貴族たちから届けられてくる花束で、もう壁という壁はすべて埋め尽くされてしまっている。
「本当に、花だらけですね。私、こんなに花ばっかりって初めて見ました!」
「毎年、貴族たちが競うように花を贈ってくるからね。ほら、話をすれば今も……」
女性の中では最も高位に用意された席から、リーンハルトが座っている上座のほうにちらっと目をやる。すると、そこでは一人の壮年の男性が、豪華な薔薇の花束を手にして、リーンハルトの前に屈みこんでいくではないか。
「国王陛下! 十八歳のお誕生日おめでとうございます!」
「ああ……」
「これは、我が領地で丹精こめて育てた薔薇の花束です! ぜひ、このめでたき日に、陛下のお側に!」
「ああ、ありがたくもらっておく」
言葉では丁寧に返しているが、俯いているリーンハルトの顔は、まるで苦虫を噛みつぶしたかのようだ。
それもそうだろう。いくら国の重鎮とはいえ、五十代の男性から、薔薇の花束を持って跪かれたのでは。
「ひええええ。なんか色々とシュールな光景なんですが……!?」
「安心して。これが、延々と続くから」
「この宴会の間中、ずっとですか!?」
「それでも、昔みたいに貴族たちが張り合って、貴金属や高価な品を贈り合わなくなっただけ平和な空気なのよ? なにしろ花ならば、高いといってもまだしれているし……」
「そりゃあ、陛下にしたらそうかもしれませんが……」
視覚的にきついですと脱力している陽菜には、同意しかない。
大臣に元老院の重鎮、さらには渋い強面の重臣たちからも次々と豪華な花束を贈られる様は、さすがに圧巻だ。
視線の前で、ざっと二人の騎士たちがリーンハルトの前へと跪いた。
「陛下、今日のこの良き日をお祝いしまして、我が第一騎士団でも花束を持参しました!」
「我が第二騎士団も、陛下のご成長は喜ばしい限り!」
つきましてはと、二人の騎士団長の声が、完全にかぶる。
「どうか、我が騎士団の花束を瑞命宮の入り口の守護花に!」
「おおっ!」
周りが歓声をあげるほど、二つの騎士団が差し出した花束は、巨大だった。それぞれ三人の騎士たちで抱え、色とりどりの花で飾られている。
第一騎士団は、紫を中心とした花束。第二騎士団は、オレンジを中心とした花束だ。
「あの、あれは……?」
「ああ、あれは、毎年それぞれの近衛騎士団が張り合ってリーンハルトに贈っているのよ。どちらが陛下の住む瑞命宮に飾ってもらえるかって」
「誕生日が戦いになっているじゃありませんか!?」
「まあまあ、ライバル騎士団の最早恒例行事だから」
仕方がないわよねと笑ってしまうが、周りは今年はどちらが勝つかと、ごくりとリーンハルトの挙動に視線を注いでいる。
「では、今年は第二騎士団の花束を瑞命宮に」
おおっと周囲の声がした瞬間、第二騎士団の団長がガッツポーズを作った。ついで、側でうなだれた第一騎士団長の背中をばんばんと励ますように叩いていく。
「第一騎士団の花束は、今年は王妃宮の入り口に。信頼している騎士団だ。私の代わりとなって、王妃宮をすべての災厄から守ってくれ」
「は……はい! ありがたき幸せにございます!」
うなだれていた第一騎士団長が、ぱっと顔を輝かせる。
(こういうところのバランス感覚は、さすがよね――)
確か去年もこの戦いが行われた時には、負けたほうの花束に、王家の祭壇を彩る役目を与えていた。きちんと、両騎士団の顔を立てているところは、素晴らしいが……。
「そういえば、グリゴアは贈らないのかしら?」
思わず、リーンハルトの近くにいる姿を見つめてしまう。
元老院ならば、大臣たちと順を競って贈ってもおかしくはない位だ。どちらかといえば、今日トップバッターでリーンハルトに跪いて花束を贈りそうな人物なのに。
「いえ……、ちょっと耳にしたのですが……。すでに今日の朝、瑞命宮の廊下が黄色い百合だらけになっていたそうですよ?」
こそっと耳打ちをしてくるコリンナに、どっと脱力をしてしまう。
「あ、そう……」
さすがは、リーンハルトの性格を最もよく知っている元指導役。黄色の百合が、誰を思い出させるのかわかっていて選ぶ辺りは、好みの熟知が半端ではない。
「あはは! それは、陛下は絶対に断れませんね」
そして、やはりリーンハルトをよくわかっている陽菜も、誰を連想して言ったのか。
「それで」
こそっと耳打ちをしてくるように、囁いてくる。
「イーリス様は、陛下へのプレゼントは用意されたのでしょう?」
「え、ええ……」
その瞬間、あの出かけた夜のことが思い出された。
あの夜の事件の犯人は誰だったのか。
あのあと、徹底的に捜査がされたが、まだ自分たちの馬車に気がついて、助けを呼んでくれた人の名前すらわかってはいない。
ただ、誰かが馬車から飛び出した自分たちを見て、すぐに医者と都の警備兵に知らせに走ってくれたらしい。
状況的に見て、あの事件で、最も怪しいのはポルネット大臣だが――。
(あの事件に、レナも関与していたのかしら?)
