第49話 お見舞い③
誕生日のプレゼント――。
それは、前世ならばよくあったイベントだ。
前世の父は映画を見るのが好きだったから、母とペアの鑑賞券を妹と一緒にプレゼントしたし、大学時代の友人には、欲しかったというブランドのスカーフを贈ったりもした。
確かに誕生日にプレゼントはつきものなのだが――。
「あ、あのね。陽菜」
きらきらと楽しい情報に目を輝かせている陽菜に対して、なんといったものか。
「リエンラインでは、国王の誕生日にはプレゼントを贈らないことになっているの」
「えええ!? まさか、誕生日のお祝い全員禁止なんですか――!?」
さすがに、この事態は予想外だったらしい。びっくりしたように叫んでいる顔に、慌てて微笑む。
「正確には、国王にだけ禁止ね? その代わりに、花を贈ることになっているの」
「花を……陛下にですか?」
「ええ。やっぱり国王陛下の誕生日となると、国中の貴族たちがね、ここぞとばかりに張り切って贈り物を持ってくるのよ。それこそ見栄と下心が混ざりあった感じでね。だから、権勢争いの道具にされるのを嫌がったリーンハルトが、十五歳のときに、国王の誕生日に貴族が贈ってもいいのは、花だけということにしたの」
「花だけ……。あの、それはなんか想像したくないんですが、皆さんパーティーに花束を持ってやってくるんですか……?」
「ええ。結構壮観よ。なにしろ強面の将軍や老獪な公爵たちまでみんな巨大な花束をもって、リーンハルトに跪いて捧げるんだから」
「それ、視覚的に拷問すぎませんか?」
なんとなく予想できたのだろう。陽菜が明らかにぎょっとした顔をしている。
「いやいや、なかなかシュールで面白い光景よ? 滅多に見られるものじゃないし」
「それ一つも褒め言葉になっていませんから!」
普段小難しい顔をしている貴族たちが、次々にリーンハルトに花束を捧げている光景を想像したのだろう。陽菜が、明らかに「うわっ……」と小さな声で呟いている。
「まあ、リーンハルトもこうなるとは予想していなかったみたいだけれどねー」
(俺に贈り物をしたいのなら、花だけにさせろ。それぐらいなら受け取ってやる)
うっかり一部を認めてしまったために、まさか誕生日の王宮が花束まみれになるとは思わなかったのだろう。
「まあ、お蔭で花屋さんは二月二十八日は大切な人に花を贈ろう! ってキャッチフレーズを作って商売大当たりみたいだし。一つは国のためになったんじゃないかしら?」
「国のための代償が、自分の未来永劫の誕生日という時点で、陛下が気の毒でたまりません」
でも――と、ふと陽菜が首を傾げた。
「では、イーリス様も、毎年陛下に花束をあげているんですか?」
「いや、それは……」
あげようと用意をしていたら、なぜか機嫌が悪かったとはいえない。しかも、その話を聞いたリーンハルトの従兄が、「身内なのに情けない!」と、公爵の叔父や叔母まで総動員して泣き落としにかかったのだ。
「親代わりにプレゼントを用意するのが毎年の楽しみだったのにと、泣きつく従兄家族の意見を受け入れて、身内に限ってはプレゼントを贈ってもかまわないということにしたのだけれど……」
「さすが陛下。イーリス様にもらえるためなら、ここぞとばかりに抜け目のない……」
ぽつりと陽菜が呟いたが、今のはどういう意味なのだろう。
「とはいっても、王妃の私が堂々と決まりを破るわけにもいかないし。だから、毎年せめて役にたつものをと思って、同じ植物の小豆とか鬱金とかを贈っていたのだけれど――」
「最早花束ですらないじゃないですか!?」
「で、でも……。小豆は歴史的に解毒薬として使われて、実際むくみや疲労回復にも効果があるし。それに、鬱金は食欲不振の時とかに効くというから……」
なぜかじとりと見つめてくる陽菜の視線におろおろとしてしまう。
すると、ふうと陽菜が溜め息をついた。
「わかっていますよ、イーリス様ですもんね。はっきりと言わない陛下が悪いんです」
なのに、どうしてか。やはり自分がアステリアス祭の時と同じく、鈍感認定されているような気がする。
「でも!」
がしっと陽菜がイーリスの両肩を掴んだ。
「今度は、仲直りの印として、私が必ず陛下を喜ばせて差し上げます。いいですね?」
「え、ええ? 陽菜がプレゼントをあげたいというのなら……」
「私ではなく。イーリス様が陛下にあげるんです。真心をこめた、陛下が絶対に喜ぶものを」
「ええっ!?」
それは無理だ。アステリアス祭の時は、なんとか成功したが、不器用な自分がリーンハルトを喜ばせるものだなんて――。
しかし、アステリアス祭という単語に、ふと先ほどのリーンハルトの言葉を思い出した。
『あれは……それを聞いた君が、またクッキーを作ってくれないかなと思ってしていたんだ』
つかえながらも赤い顔で話していた言葉――。
「あ……。そうね、それならリーンハルトが食べたいと言ってくれた私のクッキーをもう一度!」
そうだ。これを作ってあげれば。
幸い誕生日ならば、もう一度作って渡す口実にもなる。
「うん! そうよ! それならば、花の形のクッキーを作れば!」
