第54話 悩む誕生日プレゼント
次の日、話を聞いた陽菜はベッドの上でころころと笑っていた。
「あはははは! 陛下ったら、さりげなくしっかりしていますねー」
「笑いごとじゃないわよ? もう。こっちはわからなくて、本当に必死で考えたっていうのに――」
体よくプレゼントをおねだりされてしまった。貴族たちの前で約束させられたのでは、さすがに今からあれをなしにしてとは言えない。
「ふーん」
見舞いに来たついでに、昨日のレナとの件について話していたのだが、今日の陽菜の顔色はかなりよさそうだ。
昨日リーンハルトにしてやられたことを思い出しながら、メイドが運んできたティーカップを受け取ると、一連の事情を訊いていた陽菜はなぜかにやにやとしている。
「イーリス様は、それだけ陛下のお側を渡したくはなかったということですよね?」
「それは――。やっぱり、六年もパーティでは一緒にいた仲だし」
「つまりは、陛下の妻の座を渡したくなかったのですよね?」
満面の笑みの言葉に、飲もうとしていた紅茶を思い切りむせてしまった。
「やっぱり陛下のことが大好きなんですねー。最近のイーリス様を見ていたら、もう、それがよくわかってきますもの! きっと、陛下だって、それを感じられたから、イーリス様にプレゼントでそれをおねだりされたんだと思いますよ」
「それを感じるって……! そんなに丸わかり!?」
驚いて思わず身を乗り出したが、陽菜はうーんと少しだけ考え込んでいる。
「傍目にはいつものイーリス様ですけど……。勘のよい人や、少なくとも陛下には伝わっていると思います」
がんと脳天に、雷を落とされたような気分だった。
「リーンハルトには、って……。どうして……!?」
「なんとなくですけどね。だから陛下はイーリス様のお気持ちが、今どれくらい自分とやり直してもいいと思っておられるのかを示して欲しいんじゃないですか?」
「待って待って、待って! それ、つまり自分を今どれぐらい好きか、口に出して言って欲しいということよね?」
――まさか、自分を好きだと確信して、申し込んでいたなんて!
顔が青くなってしまうが、よく考えればあのリーンハルトだ。
(そうだわ……。私に対してはすぐに自信がなくなるとか話していたのに、今回に限って急に気持ちを知りたいと言いだすなんて……)
最悪の返事はないと確信していたのだ! イーリスが自分を好きだとわかって、最近それを感じるからこそ、どれくらい再婚に前向きになっているのかを知りたいと言い出すことができるぐらいには!
(私の気持ちがばれている――!)
そう考えただけで、すごくショックだ。いや、告白をしたのだから、好きだと伝わっているのはかまわないのだが、なぜかとてもいたたまれない。
(わからない! どうやって歴史上の人物たちは、こんな難問を解決してきたの!?)
素直に気持ちを伝えるなんて――。考えるまでもなく好きだと言えばいいだけなのだが、それができるくらいなら初めから苦労はしていない。
うううと悶絶していると、陽菜が「まあまあ」とベッドに座ったまま宥めてくる。
「あまり悩まれず」
ちらっとその顔を見上げた。
この間訪ねた時は、まだ顔色が悪かったが、こうして笑っている姿を見ると、今日はかなり調子も戻ってきたみたいだ。
笑う陽菜の顔は、やはり桜が咲いているようにふわりとしている。
温かくて、柔らかな雰囲気で――。
ふわふわとした心地よさを感じる笑顔に、うつ伏せていた顔をふうとベッドから上げた。
「だいぶ体調は戻ってきたみたいね。よかったわ。元気そうになって」
笑っている陽菜の顔に、ほっとした笑みがこぼれてくる。青い顔色で吐き続けている姿を見たときには、どれだけ心配だったか――。
「ご心配をおかけしました。脱水症状を起こしていたので、念のため休んでいましたが、もう明日からは普通に動いても大丈夫とお医者様にも言われたんです」
「そう」
その言葉に、本当にほっとしてしまう。
「よかったわ。陽菜が元通り元気になってくれて」
どれだけこの笑顔に救われてきただろう。聖女でも、王妃でもない。ただの不器用なイーリスを知っている数少ない友達――。
優しい眼差しで見つめると、前世でよく見た懐かしい黒い色の瞳で陽菜はころころと笑っている。
「私も、イーリス様のお話が聞けてよかったです。ちょっと、すっとしましたもの」
「ああ――」
そうだ。陽菜に中毒を起こさせたのは、レナだった。
(あら? だとしたら、リーンハルトが人前であんな勝負を持ちかけたのは、陽菜への敵討ちの意味もあったのかしら?)
