第51話 三人の王妃候補①
あれから二日。招かれた貴族の催しに参加しながら、イーリスは考えこんでいたが、あの花瓶を落とした犯人はまだ見つかってはいない。
すぐに急いで大翼宮に入り、あそこの窓辺まで駆けつけてみたが――。
廊下に飾ってあった花瓶が、なぜあんな窓際まで動いていたのか。
話を聞いた衛兵たちが急いで付近を歩いていた者たちを捕らえてくれたが、証言を聞く限り、誰もあの花瓶のことは本気で知らないようだった。
おおごとにすれば、またハーゲンの一族のようにもなりかねない。
とりあえず、名前と住まいの裏取りをした上で解放したものの、一体誰がイーリスを狙ったのか――。
(まさかレナが? 陽菜を聖姫試験で不合格にしたのと同じように、私を戦えなくさせようと――)
いや、日本では高校生ぐらいの女の子が、よもやそこまでのことをと思いもするが、微笑みながら陽菜に毒を盛り平然としていた様子を思い出せば、そうとも言い切れない。
それに、彼女が住んでいた別宮ならともかく、場所が大翼宮だ。
果たして、レナにそこまで手を回すことが可能だったのかどうか。
考えながら、握り締めた腕に力が入っていたのだろう。
すっと横から、今日エスコートをしてくれているリーンハルトが顔を覗きこんできた。
「どうした? 顔色が悪いが、どこか具合でも?」
視界に飛び込んできたアイスブルーの瞳に、心臓がドキンと鳴ってしまう。
窓からこぼれてくる光に瞬く瞳は、ひどく清冽な色だ。澄んだ冬の湖面のような色が近くから自分を真っ直ぐに見つめている。
その姿に、顔がばっと熱を伴ってくる。
(あの朝からなに食わない顔をしているけれど……)
いったいなんて答えればいいのよ! とその端整な顔を見るたびに叫び出したいのが本音だ。
(えっと……今の気持ち!? そりゃあ再婚したいと思ってはいるけれど……!)
それを口に出して言えというのだろうか。このリーンハルトの顔を見ながら。
(待ってよ!? それって、つまり結婚の承諾か、逆プロポーズになるかの二択じゃない!?)
自分の気持ちに気がついているからこそ、なんて言えばいいのかわからない。
(それに、また直前で怖くなってうまく言えなかったら――)
ひょっとして、リーンハルトに再婚したくないと思われてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。だが、本人を目の前にしてはっきりと再婚していいわよと言うことができるのか――。
(待って、待って! 改めて考えてみたら、これは私からキスをしてくれと言われたのと同じくらい難しいわよ!?)
要するに、告白を望まれたのと同じだ。今、どれくらい自分がリーンハルトを好きで、一緒にやり直していく覚悟が固まっているかを教えてくれという――。
きゅうううと顔中が縮むかと思うぐらい目を閉じて、赤くなるのを隠した時、ほほほという笑い声が耳に響いてきた。
「いるぞ、レナだ」
手を取りながらリーンハルトが告げた言葉に、はっとその視線の方向へ顔をやる。
「まあ、レナ様は陽菜様に料理で勝たれたのですか!?」
「では、これで聖姫試験を行われることに?」
「ええ。イーリス様と戦う資格があるかの確認でしたから」
おおっと声をあげているのは、最近勢力を伸ばしてきた貴族たちの令嬢だ。
「すごいですわ! レナ様! あのイーリス様と戦われるなんて!」
「本当に! でも、レナ様を応援いたしますわ! きっと勝ってくださいませ」
(まあ、よくもはっきりと言ってくれること)
きっとこちらがいることなど気がついてはいないのだろう。わかっていて言っているのなら、たいした度胸だが――。
ぴくっとこめかみが引きつったが、気がつくとリーンハルトにさっきよりも強く手を握られている。
「リーンハルト?」
「ふん。労せずに再婚の反対派がどこの家門かわかったな」
俺とイーリスの再婚を妨害しようだなどと、じわじわと勢力を削ってやると呟いている顔は本気だ。
「リ、リーンハルト……! あのお手柔らかにね」
いつもならば「そうね。これで相手の情報がわかったわ」と返すところだが、そう答えるには、リーンハルトの顔が物騒すぎる。
(やる気だわ……! これは……)
レナがまだ王妃に決まったわけでもないのに。そんなにあからさまな指示をすれば、どうなるか。わからないわけでもないでしょうにと、思わず溜め息をついた瞬間リーンハルトが振り返った。
「相手を気遣っている場合じゃない。気をつけるとしたら、君だろう?」
「え? 私?」
ドキッとこの間の花瓶のことが頭を横切る。まさか――と頭を振ったが、リーンハルトは真摯にこちらを見つめている。
「レナは、君に代わってリエンラインの王妃になるつもりだろう? それならば、危ないのは君だ」
「私?」
ドキンと心臓が鳴って、咄嗟にレナを見つめた。よく見れば、レナの側には見たことのない従者とメイドが立っている。
いつの間にそんな相手を側に連れているようになったのか。おそらく宿と主張していた以前いた場所から呼びよせたのだろうが、それならばあの花瓶をどちらかに頼んで落とすことも可能だったわけた。
動かずに見つめ続ける自分に、リーンハルトの後ろに控えていたグリゴアがそっと身を屈めてくる。