きっと喜んでもらえると両手を握りしめて立ち上がろうとしたのに、ギシッと両肩を陽菜の手によって押さえこまれた。
「ダメです」
「ひ、陽菜……?」
なぜだろう。こちらを見つめる陽菜の顔は、まるでこの鈍感がといわんばかりに強烈な迫力を放っているではないか。
「陛下の十八歳のお誕生日なんですよ? 日本ならば、十八は成人です。それなのに、食べたら終わりのクッキーなんて……」
強く下から見つめられた。
「絶対に! 一生の思い出に残る品にするべきです! 陛下が忘れられないぐらい――!」
それでこそ、女冥利につきるというものですと呟いているが、どうして今恋人がいないはずの陽菜のほうが、女心に詳しいのだろうか。
(うーん。女冥利……)
『妻として、恋人として! 自分のことを嬉しい思い出として、一生もっていてほしいじゃないですか!?』
そう力説する陽菜の眼光に思わずこくこくと頷いてしまった。
しかし、王妃宮に戻ってからも、いまだに良い案は浮かばない。
(だいだい、リーンハルトの喜びそうなものって……)
温め直してもらったスープを匙で掬いながら、ちらっと前の席で朝食を食べているリーンハルトを見つめる。
少し時間が遅くなってしまったせいで、今食べているのは、完全にブランチだ。
食事が冷めてしまったので、給仕たちには温め直しや毒味のし直しなど、色々と手間をかけさせてしまった。
(珍しいわよね、こんな時間に食べるなんて)
いつもと時間が違うせいか。窓からこぼれてくる光が冬なのにひどく温かくて、その中では見慣れているリーンハルトの姿も、ふだんより大人びて見える。
(もうすぐ十八歳……)
今から思えば、なんて長い時間を一緒にいたのだろう。最初に会ったときは、自分とそう背丈も変わらない子供の姿だったのに。
きらきらと光る銀の髪は幼い頃と一緒なのに、もう昔のようにあどけない姿ではない。
初めてこの国に来たばかりの自分の手を掴んでくれた小さな手も、今では男らしい太い関節を備えたものになっている。
(いつの間に、こんなに大きくなっていたのだろう)
あの頃は、まだまだ、自分がお姉さんのような気分だったのに。いつの間にか、見ているだけでドキドキとするようなこんな男らしい姿になっていた。
(だから、いまプレゼントになにがほしいのかなんて、わかるわけがないわ……。 昔の子供の時でもなにが欲しいのかなんてよくわからなかったのに!)
いまになってこんな難問を出さないでほしい。
いっそ、これなら難しい国内問題の処理にあたれと言われるほうが何倍もましだ。
「――どうした? 食欲がないのか?」
スプーンをもったまま動きが止まってしまっているのに気がついたのだろう。目の前ではリーンハルトが、少し心配そうにイーリスの顔を覗きこんでくる。
「大丈夫か? ひょっとして、君もどこか昨日の料理で具合が悪くなったのでは……」
突然まっすぐにアイスブルーの瞳を向けられて、ぱっと顔が赤くなった。
(だから! その顔で不意打ちはダメだって!)
たださえ綺麗なのに、そのうえ男らしさにも気がついてしまったのだ。かああと赤くなってきそうな頬を必死に冷まして、急いで誤魔化す。
「違うわ。ちょっと考えていたことがあって……」
「なんだ? 難しいことなら相談にのるが?」
(相談って――)
いくらなんでも、本人に尋ねるなんてと考えたところで、逆に閃いた。
(そうよ! 本人に訊けばいいんだわ! そうすれば確実にほしいものを教えてもらえるし!)
最悪それが今は手に入らないものだったとしても、大外れになるのは防ぐことができる。とはいえ、これまで薬草ばかりプレゼントしてきたから、なんと切り出せばいいのか――。
「あの、ね」
だから、悩みながら口を開いた。
「もうじきリーンハルトの誕生日でしょう? だから、なにかほしいものはあるかなって――」
きょとんとアイスブルーの瞳が開く。
「あ、あったらでいいのよ!? その毎年薬草もなんだし? 十八歳っていうのは、前世の私が住んでいた国では今は大きな意味をもつ年齢だから。あの、もしリーンハルトが特にほしいものがあったらそれがいいかなと思って……?」
自分ながら、なんてあたふたとした言い訳だ。しかし、話すあいだに、リーンハルトの丸かった瞳はゆっくりと和らいでいく。
「ほしいものはある」
そして、ゆっくりと微笑みながらイーリスを見つめた。
「え? あ、そうなの?」
(なんだ。やっぱりストレートに訊いて正解だったんだわ……)
変に悩まず最初からこうすればよかったのだ。だから、イーリスもほっとした顔で笑いかけた。
「なにが今ほしいの? ク……いや、服でも剣でも最高級のを――」
クッキーと言いかけてやめたのは、咄嗟に陽菜の一生の記念という言葉が甦ったからだ。
しかし、リーンハルトはアイスブルーの瞳で、ゆっくりとイーリスに笑いかけている。
そして、柔らかく見つめた。
「君の返事」
「え?」
ぱちぱちと瞬いてしまう。だが、リーンハルトは優しく笑ったままだ。
「ギルニッテイの街で、君に指輪を贈ったときに求婚しただろう? あの時の返事をきかせてほしい」