確かに、今の時点で王の側に立つということは、次代の王妃を示唆するから、聖女であるレナにも同じように資格はある。
だが、現状ではまだ正式に離婚が成立していないことをあげれば、リーンハルトにはほかにもレナを拒否する理由はあったはずだ。それなのに、あんな形でイーリスが自分のパートナーにふさわしいと示し、勝負という形でレナに敗北を味あわせた。
「そう考えれば、リーンハルトがあんな問題を出したのは、少しでも陽菜の仇を討ちたかったからなのかもね……」
「陛下が、ですか?」
ぱちぱちと黒い睫をしばたたかせている。
そして、しばらく考え込んで、ふわっと笑った。
「だったら、嬉しいです。また陛下と友達に戻れて――」
不器用なりに、リーンハルトが陽菜に抱いていた友情。
きっと、イーリスの時と同じ。行き違ってしまったために、もう一度戻ろうとしても戻れず、くすぶっていた友情があったのだろう。
陽菜からこぼれる笑みに、同じように彼女に友情を感じている自分の心にも温かいものが宿ってくる。
そのイーリスの笑みを見つめ、陽菜が楽しそうに口を開いた。
「ところで――」
「うん?」
「さっきの話ですが、陛下へのプレゼントはどうされるのですか」
再度飲もうと、ベッドサイドのテーブルに置いていたお茶を取りかけた時だったので、口をつける前からむせてしまった。
「プ、プレゼント……」
ごほごほとうまく飲み込めなかった唾が引っかかって、喉が苦しい。
(一瞬忘れていた!)
でも、どうすればいいのか。
「そ、そうよね。約束したんだし……。でも、なんて言えばいいのか……」
「素直に大好きでいいんじゃないですか? きっと陛下も喜ばれると思いますし」
「それは無理!」
そんなことを言えというのなら、きっと刃物を持った敵と対峙するほうが、精神的にずっと楽だろう。
少なくとも、恥ずかしくはないし。
さすがに頬を真っ赤にして叫んだせいか。陽菜の顔が明らかに一瞬面白いというものになったが、はっとしたようになると真面目に考え込んでいく。
「え、えーと……。そうですね、ちなみにイーリス様は、今までに付き合った恋人とかは……」
(うっ!)
もっと答えにくい質問がきた。
「あの、私も交際とかの経験がないので詳しくはないのですが、過去に付き合っていた恋人とのやりとりを参考にしてみるとか……」
もちろん陛下には内緒にしておきますからとフォローを入れてくれるが、残念ながら、そんな心配は必要ない。
「……ないの」
「え?」
「だから、過去でも誰かと付き合ったことってないのだってば!」
「ええ!?」
陽菜が驚いているが、泣きたいのはイーリス自身だ。
「だって、イーリス様! 前世では国立大学に行かれて、ホワイト企業勤務でしたよね!? 土日もしっかりとお休みで、合コンの一回ぐらいは」
「行ったわよ!? でも、ご趣味はと訊かれて、歴史の話で推しが秀吉様と言ったら、みんななぜか微妙な顔になるし!」
「あー……それは、経済的にも頭脳的にも張り合うのが難しそうな……」
「新撰組の活躍について話したら、みんな闇夜の斬り合いで微妙な顔になるし!」
「うん。取りあえず、合コンでする話じゃないですよねー……」
陽菜が、なにかわかったという顔をしているが、なぜだろう。この表情は、前世の友達にもよくされていたような気がする!
「だから、本当に……その、好き……とかって、どう言えばいいのかよくわからなくて……」
しどろもどろで指を動かせば、陽菜がぱちぱちと瞬いている。
そして、ふふっと耐えきれないように笑みをこぼした。
「え?」
「いえ、イーリス様でもそんなふうに悩まれるのだなあと思いまして……」
そして、ではと指を一本ぴょんと立てる。
「手紙とかはどうでしょう? 今の素直な気持ちを書いて陛下に渡すのです。これならうまく言えなくなる心配もありませんし」
「それってラブレター……!」
「あ、気づかれました? 一番確実な方法なんですが」
「それはそうだけど……」
だが、自分の前に立つリーンハルトに、書いた手紙を広げて読まれる間中、ずっと立っているのだろうか。
封筒を開けた白い指が、便箋をぱらっとめくって、一行読むたびに、自分の顔を見て――。全部読み終わったら……。
ぶわっと目の前に広がる笑顔を想像しただけで、無理無理無理と頭の中で脈拍が早くなっていく。
「ダメ! 無理よ! 気持ちを読まれている間中、ずっと待っているなんて――!」
さっさと逃げ出せばいいのだろうが、手紙に書いたせいで、自分の気持ちを何度も読み返して一言一句まで覚えられるのかと思うと、耐えられない。
掘った穴から、生涯出られなくなってしまう。
「そうですか? 一番確実な方法ですが」
だが、目の前に立つイーリスの顔の熟れ具合に、これは心臓がもたないと判断したのだろう。
「うーん、それならですねえ」
あ、と陽菜がぴょんと二つ目の指を立てる。
「なにか品物とかはどうですか? ほら、陛下の誕生日には花ならば許されているのでしょう? それなら、なにかイーリス様の気持ちを表す花言葉で花束を作るとか!」
「花言葉ねえ……」
「それなら恥ずかしくはないでしょう? もしくは、再婚してもいいと思っているのなら、最初の結婚をした時の思い出の品とか。なにかそれにちなんだ物とか」
「そうね……」
花言葉――は、実は詳しくはないのだが調べればわからないこともない。
(ただ、リーンハルトにもわかるかが怪しいだけで……)
「なんでもいいのですよ? イーリス様が過去に陛下と楽しく過ごされた時の思い出の品とかでも」
「思い出の品……」
口の中で反芻しながら、そっと左手で口元を押さえてみる。
「あ……」
その時、閃いた記憶に思わず視線を流した。そしてその方向を眺める。
「そうね、あったわ……」
「本当ですか!?」
嬉しそうな陽菜の前で、イーリスは思いついた品物にゆっくりと大きく頷いた。