「ポルネット大臣の思惑は、イーリス様を負かし、レナ様を聖姫としてリエンラインの王妃とするつもりでしょう。リーンハルト様が、伴侶としていくら拒まれても、レナ様が聖姫としてふさわしいとなれば、次の王妃候補はレナ様のものとなります。そして、今レナ様はもう一人の聖女である陽菜様に勝たれ、聖姫試験への挑戦権を手に入れられた――」
「つまり……今、私になにかあれば、次にリーンハルトの王妃として有力になるのは、レナだということ?」
「そうです。ですから、イーリス様にはくれぐれも身の回りにお気をつけていただきたく――」
「なるほどね」
それならば、この間の花瓶の一件も彼女が怪しいと思ったので間違いがないようだ。
どうやら、先日の陽菜への勝利で、相手は王妃となるのに必要な最低限の立場を調えてしまったらしい。
「そうね。十分に気をつけるわ」
迂闊に殺されたりしないように。陽菜に毒をもった相手の顔をじっと眺めていれば、その三人の様子に気がついたのか。
慌てて、このサロンの主である伯爵夫人が近づいてくる。
「まあまあ。王妃様! まさか来ていただけるなんて――ありがとうございます」
「シュルワルト伯爵夫人」
少し太った伯爵夫人は、宮廷内ではちょっと知られた社交界の有名人だ。明るく先見の明があり、有能な官僚や将来が有望そうな人物を招待することで、自分のサロンを繁栄させてきた人物だが――。
「それに国王陛下まで。お忙しい中、足をお運びいただけるなんて。生涯の誉れとなります」
「イーリスが興味があるようだったからな。それなら、パートナーは夫で婚約者の俺しかいまい?」
本当は、最初はギイトを付き添いとして参加しようと思っていたのだが、招待状の件を知られた途端、パートナーに名乗りを上げられてしまった。
(だって、レナが招かれているって聞いたから! それなら敵情視察と思って!)
行くと言ったのだが、パートナーに言及された時のあの眼光で、どうしてギイトの名前を挙げることができるだろうか。
(そして、リーンハルトが行くと言った時の、あの背後からのグリゴアの眼光を忘れることができない……)
きっとあの瞬間、必要になったスケジュールの調整を計算していたのだろう。申し訳ないと思うのと同時に、これで陛下を誘わなかったら許さないぞという気迫を感じなかったと誰が言えよう。
しかし、そんなこととは知らず、目の前の伯爵夫人はにこにことしている。
「あらあら、ご夫婦仲のよろしいこと。それでは、再婚式にはぜひ招待してくださいませね」
レナもこの場に呼んだくせに。本当に喰えない――と思うが、本人にしてみれば、イーリスも招待したことで自分は中立だと表明したいのだろう。ただ、将来的に有益な可能性がある人物には顔を繋いでおく。しっかり者なのも確かだ。
「それはそうと」
ちらっとリーンハルトが、奥で話している集団を見つめた。
「随分と盛り上がっているようだ。この集まりには、ポルネット大臣も呼んだのか?」
流した視線の先を眺めれば、令嬢達に囲まれたレナの側へいつの間にかポルネット大臣が近づいていっている。
「ええ。名だたるお方には、だいたい招待状を出しておりましてよ? 折角大翼宮の小広間をお借りして開催しているのですし」
ですからと、ちらりとグリゴアを扇の陰から見つめる。
「一度、ぜひ奥様ともいらしてほしいわ。私は奥様とも親しくなりたいと思っておりますのに」
「――夫人が我が家でのお茶会に参加してくださるのならば、度胸が出るかもしれません」
薄く微笑みながら答えているが、要は自分の統括している派閥に協力する気があるかどうかの確認だ。ましてや、市井生まれの妻を興味本位で人目に晒す気ならば、という殺気を感じたのだろう。
「あら。あらあら、まあもちろんですわ! 光栄な話ですもの」
ほほほと笑うと、「では招待状をお待ちしておりますわね」と残して、軽やかにその場を去って行く。
(きっと、どちらにつくのが得か、見定めたくて私とレナを呼んだのね)
その中でグリゴアは、現在国王の一番の懐刀と呼ばれている人物だ。接近したいのは山々だが、同時にグリゴアが支持しているイーリスのほうへつくことになる。よく考えねばと思ったのだろう。
(一筋縄ではいかない――)
とは思うが、ポルネット大臣ほどではない。
(なにを話しているのかしら?)
よく見ると、奥ではレナとポルネット大臣が、まるで打ち解けたような顔で楽しそうに言葉を交わしているではないか。
「この間までは、あんなに隠していたのに――」
召喚したことを知られてはまずいからだろう。それなのに、今の二人は笑いながら話し、親しげなのが丸わかりだ。
その姿に疑問を抱いたが、ふとレナの視線が動くと、イーリスの隣に立つ人物で止まった。
「陛下!」
ぱっと蓮の花が開くように笑う。白い顔を輝かせた様子は、本当に可憐な少女のようだ。早足でリーンハルトに近づくと、イーリスの手を取っているのにも拘わらず、彼の腕に手首を絡ませようとしてくる。
「今、ちょうど皆さんと今度の陛下の誕生日で贈る花束について話していましたのよ!」
「――ああ……」
ぶっきらぼうながらも答えたのは、リーンハルト自身が花ならば認めると言ってしまったせいだ。だが、レナは少女のように翡翠の瞳で見上げる。
「それでステキな花束を考えついたのですけれど! どうか陛下、一番に渡したいので、パーティーでは私のを一番に受け取っていただけませんか!?」
「え⁉」
突然のレナの言葉に、イーリスの動きが止まり、金色の瞳を大きく見開いた。