第42話 料理対決
一時間後、台の上に並んだ料理の一つを取り、陽菜はスプーンで味を確かめていた。
「うん! これなら完璧!」
にぱっと笑う顔は、会心の出来を表すものだ。
「自信作の完成みたいね」
「ええ! 最初に作ってみたのは、ちょっとタレの調味料を間違えたみたいで。向こうの世界で作ったときとと味が少し違ったのですけど、今度のならば満足な出来です!」
きっと計量スプーンや量りが違うからなのだろう。
「慣れたつもりでしたけれど、やっぱり道具が不慣れなうちは集中しないとダメですね。さあ、テーブルにお出ししますから、イーリス様もぜひ食べてみてください!」
くるっと体の向きを変えて、お盆で運んでいくのは、卵のあんかけだ。
黄色い卵の身に、星形にくりぬいて茹でた人参や緑のほうれん草が散らしてあり、見た目もすごくかわいい。ふんわりとした黄身に赤味を帯びた餡がかけられているのは、昔レストランで見たのと同じようなできあがりだ。
「本当に、陽菜って万能よねー。私にはない能力だわ」
「ふふっ。おだてても、なにも出ませんよ? と言いたいところですが、なんなら今度イーリス様のお好きな煎餅も作ってあげましょうか?」
「本当!?」
まさかあの味が、またこちらでも食べられるなんて――。
醤油をつけて焼いた、あのかりっとした歯触り! 袋から出して、食べ始めたら止まらない味を思い出すと、すぐにでももう一度味わってみたくなる。目をきらきらとさせると、陽菜が微笑んだ。
「ふふっ、代わりに、この戦いでは私に清き一票をと言いたいところですが、今回イーリス様には投票権がありませんしね」
「その前に、賄賂を約束する時点で、それは清きと言っていいのかしら?」
思わず瞼が半分下がってしまうが、陽菜はははっと誤魔化すように笑っている。
「では、皆さんのところに運びますねー」
その言葉に、もう一人のレナはと見つめれば、こちらも用意は既に終わっていたらしい。
銀の盆にのせた料理に蓋をして、イーリスの視線に振り返っている。
「なにかご用ですか?」
(うーん……。なんか、レナからは見えない敵意をばしばしと感じるのだけど……)
リーンハルトの容姿があれだから、推しに憧れているファンの子だと思えば仕方がないのかもしれない。その推しと結婚できるかもしれない瀬戸際で、前妻がいつまでも側にいるのだから、目障りなのは間違いないだろう。
(でも! 同じ世界の出身なら、ちょっとずつでも仲良くなりたいと思うのに……!)
どうにも心を開いてくれる兆候はない。少し引きつりながら、睨んでくるレナを見つめた。
「いえ、道具は大丈夫だった? きっと慣れないものばかりだったと思うし」
「こちらに来てから、何度か練習したので問題はありません」
では、やはり聖姫試験を受ける対策をしてきたということなのだろう。ふうと溜め息をつく。
(仕方がない。ここは陽菜に頑張ってもらって――)
陽菜の勝利で聖姫試験を諦めてもらうしかない。聖姫になれないとなったら、リーンハルトへの想いにもなにか変化がでてくるかもしれないし。
それを祈りながら、先に陽菜が向かった離宮の一室へと歩いていった。
部屋に入るのと同時にマリウス神教官が気づいて、陽菜が料理を並べていたテーブルの側に立つ一人の神官を連れて、慌ててイーリスへと礼をしてくる。
「今回審査用に連れてきました第六導官に属する神官のテスです」
なるほど――。今回は正式な聖姫認定試験にしないように、前回とは変えて、リーンハルトは不参加になっている。非公認扱いでも、マリウス神教官が出席したのは、神殿としては、これで陽菜が勝てば、聖姫試験を受けさせない口実にできるからだろう。とはいえ、それでは今回の審査の人数が足りないうえに、イーリス側であるギイトも参加させるわけにはいかない。そのため、急いでもう一人審査員としてアンゼルと同格の神官を連れてきたということらしい。
「ああ、来てくださってありがとう。今日はよろしくお願いするわね」
笑いながら声をかければ、畏まってぺこりと頭を下げている。アンゼルよりも更に若いようだ。動作が初々しいが、それで第六導官にまでなっているということは、かなり早くから入信して将来を嘱望されている神官の一人なのだろう。
「さあ! 皆さん、ぜひ食べてみてください!」
その言葉に、イーリスも審査用のとは別の席につくと、すでに目の前には陽菜の料理が用意されていた。
できたてなのか、まだ湯気をあげているあんかけは、とてもおいしそうだ。
ふんわりとした柔らかさに、鮮やかな彩り。オレンジや緑の野菜を配置した黄色い卵は、生姜の良い香りを漂わせている。
(冬だから、生姜は体が温まるわ……)
向かいの席にいるマリウス神教官やアンゼル、そしてテスも石造りの神殿暮らしだから、生姜の効能をよく知っているのだろう。
マリウス神教官が陽菜の料理に匙を入れると、漂ってくる香りを楽しんでいるかのようだ。
イーリスも一匙口に含んだが、味に申し分はない。
(さすが陽菜! 慣れない世界の道具で、ここまでの味を作り出すなんて!)
