第53話 三人の王妃候補③
渡されたお茶をじっと見つめてみたが、色には大きな違いはない。
きっと入れられた量が少なかったからなのだろう。
「これがなにかわかれば、陛下に次の王妃候補として認めていただけるんですね?」
「ああ、だが答えられたらだ。過去の聖女がもたらした物を答える――聖姫試験のまねごととしては、相応しい問題だろう?」
「過去の聖女がもたらした物についてならば、私は負けたリなどしません!」
勢い込んで口をつけたレナに並び、イーリスも淹れられたお茶を味わってみたが、いったいこれはなんの香りなのだろう。
なんだか、ひどく独特な。わずかに香ばしいような。
しかも、入れられた量が少しだけだったせいか、ほのかな酸味しかわからない。
(わからない――っ! なに、このお茶!?)
さっきの真っ黒な物を過去の聖女がもたらしたというのだろうか。
「陛下、これはお茶……として、普段飲まれているのですか?」
隣で飲んでいたレナも、さすがにこれだけではわからなかったのだろう。
亜麻色の眉をひどく寄せて考えこんでいる姿に、リーンハルトが面白そうにふっと腕を組んで笑っている。
「いや、これはどちらかといえば体が不調な時に使われるらしい」
「不調な時?」
「ああ。風邪や腹の調子が悪いときなどに用いられるものだ。虫下しなどにも使われるそうだが――」
(つまり、嗜好品の飲み物とかではなく、お薬として使われているっていうことよね!?)
そう言われてみれば、この独特な香りも刺激をほのかに感じる味も納得できる。
だが、黒くて皺だらけのお薬などいくら前世の知識と今世の知識を動員してみても特定することができない。
周りの貴族たちも、リーンハルトの問題を聞いて、声を潜めながら答えを探しているが、隣のレナ同様答えに辿り着けないようだ。
(どうしよう。これだけのヒントでは――)
黒くて小さな薬。
必死に記憶を漁るが、該当するような物に辿り着けない。
レナも眉根を寄せて考えているが、答えを思いつかないようだ。隣でイーリスも悩んでいるのがわかったのだろう。ふっとリーンハルトの口元が緩んだ。
「どちらもわからないようだな。では、第二ヒントだ。それは薬でもあるが、同時に男女を問わず、この世界の民たちの身を彩るのに使われている」
「え、身を彩る……?」
レナが、腕組みをしているリーンハルトの目を見ながら、きょとんとしている。
「黒いお薬なのに、装飾品ということですか……?」
だが、リーンハルトはただ笑っているだけだ。
(待って……違うわ。だって装飾品なら、男女を問わずなんて普通はないもの)
男性でも女性でも用いられる物。
(ボタン? それとも宝石の代わりや護符などになるものかしら?)
だが、黒くて皺だらけで身につける物など、いくら前世の知識と今世の知識を動員しても思い出すことができない。
周りの貴族たちも、リーンハルトの問題を聞いて、隣とあれこれと答えを探しているようだ。
その囁き交わす答えを聞きながらも、レナも、やはりまだ答えがわからないようだ。
(どうしよう。これだけのヒントでは――)
黒くてしわしわのお薬。そして身を飾る――。
必死で記憶を漁るが、該当するような物を思いつけない。
(聖女がもたらしたってことは、前世の世界でもあった物なのよね?)
黒曜石や、もしくは根付として使われた黒檀だろうか。身につけるのはともかく、それ自体が薬としてはピンとこない。
「ええと……ひょっとして携帯できるお薬……で、特別に装飾品として身につける習慣があるということですか?」
「さあ?」
戸惑いながら尋ねるレナに、リーンハルトは頷きさえしない。どこかとぼけたような様子で二人を見つめ、慌てている様さえ楽しんでいるかのようだ。
レナも俯いて眉根を寄せて考えているが、わからないらしい。
(身につけるもの――。それで、食べられてお薬になり、外見は黒くて小さくてしわしわ)
だけど、そんな物があっただろうか?
