蓮
番外編です。
剣の訓練が終わり、井戸の脇で水を浴びて汗を流しているとクスクスと忍び笑いが聞こえた。
訓練場に出入りしている同年代の少年達が5、6人で固まってこちらを見ていた。
「見ろよ、あいつまた水浴びしてるぜ。どこの貴族のお姫様だよ」
(またあいつらか)
蓮は気付かない振りをして身体を拭き、さっさと新しい服に着替えてから汗と埃にまみれた服を洗った。
この世界に勇者として召喚されてから、4ヶ月程すぎた。
身寄りのない蓮の身元引き受け人として、アルヴィンが名乗り出てくれた。
午前中は神殿でこちらの文字や歴史、魔法などを勉強し、午後はアルヴィンが団長を務める聖騎士の訓練場で、剣や護身術を習っている。
神官様の判断により、蓮が勇者であるという事はまだ伏せられていた。
訓練場には同年代の少年達が何人もいて、同じように訓練を受けていたけれど、蓮を好意的に受け入れてはくれなかった。
彼らからすれば、突然現れた身寄りのない異国の少年が、神殿と騎士団長に特別待遇を受けているように見えたのだ。
さらにこの国では毎日入浴する習慣もなかったので、訓練の度に水浴びをして着替える蓮は異質に見えたのだろう。
直接嫌がらせを受けないのは、騎士団長のアルヴィンの目があるおかげだ。
それに蓮は真面目に訓練を受けていて、彼らに害を与えた訳ではない。
しかし事情を知らない彼らには、自分たちと同じ年頃でありながら、どこか達観した様子の蓮が気に食わなかったので、陰口をたたいて憂さを晴らしているのだった。
(なんで身体を清潔に保って悪口言われなきゃならないんだろう?)
蓮にとって、この国の暮らしはカルチャーショックの連続だった。
テレビやスマホはおろか、電気さえ通っていない。
たいていの家では明かりは蝋燭に頼っている。
水は井戸や溜め池から汲んでこないといけない。
首都というのに道や下水も整備されてなかった。
それらが綺麗に整備されているのは大通りや貴族の住む地区だけで、庶民の住む地区はひどいものだった。
裏通りのあちこちに汚物を貯める瓶があって毎日どこかに回収されていたけれど、いつも排泄物の匂いがした。
(こんなに不衛生なのに、なんで皆平気なんだろう?綺麗にしようと思わないのかな?)
至る所に井戸や溜め池があるため、水にお金がかかる訳ではなかった。
ただ入浴の為に大量の水を汲んだり温めたりするのが手間だと考えているようだ。
「目に見えなくても汚れって付いてるの。
ばい菌がいっぱいだから、外から帰ったら手を洗ってうがいをするのよ。
身体を清潔にしてれば風邪を引きにくくなるからね」
お母さんが言っていた言葉を思い出す。
本当にそうだと思う。こんな環境だったら変な病気になってもおかしくない。
周りから変な目で見られているのは分かっていた。
郷に入れば郷に従えということわざも知っている。
だけど悪い事をしている訳ではないので、周りにあわせて習慣をやめるつもりはなかった。
おかげで今のところ体調を崩す事なく過ごしている。
(お父さんが行った国もこんな感じだったのかな?)