とてもおいしい。
見れば、向かいの席でも皿を最初に届けられたマリウス神教官とアンゼルは、既においしそうに陽菜の料理を口に運んでいるではないか。次いで、もう一度厨房に戻って取ってきた皿を置かれたテスも顔を輝かせながら、陽菜の料理を口に含んだ。その味に、口々に陽菜の料理を褒め称えていく。
「やはり陽菜様の料理は、申し分ないですね。この卵に絡まる餡と野菜の絶妙なハーモニー。それらが口の中で交わり、至高なる歌を奏でる様は、まるで磨き抜かれた一つの名曲のようです!」
マリウス神教官が讃えれば、隣に座るテスも顔を綻ばせている。
「柔らかな卵の舌触りが、まるで春の野で寝転んだ時を思い出すようです。柔らかな野菜の香味が、まさにそれを想起させますね。そして、餡に入れられた生姜のこのほのかな温もり――まさに、食べた者に春を運んでくる料理としか申せません」
「陽菜様の美しい手が作られた料理! 聖女様のしなやかな手が触れた野菜のなんというかぐわしさ、そして聖女様の手が生み出す味のなんという柔らかさ! まさにそのお心と体を示すようで、見るだけでも尊いのに、口にして飲み込むという栄誉には心が絶頂を迎えそうです……!」
(そういえば――神官は、全員フードコメンテイターだった……)
やはり、神に食物を捧げる際に、なにか賛美する決まりでもあるのだろうか。
(アンゼルのはともかく)
どうしよう。アンゼルのコメントを聞いた後では、絶対に自分の料理を食べさせてはいけないような気がする。いや、むしろなぜか本能が食べさせたくないと言っている。
「はは、アンゼルは相変わらずですねえ」
くすくすとマリウス神教官は笑っているが、それでいいのかと思わず心でつっこんでしまう。
しかし、思わず目を半眼にしたとき、テスが口の中で噛んだものに、一瞬目をぱちぱちとさせた。
「あっ……!」
その声になんだろうと思って見つめれば、スプーンの端には白い欠片がのっているではないか。
(卵の殻? 陽菜にしては珍しい……)
小さいから入ったときに気がつかなかったのだろうか。
なんでもないように、それを皿の端に置くテスの仕草をまじまじと見つめてしまう。その前に、とんというにはいささか迫力のありすぎる音で、レナが自分の盆をテーブルへと置いた。
「どうぞ。私のも皆様で食べてみてください」
その鬼気迫る笑みに息を呑んだが、開けられた蓋の中身を見つめれば、銀の盆に載せられていたのは、卵ときのこのガレットだ。
「ガレット……」
「はい。私の得意な料理なので」
思わずしげしげと見つめてしまう。ガレットは、前世の世界ではフランスのブルゴーニュで生まれた料理だった。土地的に小麦の栽培が難しかったそこでは、痩せた土地でも育つ蕎麦が人々の大切な作物として料理に生かされてきたのだ。
(では、レナはフランスに由来があるのかしら)
てっきり太平洋沿いの国のどこかだと思っていたから意外だ。しかし、よく考えてみれば、出身国と住んでいた場所が同じとも限らない。
そうよねと、自分の考えに納得して、皿へと目を落とした。
(さて、お味は――)
クレープ状に薄く焼かれた生地の上には、椎茸やシメジ、マイタケが細かく刻んで、目玉焼きを包むようにしてのっている。キノコの下に小さく見える黄色はチーズだろうか。刻んだパセリの緑と彩りはいいが――。
(肝心のお味はどんなものかしら?)
