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書籍化お礼小話 縁談(前編) ※リーンハルト視点

「異世界の記憶を持つ者が現れた!?」


 突然の知らせに、金と茶色で彩られた父の執務室にいた者たちの姿は、ざわりと揺れた。


「異世界の記憶を持つ者となると、それは聖女様の出現ということでは……」


 聖女?


 ――このリエンラインでは、伝説でも歴史でもよく語られる名前に、俺も目を瞬いてしまう。


 何度も、グリゴアの授業で聞いたことがある。不思議な知識をもち、人々を導く聖なる存在だという。


 王である父上の側に立ち、一緒に使者からの報告を聞いていた元老院の一人も、驚いた顔を隠しもしない。


 よほどみんなびっくりしたのだろう。重臣たちのこんな姿を見たのは初めてだが、周囲がさざめく中で、椅子に座ったままの父だけは、半眼になって、知らせを持ってきた使者を睨むように見据えている。


「いくつだ?」


「は?」


「年だ。その新しく現れた聖女の――」


 父上に言われて、やっと俺も息を呑んだ。そうだ。聖女が現れたとなれば、その者は当然リエンラインの次の王妃ということになる。


 つまり、俺にとっては、次の母だ。


 国の決まりだ。変えられないこととはわかってはいるが、母上は少し前になくなったばかり――。


 きゅっと唇を噛みしめた。


 いくら、長い闘病生活の末の最期だったとはいえ、まだ母上以外を母と呼べる自信はない。それは、父上も同じだったのだろう。婚約者の頃から彼女以外とは連れ添いたくないと言うほど母上だけを愛していたという父上からすれば、今回の聖女降臨も素直に喜べる話ではないのに違いない。そして、それは、これから二度目の母を迎えなければいけない自分にとっても。


 思わず、ぎゅっと心臓の側の服を握り締めた。


 どんな人が母になるのか――。


 不安をこめながら使者を見つめたが、肝心の相手は、父上が向けてくる鋭い視線に怖じけづいたのか。少しだけ頭が後ろに下がっている。


「きゅ、九歳と伺っております」


 しかし、使者のうわずった声を聞いた瞬間、父上の瞳はきょとんと円くなった。一瞬だけ驚き、そしてすぐに「そうか!」と輝くような表情に変わったではないか。


「九歳ということは、リーンハルトと同い年だな! では、ちょうど似合いの夫婦になれるではないか!」


 え? 俺?


 急な展開に呆気にとられたが、父上は、うんうん、悪くないぞと自分と同じ長い銀色の髪を振りながら、嬉しそうに頷いている。


「え? 父上?」


 あまりに急な話に、戸惑って声に出した。しかし、目の前にいる父上の顔からは、さっきまでの厳しい表情はどこへいったのか。今は、うきうきとした顔で、先ほどの聖女の話に身を乗り出している。


「それで、その新しい聖女が現れたというのはどこだ? 降臨したという噂は、今まで聞こえてこなかったが」


「はい、北方三国のルフニルツ王国です」


「ルフニルツ……! あの金の一族の国か」


 ほうほうと、今までとは打って変わって興味津々な様子で、使者の言葉に相づちを打っている。


「はい。昔から金の髪と瞳をもつルフニア人たちの住んでいた地域です。今でもその子孫たちが暮らしていますが、ルフニルツはその中でも、三つの大国に挟まれた山間の一番北の国になります」


「ふむ。確か、サフレニツとガルデンに囲まれた国だったな」


 政治的に微妙な地域だなと、呟きながら父上は腕を組んでいる。


「それで、今度の聖女様は、いつそこに降臨していたんだ?」


「いえ、今回はそのルフニルツの姫に、前世で暮らしていた異世界の記憶が甦ったと聞いております。昨年、顕現したそうですが、今回来客が姫を盗み見るまで、ルフニルツの王が厳重に命じて、王宮から情報が漏れるのを防いでいたとか」


「なるほど、転生のパターンか。だから、今までリエンラインには伝わってこなかったんだな」


 ふん、ルフニルツの王め。小癪(こしゃく)なことをと、にやりと笑っている。


「よし! どんな手を使ってもいい! ルフニルツの姫をリエンラインに嫁がせろ!」


 ばっと手を広げて、家臣たちに命じた。


「王命だ! 絶対になにがあっても、聖女を他国に奪われるな!」


 そして、くるっと振り返ると、笑顔で俺に近づいてくる。


「喜べ! リーンハルト! 聖女を王妃に迎えれば、お前の未来の王としての立場も揺るぎないものにできる! どんなことをしても、必ずその姫をお前の妃に迎えてやるからな!」


