第39話 説得の結果
「騙されている? 私が?」
陽菜の言葉に、レナが怪訝そうに、亜麻色の髪をふわりと傾げる。
瞳を寄せている姿に、陽菜は強く頷いた。
「そうです。私も違う世界に来て、最初は王妃にならなければ、この世界で生きていくことができないと言われました。違う世界、違う習慣ばかりの世界です。側で手を差し伸べてくれた人を頼ってしまうのは、仕方のないこと。とはいえ、その言葉を信じたばかりに、私は多くの優しい人を傷つけてしまいました」
ぐっとレナの手を握りしめる陽菜は、当時のことを悔いているのだろう。瞳には、隠せないやるせなさが滲んで光っている。
「私も一時は、王妃になれと言われていたのです。イーリス様にとって代われ、そしてイーリス様を解放してあげろと。でも、そんなことをする必要は少しもなかったんです」
だってと、陽菜の黒い瞳はレナを見つめたまま優しく笑う。
「イーリス様と陛下は、本当に好き合っておられるのですもの。そして、イーリス様は、同じ遠い世界からやってきた私を見捨てたりはされませんでした。だから、レナさんもイーリス様を信じて――」
笑いながら陽菜が更に強く握った瞬間、まるで忌ま忌ましいことでもされているかのように、レナの手は鋭い音をあげて引き抜かれたのだ。
「そんな話を聞きたくて、ここに来たわけではありませんわ!」
ぱんと響いた音に、陽菜が驚いたように目を見開く。
「レ、レナさん……?」
「私は、この世界に来てから、ずっと陛下の伴侶になるのを夢見てきました。ええ、世話をしてくれたポルネット伯爵に言われたからだけではありません。今までお姿を拝見したのは、肖像画だけですが……。でも、私はずっと。ずっと――この方の伴侶になるために、自分は生まれてきたのだと感じていたのです」
(この子!)
夢見るようにリーンハルトのことを語る姿に、イーリスの脳に嫌な予感が走る。
まるで、恋している少女のような微笑みだ。会ったこともない、ただ話で聞いていただけの相手だというのに――。
「で、でも! あなたはリーンハルトと話したこともなかったのでしょう!? それなのに、どうして――肖像画だけで……!」
叫んで、はっとした。いや、リーンハルトの顔ならば、ありえる話だ。ましてや、向こうの世界では、芸能人や有名人の動画や映像だけで恋心を募らせている女性のなんと多いことか。
たとえ身近に言葉をかわした存在ではなかったとしても、そんな彼女らの気持ちが、まったく恋ではないと言い切れるものなのか。
(わからないわ。私には、歴史上の推しはいたけれど、芸能人には憧れなかったし……)
ましてや、初恋もリーンハルトが相手では、レナの気持ちが恋に近いのかさえも、はっきりとは判別できない。
咄嗟に悩んで瞳をさ迷わせたが、そんなイーリスを庇うように前にいる陽菜が声をあげた。
「で、でも! 陛下はイーリス様をお好きなんですよ? そんな好き合っている二人の邪魔をして、強引にその場所を奪ったって、自分が辛くなるだけじゃないですか!?」
焦って迫ったが、レナは指で肘掛けをとんとんと叩きながら、二人の様子をどこか嘲るように見つめている。
「好き合った……ね。でも、陛下とイーリス様は、イーリス様が聖女だからということで決まった政略結婚と聞いていますけれど?」
どきんと心臓が跳ねた。
「それは……」
今更だ。驚くようなことは、なにもないはずなのに。どうしてだろう。レナの不遜なまでの瞳を見ていると、妙に心の中がざわついてくる。
「確かに、私とリーンハルトとは、六年前に政略結婚で出会った夫婦だけれど……」
無意識のうちに、夫婦という言葉を使っていた。しかし、それを聞いたレナは、さらに唇を歪ませてくる。
「互いに見ず知らずの者が、政略で知り合い、好き合ってもいないのに一緒に暮らす内に、次第に惹かれ合うようになった。ならば、私が聖姫に選ばれて、政略で陛下と結ばれたとしても、六年もあったら互いに愛情を築ける可能性もあるとは思いませんか?」
ざわっと心が揺れる。
リーンハルトが――、一緒に暮らすうちに、彼女を愛するようになる?
(それは……)
ないとはいえない。イーリスとの関係も、六年間の冷えた生活でお世辞にも仲がよいといえるものではなかった。
それなのに、好きだと言ってもらえた。いや、二人でやり直したいと、何度も側で囁いてくれた。一緒に眠ってしまった朝、知らない間に抱きしめられていた腕の温もり。
あれらが、すべてレナのものになってしまう可能性がある……?
(嫌だ‼)
頭の中に、弾けるように拒否反応が起こる。
あのリーンハルトの笑みも、腕の温かさも、不器用ながら示してくれた愛情のすべてが、イーリスではなく、いつかレナに向けられるかもしれないなんて!
考えただけで、息が苦しくなってきそうだ。
「イーリス様!」
つい口元を苦しそうに手で覆ってしまったイーリスの様子に気がついたのだろう。陽菜が驚いて覗きこみ、そして振り返って、きっとレナを見つめた。
「そんなことはありません! あの不器用な陛下が、立場が変わっただけで、ころころと自分の気持ちを切り替えることができるだなんて――! そんなことができるぐらいなら、今頃はとっくにイーリス様を落として、子供の一人ぐらいはお腹にできているはずです!」
(そして、陽菜――。あなたの中で、リーンハルトは一体どう映っているの?)
どうしよう。なぜか、いつもリーンハルトの本質を掴んでいる陽菜の今の見解が、すごく気になってしまう。まるで、リーンハルトとのあの夜のことを知っているかのような。
(あら? ちょっと待って。陽菜の目には、リーンハルトが私に向ける視線はどういうふうに見えているのかしら?)
まるで、少し背伸びをしている高校生が恋人に向けるかのような――。大人の真似をして、真夏に恋人との旅行を企むかのような言い方に、深刻になりかけていた気分が吹っ飛んでしまう。
(あれ? なんだか、これって、この間の旅行を言われているような気がするのだけれど)
まさかねと思うが、その前で陽菜とレナの言葉は鋭さを増してきている。
「だから、陛下がイーリス様以外を好きになられるなんてありえません!」
「そんなのわからないでしょう!? 私が聖姫になれば」
「聖姫になったって、陛下のお気持ちはイーリス様から変わりません! やるだけ無駄です!」
「そんなのわからないわ!? 私のほうが聖姫にふさわしければ、王妃として遇してくれるかもしれないし!」
そうすれば、その内お心だって変わるかもしれない――と、叫ぶレナは、完全にこちらの話を聞くつもりはないようだ。
夢見るようにリーンハルトとの未来を思うレナの姿に、陽菜がくわっと瞳を開いた。
「わかりました! そこまで言うのなら、私が聖姫試験を受けるのにふさわしいか、テストをしてあげます!」
「テスト!?」
驚いて振り返るレナに、陽菜がびしっと指を突きつけていく。
「そうです! イーリス様は同じ聖女である私と戦って聖姫と認められました! それならば、レナさんが聖姫試験を受けられたいのなら、最低でも私より上だと示すことが重要! 私に勝って、初めてイーリス様と戦う資格があるのです!」
「なるほど……。では、あなたを倒せば、聖姫試験でイーリス様と戦う資格があるということね?」
「陽菜」
慌てて駆け寄るが、こちらの驚いた顔にも陽菜はふんと胸を反らしている。
「任せてください、イーリス様。必ず私が勝って、あのレナって子の目を覚まさせてあげますから」