第45話 からくり
――おかしい。
離宮に住む者たちが寝静まった頃。イーリスは燭台一つを手に持つと、きいっと誰もいなくなった離宮の厨房の扉を開いた。
暗くなった厨房は、とうに竈の火も落とされたのだろう。昼間とは違い、冷え切った空気が白い壁の部屋を占領している。見回したイーリスは、それを感じながら着ていたコートのフードをさらりと髪から落とした。
リエンラインの首都では、冬でも雪が降ることは珍しい。雪がないお蔭で、王妃宮からここまでこっそりと歩いて来られたのだが、やはり夜になれば、冬の寒気をひしひしと感じてしまう。
ひんやりとした厨房の暗闇を見回しながら、イーリスは燭台で辺りを照らした。
白い空間が、照らした灯りの中で、ぼんやりと浮かびあがってくる。
――昼間、ここで陽菜とレナは並んで料理をしていた。
マリウス神教官は、医師が言ったとおり、食中毒と判断して、勝負はレナの勝ちとしたが――。
(おかしいところが、二つもある)
じっと静謐な厨房を見つめる。
陽菜とテス。二人とも同じ食中毒ならば、どうしてあれだけ時間に差が出て症状が現れたのか。
しかも、出たのは同じ料理を食べた五人の中の二人だけ――。
(食中毒の発症時間の差といわれれば、そうかもしれないけれど……)
ぐるりと蝋燭で照らしながら、もう一度厨房の中の様子を見回す。それにしては、陽菜に吐き気の症状が出たのが、早すぎるような気がするのだ。
(卵の食中毒は、潜伏期間が終わるのが早くても五時間)
ちょうど、食べてからテスが発症したぐらいの時間だ。どうして、陽菜だけあんなに早くに吐き気の症状が出たのか――。
(第一、あの陽菜が、卵の殻が入って気がつかないものかしら)
向かいの席からわかったのだから、テスの料理に入っていたのは、そこそこ大きな欠片だったということだ。
(だったら。料理上手の陽菜が気がつかないはずがないのに)
なにかがおかしい気がする。
(もしも、これが私の感じたとおり、レナが仕組んだものだったとしたら……)
二人が料理をしていたここに、なにかが残っているかもしれない。
ことんと燭台を置いて、台の辺りをよく見回してみる。
すっかり火が落とされた厨房は、冷え切っていて、外からの冷気が窓の向こうの暗闇から侵入してくるかのようだ。
二人が調理していたところは、今では道具も食材も、すべてが片付けられて、証拠になりそうなものはなにも残ってはいない。
(でも、なにかがあったはずなのよ! そうでなければ、あの陽菜が食中毒だなんて――!)
これが自分だったら、卵の殻が入っていても、古い卵の見分けがつかなかったとしても、やってしまった……! と思ったことだろう。
だが、卵の食中毒の原因となるサルモネラ菌は、家庭科の授業で、一分以上しっかりと加熱していれば防げると聞いた。
(それを陽菜がミスるなんて――)
自分ならばともかく。と思ってしまうのは、実技が壊滅的で、教科書の暗記で、テストの点を稼いでいたという悲しい過去をもつ者の本音だ。
「うん、私だったら全然違和感がないのよ……! 料理や手作りが苦手なのは、周囲にも公言しているし」
でも、だからこそレナは、聖姫試験にこの方法を用意していたとも考えられる。
イーリスならば、疑われないように。
ただ、実際に、レナがなにをしたのか――。
「手がかりが残っているとしたら、ここだけなんだけど……」
さすがに、使った道具は、もうすべてきれいに洗って片付けられてしまっている。
今の状況で、残っているとすれば。
台の端まで歩き、そこに置かれている木箱の蓋を開けた。
魚が発酵するような、むっとした匂いが鼻についてのぼってくる。
暗いので、よく見えないが、今日厨房で使われた野菜の切れ端や、魚の内臓などが入っているのだろう。
あまりの匂いに躊躇したが、先ほど台に置いた燭台を手元に持ってくると、袖をまくりあげて、思い切って身を屈めた。
手に当たるのは、茶色いじゃがいもの皮にぬめった魚の頭。細い豆のさやや人参のへたなどだ。それに大量の卵の殻が入っている。
「そういえば、あの時。レナは割った卵の代わりに、自分の卵を陽菜に差し出していたわよね……」
取り出した白い殻のいくつかを台に置きながら、ふと呟いてみる。
もしかして、あれにサルモネラ菌がついていたのだろうか?
