第40話 陽菜との対決①
どうしてこうなったのか――。
翌日、離宮の厨房に立つ二人を見ながら、イーリスは軽くこめかみを押さえていた。
あのあと、陽菜とレナの間で話はどんどんと進み、陽菜の意見で戦いの課題は料理。そしてレナの意見で、内容は卵料理と決まったらしい。
朝早くから、陽菜とレナは離宮の白い厨房に来て、仕込みをしていたようだ。
さすがに心配になって覗きに来てみれば、陽菜はたくさんの卵と野菜を用意して、手際よく切っていっている。その隣でレナは、ボールにいくつかの食材を入れて準備をしているようだ。
「レナ様、さっきポルネット家から届いた食材のもう半分も、こちらに置かせてもらったのでよいですか?」
厨房で働くメイドが、籠いっぱいに入った材料を抱えながら、声をかけてくる。
「ああ、こちらに置いてちょうだい」
――ポルネット家!
言われた名前に、思わず側に近寄った。
「離宮にも材料はあるのに――。あなたの材料は、わざわざ別で取り寄せたの?」
白い扇を握りながら、届いた食材を見回せば、レナの翡翠色の瞳がちらりとこちらを向いてくる。
「ええ。どうせなら新鮮なものを使いたいですし」
「離宮の食材も、宮中省の仕入れを通しているから、今朝届いたものばかりよ?」
むしろ、鮮度管理や品質は、市場のものよりしっかりと保証されているはずだ。
(それなのに、わざわざ――)
なにか胸がざわざわとして、台の上を見回すが、イーリスのその仕草にもレナはもう一度視線をこちらにちらりと動かしただけだ。
「そんなのわからないでしょう? イーリス様が手を回して、わざと古い芋を私に配るかもしれませんし」
「なっ――!」
聞こえた言葉に、陽菜が横で叫んだ。メイドたちが支度をしている本来の厨房の仕事もあるから、二人で一カ所の台を使っているせいだが、どうしても並んでいる場所は隣り合わせだ。
それだけに聞こえた言葉を見過ごせなかったのだろう。
「イーリス様は、そんなことはなさいません! 絶対に!」
陽菜が断言するのは、過去の聖姫試験のこともあるからか。
(でも、ポルネット家から運ばせるなんて……)
まさか、ほかにもなにかあるのだろうかと注意深く台の上を眺めたが、置いてあるのは普通の野菜や卵ばかりだ。
(気のせいかしら?)
ただ単に、敵であるイーリスのものを使いたくないという意思表示なのかもしれない。それともイーリスの庇護下におかれているのを認めたくないということなのか。
(うーん、この態度なら、そのどちらもありえそうだけど……?)
思わず両手を組んで首を捻る。それにしても、いったいなんの料理を作るつもりなのだろう。
見れば、レナは、今は玉葱を包丁で切り始めているが、ほかにもたくさんの椎茸を使う予定なのか。側では、小さく切って干された黒い欠片が、二つのボールに入れて水で戻されている。
作業をしている様子を、じろじろと見つめるイーリスの視線が気に障ったらしい。
「調理をしている姿が珍しいですか?」
「いえ、そうではないのだけれど……」
「でしたら、側におられると動きにくいので。離れていただいたほうが、ありがたいのですが」
とりつく島もないとはこのことだ。
じろりと睨まれては、側に居続けることさえできない。
(まあ、王宮の門番が変なものは持ち込ませないでしょうし――)
見回した限り怪しげな品はなく、搬入された物品は、記録も取られているはずだ。それならばおかしなことはできないだろうと、レナの視線に側にいるのを諦めて、くるりと反対側を向いた。
「イーリス様」
「陽菜」
その先で、よほどさっきのレナの発言が気に障ったらしい。陽菜がぷうっと頬を膨らませている。
「レナの言葉は気にしないで。それより、陽菜は大丈夫? 道具とか、色々と日本とは違っているし」
