理想の母親
訓練後で疲れているだろうと、私とシヴァはガロンとの面会を一時間程で終わらせた。
「女神様の日にまた来る。訓練の様子も見たいから、もう少し早い時間に来よう」
「ガロン、訓練頑張ってね。でも怪我しないようにね。今度来るときは違うお菓子を焼いてくるわ」
「わかった。楽しみにしてるね」
宿舎へ帰って行くガロンを見送った後、私達はベルガーにお茶に招かれた。
ベルガーの部屋は何と言うか非常に彼らしかった。
広い部屋の奥に執務用の机があり、背後の壁には肩当てや篭手といった武具と共に、槍と斧を合わせたような巨大な武器が飾られてある。
部屋の中央にはシンプルな3人掛けのソファーと長テーブルが置かれ、私達はソファに座るよう勧められた。
「ちょっと、相談に乗ってもらいたくてな」
ベルガーは窓際に立って外を眺めため息をついた。
「ドルトに捕われていた子供の中には俺の身内もいた。覚えているか?スフィアというんだが・・・」
「ええ、もちろん。あの中で一番小さかった子でしょう?すごく可愛い子よね」
謁見の間で、真っ先にお礼を言ってきた子だ。忘れるはずがない。
「ずっと気になってたのよ。元気にしているかしら?」
ベルガーは私に向き直るともう一度ため息をついた。
「しっかり食べて運動しているから、体力も筋力もついてきている。だが、精神面が不安定だ。はじめの頃は親がつきっきりで面倒見ていて落ち着いたように見えたんだがな・・・」
「どんな様子なんだ?」
「突然泣き出したり、ふさぎ込んだり、物を投げて暴れる事もある」
「とても辛い経験をしたんだもの。不安定になってもしょうがないわ。むしろあんな環境の中で精神を保っていられた方がすごいわよ」
私はあの劣悪な地下牢を思い出した。
日も射さない暗く悪臭漂う狭い空間の中に閉じ込められた挙げ句、望まぬ仕事を強要されていたのだ。
私だったらとても耐えられそうにない。
幼い子供達にとって、捕らえられた日々はどれだけトラウマになっただろう。
「確かに仕方がないかもしれん。だがこの状況に家族の方が参ってしまってな。見かねて三日前から俺が預かる事にした」
「え?じゃあスフィアちゃん、今ここにいるの?」
「ああ。母親のくせに子供の宥め方も知らんとは、我が妹ながら実に情けない。一緒に泣いてばかりで何の役にも立たん」
これだから女はダメだ、とベルガーが吐き捨てるように言った。
「とは言っても俺自身まだ独り身だからな。そういうわけで子供の育て方を教えてもらいたい。シヴァ、どうやったらガロンのように強く育てる事が出来る?」
私は頭が痛くなった。
「ねぇ、ちょっと待って。まさかスフィアちゃんの前で、今みたいに母親にダメだししてないわよね?」
「何か問題があるか?ダメなところを言ってやらないと本人も改善できんだろう。泣いているのを一喝して、スフィアを連れてきた」
「馬鹿っ!!不安定な子供から母親取り上げてどうするのよ!ますます不安になるじゃない!」
「だがあいつは泣いてるだけでスフィアに何もしてやってないぞ」
「一緒に泣いてやってるじゃない。十分心に寄り添ってやってるじゃない。二年も家族と離ればなれでやっと会えたのに、短期間で引き離すなんて、何を考えてるの!!」
「無理矢理連れてきた訳じゃない。ここに来る事はスフィア自身も同意したんだ」
「あの子が自ら望んだ訳じゃないでしょう?あんなに優しい子よ、母親が責められるのが自分のせいだと思ったに違いないわ」
「それはそうかも知れん・・・ただ、二人ともずっと辛そうなんだ。妹は母親としての自信も失って、俺がスフィアの面倒を見る事を了承した」
(自信を失わせるような事を言ったのはあんたでしょうが・・・)
私はため息をついた。
「母親だからといって子供の事を何でも分かってる訳じゃないわ。もちろん理解したいと思ってるけど。母親のくせにって言うけど、子育てに正解なんてないし、分からない事ばかりなのよ。子供と一緒に成長させてもらうの。完璧な母親なんてどこの世界にも存在しないのよ」
自分が思う理想の母親と、子供の思う理想の母親が同じとは限らない。
完璧な人間なんていない。私なんて欠点だらけだ。
でも、子供にとって一番安心できて愛情を注いでやれる存在でありたいと思う。
