☆3話
平和、それが穏やかに国を染め上げている。王子は些か後悔をしていた。皇太子たるもの、あの様な発言は……あの席で、相応しく無かっかと……しかし彼は、
少しばかり切羽詰まっていたのだ。その道において、先輩たる彼らに教えを請いたかったのだ。
知らぬことは教えを乞え、上に立つ者は頭を垂れろとの、教えの元に育ったジョージ、なので意を決し問うてみたのだが……。
結果は、信じて貰えなかった……。大きく溜息をついた。鈴の音の様な声で案じる言葉がかかる。
「王子様?どうされましたの?何かご心配な事でも?」
午後のお茶をするべくジョージ王子は、愛妻キャロラインの元へと来ていたからだ。蜂蜜色の髪をふわりと結い上げ、花の髪飾り、青い空色の瞳は澄み、純真無垢そのもの。
なんでもないと答える彼、お茶を一口含んだ。そうですの、これ美味しいですわね、あまり食べすぎると、元に戻ってしまいそうですわ、と菓子皿から、焼き菓子を摘んで食べるキャロライン。他愛のない笑顔を彼にむけている。
……、可愛いな……太っていた時も可愛いかったけど、私との婚儀の為に痩せて、頑張ったと言っていた。ああ……なんと健気な、本当に可愛い、愛おしいな……、うう、意味もなく抱きしめたいけど、いや!意味はある!だけどいきなりは、驚くだろうな、
ああ……私はなんたる不純なのだろうか。こんな事ではいけない。だから!彼女に良からぬ噂が立つのだ。私がしっかりしなくては!年寄りに、しのごの言わせてはいけない!
純真無垢、清らかそのものの彼女と、視線を合わせながら、愚痴めいた事を思い、煩悩の囁きを押し殺し、叱咤激励を己に掛ける彼。
香り高い花の香りのお茶を、彼女と共に味わう、甘さを入れなくても、彼は、キャロラインの幸せそうな顔を見ているだけで、熱く……そして蕩けるもので胸が溢れる。
「あ……」
王子様も召し上がれと話をし、食べていたキャロライン、手にしていた、さっくりとした焼き菓子が、壊れて大きな欠片が床に落ちた。いけませんわ!と慌ててそれを拾い上げる彼女。またか!と身構えるジョージ。
「ふーふーふー、とすればきっと大丈夫ですの、お部屋ですもの」
「だめ!ちょっと待ちなさい!床や地面に落ちたのは、庭に来る小鳥の餌にすれば良いのだから、食べちゃダメ!私達の口にする物は、多くの人の手により届けられる、だから拾うのは当然だ、しかしそれを食べていいのは、あくまでも膝に置かれたナフキン、或いはテーブルの上の事、地面や床はダメ!」
「ふぅぅ……王子様、わかりました。何回言われても、つい勿体ないと思ってしまい……気をつけますわ。アイリス、これをお庭の小鳥の餌台に」
速攻でビシ!と止められるのは何時もの事。しょんぼりとし、謝りつつそれを手渡す彼女、ジョージ王子はホッとし、再びお茶を飲みながら、初めて出逢った時を、ふと思い出した。
それは父上が開かれた茶会だったか……。この国に王と王妃と共に、そう、アイリス夫人に手を引かれやって来た……。
焼き菓子をひとつ摘む、口元に寄せると香ばしく甘い香りがした。
記憶がふわりと蘇る。
☆☆☆☆☆
「パルカの王女、キャロライン・マリア・オースチン姫だ、ジョージ、仲良うにな」
末のアリアネッサよりも、いくつか年下だったかの、と父王が隣国の王に問いかけていた。少年だったジョージは、教えられている通りに、彼女に礼を取り挨拶を交わした。
「はじめまして、マリア・オースチン嬢、ジョージ・アントニウス・ド・ヘンリーともうします」
それに対してこくんとひとつ頷く少女は、まだまだ幼く、彼はふあふあなメレンゲ菓子みたいだな、とその時はそう思うにとどまった。
……それから幾度か両国の間で、非公式に茶会が開かれた、両国の絆を深める為に、婚約話が持ち上がっていたからだ。
その日は、花々が咲き乱れる庭園でのお茶会が開かれていた。両国の王妃が、互いに牽制する様に意匠を凝らした装いで、張り合っている。アリアネッサの母親が、気を配り客人のもてなしを、一手に引き受けていた。
「アリアネッサや、ドローシアは?」
「今日は館でお留守ですのよ、殿下、キャロライン様のおもてなしをなさいませ」
自分の母親である王妃に聞いても、無駄だとわかっていたジョージは、アリアネッサの母親にそう聞いた。大人ばかりの中で少しばかり飽いてきたからだ。忙しくしている彼女に言われて、わかりましたと答えると、キャロラインの幼い姿を探す。
……、あれ?さっきまでは椅子に座って焼き菓子を食べていたのに、どこにいったのかな?