フォークを取り上げながら、周りの反応を確かめようとして、はっと気がついた。
(待って、待って! これってひょっとして出来レースじゃない!?)
目の前では、三人の神官に料理を配られているが、神殿側は完全にイーリスの味方だ。
(いや、アンゼルは純粋に陽菜を応援しているだけだろうけれど……)
というか、そう思いたいが、純粋かどうかは自信がない。ただ、マリウス神教官はイーリスを聖姫として支持すると表明している。そして、マリウス神官の意向で選ばれたテスが、それを無視できるとは思えないが……。
(うーん)
ちょっと申し訳ない展開かしらと考えながら、切り分けたガレットを一口ぱくっと食べた。うんと頷く。
「杞憂だったわ……」
がくっと肩を落としてしまう。いや、もちろん美味い。外側の蕎麦粉の生地はぱりっとしているし、卵の半熟具合も絶妙だ。
(ただ……)
「蕎麦の風味と塩味が、懐かしい神殿の厨房係を思い出させます。ミュラー神に捧げる供え物を作るために、日々努力を重ねたあの懐かしい日々……! これは、私にとって青春の味と申せましょう……!」
(ちょっと、マリウス神教官! それはさりげなくうまくできなかった悪戦苦闘の日々を思い出すといっちゃってるから!)
「確かに……! これは俺にとっても、昔聖女像にお供えをする時に、心で詫びながら皿を置いた記憶を思い出します……! あの白い彫像の曲線に、もし俺の料理が下手なせいで、一日一度の参拝をすることもかなわなくなったらと思うと……! 涙なくしては語れない修業時代の鍛錬を誓った日々を思い出します……!」
(そして、アンゼル! どうして、あなたの感想はいつもそう少し不純なの!?)
心で突っ込むが、隣のテスも微妙な顔だ。
「ほのかな塩味……、そしてぱりっと焼いた生地に対して、柔らかなまるで雨に打たれた森を連想させるようなきのこの風味。しっとりとして穏やかな、それでいて懐かしいような感慨に浸れる一品です」
(あああー!)
自分の後ろで、審査に加わっていないギイトが微妙な顔をしているが当然だ。
「イーリス様、つまり……?」
「つまり、工夫しすぎて、ちょっと微妙な味になっているのよ……」
たくさんの干しキノコを水で戻したからだろう。今の時期ならば、様々な種類を使おうと思えば、どうしても乾燥品を使わなければならなくなる。だが、それがキノコの種類によっては水を吸わせすぎて風味が薄れたり、味に変化が出てしまっていたりするのだ。
(更に、薄焼きにしなければいけない分だけ、ガレットは具材を置いての火の加減が難しいわ)
自分に人のことを言えるほどの技量はないが、神殿で供物としての料理を日々作ってきた神官たちには物足りなかったらしい。みんな一様に、過去の自分の試行錯誤した日々を思い出して、涙を流さずにはいられないようだ。
「正直に言えば、とてもおいしいわ。普通の一般人が作った品なら、ましてや慣れない道具で頑張って作ったのならば、十分に及第点でしょう」
ただ、陽菜の料理と競うとなると――。
こほんとマリウス神教官が、フォークを置いた。
「私は、此度は陽菜様のほうが、料理の熟練度において優れ、また温かいまま食べられるように、全員の料理を計算しながら作られた点が素晴らしいと思いました。皆さんは、いかがでしょうか?」
「同感です」
テスがすぐに頷く。
「陽菜様のしなやかな聖女の手に勝る料理はございません!」
(うん、アンゼルならそう言うわよね……)
しかし、確かに陽菜のほうがおいしかった。だから、まっすぐに顔をあげて、頬に両手をあてている陽菜の姿を見つめる。
「おめでとう、陽菜。あなたの勝ちよ」
「わ、私……! 嬉しいです! これもたくさんのいいねをもらった自信のある品で!」
言いながら、まるで花が綻ぶように笑っている。正直に、喜びを表している姿はなによりもかわいい。
きっと、自分のいいねが認められたことが嬉しいのだろう。
そして、はっと気がついたように振り返った。
「レナさん……!」
そこには、三人の審判の声を、ほとんど無表情に近い顔で聞いていたレナがいるではないか。
「聞かれましたよね? だから、もう聖姫を争うのはやめて、私たちと一緒に仲良く――」
話しながら近寄ろうとしたときだった。急に陽菜の顔が俯くと、口を押さえる。
そして、急にぐらっと、その場に倒れるようにうつ伏せになってしまったのだ。