サルモネラ菌は、親鶏が感染していれば、卵にも移る可能性があるものだ。それだけに、日本の調理現場では、卵を触ったあとは、手を洗うか消毒するようにうるさいほどいわれると、友人が苦笑しながらバイト現場の話をしていたが――。
(でも陽菜は、卵を全部同じボウルに割って混ぜていたわ。テスにだけ発症するなんて、どうして――)
みんなで食べたのならば、全員が発症してもおかしくはないのに。
それとも、これから自分を含めたほかの三人にも症状が現れてくるのか。
「でも、陽菜は十分に加熱をしていたはずよ?」
じっと取り出した卵の殻を見ながら、考える。
卵に菌がついていたとしても、決して食中毒を起こすような料理ではなかったのに――。
なにかがしっくりとこない。勘がただの食中毒とするには、少し変だと囁いているのだ。
もう一度、生ゴミ特有の腐った匂いのする木箱に手を入れて、がさがさとかき回してみた。暗いからよく見えないが、ねちゃっとする感触が多い中で、一つだけ違う手触りのものが指の先に触れる。
「なに、これ?」
ひどく奥のほうに、まるで隠すようにして入っている。
ほかのゴミの下敷きになっているそれを、ぐいっと指で掴んだ。人参の皮も一緒にくっついてくるが、かまわずにそれを手元まで引き上げる。
「どうして、こんなものが?」
なぜ、麻の袋がこんなところに捨てられているのか――。
生ゴミの中に埋もれていたからはっきりとはしないが、どうやら少し濡れてもいるようだ。
「野菜入れに使うような袋よね? 破けたから捨てたのかしら?」
それならばここに入っていてもおかしくはないが、布地が手織りで貴重なこの世界では、たいていの袋は繕って直す。
「手の施しようがないほど、大きな破れとかはないみたいだけれど――」
ふと、中になにかが入っているのに気がついて、茶色い紐を開けてみた。
「え? なに、これ」
茶色い袋を傾けると、中から出てきたのは、いくつものキノコの欠片だ。刻んで細かな薄切りにされている。
「どうして、レナが使っていたキノコがここに……」
料理にはちゃんと入っていたはずだ。ガレットに余った分を、いらないと思って捨てたのだろうか。
(でも、それならば、ほかの食材に回して使えばいいだけなのに――)
いくらここより生活が楽な向こうの世界から来たとはいっても、使える食べ物をそのまま捨てたりなどするだろうか。ましてや、日持ちのするものを。
「まさか……」
それとも、なにか捨てなければならない理由でもあったのだろうか。
ばっと袋を大きく開いて、すべてのきのこを近くの台の上に広げてみる。
一瞥した限りでは、普通のキノコだ。椎茸やシメジ、舞茸が水から戻された姿で、灯りで照らされた台の上に転がっている。一見した限り、昼間に見たのと変わらないようだが。
「そういえば、レナは二つのボールでキノコを戻していたわ……」
てっきり、量が多いので一つに入らなかったのだろうと思っていたが、たった五人分のガレットに添えるのに、そんなことがあるだろうか。
(だとしたら、二つに分けて水で戻した理由は……)
ごくっと唾を飲み込みながら、転がっているキノコの欠片をよりわけてみる。水で戻されているお蔭で、欠片とはいえ、昼間に見たのよりもずっと生のキノコに近い形だ。
それを指で舞茸、シメジとわけながら、ふと手が止まった。
「これは……」
指の先が、椎茸と思っていたもので止まる。
いや、椎茸だ。先ほどより分けた二きれは、確かに椎茸だった。
なのに、今指が辿り着いた欠片は、よく見れば微妙に色が違うではないか! それどころか、水で濡れた表面には僅かな粘りまでもある。
「これは……まさか……」
ごくっと息を呑んで、急いでほかの椎茸の欠片も見回した。乾燥から戻されたお蔭で、最初よりもずっと茶色味が強い欠片があるのがわかる。
椎茸の焦げ茶に近い褐色ではない。形はそっくりだが――。
