☆4話
「王子様、ひとつお聞きしたい事がありますの」
部屋に二人きりになったのを確認をした後、自分を甘く見つめてくる王子に、少しばかりこそばゆく思いながら、おっとりとした、何時もの口調で聞くキャロライン。
「何かな?ここよりも……そうだ、カウチで座って話そう、窓際だしね、入る風が気持ち良さそうだ」
立ち上がると白いクロスがかけられたテーブルを周り、手を差し出すジョージ、素直に従うキャロライン。上手く誘えた!と内心ホクホク、胸はドクドクンと高まる彼。
カウチは二人で寄り添い座ると、距離はかなり近い……手を繋いだままに座れば……少しばかり先の展開が来るやもしれない!優しくエスコートしつつ、頭の中はぐるぐると、あの手この手を考えている。
……、アレは、しのごの言わずに、抱きしめ押し倒せと言っているのだが、お……押し倒す、そ、そんな野蛮な、いやいやそれぐらい、強引な方がいいのか、しかし、も、もしも……
怖がらせて、嫌われたらどうしよう……。
はうぅと、思い悩み心の中で深く溜息をついたジョージ。そんな彼の事を知ってか知らずか、カウチに座ると手はそのままに、そして身を離すこともせずに、それどころか、身乗り出す様に寄せて来たキャロライン。
「ち、近いね……」
彼女の衣裳に、ふうわりと炊きしめてある、馥郁とした香りが、ジョージの鼻腔に入り込む、それは吸い込む程に脳天に届く、否が応でも目に入る胸の膨らみ、その二つは甘露に混じり合い、彼をクラクラとさせる。
「あら、いけません。ごめんあそばせ」
そう言うとスッと身を引いたキャロライン。しまった!千載一遇のきっかけを逃してしまったか……深く後悔をするジョージ。すでに時は遅し。
彼女のドレスの広がりが、高き壁となる、少しずつ尻をにじり寄せようかな……いや!ここはバルコニーに出ようと話そうか……。距離を取り戻す為に、彼は煩悩の囁きに従い、あれこれと考えている。
キャロラインは何時もと違い、もじもじとしている王子が、可愛く思えていた。しかし彼女は、失礼ですわ、わたくしがそんな風に思ってはいけません、そんな事ですからわたくしは……、と思い姿勢を正す、が、
心のうちでは、ドキドキとし、甘くそして少しばかり怖いような先に通じる予感が、ムクムクと湧き上がっていた。
彼女は彼女で色々と悩んでいる。
それは彼女が信じるところによる『愛の妖精』の存在。正式なる挙式を上げた、相思相愛の男女が床を共にすると、深夜に枕元に現れ『ラフ』と呼ばれる果実に、キスをし置いて帰る。それを夜明けの時に、二人で共に食べれば赤子が腹に宿るという……お伽話。
……、王子様と一緒になってから、ずうっと!一緒に夜は寝ているというのに、妖精さんが来ませんの。何が足りないのかしら……もしかして?