 近づいて決意を伝えるように、肩に手を置かれたが、俺には見上げた父上の顔色が、いつもよりも青いことのほうが気にかかった。


「父上、お顔の色が……」


「ああ、お前の母を亡くしてから、少し仕事を増やしすぎたかもしれん。だが、聖女が妃になった王の治世は、素晴らしいと讃えられることが多い。お前のためにも、必ず、その聖女はリエンラインに嫁がせてやるから、安心しろ」


 にっと、どこか好戦的な王の瞳で笑いながら、使者の方へと顔を向けていく。


 王妃――。


 突然降ってきたその言葉に、俺は話し合いが始まった父上の部屋を出ながら、ふうと溜め息をついてしまった。


 後ろのぱたんという音とともに考える。何度も王家の歴史と国のなりたちで聞いてきた聖女という存在。


 まさか、自分の結婚が、それでこんなにも唐突に決められることになるなんて――。


 考えながら、茶大理石で造られた瑞命宮の廊下を歩いていっても、今自分の人生の重大事が決まっていくのだという現実感は湧いてはこない。


 だいたい妃といったって――。


 うーんと、歩きながら考え込んでしまった。


 婚約する相手が決まったと言われても、どうにもぴんとこない。


 ましてや、それが人々を導く聖なる女性だといわれると。


 腕を組んで、もう一度よく考えてみる。


 王になる身としては、喜ぶべきことなのだろうけれど。


 ただ――。


 つい、ふうと溜め息をついてしまう。


 息を吐き出しながら、顔を上げると、すぐ目の前には、瑞命宮の重厚な廊下には不似合いなほど愛らしい花の生けられた花瓶があるではないか。薄紅の花房が目に入り、思わずその前で足を止めた。


 そっと顔を寄せて、ピンクの花の香りをかいでみる。


 ライラックだ。


 これは、生前母上の好きな花だった。王妃の好みとしては素朴すぎる、豪華さが足りないと、周囲からよく言われもしていたが、母上はずっとこの小さな花の優しい香りを愛していた。


 いつも身につけていて、亡くなった今でも父上がこの香りを側から手放せないほど――。


 懐かしい香りを嗅ぎながら、ぽつりと呟く。


「結婚か……」


 季節はもう秋だが、父が温室で咲かせたライラックの花は、今でもこの瑞命宮で柔らかな香りを放ち続けている。


(俺も、いつかこんなふうに誰かを好きになったりするんだろうか? 花瓶にその人を思い出させる花を生けて、眺めているだけでも毎日ほっとしていくような)


 父上が、母上を思わせるこの香りの花を見て、心でなにを語りかけているのかは知らない。


 王としての父上は厳しい人だが、母上が死んだ時には、泣きながら俺の体を誰よりも強く抱き締めてくれていた。


『大丈夫だ、この子はきっと俺が立派な王にしてみせるから――!』


 母上に誓うように、天を見上げながらされた慟哭。


 ふうと、また溜め息がこぼれた。


(わからない――)


 あれが人を好きになるという感情なら、これまでに自分は、女の子にそんなふうに感じたことがあっただろうか。


「うーん」


 思わず、ライラックの花を見ながら、考え込んでしまう。


「どうしました、そんなところで花瓶とにらめっこをして」


 ふと声に振り返れば、自分の教師をしているグリゴアが、花瓶と睨みあっている俺を見つながら後ろで微笑んでいるではないか。


「伺いましたよ、使者が北方から来られたそうですね」


 もう耳に入っていたのか。


「ああ――」


 うかない顔でそう答えると、どうやらグリゴアはおやおやと思ったらしい。


「嬉しそうなお顔ではありませんね。聖女様が現れたというのに」


 未来の花嫁様でしょうと笑っているが、聞いた言葉には、また溜め息がこぼれてしまった。


「ああ、そう決まりそうなんだが――」


 ライラックの花に、ついと目を背けた仕草で、グリゴアにはなにかがわかったようだ。


「気乗りされないのですか?」


「そうではないけれど――」


 どうせ婚約の話は前から出ていたのだ。いつかは決められる話だったし、数ある婚約者候補の中で、リエンラインの王妃として最高の相手が選ばれた。


 最良の選択がされただけな話のはずなのに。どうにも気分が上向いていかないのは、目の前にあるライラックの花のせいだろうか。


「正直、会ったこともない姫と、よい夫婦になれるのかがわからなくて……」


 顔も知らない相手と、父上と母上のような夫婦になっていけるのかどうか――。


 ほかの者には、こんな弱いところは見せられるはずもない。だが、グリゴアにはよく勉強でわからないところを訊くせいか。


 つい、疑問点を話すときのように、ぽろっと迷いが口からこぼれてしまった。その様子に、グリゴアはおやっと目を見開いている。


「なるほど」


 少しだけ王子らしくない話だったか。自嘲しながら見上げれば、なぜかグリゴアは軽く頷いて俺の顔を見つめ、いつも勉強時間にしているように、指を一本持ち上げてくるではないか。