キョロキョロとしながら、大人の輪を離れて行くと、花の植え込みの側にしゃがみ込み、何か覗き込んでいる彼女を見つけた。
「何をされてるのですか?」
驚かさぬ様に、そろりと聞くとハッとして振り向く青の瞳。花咲く今日の空の様に、穏やかに澄んでいるそれにどきどきとしたジョージ。対してキャロラインは片手に焼き菓子を持ち、空いている手の人差し指を立てると、しー、とぷっくりとした、さくらんぼの様な唇に当てる。
「にげちゃう」
そう言うと、顔を元に戻すと、大きな葉の下を首を傾げて眺めている。なんだろうと思った彼は同じ様に側にしゃがみ込み、覗き込んで見ると……
「ああ、これはメクラ蜂なのですよ、このくにの鉱山の中に巣をつくるんです。おとなしくてきれいな蜂でしょう?」
「うごかないの、どうして?」
葉の裏で、薄翠の大きな羽を持つメクラ蜂は、その羽を畳んでじっとしている。
「この蜂は強い光によわいのです。昼間はこうして眠ってるのですよ」
「おうちにはいつかえるの?」
珍しい話に、目を丸くして可愛く聞いてくるキャロライン、ジョージは丁寧に質問に答える。
「え、と。お日さまがのぼる前に、おうちを出て蜜を集めます。そして昼間は寝て、夕方お日さまが沈むころにおうちにかえるのです」
「おうちはどこにあるの?」
「蓄光石がとれる岩山の中ですよ」
「すごいのです。いわやまのなか……おうじさまは、よく知っていておられて、とってもおえらいのです」
おえらいのです……あどけなくそう言われて、急に気恥ずかしくなったジョージ王子、しばらく二人でメクラ蜂を見ていた。そよそよと風か吹くと、紗の様な薄翠色の羽がチロチロと動いていた。
何か他愛のない話をしていたと思うのだが、その後の出来事が衝撃過ぎて、よく覚えていない彼。記憶が少しだけ、先に進んだ。
「いっぱい見ました……お花をみたいのです」
そう言うと、飽いたのか立ち上がり、パッと駆け出したキャロライン。長い間しゃがみ込んでいたのが災い、数歩駆けた所でパタリと転んでしまう。
「ひ!姫!大丈夫ですか!」
慌てて彼女に駆け寄るジョージ。
「えへへ、だいじょうぶなのです……あ!あったのです」
王子の手を取り起き上がると、恥ずかしそうに笑いながら言うキャロライン、そして……キョロキョロと落とした菓子を探し見つけると、近くに転がったそれを拾った、そして……
「ごみはついてないのです。ふーふーふー、したら、だいじょうぶです、お菓子もおどくみをする人がいて、だからだいじなのです」
そう言うと、ふーふーふーと息をかけ、菓子を口に運ぼうとした彼女!二人を見守っていた乳母のアイリス夫人が、息を呑む!
「ひ!お、お止めして下さいまし!」
突然の珍行動に唖然としていた王子も、辺りを憚る様な声を聞き、察すると柔らかな手首を握る。
「ち、ちょぉぉとぉ!おまちなさい!そ、それはたしかにそうです。毒味係は命をとして、お役目を果たしてます。大事なのは……でも地面に落ちたのは……、いけません!」
「れも、とってもだいじなのれす……」
驚き、そして青の瞳に、うるうると涙を浮かべるキャロライン。王子は何かないかと周囲を見渡し、涙をとめようとした。
「お菓子は、そのお菓子は……そう、それは小鳥に上げましょう、小鳥も……ほら!お腹が空いているみたいですよ、見てください」
庭に置かれている、小鳥の為の餌台を指差したジョージ。丁度空のそこに数羽の小鳥が、ちゅぴちゅぴと羽を休めに降りてきていた。
☆☆☆☆☆
……、そう……あの日から気になって気になって……あの姫大丈夫なのか?と、まさか自分の城でも、落としたのを食べてるんじゃないかと、心配で心配で……。
「王子様、どうされましたの?」
物思いに耽っていた彼は、愛しい声に現実に戻った。
「なんでもない、少しばかり考え事」
「先程もそうでしたの、それに最近、よく考え事をされていて、どうされましたの?」
王子の返事に、キャロラインは物思う事があり、少しばかり泣きそうな心持ちで問いかける、王子の悩み事の原因が自分だとは、夢にも思わないうぶな彼女。
そんな彼女に、優しく笑顔を向けるジョージ、それにホッとして、花開く様に笑う。ああ……可愛い。彼はキャロラインに、見事な程に骨抜きになっていた。
甘やかな空気が産まれる。気を利かせ、部屋に居あわせていた側仕え達が、静かに部屋を出ていく。
困ったな、とジョージ王子は思う。清らかで、無邪気で柔らかな姿が目の前にいる。
©砂臥環様