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第32話 二人目の女性

  人混みの中を、こちらに向かって元気に走ってくる。手を振っているアンナは、シュレイバン地方で別れた時に見た折れそうに細い姿ではない。


 体にいくつも浮かんでいた鬱血はすべてきれいになくなり、代わりに太陽の日射しのような健康的な肌で、こちらへ大きく手を振りながらやってくるではないか。


「アンナ! 都までよく来たわね!」


「はい! 今日が『公爵令嬢の恋人』四巻の発売日なので! 私の本も新刊キャンペーンの一環として、一緒にこちらの会場においていただけることになったのです!」


「ああ、そういえば」


 お祭りなので、ここに人が集まると踏んで多くの業種が露天で出張販売をしている。おそらくその中に、本屋も入っているのだろう。


「昔、事典とか古書とか少し珍しい本が並んでいるのを見て、ドキドキとしたことがあったわ。今回は、そこにアンナの本も並ぶのね?」


「はい。まさか新刊を盛り上げるためとはいえ、一緒に売ってもらえるとは思いもしなかったので、私も驚いています!」


 にこにこと話しているが、横のリーンハルトを見て「あっ」と、なにかを思い出したらしい。


 急に、着ているかわいい臙脂のスカートの裾を摘まんだ。そのまま、まるで練習を繰り返したかのように片足を引いて、お辞儀をする。


「国王陛下、王妃様。再度お目にかかれて、とても光栄に存じあげます」


 きっと大人たちから、こういうふうに挨拶をするものだと教え込まれたのだろう。少しだけ慣れない口調で、必死にそらんじた内容を思い出しながらお辞儀をしている様子は、とても微笑ましい。


「堅苦しく考えないで。今までだって気楽に話してきたでしょう?」


「王妃様……」


 にこっと笑って身を屈めれば、アンナが感動したように目を潤ませている。


 さらに深く屈んで目を合わせた瞬間、すぐ側を幼い子供たちが走り抜けていった。


 少しだけぶつかって、髪が揺れる。


「こらっ」


 慌てて、少し離れていた護衛たちが近寄ってくるが、たいしたことはない。


「大丈夫か?」


「ええ。お祭りですもの」


 だから、子供たちにも叱責はなしねと片目をつむった意味がわかったのだろう。


「ああ」


 微笑んで、わざと少し離していた護衛たちへ合図を送るように手を振っている。


(お祭りまで仰々しいのは嫌というのもあるけれど……)


 しかし、護衛がいつも少しだけ離れているのは、できるだけイーリスと二人きりで親密な時間を過ごしたいというリーンハルトの意向のせいな気がする。


 自分の側に立ちながら、心配そうにもう一度覗きこんでくるアイスブルーの瞳は、夜明け前の薄い空のようだ。空色に僅かなグレーが滲んで、冷ややかなのにひどく優しい気がする。


「今ので足首とかも捻ってはいないな?」


 ぶつかられたことを心配そうに尋ねる顔は、王ではなく一人の恋する青年のものだ。


「ええ」


「そうか、よかった」


 身を起こして笑うと、ふわっと髪を撫でられた。


 どうして、ここでそんな仕草が出てくるのか――。


 ドキッとしてしまうが、髪から手はまだ離されない。


「――彼女の髪の一本まで俺のものだというように、王の手は令嬢の上から離されない。いつもは冷たいはずの瞳が、何故だろう。今日はひどく優しく見つめてくるではないか。令嬢は戸惑うが、その瞬間、王の視線は神殿の一角に立つ神官を牽制するように睨んだ」


「ちょっと待った――! なに、人の行動を見ながら、メモをとっているのよ!?」


 思わず声をあげるが、目の前にいるアンナはまだ取り出したノートに細い木炭でがりがりと妄想を書き続けている。


「あ、どうぞ続けてください。私のことはお気になさらず」


「するわよ!? 今、思いっきりネタにしていたわよね!?」


「王妃様と陛下を見ていたら、ついこんな展開があったらいいなと思ってしまって。あ、ちなみに今のは遠くで見ている神官様を歯ぎしりさせる為に、王がわざと令嬢に優しくするという展開です」


「実にいい案だ。許可しよう」


「リーンハルト!?」


 横からの声に驚いて振り向いたが、リーンハルトはうんうんと首を振っている。


「いつもすかした神官が、好きな女をとられて歯ぎしりをする様子――。うむ、実に爽快な光景だ」


「それを爽快と言い切るのは、リーンハルトだけだと思うけれど……」


「そんなことはありませんよ! この本が出てから、王に頑張ってという励ましがいくつも届いて! ああ、まさかあの冷たい王が心の中でこんなことを考えていたなんて思わなかったという手紙が、いくつも来ているんです!」


「そりゃあ、原作ではそんなことは一言も思ってはいないから」


 いいのだろうか。いつの間にか王×令嬢推しのファンが増えて、リーンハルトの公式カップル覆し計画が着々と進んでいるような気がしてならない。


 どうしてこう、アンナといいアンゼルといい、自分の信念に突き進む者ばかりなのか。


(いや、よく考えたらグリゴアやポルネット大臣もそういう人種かもしれない)


 自分の考えに一直線という点では、実に似た人材だ。


(はっ! そういえば、さっきの女性は――)


 ついアンナとの会話に夢中になってしまっていた。あの呟きからは、明らかにポルネット大臣についてなにかを知っている様子だったのに。


 慌てて金色の瞳で周りを見回したが、もうどこかの人混みに交ざってしまったのか。周囲にいる人達は、こちらを遠巻きに見つめている人々か陽菜の店で腕輪を眺めている人ばかりだ。


「いない――」


(折角、なにか手がかりを得られるかと思ったのに……)


 がやがやと溢れる喧噪に、つい息が一つこぼれてしまう。


 しかし、その時。アンゼルの店の中から覚えのある少し高めの声がした。


「最初に聞いていたのより、少し令嬢の足や腕が出過ぎではありませんか?」


「ええーっ。これぐらいなら勘弁してくださいよ。ほら、白い無垢な足は、令嬢の男を知らないが故の無防備さと純粋さを現しているんですから」


「まあ、そういう見方もできますが」


 ですが今後膝より上は許しませんよと話している声に、慌てて振り返る。


(この声は、さっきの――!)


 まさかと見れば、店の中に入ったところで、先ほどのオリーブグレージュの髪の女性が、アンゼルと話しているではないか。肩で切りそろえ、髪の後ろだけを結わえた女性は、どうやら焦った顔をしているアンゼルの前で、公爵令嬢人形を手に取っているようだ。


(いた!)


「あの――」


「イーリス!?」


 突然振り返って手を伸ばしたイーリスに驚いたのだろう。一緒にリーンハルトとアンナも振り返ったが、その先にいる姿に、イーリスよりも早くにアンナの声が響く。


「あ、貴方は!」


「えっ、知っているの?」


 まさかアンナの知り合いだったとは。驚いて瞳を瞬いたが、アンナは首をぶんぶんと横に振っている。


「違います! あ、でも知っています! たしか『公爵令嬢の恋人』の作者、トリシャ女史ですよね!?」


 この方が――――。


(あの色々と問題作……! いえ、話題作の作者!?)


 突然のことに、イーリスも驚いて彼女を見つめたまま瞳を見開いてしまった。



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― 新着の感想 ―
[一言] オリーブグレージュの髪の正体判明!…ということは、亜麻色の髪の方が…?
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