「初めて会う姫君ですしね。ちなみに、リーンハルト様の今のお気持ちを整理するために、お伺いしておきたいのですが。リーンハルト様は、これまでのご婚約者候補の令嬢たちの中で、誰か少しでも気になったお相手とかは、おられましたか?」


「いや、全員興味がない」


「おや」


 素直に口にすると、少し意外そうに紫の目を見開いている。


「だって、顔をあわせてもみんな俺の機嫌を伺ってばかりだ。それなのにする話ときたら、ドレスやお菓子のことばっかりで。あれなら、従兄のバルドリックと剣の話でもしていたほうが、よっぽど楽しい」


 あれはあれで面倒な従兄だが。


 でも、俺が学ばなくてはならないのは、政治や戦いについてなのに。今までの婚約者候補の女の子たちは、少しでもそんな話をすると、みんな意味がわからないのか。ちんぷんかんぷんという顔だけをしていた。


 あのときの女の子たちの表情を思い出して、ついぶすっと呟いてしまう。その俺の顔を見て、グリゴアはなるほどと納得したようにくすくすと微笑んでいる。


「まあ、殿下はまだそういうお年頃ですしね。令嬢たちとの興味の違いも、今は仕方がないことだと思われますし」


 にこっと身を屈めてくる。


「伴侶が聖女様に決まったとはいえ、まだ結婚については、難しく考えられることはないと思いますよ。お互いに子供なのですから。先ずは、お友達になるというようなお気持ちで」


 身を屈めながらなにかを諭すように笑っているが、その言い方には経験値の差のようなものを感じて、なんだか少しだけむっとしてしまう。


「ちなみに、お前はどうだったんだ?」


 つい、ぶすっと口を尖らせてしまった。


「私ですか? 妻とならば、出会ったその日に恋をして、陽が沈むまでにはプロポーズをしていましたが」


「熱烈な恋愛結婚じゃないか!」


「ええ、彼女のいない人生など絶対に考えられないと感じましたから。時には学問よりも、直感が勝ることがあるんですよ」


「お前、それを学問の教え子である俺の前で言うのはどうなんだ……」


 きらきらと形容がつきそうな瞳で妻のことを語りだしたグリゴアに、思わずつっこんでしまう。しかし、相手は悪びれた様子もない。


「まあまあ。こういうのは本当に自分の気持ちですから」


「気持ちねえ……」


「ええ。その証拠に、リーンハルト様のご両親も、政略で知り合われたご婚約だったそうですよ?」


 思わずきょとんと目を見開いた。次いで、何度も瞬いてしまう。


「あの父上と母上が?」


「ええ、最初の出会いこそそうでしたが。しばらくして、熱烈に恋しあう間柄になられたと伺っております」


「あの父上が……」


 病を患っている母上をいつも側で気遣っていた。心の底から愛し合っているようにしか見えなかった父上と母上が、政略で知り合っていた――。


「ですから、リーンハルト様もその姫君に会ってみれば、これからそう感じられるようになるかもしれませんし」


「そうなのだろうか」


 そう言われても、正直よくわからない。


 父上と母上が政略での結婚だったなんて初耳だった。知り合ったきっかけが政略でも、心から愛し合えることがあるのだとしても。


 一体、俺はどんな相手だったら好きだと思えるのか。どんな人ならば、一生側にいたいと感じられるのか。


「うーん」


 考えてみても、答えはさっぱり頭の中から出てこない。


 仕方がないから、迷いながら、一つ息を吐いた。


「まあ――政略で選ばれた相手と結婚するのも、王となる者の務めだ。突然でさすがに驚いたが、相手がどんな人であれ、俺も拒否するつもりはないさ」


 ――相手が聖女ならば、国のためにもいいことなのだから。


 そう思ってこの時はグリゴアに頷いたのに。


 自分の中で話が変わったのは、これからほんの数ヶ月だけあとのことだった。


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