第36話 王宮に
――なにを言っているのか。
今、目の前に新しく現れたこの聖女は、いやレナはなんと言った?
じっと金色の目を開いて見つめるが、レナは周囲のざわめきも気にせずに、ただ優雅に笑い続けている。容姿は花のように美しいのに、どうしてだろう。その笑みを見ているとまるで花に似たカマキリが、虎視眈々と獲物を狙っているかのようだ。
「私は、トリルデン村で病気の治療をして、イーリス様と同じく奇跡を起こしました。ならば私にも聖姫となる資格があるはずです」
(確かに――)
イーリスが聖姫と認められたのが皮傷病の治療ならば、水銀中毒を癒やす薬を持っていたレナも聖姫の対象となるだろう。しかし、その瞬間。
「反対です!」
後ろから、アンゼルの声が飛んだ。
「聖姫は各御代に一人だけと決まっております! 既にイーリス様に決まっているというのに――!」
「ええ。ですから同じ奇跡を起こした聖女同士、聖姫試験で決めて欲しいと言っているのですわ」
つんと顔を背けるレナの姿に、 イーリスはぐっと手のひらを握りしめる。
「なるほど……。つまり同じ奇跡を起こした聖女なら、どちらが聖姫にふさわしいか神殿に改めて決めてほしい――というわけね」
ざわっと周りの人混みが揺れる。
「馬鹿な! 聖姫はもうイーリスと決まっている! 神の声による啓示式もすんだ!」
横から飛び出そうとするリーンハルトをぱっと腕で遮る。
「それで? 聖姫になってあなたが得たいのはリーンハルトの王妃の座?」
「この世界では、異世界から来た聖女が王の伴侶になるのでしょう? ですから、私がいるべき場所に行きたいだけですわ」
にこっと笑う顔は、まるで豹の子供のようだ。愛らしいのに、内側にはいつでも自分たちを食い殺せる牙を隠し持っている――。
「イーリス様」
レナの顔をじっと見つめていた自分の袖を、つんと陽菜が引っ張った。
いつの間に側に来ていたのか。振り返って見れば、ひどく心配そうな顔で自分の袖を摘まんでいるではないか。
「陽菜?」
「彼女ですが、ひょっとしたら、私と同じように騙されているのかもしれません。もしレナというあの人が、私と同じように呼びよせられた聖女ならば――」
見上げてくる黒い瞳は、きっと過去に自分がこの世界に来たばかりの頃に脅された色々な文句を思い出しているのだろう。
辛そうに眉をひそめている陽菜の表情は、それだけ見知らぬ世界で心細かった当時の彼女の気持ちを伝えてくるものだ。騙されて、イーリスを辛い立場に落とした――その後悔とも、悲しみともつかない顔に、少しだけ頭の中が落ちついてくる。
「そうね。そういう可能性もあるわ」
ならば――と、心配そうな陽菜に微笑み、レナへと視線を戻す。
「これは今すぐに答えが出せる話ではないわ。ましてや、今日は神殿のお祭り。聖姫の座を争う話などは、この場にふさわしくないのではないかしら?」
「あら。三人目の聖女降臨をお伝えして盛り上げようと思いましたのに。まあ、確かにこの雰囲気では無理そうですわね」
周囲では、三人目の聖女が現れたと聞いて一目見たいと押し寄せる者、そして今の話を聞いた者とで変な騒ぎになっている。
それをちらっと見遣り、イーリスはレナに向き直った。
「日を改めましょう。貴方は、今はどこに住んでいるの?」
「家など、こちらの世界にはございません。ですから、今は、都の宿に仮住まいをしております」
「そう。それでは、費用もかさむでしょう。そのお金はどこから?」
「――――私が降臨したことを伝え聞かれましたポルネット伯爵様がお出しくださいました」
(やはり、ポルネット伯爵が絡んでいた!)
謹慎期間中、領地でおとなしくしていたのかと思えば――。まさか、新たな聖女の降臨を企んでいたなんて!
ぎりっと扇を握りしめるが、側の陽菜がつんと服の袖を握ってくる指に、思い出す。
(そうだ。彼女も被害者かもしれないのだ)
ならば、今自分がやることは――。
「そう、でもこれだけ騒ぎになれば、その宿ではとても対処などできないでしょう」
だからと、貝細工の扇を広げて、白い光を放ちながら話し続ける。
「私の側においでなさい。あなたが聖女ならば、聖女陽菜同様次の聖姫候補である私が二人の面倒を見ます」
先ずは、彼女をポルネット大臣から引き離すことだ。そうすれば、彼女の本心もわかるかもしれない。
「イーリス!?」
隣でリーンハルトが驚いているが、どうせここまで騒ぎになってしまえば、今更隠すことはできない。
「とりあえず私の手元に置くわ。それが一番安全だし」
こそっと耳打ちをして告げれば、驚いていた顔がひどく心配そうに覗きこんでくる。
「わかった、だが宮は陽菜と同じにしよう」
それでいいなと念を押すのに頷く。
「承知しました」
にこっと白い真珠のような顔に、亜麻色の髪を揺らしながらレナは頭を下げた。
「アンナ――」
こうなってしまっては、すぐに王宮に帰らなければならない。
神殿にも相談をしなければならないし、折角会えたのにと残念そうに振り返れば、後ろでアンナはにこっと笑っている。
「ごめんなさい。久しぶりに会えたのに、ゆっくりと話ができなくて」
「私のことは気にしないでください! 王妃様と国王陛下にまた会えて、すごく楽しかったですし!」
(うん、嬉しいじゃなくて、楽しいのね?)
気のせいだろうか。さっきよりネタ帳のページが、かなりめくれているような気がするのは。
思わず引きつったが、その背にトリシャがそっと手を差し伸べた。
「この子は、私が弟子として今後面倒をみましょう」
「トリシャ先生!?」
「さっきパラパラとネタ帳を見ましたが、この子の発想力には才能があります。この子にならば、『公爵令嬢の恋人』で託してもよいと思えるネタもあります」
「いいんですか!? 先生が折角考えつかれたのに……!」
突然の申し出に、完全にアンナのほうが驚いている。しかし、その顔を見つめて、トリシャは笑った。
「あなたならば、発禁処……いえ、きっとネタをうまくいかしてくれると信じています」
「はいっ! 嬉しいです!」
(今、発禁処分と言いかけた!)
どんな王×令嬢の過激ネタなのか――。
なにやら怖いタッグが生まれたような気がして焦るが、傍らでは、側に立つリーンハルトにレナが今も熱い眼差しを注いでいる。
その視線に、なんだかもやっとしてしまう。
「わかったわ。では、また帰る前には王宮に挨拶に来てね!」
門番には話を通しておくからと叫び、急いでリーンハルトの腕をとって歩き始めた。
彼女は無理矢理異世界から喚ばれた被害者なはずなのに――。
それでも、その視線にリーンハルトの姿を晒していたくなくて、なぜか二人の間に入るようにして歩いてしまう。
ちらりと振り返れば、レナは後ろで面白くなさそうな顔をしているではないか。
その様子に、すっとリーンハルトの耳に口を寄せた。
「すぐに大神官様に報告をしたほうがいいわ」
「ああ、そうだな。この騒ぎではどうせ伝わっているだろうが」
言いながらも、離れていた護衛に視線を送り呼びよせている。
「陛下、なにか」
「いますぐに大神官に事の次第の報告を。それとすぐにギイトを呼べ」
(リーンハルトが、自分からギイトを側に呼ぶなんて――)
それだけ今が非常事態なのだとわかり、イーリスは一緒に歩くリーンハルトの腕をぎゅっと握りしめた。