悩むが、あのあと会ったときの様子は明らかに疑わしかった。さすがに、なにも知らなかったとは思えないが。
(でも、レナはこの間まで、向こうの世界で普通に生きてきたはずよ!?)
ひょっとしたら、推し活にいそしんだり、好きな人に思い込みが強かったりするタイプだったかもしれないが、ついこの間まで普通の生活をしていたはずだ。よほど特殊な環境で暮らしていたのでない限り、人が死ぬかもしれない事件に平然と関われるとは思わないが――。
(わからないわ)
ただ、事件を聞いて笑っていた顔から、イーリスを邪魔だと思っていることは、間違いがない。積極的に関与したのかどうかまではわからなくても、いなくなってくれればいいのにと思われているのは、確かだ。
ぎゅっと、思わず貝細工の扇を握り締めた。
(――レナも私を殺したいのかしら……)
邪魔に思われていても、いくらなんでも同じ世界出身としてそこまではないと思いたい。だが、向こうの世界でも、恋で人を殺す者など、歴史上何人もいた。
「イーリス様?」
心配そうに陽菜が覗きこんでいるのに気がつく。
「プレゼント、ひょっとして間に合わなかったのですか?」
「え? い、いえ。大丈夫。用意はしたわ」
慌てて笑って答える。
(喜んでくれるかは、わからないけれど……)
それ以前に、どうやって渡せばいいのかがわからない。その品に布をかけて後ろで持ち、控えているコリンナをちらりと見て、リーンハルトにどうやって切り出せばいいのか、悩んでしまう。
「そうですか。良かった! あんなことがあったから、私そのことをイーリス様に確かめるのを、すっかり忘れていて!」
陽菜が言っているのは、やはりあの夜の事件のことだろう。
だとしたら。
「ねえ、陽菜」
迷いながら口を開いたときだった。
「あの夜、貴方が言っていたことなのだけど……」
リーンハルトといい、陽菜といい、レナのなにに気がついたというのだろう。
尋ねようと顔を向けた時、不意に後ろから優雅な声がした。
「あら、イーリス様。今日も相変わらず地味なドレスをお召しですわね?」
はっと振り返れば、淡い卯の花色の絹に銀の刺繍を施したドレスを纏ったレナが、いつの間にか近づいて後ろから微笑みを浮かべているではないか。
可憐なのに、どこか恐ろしい。
翡翠色の瞳で、イーリスを眺め、ふっと笑った。
「今日は、陛下のお祝いごとの日だというのに。それでは、少々不釣り合いではありませんかしら?」
「なっ――!」
ぱっと飛び出そうとした陽菜を、咄嗟に手で制す。
「ええ。今日の主役は陛下ですから。目立ちすぎないようにするのが、礼儀でしょう?」
「なるほど。ものは言い様ですわね?」
くすくすと嘲るように、こちらを見つめてくる。
「ああ、そういえば、陛下への誕生日プレゼントはご用意なされましたの? イーリス様は毎年、薬草と伺っていますけれど、まさか今年の花束も?」
「今年は違うわ」
「あら、でも貧弱な品には変わりなさそうですわね? その後ろの侍女がもっている品の大きさからすると――精々花一輪といったところかしら?」
後ろを見て、嘲りの笑みを浮かべる姿に、不快感が募ってくる。
「今年のは……」
「花の多さで、勝負が決まるんですか!? だったら、私の勝ちですね!」
ぱっと隣から、陽菜が取り出した。見れば、大きな青い花の冠だ。
「かすみ草サイズの花まで合わせて、全部で百五十本使ってあります! これ以上は、巨大な花束でない限りなかなか作れない花の量ですよ?」
にこにこと話しているが、まさかそれをリーンハルトにかぶせる気なの!? と、むしろそちらのほうが気になってしまう。
(さすが、陽菜……。手先の器用さは、すごいけれど……)
どんな顔をしてリーンハルトが受け取るのだろうと思うと、別な意味で冷や汗が出てきそうだ。
(まさか、それをこの臣下の中でかぶせるとか!?)
せめてこっそり渡してあげてと思ってしまうのは、意外と似合いそうな気がしてしまうからだろうか。
だが、その陽菜の冠を見ると、レナは不快そうに眉を寄せた。
「花の多さの問題ではありませんわ。私は、もっと陛下に似合う品を用意しましたから。失礼」
頭も下げずに、その場をあとにすると、玉座の前へと歩いて行ってしまう。
去っていく可憐な後ろ姿を見送り、陽菜はぼそりと呟いた。
「安心してください。イーリス様。私が、この宴会の間に、この間感じたことを確かめてみますから」
それは、以前リーンハルトも言っていたレナに違和感がないということなのだろうか。
どういう意味なのだろうと思いながら、リーンハルトへと近寄っていくレナの背中を見つめた。