第34話 現れた姿
まさか、作者と本の売り上げ競争になるなんて――。
しかも、相手は国内でも有名なベストセラー。その四巻目と来ているのだから、既に特設でもうけられた本屋のブースの周囲には、販売を待ちわびる人の列ができはじめている。
(そんな本と勝負だなんて――)
無理だわと思ったが、目の前にいるリーンハルトとアンナは互いに下に向けた手をスクラムでも組むように重ね合わせている。
「よし! この勝負に勝って、絶対に小説の展開を変えてみせるぞ!」
「ええ! トリシャ女史の手で王×令嬢を読める絶好の機会! なにがあっても逃すことはできません!」
「待って、二人とも。動機が知らない間に変わっている」
アンナはともかく。どうして、リーンハルトまで、そちらに熱を上げているのか。
「あ、もちろん王妃様の望みを叶えるためでもありますから!」
恩人のことを忘れていたといいたげな顔で振り返ったアンナが慌ててつけたしているが、側で頷いているリーンハルトはせめてこちらを第一候補に叫んでほしかった。
「もちろんだ! イーリスのためにも全力で、アンナの本を百冊売る!」
「ありがとう。なんか二番目なのが腑に落ちないけれど……」
きっと今は言っても無駄だろう。どんな理由であれ、ポルネット大臣の理由を知れるのならかまわない。はずなのだが――。
「よし! 護衛の騎士たちは、それぞれ陣形をとって敵を本陣に誘い込む準備をしろ!」
――どうして、行動が臨戦態勢なのか。
「そして、決して相手に負けないように呼び込みを行え。対象物は恋愛小説、ターゲット層が女性なことを考慮して、特別に勤務時間内だが、女性に声をかけることを許可する!」
やったあー! 公然とナンパができるぞー! とリーンハルトの言葉に騎士たちが、叫んでいるところをみると、そんなに我が国の騎士団は女日照りだったのか。
(職業的にはもてそうなのに……勤務時間のせい?)
だとしたら、これは騎士団の改革案の一つになるかもしれない。少し首を傾げた時、リーンハルトが腕を組んだまま言い放った。
「但し、引っかけた相手とは結婚するのが前提だ」
「重い! ナンパの前提が!」
ぴたっとはしゃいでいた騎士たちの動きが止まる。
なんで交際という概念が抜けているのか――。
「ああ。陛下は王妃様と婚約して出会い、結婚されたわけですから。恋人イコール結婚が当然なんですね。なるほど……それなら、婚約破棄をしたのは、今すぐ結婚するつもりではなかったからと……」
「そして、アンナ! 素早くそれをネタにしない!」
声に振り返れば、さらさらとネタ帳に今のリーンハルトの言葉を書きつけているではないか。
「ええー、でもこれなら王が婚約破棄をした理由にもなりますし」
言いながら浮かべている笑顔は、天使のようだ。ああ、二次創作の神が彼女の上に微笑んでいると、なぜか確信してしまう。
思わず、頭がくらりとした。
「そうね。でも、今は本を売るほうが先だから――」
「あ! そうでした!」
取りあえず、メモをとったので売るのに回りますと急いで鞄にメモ帳をしまっているが、振り返って見れば、なぜかトリシャ女史もなにかを書きつけている。
「ふむふむ、婚約破棄の追加案――」
(どうして、作者までメモをとっているの!?)