「まさか、これは……」
パズルのように欠片を組み合わせていく。指が震えた。形はそっくりだ。だが、指の先で、現れてきたキノコの形に目を見開く。
「やられた――!」
まるで立体パズルのように組み合わせて出てきたキノコの姿に、強く手を握りしめる。
「これだわ……!」
陽菜が早くに吐き気を起こした理由は。そして、食中毒を起こす原因となったのも。
「カキシメジ――!」
ぱっと見た姿はこぶりな椎茸だ。だが、その見た目から、日本ではキノコ中毒の三本指にも入る有毒なキノコだ。
地味なキノコは食べられるといった迷信からくるものだが、そもそもキノコは種類が多く、食用か有毒かの見分けも難しい。
そのため、東北地方を中心に縄文時代中期に出現したキノコの形をした土製品は、一説では当時の人が、食用キノコを見分けるのに用いたのではないかといわれているほどだ。
それだけに、人類はキノコには細心の注意を払って食用にしてきた。特にカキシメジは、江戸時代以降庶民もよく食べられるようになった椎茸と似ており、その毒性は水に溶け出す性質があることから、何本食べたかよりも、その毒の溶けた水をどれだけ摂取したかで症状の現れ方が変わってくる。
「だから、二つに分けてキノコを戻していたのね……!」
片方は食べるために。そして、もう一つはほかのキノコの欠片に紛れて、毒を溶出させるために。
『自信作の完成みたいね』
『ええ! 最初に作ってみたのは、ちょっとタレの調味料を間違えたみたいで。向こうの世界で作ったときと味が少し違ったのですけど、今度のならば満足な出来です!』
脳裏に、料理を作っていた時の陽菜の声が甦る。
あの時――!
大きく目を見開いて、ぐっと拳を握りしめた。
きっとマリウス神教官を迎えて、みんなが台から少し離れていた隙にだろう。
陽菜が作っていたあんかけのたれの中に、カキシメジから戻した水を、知らない間に入れていたのだ。
そして、味見で陽菜はそれを食べて、味に違和感を抱いて作り直した。
「だから、陽菜にだけ食中毒が発生したんだわ……!」
知らずにカキシメジの毒が入ったたれを飲んでしまっていたから!
「待って! では、どうしてテスにも――」
はっと目を見開いて気がついた。
いや、簡単な話だ。
レナは最初、全員に食中毒を出すことを狙って、以前にも食中毒をだしたことがある親鶏から生まれた古くなった卵を陽菜に渡したのだろう。
だが、うまくいったとしても、サルモネラ菌では、陽菜の勝利が確定したあとになってしまう。それでは、失格にできるかの確信がもてない。だから、毒キノコと見破られる危険性がありながらも、ましてや味付けでばれる可能性が高いのに、料理にカキシメジの汁を入れるのを決行したのだ!
カキシメジの毒で、食中毒を疑わせ、あわよくば、その後で発症したサルモネラで毒を隠蔽し、陽菜を失格にしようと――。
だが、陽菜は渡された卵をちゃんと食中毒が起こらないように加熱をした。そればかりか、カキシメジの汁を加えたタレまで作り直してしまったから、焦ったのだ。
このままでは、味見をした陽菜にだけ症状が出て、毒キノコと気づかれてしまうかもしれないと。
だから、最後に調理場に残っていたテスの皿に卵の殻を仕込んだのだ。運がよければ、殻についた菌が、食品に直接つき、発症するのではないかと――。
本当は、サルモネラ菌による食中毒を偽装したかったのだろうが、陽菜の完璧な調理がその企みを許さなかったのだ。
「レナ……よくも――!」
気がついた事実に、怒りで、手が震えてくる。
はなから正々堂々と戦う気などなかった!
「――よくもやってくれたわね……!」
陽菜を傷つけて、今日あったばかりのテスまでも病気の淵に陥れた。
「許せない……!」
目の前に横たわるカキシメジの刻まれた姿を見ながら、イーリスは震える手をぐっと握りしめた。
参考文献「縄文時代のきのこについて」工藤伸一先生より