とある球児をずっと見守ってきた女の子のお話
それは金曜の昼休みだった。
いつものとおり、私は4階にある教室の窓から、野球部の練習を眺めていた。
ま、実際にはあいつの姿を目で追いかけていただけなんだけど……
そんな私の前に現れたのは佐藤さん、高橋さん、渡辺さんの三人組だ。
「ねえねえ。鈴木さん」
「ん? なに」
「いつも野球部の練習見てるみたいだけど、野球好きなの?」
「うん。まあね」
三人組に喜びの表情が広がる。む?
「良かったあ。わたしたちも大好きなんだよ。ねえねえ、今度の日曜、何か予定入ってる?」
「今度の日曜?」
「粕壁栄光高校があるじゃない。あの学校が関西の強豪の兵庫学園を迎えて、練習試合やるんだって、一緒に観に行こうよ」
「粕壁栄光が?」
「そうそう。知ってる? 今年の粕壁栄光凄いんだよ。小林君と伊藤君のバッテリーが超高校級で、甲子園で優勝も狙えると言われてるの」
「……」
(うん。知ってる。大阪ジャガースのスカウトが何とかして両方獲りたいって年中言ってるんだ)
「知ってる? 小林君のボール。常時145km超えるんだって」
「……」
(うん。知ってる)
「知ってる? 伊藤君の高校通算ホームランあと2本で100本だって」
「……」
(うん。それも知ってる)
「二人ともさわやかでかっこいいよねー。ねえねえ一緒に観に行こうよ」
「…… ごめん。今度の日曜はちょっと都合が悪くて……」
「そうかあ」
三人は心底がっかりした顔をする。いい娘たちだ。純粋にキャッキャッ言って野球観戦する仲間がもっとほしかったのであろう。
「ごめん」
私は頭を下げた。
「いいって、こっちも急だったし、また今度誘わせてもらうね」
本当にごめん。かつての私なら一も二もなく飛び付いただろう。だけど、今の私は……
知ってしまっているのだ。もう。
貴女たちは知らないのだろう。中学時代の小林君が球は滅法速いけど、ストライクが全く入らなかったことを。そして、同じく中学時代の伊藤君がホームランもたくさん打ったけど、それ以上にたくさん三振をしていたことを。
そのことを心ない大人たちに責め立てられ、野球を辞める寸前まで追い込まれていたことを。
それを救ったのが、今うちの学校の校庭で野球の練習をしている…… 中村四郎君であることを。
何でそんなこと知ってるかって? それは私が大阪ジャガースのスカウトの娘だからだよ。
貴方たちがご両親に「ショッピングモール」や「遊園地」に連れて行ってもらっている時に、私が父に連れて行かれたのは、専らアマチュア野球チームのグラウンドだった。
普通に考えれば、「もっと楽しいところに連れて行けっ!」となるところだけど、私は逆にハマリにはまった。しまいには、父に「今日はどこそこのチームのグラウンドに連れて行けっ!」と言うまでになった。
そのうちに私は知ってしまった。さわやかに見える中学野球の裏側を……
「おまえのせいで俺は恥をかかされた」「おまえの代わりなんかいくらでもいる」
「努力と根性とやる気が感じられない」「やめちまえ」
そういった言葉で毎日のように口汚く小林君と伊藤君を罵り、人格を否定する大人たち。
最後に「おまえのことを心配して、俺は言ってやってるんだ。有難く思え」と言えば、何でもチャラになると思っているらしい。
傍で見ていて、痛々しくなるほど、うなだれている二人をいつも明るい言葉で励まし、アドバイスまでしていたのが、中村君だった。
「なあ、小林、ストライクが良く入っていた時のおまえはさ、もう5cmくらいリリースポイントが前だったような感じがするんだ」
「なあ、伊藤、ホームラン打った時のおまえは、もう一呼吸だけためてた感じなんだよな」
それらはプロのスカウトである父が感心するほど的確だった。私はいつしか彼に心を奪われ、毎週末、粕壁栄光の中等部に通い詰めるようになった。