謎だが、その間にも人は続々と口コミで集まってくる。
「さあ! 本日ただいまから、お祭りを祝して、ベストセラー『公爵令嬢の恋人』四巻発売を開始します!」
本屋でからんからんと大きなベルが鳴らされるのと同時に、ずらっと机の上に並べられた本の山が見えてくる。
「あれと戦うの!?」
さすがに目が点になった。ぱちぱちと目を疑うほどの本の量なのに、本屋の主人は明るく声を張り上げている。
「そして! 本日は、特別に四巻発売記念として、先日発売のファンブック! そして、神殿のみで売っている公爵令嬢人形と聖女人形の同時販売も行います!」
わっと待っていたファンの間から歓声が起こる。
店の前に張られていたテープがとられた途端、人波がどっと押し寄せてきた。
「はい! 順番に並んでくださいね」
さすが有名なベストセラー作品だ。次々とやってきた人達によって、トリシャの前に分けて置かれていた百冊の山は、すごい勢いで減っていく。
「さすがトリシャ女史……! 我が神!」
でも、負けませんと叫んでいるアンナの表情は、尊敬と感動と負けられないという複雑な心の内が反映したものだ。
これは厳しい――。戦いの熾烈さを予感してごくっと息を呑んでしまう。
「よかったわ! 無事四巻が買えて!」
「もう続きがずっと楽しみで!」
目の前では、待ち望んでいた本を手にした令嬢たちがいそいそと歩いて行く。
その姿に、ばっとアンナが立ち上がった。
「一緒に王と令嬢の本はいかがですか?」
「え? 神官様じゃなくて、王と令嬢?」
声をかけられた女性が不思議そうに本を見つめている。
「どうしようかしら?」
「小説とはちょっと違う話なの?」
二次創作という概念がないから、どうやら本について、今ひとつ悩んでいるようだ。
その横では、騎士の一人が女性と一緒に頭を掻きながら店を訪れてきている。
「陛下。そこで声をかけた女性と『公爵令嬢の恋人』の話題で意気投合をしまして……。小説だけではなく、ファンブックも読みながら、お互いの人生について語りたいという話になりまして」
「おめでとう、結婚式にはぜひ呼んでくれ」
(本当にカップルが誕生しているし!)
しかも、既に腕を組んで、顔を赤らめながらファンブックを買い求めている。
まさか本当に、結婚式を挙げる騎士が出ることになるとは思わなかった。しかし、その間にもトリシャ女史の前の本は、すごい勢いで減っていく。
「あれ? これ、ひょっとして、この間から口コミで評判になっていた?」
「そうよ! たしか、王の恋心が切なくてたまらないとかいう――」
やっとピンときたというように、令嬢たちが一緒に手に取っていく。
その声で、店にきていた多くの夫人たちも、アンナの前に並んでいるのが、先日から都で噂になっていた本だと気がついたのだろう。
「私にもください」
「これで、『公爵令嬢の恋人』の世界を更に深く味わえるんですって?」
「きっと、五巻が出るのは先で、それまで少しでも、この世界に触れていたいから――」
理由は様々だが、どうやらファンの心理はどこでも同じらしい。
すぐに公式が出ないのなら、その世界を表すものに少しの間でも長く浸かっていたい――。更に切なさを感じられるという事前口コミのお蔭で、アンナの目の前にある本もどんどんと減っていく。
「勝負終了――!」
百冊の山が、トリシャの前から消えるのと同時に、からんと鐘が鳴らされた。
「負けた……」
がくっとアンナとリーンハルトが、店で俯いているが、正直に言えば、公式作品相手にここまで売れれば大健闘だと思う。
「私が百冊売れる間に、六十冊。予想以上の大健闘でした」
さらりとトリシャが肩にかかっていたオリーブグレージュの髪を手で流している。艶やかなさらさらとした髪で美しい。が、今はそれよりも目の前の二人の落ち込みようがすごい。
「折角、公爵令嬢と王の結婚式を読めると思ったのに……」
「やっと、王の立場をよくできると思ったのに……」
それぞれに理由はあるが、ポルネット大臣の件を知れなくなった自分も残念だ。聖姫の格好では、売り子を手伝うこともできなかったから、後ろでおつりの手渡しぐらいだったが――。
「読みたかった……! トリシャ女史の王×令嬢……!」