一人で過ごす時に、あれこれ悩み、そして知らない事はきちんと聞きなさいと、彼女もまた言われ育っている。気がついた時に。アイリス夫人に聞こうとしたが、少しばかり気恥ずかしく、本人に聞こうと意を決したキャロライン。
「それで……聞きたいことってなに?」
ジョージは真剣に向き合ってくる彼女に優しく問いかけた。少しばかり身を側に寄せ、そろりと、座席に置かれている柔らかな手に触れてみた。
「は、はい、お話は……あのですの、王子様、わたくしの元に妖精が来ないのは……寝床が悪いからかもしれないのです」
「はい?寝床が悪い?」
思いもよらぬ内容だった。
予想外の問いかけであった。
前のめりになっていたのだが、思わず背を伸ばしたジョージ。彼女との距離が再び離れる。触れていた手を引き、胸に手を組むキャロライン。
「はい、そうなのです。王子様はわたくしの館ばかりで、夜を過ごされますの。でも祝福を与えられた寝台は、王子様の館ですの、だから……来ないのでしょうか?」
どう答えたらいいのか、分からないジョージ。
「それか、わたくしの大好きが……足りないのでしょうか?愛し合う二人の間に、妖精はラフの果実を置いていく、そう聞いておりますの、わたくしの想いが足りないのでしょうか」
真剣に答えを求めるキャロライン。
妖精などいないと言うべきか、しかし、こんなにも真剣に聞いてくるのを、頭から否定するというのも……、実力行使に出るのが良いのだろうか、それとも大人になるのを待つべきか……
――、真実を……言うべきか言わないべきか、そこが問題だ……。
王子の悩みは、悶々とし深い。
――、王子様は、どうしてお答えして下さらないのかしら、なぜかしら?わたくし、間違っているのかしら。
彼女の無邪気な悩みもこれまた深い。
☆☆☆☆☆
「私の話を聞き、顔を伏せたまま笑うな、肩が震えている」
答えようがなく……、かといって、押し倒して実力行使にも出れず、そろそろ時間だからと、その場から逃げるように、自分の館へと戻ったジョージ。
母親が病の為に不在の今、王妃としての役割を、王妃の補佐官クロシェ夫人と共に、担っている皇太子である彼、
王は外交や国務全般に渡り要望を聞き、思案を練り上げ採決をし、日々を多忙に過ごしている。
王妃は神官、文官と共に季節の行事、城に訪れる賓客のもてなし、城内にかかる経費のやりくり、人々の暮らしに目を配り、細々とした雑務を引き受けていたのだが……彼の母親は病に伏す前も、それらに、それほど熱意を注いではなかった。
多忙を極める彼には、成人を迎えた時より父王から『懐刀』を与えられていた。
『影』と呼ばれる存在、忠誠を誓った主の命は絶対、主を守り、決して裏切る事は無い、時に、人には言えぬ話をこぼしても漏らす事は無い存在。
庭師に扮していた彼が衣裳を整え、ジョージの前にひざまずいていた。少しばかり聞いてくれと、主が始めた話を聞き、こみ上げる笑いを押し殺している。
名前は……必要とあらば、その時々により自ら考え名乗っている彼、それに対して別段何も思ってはいない。
「いえ……どうしてそうなるのでしょうか、私めは、きちんと、お教えしたはずでございますよ、しのごの言わさず押し倒せと……」
「もし!キャロラインが怖がり、嫌われたらどうする!」
「それは……あり得る事もございますが、そこまでは面倒みきれませんね、ご自身で、お考えになられるしかありません」
はぁぁ、と溜息をつくジョージ王子。頭をひとつ振り気持ちを切り替える。
「……もういい、なんとかするから。して、何を、どう話していた?あの場に残っていなかった、外に出ていたな」
「はい、庭を散策しつつ、今回のキャロライン様に対する進言は、一旦お取り下げになられる様です」
見聞きした事を手短に伝える彼。
「……、取り下げか、いずれ蒸し返すつもりだ、少しばかりそやつらを探れ」
「龍のお方に、天馬のお方に、果実のお方でございますね」
そう……と王子は彼に指示を下す。その顔には……キャロラインと共にいた時の甘さは、綺麗さっぱり消えている。
「それと……妃の庭に『雌猫』が紛れ込んでおるようだ、私の行動が漏れている、困ったものだな、叔母上にも……」
あの場で言われた言葉を思い出す王子、バルコニー云々、その言葉が引っかかっていた。蟻の子一匹入れぬ様、選り抜きの護衛を配しているにも関わらず……、この様な事を出来る立場の者とは……思い当たるのは父王、それと……
先王の娘であり、現王の年離れた妹。彼の叔母にあたるハバネラ姫。やんごとなき理由により何処にも嫁がず、広い城内に造られた庭園の一角を区切り、そこに建てられた館にて過ごしている。
「おそらく、ハバネラ様においては、ほんの退屈しのぎではなかろうかと……使い方によればこれ以上無い味方となりますが、こちらも少しばかり探りましょう」
影の言葉に頷くジョージ、全く……叔母上もいい加減にしてもらいたいものだなと、悩みが膨れる彼なのであった。