第55話 管理官
さて、どうにかプレゼントは決まった。
これを贈れば、リーンハルトへの返事にもなるはず……!
多分間違って伝わる可能性は低いし、何度考えてもやはりこれしかないだろうと思う。
(ただ問題は、私がリーンハルトのサイズを知らないのと、どうやってばれないように用意するかという点だけで!)
誕生日まであと一週間と少ししかない。
特注となると、正直用意できるかぎりぎりの日付だが――。
(まあ、最初の問題に関しては、やはり彼に尋ねるべきよね?)
思いながら顔をあげると、普段王妃宮の居間ではあまり見ることのない官僚が、白い髪を後ろに端正に撫でつけた姿で立っている。
「よく来てくれたわね」
すっと胸に手を当て、身を屈めている姿は、王妃に対する完璧な礼だ。
腰の曲げ具合、背中の伸ばし方といい、貴族のマナー礼儀集に出てきてもおかしくはないほど、一分の隙もない。
「お忙しい中、お呼び立てをして悪かったわ。少しリーンハルトの品を誂えたくて。それであなたなら、きっとサイズを知っているだろうと思ったのだけれど」
朗らかに話せば、相手の切れ長の目がきらりと光る。
「お任せください。陛下のことならば、現在の髪の長さから足の裏のサイズまですべて熟知しております」
「そう、あなたならと見込んだのは正解ね」
――さすがは瑞命宮管理官!
昔は王妃宮の管理官をしていたと聞く彼は、リーンハルトの即位に伴い瑞命宮の管理官に任命され、以来身の回りの一切を取り仕切っている。
「ありがとうございます。私ども管理官の仕事は、その宮にお住まいになっている方に、いかに快適にお過ごしいただけるか。そのためならば、必要なことはすべて網羅していて当然!」
くわっと老紳士の切れ長の目が見開く。
「そのため陛下につきましては、昨夜の御就寝時間から、この六年間耳にした王妃様への独り言まですべてを記憶しております」
「ちょっと待って! 今、さりげなく言われた後半部分のほうが気になったのだけれど!?」
「陛下が『なんでもない、忘れてくれ』と口にされた時点で、その内容はすべて表には出さないことになっております。聞いた内容は、どこにも漏れないように万全を期しておりますので、ご安心を」
「いえ、それを覚えているわよね!? 一人だけ絶対に忘れる気がないような感じがするのだけれど!?」
「お気になさらず。ただ、私は陛下が普段口にされないことも拝察し、暮らしやすく立ち回るのが仕事ですので――」
「拝察どころではなく、絶対に自分から観察して情報を集め回るタイプよね!?」
なにを知られているのかわからなくて思わず絶叫してしまったが、瑞命宮管理官はしれっとしたものだ。
(――さすがは、宮中省トップ、三宮殿の長……!)
宮中省には一応大臣もいるが、実質的なトップは三宮殿の管理官だ。その中でも、瑞命宮は王の信頼がもっとも厚い者がなるだけあって、イーリスがぜいぜいと息をついてつっこんでも、まったく動じた気配がない。
(こんなのが幼い頃から側にいるから、リーンハルトが感情を表すのが不器用になるのよ……!)
言う必要もなく立ち回られては、言葉を使って心を表すのも下手になるだろう。
「それで、王妃様。お知りになりたい陛下のサイズとは、どれでございましょう?」
しかし、その分彼の知識は絶対だ。
一度ごくっと息を呑んで、立っている彼を見上げた。
「あのね、リーンハルトには内緒で作りたいから、こっそりと教えてほしいのだけれど……」
「ほう」
こそこそと話すと、相手は老いた顔を、すぐにくしゃっと緩めていく。
「きっとお喜びになります。王妃様からの品は、どれも何度も手に取って眺めるほど大事にしていらっしゃいますから」
「そうだったの……」
「ええ。特に今度の誕生日は心待ちなようで。例年とご様子が違うので不思議に思っていたのですが……。そうですか、王妃様からのプレゼントを待たれていたのですね」
微笑むと、すっと頭を下げて、瑞命宮の管理官は下がっていく。その顔は良い話を聞けたと綻んでいるものだ。
「さて! これであとは、実際に注文して作ってもらうだけだけれど」
サイズはわかった。
だが、王妃宮に商人を呼べば、イーリスの考えている品がリーンハルトに伝わってしまうだろう。
少しだけ考えて、瑞命宮の管理官を扉まで送って戻ってきたコリンナを見つめた。
「ねえ、コリンナ。少しだけ都に出かけたいのだけれど」
「都に!?」
「ええ、お忍びでお買い物に」
王妃宮に呼んでは、ひょっとしたらリーンハルトにばれてしまうかもしれない。
(そうでなくても、家出して以来、王妃宮の生活は監視状態なんだから……!)