蹲って、涙さえ浮かべているアンナの様子は悲壮そのものだ。あまりにも残念さを滲ませている様子に、爽やかな笑顔を浮かべたトリシャが近づくと、そっと身を屈めた。
「勝負は私の勝ちですね。ですが、たくさんのファンの方が、私の作品世界を更に楽しめると、あなたの作品を喜んでいる姿もわかりました」
「トリシャ先生……!」
「どうか、これからも私の作品を喜んでもらうために、あなたの創作の力を貸してくれると嬉しいです。お互いの力を出して、この小説を更に世界に広めていこうではありませんか?」
「はい……! 私、どこまでも先生についていきます!」
(うーん、なんて現金な……)
最初の発言からも感じていたが、どうやらかなり実利主義の作者らしい。
アンナの縋る手を握ると、にっこりと笑っている。
「では、アンナさんの貢献に感謝して、さっきの約束の片方はお教えしましょう」
「えっ!?」
予想もせずに飛び出してきた言葉に、顔をあげた三人ともごくっと息を呑む。
「さすがに、本命の恋人である神官を差し置いて、王とくっつけるわけにはいきませんが。王妃様がお尋ねになっておられました、もう一つのお話なら」
「教えてくれるの!?」
「そっちか!」
あれだけ、渋っていたのに。
(そして、リーンハルト……どうして、貴方がそっちを悔しがっているの……)
驚きながら呆れるが、トリシャは少しだけ迷うように笑っている。
「絶対に、私と本を罰しないとお約束いただけるのでしたら――」
そこまでの内容が、やはりポルネット大臣の件には隠されているというのか。
「約束するわ! 決して、この件であなたも本も咎めたりしないって!」
「イーリス!?」
「だって、今はこっちのほうが大事よ!」
慌てて叫んだ。いったい、この作者はなにを知っているというのか――。
「わかりました。では」
にこっと口を開くトリシャに、思わずごくっと息を呑む。
「ずっと秘密にしてきましたが、もう薄々悟られている方もおられるようなので、お話ししてもかまわないでしょう」
なにを――隠しているというのか。
「この小説に出てくる公爵令嬢と王についてですが」
瞬きをすることも忘れて、小柄な姿を見つめる。
すっとトリシャは口を開いた。
「モデルは、陛下と王妃様です」
「やっぱりか!? 読んだときに、なんかそうじゃないかとは思っていたんだ!」
予想していたのとは違う回答に、体中の力が一気に抜けてしまう。
「あー……不敬罪って、そっち……?」
確かに、現王と王妃を無断でモデルにしたなんて知られたら、発禁処分だろう。作者だって、軽くて禁固刑。場合によっては手の切断だ。
どっと脱力したが、トリシャは滔々と語っている。
「私だって罰されたくはありませんからね? でも、折角良いネタが降ってきたのに、お蔵入りにするのなんてもったいないじゃないですか? だから、ばれないようにあれこれと考えて」
側でアンナがうんうんと頷いているのは、二次創作とはいえ、同じ作者としてなにか感じるものがあったせいなのか。
「だから、色んな設定を混ぜて。その中の一つ。令嬢が王に婚約を破棄されたというのは、ポルネット大臣の姉君の実話がモデルです」
「――えっ!?」
ポルネット大臣の姉が、国王に婚約を破棄されていた?
初めて聞いた話に大きく目を見開く。トリシャが秘密をばらしたような笑みを浮かべたとき、しかしその背後でざわっと人波が揺れた。
なんだろう。
どうして、突然人混みの視線が、一点を見つめているのか――。
周囲のざわめきに押されるようにトリシャの背後を見つめれば、遠くから一人の女性が、こちらに向かって歩いてくるではないか。
その姿にはっと目を見開く。
どこかで見たことがあるような亜麻色の髪。緩やかに流れるその中に浮かぶ大きな瞳は、深い湖水のような翡翠色だ。
あの日、トリルデン村に現れたという聖女と同じ容貌――。
そして、なによりも人々がざわめいている理由は。
「イーリス様ですね」
自分の前にまで進み、足を止めた彼女が着ている服は、聖女が神殿の儀式で纏う白い服とまったく同じものではないか!
「あなたは――」
ごくっと息を呑む。瞳を逸らしさえできない。可憐に相手が笑った。
「お初にお目にかかります。最近新しく降臨してきました聖女、レナでございます」