父の仕事はプロのスカウト。担当区域は埼玉・千葉・神奈川。毎週末、粕壁栄光にだけ通うわけにはいかない。自然と別行動になっていった。ある日、父は寂し気にポツリと言った。「まあ、しょうがないよな。おまえも女の子なんだし」。その時の私はあまりその言葉にピンと来なかったけど……
高校進学を控え、既にその名をとどろかせ始めていた小林君と伊藤君はスポーツ特待生として、粕壁栄光の高等部への進学があっさり決まった。
だが、スポーツ特待生のリストの中に中村君の名前はなかった。
父は大きく溜息を吐いた。「残念だけど、まだ、こういう狭量な指導者はいるんだよな。指導力で自分の立場が脅かされると思ってるんだろう。もったいない。いいキャプテンになるだろうに」
小林君と伊藤君は凄く怒ったそうだ。「何で、スポーツ特待生のリストの中に中村が入っていないんだ」と。
中村君の家はスポーツ特待を取れずに、私立に通えるほど裕福ではない。彼は志望校を地元の公立高校に切り替えた。自動的に私の志望校もその高校になった。
ここは小さい公立高校。野球部員を9人集めるのにも苦労する学校だ。
だけど、もちろん、中村君はそんなことではめげない。
明るく楽しいパフォーマンスで、野球部員をかき集めた。
信じられないことに、私と同じ中学だった卓尾までが野球部に入った。
中学時代の奴と言えば、頭の中の999,999PPMまでアニメ・マンガ・ゲーム・ラノベで出来ていて、ついた二つ名が「オタクタクオ」。
そいつがあろうことか、あの中村君に野球でツッコミを入れてやがる。うーむ、許せん。卓尾っ! その場所代われっ!
そんなんだったら、告白すればいいじゃんと言われるだろうけど、私にはそれは出来なかった。だって、今の中村君は野球とそれを一緒にする仲間が何より大切だってことが痛いほど、伝わってきちゃうんだ。
そうこうしているうちに、三年最後の夏の大会がやってきた。組み合わせ抽選会でキャプテンの中村君が引き当てた対戦相手は、よりによって粕壁栄光高校。チームメイトは全員が大爆笑。卓尾の奴が一番笑ってやがった。「さすがキャプテン。150分の1を引くとは。うーん。持ってるっ!」
5回コールドで終わるんじゃないかと言われた事前の予想を裏切り、試合は粕壁栄光高校がリードしているとは言え、最終回までもつれ込む接戦になった。
小林君と伊藤君の二人の表情は真剣そのもの。強き者は強き者を知る。中村君の真の凄さを知っているのだ。
それに比べて、チームメイトは中村君のパフォーマンスに爆笑の連続。一番、笑ってやがるのがやっぱり卓尾。弱き者は強き者の真の凄さを知らない。でも、楽しそうだ。
私はとうとう心に決めた。この大会が終わったら、中村君に告白しよう。でも、それは負けてからだ。勝っているうちは力の限り、応援するんだ。
…… 試合は終わった。最後の打者は中村君だった。彼は最後まで明るく楽しく、そして全力を尽くした。誰にも文句を言わせるもんか。
中村君は最後のアウトになった時、ネクストバッターズサークルにいた卓尾の奴にめちゃくちゃ謝っていた。卓尾は例によって、ゲラゲラ笑ってやがったが、中村君のいつになく真剣な態度に、奴も真顔になった。
分かったよ。卓尾よ。チームメイトどもよ。今日までは中村君を預けといてやるっ! だけどっ! 明日からは私がもらうからなっ! 多分……
そして、翌日、私は中村君を呼び出した。
中村君は私を見るなり言った。
「あれ? 君、ジャガースのスカウトの鈴木さんの娘だよね。鈴木さんは俺がこの学校入ってから、見に来てくれなくなっちゃたけど、君は練習まで毎日見に来てくれたよね。凄く嬉しかったよ」
中村君は、私のことに気付いていた……
この作品の創作に当たりまして、砂臥環様の多大なるご協力をいただいたことをこの場をお借りして報告させていただくと共に、厚くお礼申し上げます。