前回の聖姫試験で互いに苦労したことを思い出して尋ねると、陽菜は明るくにぱっと笑った。
「任せてください! あれから私、負けたことが悔しくて、こちらでも向こうの世界と同じぐらい作れるように腕を磨いたんですよ! 何回かはクッキーを焦がしましたけれど、そのたびに厨房の方達が、火加減の仕方を丁寧に教えてくれて。今では、アンゼルもクッキーが黒くないと喜んでいます」
両手を握りながら笑うところを見ると、よほど陰で頑張っていたようだ。
「そう。アンゼルは、黒いクッキーでも食べてくれていたのね」
「ええ! 苦い、まずいと容赦ないですけれど! でも、聖女様の白いお手が触ったものならなんでもと、的確なコメントを残しながら全部食べてくれるんで、練習相手にはもってこいなんです」
「ごめんなさい。一瞬、あなたとアンゼルの友情に感動しかけたのは忘れておくわ」
アンゼルはどこまでもアンゼルだった。
その彼はと見回すと、今は扉の入り口でギイトと一緒に神殿から来たマリウス神教官の相手をしている。
「マリウス神教官様」
以前の聖姫試験の時にも、お世話になった神殿でも上位に位置する神官だ。近寄って挨拶をすれば、向こうも覚えていてくれたらしい。
「このたびは、ご足労いただき申し訳ありません」
「いえいえ。聖姫様にはお久しぶりです。新たな聖女様を保護していただいたので、神殿でも、一度この件についてはきちんとご挨拶をさせていただきたいと思っていたのです。陽菜様もお元気そうですね?」
「はい! 毎日アンゼルと仲良くやっています!」
「それはよかったです。私も彼を推挙した甲斐がありました」
(ちょっと待って! アンゼルってマリウス神教官様が推挙していたの!?)
それは、やはり推挙理由は、百合とか曲線とかあの辺だろうか。
「彼は、入信したときから人一倍純粋な聖女信仰者でして。ええ、決して陽菜様を利用したりなんかはせず、全力で守ってくれる人物だと思います」
(それは守っているけれど! どちらかというと、全力で愛でるの間違いでしょう!?)
どうも微妙に言い方を変えただけな気がする。やはり、神殿としては、百合とか百合とか百合とかあっても、OKらしい。むしろ、陽菜の曲線が視線で汚されそうなのが心配なのだが。
(愛でるも守るも行為は似ているけれど、動機が全然違うから――!)
とは思うが、現状問題はなにもない。
(あれ? だったら、やっぱりこれで正解なの?)
少しだけ、本気で悩んでしまった時だった。
「ところで、あちらにおられるのが新しい聖女様ですか?」
視線を動かしたマリウス神教官の言葉にはっとする。急いで顔をあげて、神教官の視線の先を確かめれば、いつも穏やかな彼の瞳は、亜麻色の髪を一つに結わえて、調理台に向かっている陽菜と同じくらいの年頃の女性を見つめているではないか。
「ええ。名前はレナというそうです」
振り返って眺めれば、レナはもう椎茸を戻し終わったのか。ざるにとりあげていたが、振り返ったイーリスの視線に気がつくと、辛辣な目つきで見つめ返してくる。だが、すぐに隣のマリウス神教官に気がついたのだろう。黄色い僧服で、高位の神官とわかったのか。ぱっと表情が変わった。
レナの変化に、防火用タイルの張られた床に影を落としながら、イーリスはマリウス神教官へと手を伸ばしていく。
「レナ。こちらが、今回陽菜との対決を見届けに来てくださったマリウス神教官様です」
指した手の先から、こつこつと自分に向かって歩いてくる人物を見て、レナが顔を輝かせていく。
「まあ! では、これに勝てば本当に聖姫試験を受けさせていただけるのですね!」
「それは――」
ひどく困ったように笑みを浮かべるマリウス神教官の答えを、イーリスも陽菜もごくりと息を呑んで見つめた。