第38話 説得
陽菜と二人連れだって歩くと、王妃宮の前の庭園から北へと続く一角にある離宮へと向かった。
目の前には東の庭が、そして背後には奥の庭が見える王宮の中でも、閑静な一角だ。陽菜を守るためには、大翼宮に近い多くの貴族が出入りする場所よりも、こちらのほうがいいと思って選んだ建物だったが。
いつもは用事があって奥庭を出入りするときぐらいしか見かけない貴族の令嬢たちが、今日は、ひどく大勢連れたって離宮の側を歩いている。
「見ました? あの箱?」
羽根で作った扇を口にかざしながら、目をぱちぱちとさせているのは、いつも明るい侯爵令嬢だ。
「新しい聖女様が持っていらした品物! あんなに小さいのに、不思議な光と絵を出しながら、音楽が流れて!」
「ええ! 聞いたことのない旋律でしたわ! どうやったら、手のひらぐらいの箱でそんな不思議なことができるのかしら?」
きっとレナのところに、挨拶とでも称して覗きに行ってきたのだろう。お互いに口元を扇で覆いながら、顔を近づけて囁き合っている。
「あんな不思議なオルゴールは見たことがありませんわ! それに、曲もこちらのオルゴールよりはずっと長く流れて」
「あれが聖女様が伝えられるといわれている、異世界の不思議な品なのかしら」
興奮したように目を開いて話していたが、正面にイーリスの姿を見つけると、慌ててお辞儀をして側の小道へと下がった。
「手のひらほどの音楽の箱――もしかして、携帯電話でしょうか?」
ぽつりと陽菜が呟くのに、頷く。
「そうかもしれないわ」
それならば、音楽や映像も見ることができる。
「もしくは、なにか記録媒体をもつ音楽プレーヤーか」
「では、やっぱり」
陽菜がごくりと息を呑む。
「レナは、私と同じように、無理矢理向こうの世界から召喚されてきたのですね……!」
「そういうことになるわね」
こちらには、そんな手のひらほどのサイズの品で、音楽を奏でる技術などはあるはずがない。ましてや、映像もとなると――。
(ならば、やはりレナは本物の聖女なのだ……)
考えたくはなかったが、一番嫌な事態に、扇を握りしめた手が、じっとりと汗ばんでくる。
「大丈夫です、私がレナを説得しますから」
きっと少しだけ顔が曇っていたのだろう。
「陽菜……」
励ますような笑顔に背中を押されて、陽菜が住んでいる離宮のレナの棟に入ると、もう宿屋に置いていた荷物はすべてこちらへ運び込ませたのか。
きっとポルネット大臣が、聖女にふさわしくと揃えていたのだろう。
王宮の部屋においても見劣りのしない調度に囲まれた中で、レナは桜色の椅子にゆったりと身を沈めるようにして腰かけていた。
その姿だけを見れば、まるでこの宮殿の主にも見えてしまうような優雅な仕草に、一瞬だけ息を呑んでしまう。
心に生まれた動揺を押し隠して、ゆっくりと笑みを浮かべると、猫足の椅子に腰かけているレナへと近づいた。
「もう引っ越しの片付けはすみましたか?」
にこっと笑って、できるだけ向こうの世界に近い言葉を選んで話しかける。
「なにか不便なものがあったら言ってくださいね。生活に不自由な思いはさせませんから――」
だが、レナは座ったまま、ちらりとイーリスを見上げる。
「別に、イーリス様に用意していただかなくても、必要なものはほとんど揃っておりますし――」
王妃に、そして王の婚約者に対する態度としては、あまりにも不遜だ。
(我慢、我慢。それはこちらでの常識!)
向こうの世界ならば、先生に声をかけられても座ったまま答えるのなんて当たり前だった。彼女だって、自分の行動に違和感など感じてはいないのだろう。その証拠に、椅子に座ったままこちらを見つめる眼差しは、気に入らない先輩を見つめる女子高生のようだ。
しかし、不機嫌そうな眼差しにさえ陽菜はけろりと笑う。
「そうですね、最初はなにがいるのかもよくわからないですし!」
頷きながらレナの側に近づいた。
「私も最初はそうでした! だから、なにか困ったことがあれば、なんでも言ってください! 同じ聖女同士、力を合わせていきましょう?」
にこにこと笑ってレナを見つめている。
「レナさんも音楽が好きだったんですね。私は洋楽ではD・Tって歌手が好きなんですけど、レナさんは普段どんな音楽を聴いているんですか?」
「私は、その歌手はあまり聞かなくて……明るくて、速い曲が好きですわ」
「そうなんですね! 私と好みが似ていますね! じゃあ、レナさんの持っているという音楽も聴かせてもらえませんか? ひょっとしたら、同じ歌を好きかもしれませんし」
はしゃぐように話す陽菜に、少しだけレナが眉を寄せていく。
「それは、先ほど見せてほしいと頼まれたあるご夫人に渡しましたの。それよりも」
少しだけ苛ついたように、二人を見つめている。
「聖姫試験の件はどうなりましたの? 私は一刻も早く試験を受けて認められたいのですが」
どうやら、よほどこの件が気になるらしい。どうしても、聖姫になるのを諦めるつもりはないのか。
「その件ですが」
ごくっと息を呑んだ前で、陽菜がさらに一歩前へと進み出た。
そのまま翡翠色の瞳に怒りを滲ませているレナを見つめると、腰を屈めて視線を合わせる。
そして、そっと両手を握りしめた。
「レナさんは、騙されているんだと思います」