仕事で発展途上国に行く事の多かったお父さんは、日本に帰ってくると道が綺麗な事と綺麗な水が飲める事に感激していた。
「日本に生まれて良かったな。世界には貧しい国がたくさんあって、水を汲むのに危険な道を一時間以上歩かないといけないところもある。学校に行けない子供も沢山いるんだ」
自分には関係ないと遠い世界の話だと思っていたから、そんな不便な国の為に働くお父さんはほんとうにすごいなぁと尊敬していた。
まさかこんな形で不便な生活を強いられるとは思っても見なかった。
この世界では電気や水道などライフラインが整備されていない代わりに魔法がある。
人々は様々な種類の魔石を買って魔道具に嵌め込んで魔法を操っていた。
例えば料理をする時には、カセットコンロのような魔道具に赤い魔石を嵌め込んで「火」を出して使う、と言った具合だ。
魔石は大体5〜7年くらい持つらしいが、消耗品だ。
冒険者達が城壁の外から持ち帰ってくる魔石には様々な種類があり、安価な物から驚く程高額の物もあった。
一般の市民が買うのは安価で手に入りやすい火と光の属性を持つ魔石で、こちらは料理や明かりに使われていた。
他の属性の魔石は戦闘利用される為、冒険者や軍関係者、そして貴族が買い占めているらしい。
剣と魔法の世界の冒険は魅力的だけど、やはり生活するのは不便だった。
驚く事にこの国には学校がなかった。
多くの子供は、農作業や家業の手伝いなど労働力の一部と見なされ働かされていた。
なので少年達の多くは稼ぎの良い冒険者や兵士になる事を望み、一定の年齢になると訓練所の門をくぐる。
数多ある訓練所の中でも、聖騎士の訓練所は特別で皆の憧れだった。
国で最高レベルの騎士になるべく多くの志願者が訪れるが、ほとんどが試験で落とされた。
どんな有力者の息子だろうが関係ない。
女神様の試練を受け、聖騎士としての適正を認められなければならないのだ。
苦労の末ようやく入った訓練所に試験も受けずにやってきて、その上訓練は午後のみとか舐めてんのか?というのが蓮を妬む少年達の言い分だ。
蓮はただ大人の指示に従って行動しているので、文句を言われる筋合いもないのだが。
実は蓮が特別扱いをされていたのは、もう一つ訳があった。
この国の言語ではないものの、読み書き・計算ができるからだ。
蓮が神殿でこれからの生活について説明を受けている時、供物として届けられた大量の果実の処理をどうするべきか下男が指示を仰ぎにきた。
神官様は街の東西南北にある4つの孤児院に平等に分け与えるように言ったけれど、下男は正確な数がわからず困っていた様子だったので、蓮は声をかけた。
「あの〜、果実の数とそれぞれの孤児院の人数を教えてくれますか?」
紙とペンを貸してもらい、教えられた数を計算してそれぞれの孤児院に配る数を割り出した。
「えっと、東に84個、西に114個、南に123個、北に63個、これで1人に3個ずつ平等に配れます。16個余った分はそれぞれに4個ずつ配るか、他に譲ってはどうですか」
その場にいた大人達はポカンとした表情で蓮を見ていた。
「その年で、そのような複雑な計算も出来るのか?しかもこんな短時間で」
「え?小学校で習う算数だから、そんなに難しくないけど・・・」
自分のいた世界では、一定の年齢になったら子供はみんな学校に行って様々な事を勉強するのが普通だと言ったら、皆一様に驚いていた。
どうやらこちらの世界では、最低限の読み書きができれば十分だと思われているらしい。
それを聞いた蓮は逆に不安になった。
(文化も習慣も全然違う。ここでは自分で学ばなきゃダメなんだ)
この世界で生きて行くには、たくさんの事を学ばなければならない。
勇者というのは危険な任務だ。知らない事が命取りになる事もあるだろう。
蓮は神官に頭を下げた。
「こちらの世界の文字や歴史を教えて下さい」
立派な勇者になる為にも色んな事を学びたいと言うと、神官は満足げに頷いた。
「素晴らしい。さすがは女神様の選ばれた方だ。喜んで協力しましょう」
毎日勉強と訓練に明け暮れ、一息つけるのは食事の時と寝る時だけだった。
塩気の薄い味気ないスープを一口食べてため息をついた。
(ああ、お母さんの作ったご飯が食べたいなぁ・・・)
お母さんは料理が得意で、お父さんが生きていた頃は手作りのおやつも作ってくれた。
仕事で忙しくなっても、食事に手を抜く事はなかった。
お母さんが恋しい。
誰に笑われてもいいから、もう一度お母さんに甘えたい。
「蓮は育ち盛りなんだから、たくさん食べて大きくなりなさい。
そうじゃないとお母さん、お父さんに顔向けできないわ」
贅沢は言ってられない。食べられるだけましだ。
自分も孤児院で施しを受けることになってたかもしれないのだ。
一日の終わりに、ベッドに転がってバレッタを眺める。
蝋燭の明かりに照らされて、バレッタは柔らかい光を放っていた。
この世界で蓮に残された、たった一つの家族との繫がり。
思い出すのは両親と過ごした幸せな日々だ。
(お母さん、俺、頑張るから。勇者になってきっと仇を討つから)
蓮がこの世界で生き残る事。
それがお母さんの最後の望みだったのなら、多少の事で挫けてはいられない。
大丈夫。頑張れる。
自分には、あんなにも強く優しい両親の血が流れているのだから。