過敏になっている女官たちは、イーリスの許に見知らぬ男が訪ねてくれば、絶対に瑞命宮に注進を走らせようとするだろう。
(やる……! あの新しい王妃宮管理官……!)
とにかくイーリスの普段の行動を監視する能力については、今までの管理官の中で随一だ。
(リーンハルトも、そんなところで選ばなくても……!)
とは思うが、ひょっとしたら責任追及を恐れた宮中省大臣の仕業かもしれない。
もし出かけようとして、王妃宮管理官が知らせたのが瑞命宮管理官ならば、イーリスの意図を汲んで、うまくリーンハルトには誤魔化してくれるだろうが……。
(知らせる相手が、もし瑞命宮の侍従にだったら、リーンハルトにも伝わるだろうし……)
念には念をだ。
こそっと階段から下を見れば、女官に指示を出していたきりっとした女性の管理官が、一階の奥へと歩いて行こうとしている。
その様子にコリンナと顔を見合わせた。
「今だわ!」
背を向けた瞬間を狙って、急いで階段を下りていく。
歩いていくのを確かめて、足音を立てないように玄関へ向けて走った。気をつけたはずだったのに――。
なぜか奥からくるっと振り返ってくる。
「王妃様!? どちらへ?」
(見つかった!)
瞬間的に冷や汗が流れてくる。
「ちょっと都に出かけてくるわ!」
「お待ちくださいませ! まさか、家出じゃありませんよね?」
どうして、イーリスが出かけようとすると、ことごとく家出を疑うのか。
(いや、私のせいなんだけど!)
「お忍びで買い物に行くだけよ! 瑞命宮の管理官にもきちんと伝えてあるから!」
「それでも、護衛はつけてください! 万が一ということもありますので――!」
管理官の言う万が一は、不測の事態か家出のことなのか。
(これ絶対に家出を疑っている!)
「大丈夫よ! ちょっとだけで、すぐに帰ってくるから!」
「なりません! お出かけになるのならば!」
言葉が追いかけてくるのを待たず、急いで二重になっている王妃宮の玄関の扉を掴む。
一つ目の扉を開けて、あともう一枚をくぐれば外だというところで、手前に騎士たちがずらりと待機をしていた。
「最低でも、これぐらいの護衛はつけていただかないと」
かつかつと眼鏡を持ち上げながら歩いてくる王妃宮管理官は、さすが英才揃いの中から抜擢された官僚だ。
まるでイーリスに二度と家出はさせないというように並んだ騎士たちの姿には、こちらの頬のほうが引きつってくる。
「いつから、ここに……」
今までこんなふうに、大量の騎士を待機させていたことなんてなかったのに。
焦りながら尋ねると、後ろでにこやかに王妃宮管理官が笑った。
「イーリス様が陛下へのプレゼントをお考えだと伺いまして。それならば、近々商品を見に行かれるかもしれないので、念のためお出かけ用に待機させておりました」
(絶対に念のためじゃない!)
確実に、お忍びと称して家出するのを防止するためだ。
並ぶ騎士たちの姿に、がっくりと肩を落としてしまう。
「……せめて、この人数の半分にして……」
身軽なお忍びで行きたかったのに――とは思うが、断れば先ずリーンハルトの許可をとるまで、王宮の外には出してもらえないだろう。
なんとか妥協してもらい、馬車に乗ったが「やっぱり、これ監視よね……」と思わず呟いてしまったのは仕方がないと思う。