母親として百点満点かどうかを採点するのは子供だ。
周りの人間の評価なんて関係ない。
「スフィアちゃんはもちろんだけど、妹さんだって今回の件で心に傷を負っているのよ。
目に見えない心の傷は、時間とか愛情とか、同じように目に見えない物でしか癒せないわ。もっと長い目で見守ってやってよ」
「そうだな。姪の事が可愛くて心配なのは分かるが、答えを急ぎ過ぎだ」
シヴァが静かに言った。
「私だって最初からガロンとうまくいってた訳じゃない。
あの子は引き取った頃から聞き分けは良かったが、今みたいに甘えたりする事はなかった。表情も乏しくて何を考えているか分からないから、最初は戸惑ったよ。何をすれば喜ぶか、安心するかと試行錯誤して、時には失敗しながら、ゆっくり家族になっていったんだ。ミホくらい感情が分かりやすいと苦労しなかったんだが」
「え?私ってそんなに分かりやすい?」
「ああ。私がフードを掴んでなければ、お前は確実にベルガーの胸ぐらを掴んでただろう」
・・・どうりで動きづらいと思った。
「お前の下で訓練を受けさせるのは悪くないと思う。身体を動かしている間は余計な事を考えんですむだろうからな。だがミホの言う通り、時間をかけて親の愛情を実感させたほうがいい。親元から通わせるのはダメなのか?」
シヴァの言葉にベルガーは俯いた。
「スフィアは俺の家から帰る途中に攫われたんだ。一人であの道を歩くのは、まだ難しいだろう」
「だったら親に送り迎えしてもらえば?行き帰りの道で話をするだけでも子供って安心するものよ。それに子供と離れて暮らして、どうやって理解しろって言うの?心配する事しか出来ないわ」
それは精神上、大変よろしくないことを身を以て知ってる。
蓮が今どうしているのか想像して心配して、枕を濡らす夜だってあるのだ。
「今頃、スフィアちゃんを行かせてしまった事に後悔していると思うわ」
カチャリ、と静かな音がしてドアが開いた。
目に涙を浮かべたスフィアが立っていた。部屋の外で話を聞いていたらしい。
「スフィア・・・」
ベルガーが名前を呼ぶと、スフィアは拳が白くなるほどスカートを握りしめた。
「おじさん、私・・・わた、し・・・」
泣くのを必死に堪えているのが分かった。
「スフィアちゃん、我慢せずに泣いてもいいのよ。むしろ思いっきり泣いて、この際言いたい事を全部ぶちまけちゃいなさい。そうじゃないと、この脳筋には伝わらないわ」
私がそう言うと、スフィアは堰を切ったように泣き出した。
「お、お母さんに会いたい。うちに、帰りたい。・・・でも、みんな・・・私を腫れ物みたいに扱うの。何をしても怒られない。・・・もう、前みたいな家族に戻れないの?
・・・皆は?他の子達はどうしてるの?・・・誰も・・・答えてくれないの、忘れなさいって。
だけど、大人達の態度は忘れさせてくれない。か、可哀想な子だって目で見てる・・・それが嫌でたまらない。もう檻から出たのに、私はいつまで苦しまなきゃいけないの?」
しゃっくりをあげながら、スフィアは苦しい胸の内をさらけ出した。
「君次第だ」
シヴァが静かに言った。
「ちょっと!」
「ごまかしてもしょうがない。残念だがその苦しみは一生続く。誰もそれを完全に取り除く事は出来ない。たとえ忘却の魔法を使ったとしても無理だ。そのうち意味もなく不安だけが襲ってくる」
絶望的な顔をしたスフィアに構わず、シヴァは淡々と言葉を続けた。
「悲観する事はない。これから色んな経験を積む事で、今の苦しみを凌駕する喜びに出会う事もあるだろう。誰しも悩みや苦しみを抱えて生きている。表に出すか出さないかの違いだけだ。克服するのは君次第だ」
シヴァの言葉は、私の胸にも響いた。
(そうだ。旦那が亡くなった時はあんなに悲しくて目の前が真っ暗になったのに、いつの間にか笑えるようになった。だからといって悲しみが完全に癒えたわけじゃない)
異世界に召喚され、蓮と離ればなれになった今も、私はまだ生きたいと足掻き続けている。
それはガロンとシヴァという家族を得た喜びがあるからだ。
人生は悲しみと喜びを縒り合わせで出来ている。
「君はまだ子供だ。どれだけ泣いても許される。好きなだけ泣くといい。そのうち泣くのにも飽きてくる。そしたらやりたい事をやればいい」