そもそも、リーンハルトが用いた身につけるという表現からして、広範囲だ。
(黒曜石ではないわ……。それに身につけてお薬になる物…)
しかも男女問わずだ。ひょっとしてアクセサリーではなく、持ち歩く小物などに使われているのだろうか。鞄や、傘や靴。そう考えれば候補は広がりそうだが、薬にもなるというあの見た目がすべての候補の前に立ち塞がっている。
(わからないわ! どうしよう! だいたい男女問わず身につける黒くてしわしわのお薬にもなるものって――!)
いくら考えても、脳裏の前世の知識に該当の品は浮かんではこない。
思わず目を閉じて、必死で脳内の記憶を漁っているとき、ふとリーンハルトの唇がゆっくりと開いた。
「もし――それがわかれば、俺はその人を王妃にふさわしい人物と認め、特別にその人からは花以外のプレゼントでも受け取ろう」
「えっ!?」
(王妃として!?)
思わず目を見開く。だが、その前でアイスブルーの瞳は、深い眼差しでイーリスを見つめているではないか。そして、ゆっくりと唇が紡いだ。
「代わりに、俺はそのプレゼントのお礼として、その聖女にはこの問題の品から作った紅を贈ろう。それをつけて、俺に次の王妃としてのプレゼントを渡して欲しい」
おおっと、周りがどよめく。
ぱちぱちと今のリーンハルトの言葉に皆の瞳が瞬いた。
「まさか、この問題で次の王妃候補の有力者が決まるなんて!」
「でも、難しいですわ。一体答えは何なのか――」
さざめく周囲の声も今のイーリスの耳にはまったく入っては来ない。
(今、リーンハルトはなんていったの?)
確かにそれから紅が作られると言った。
(では、答えは紅になる原料?)
いや、違う。紅になる原料はたくさんあるが、黒くてしわしわなものが答えだ。
(だとしたら、紅を作る材料――)
日本ならば、紅は紅花から作られていた。そして、紅花は赤い布地の染料としても活躍してきた。男女を問わず身につける衣服の布地として。
(そして、紅花染めの材料の中で、食べられて薬にもなるものといえば――)
「本当でございますか!? もし、私がわかったら、私を王妃候補と認めて、陛下に特別にプレゼントを渡す権利を――」
「ああ、だが正解したらだぞ? 答えはわかったのか?」
「それは――」
レナが勢い込んで身を乗り出したものの、考え込んで口を閉じた一瞬だった。
「――烏梅」
ぽつりと言葉が、前世で見た歴史衣装の再現映像からこぼれ出る。
「正解」
その瞬間、リーンハルトの顔がまるで花が満開になるように優しく微笑んだ。
「さすがイーリス。よくこの問題の答えを知っていたな」
おおっとすかさず、周りの貴族たちから歓声があがる。
「さすがはイーリス様ですわ。まさか、この問題の答えをご存知だなんて」
「でも、烏梅ってなんですの!?」
周囲の貴族たちが聞き慣れない単語に首を傾げているが当然だ。
烏梅は、梅の実を燻して作られる媒染剤だ。紅花の色素を布地に沈着させる効果をもち、 艶紅を作るのにも用いられてきた。原料が梅なので、生薬としても活躍し、古代中国の文献や江戸時代の文献にもその名前を見ることができる品だが。
(まさか、ここでそんな珍しい品を出してくるなんて!)
しかし、周りはさすがは博識の王妃様と悔しそうなレナの顔を置いたまま、やんやと喝采を送っている。
(私がもし答えられなかったらどうするつもりだったのかしら?)
そうは思うが、リーンハルトはイーリスが答えたことでご満悦の様子だ。
「やはり、陛下の王妃様はイーリス様ですわね」
そう囁く周りの声を当然というように、リーンハルトはそっとイーリスの耳に顔を寄せると、甘い声で囁いてくる。
「では、聖姫様。次のパーティーでは、俺にプレゼントをくれるのを楽しみにしている」
(やられた――!)
さりげなく、自分はイーリスを聖姫だと認めていることをアピールしながら、誕生日のプレゼントを請求してきた。
(これって、絶対求婚の返事がほしいってことよね?)
断るつもりはないが、どうやってそんな恥ずかしい返事をすればいいのか――。
顔から火が出そうな思いで、人が悪い笑みを浮かべているリーンハルトを見つめた。