ティータイム
「約束通りに3日以内にコンテストの概要をまとめて来るとは。正直、ヘキサドマーケットを確保するのは難しいと思ってたんですけどねぇ。コネとは言え凄いです」
ショーンがアンジェリカの提出した申請書を見ながら感心したように呟くと、向かいの席に座るグレースが頷いた。
「そうですね。エドガー様は昔からアンジェリカには甘いんです」
グレースの言葉に、ショーンは首を傾げる。
「グレース様とアンジェリカ様に対する態度が違うという事ですか?」
そう言われたグレースは、何とも言えない表情をした。
「ええ。どうやら私は煙たがられているようです。子供の頃、何度かエドガー様の素行を注意したからでしょう。でもアンジェリカは歳が離れていたからか、妹のように可愛がっていました」
ショーンは少し上を見上げて、エドガーの顔を思い浮かべた。
「エドガー様とは以前一度だけお会いしましたが、何と言うか…、叩けばいくらでも埃が出そうでしたね」
「ええ。エドガー様は裏社会を牛耳っていると噂されてます。でも証拠がないから、噂の域を出ないんですよ」
グレースは大きくため息を吐いた。
「なので出来るだけ彼とは関わりたくないのですが、今回は助かりました。アンジェリカも益々やる気になったようですし。コンテストの概要だけに留まらず、副産物の販売計画まで提出するなんて予想外でした」
グレースはアンジェリカが提出した書類を机の上に広げると、ショーンが興味深そうに覗き込んだ。
「ふむ。コンテストに先駆けてローズオイルとローズウォーターを販売する目的は、市民の香水瓶コンテストへの興味を高める為…成る程、作戦としては悪くないですね。
これらの容器は、全てのガラス工房に平等に注文する予定…。これもいいですね。職人の心証が良ければ、コンテストの参加率も上がるでしょう。うん、中々良く考えられている」
ショーンは感心したように唸った。
「以前のアンジェリカ様は、我が儘だし人の話も聞かないし、どうしようもないと思ってましたが…。いやぁ、驚きました。この短期間で随分と成長されたようだ」
しみじみと呟くショーンに、グレースは微笑んだ。
「アンジェリカはやれば出来る子ですもの。文字を覚えるのも早かったのですよ。興味のある物に対する集中力と吸収力の高さ、それに行動力は、私よりもずっと優れていますわ」
「それなのに、どうしてあんなに残念な感じだったんですかねぇ?」
「あの子の興味が、素敵な殿方と運命的に出会い、物語のような恋をして結婚する事だったからだと思います。自由な恋愛など出来ないとわかっているからこそ、夢を見ていたのでしょう」
「ああ…成る程。しかし、人って変われるんですねぇ。民の識字率をあげるにはどうすればいいか、なんて相談を受けるとは思いませんでした」
へらっと笑ったショーンは、グレースの浮かない表情を見て、慌てて緩んだ口元を引き締めた。
「どうかしましたか?」
「…皮肉だな、と思って。本気で民の事を思いやるのが、王女の肩書きがなくなった後だなんて。もっと早く自覚してくれれば、戦争で人を傷付ける事も、傷つく事も無かったのに」
「変わられたのは、自分の行いを恥じて、本気で反省している証拠でしょう」
「だとしても……。犠牲が多すぎます」
そう悔しそうに憂うグレースを、ショーンは真っ直ぐ見た。
「あの場にいた者として証言します。確かにアンジェリカ様の風のギフトが暴走した結果、多くの兵士が命を落としました。しかしあれは事故です。亡くなった兵士達は気の毒ですが、彼等が平静を保っていれば十分に避けられる速度だった」
「…気を使って頂いてありがとうございます。でもアンジェリカを庇う必要はありません。罪は罪です」
ショーンは首を振った。
「自分はただ事実を述べているだけですよ。あの時、砦を攻めていた兵士達は、魔王軍の策略で虫の大群に襲われて錯乱状態に陥りました。顔にびっしりと羽虫に集られたら、誰だって気味が悪いですから仕方ないですが。それで彼等は竜巻に気付く事が出来なかったんです」
「羽虫が、びっしり…」
その様子を想像して鳥肌が立っただろう、グレースはビクッと身を震わせて自分を抱きしめた。
「自分も後で知った事ですが、当時、砦を守っていた魔王軍の人数はアビラス軍の20分の1。彼等とて必死で形振り構っていられなかったのでしょう。羽虫に襲われたと言っても、猛烈に痒くなるだけで、殺傷能力はなかった。厳しい見方をすれば、戦場で平常心を失った兵士の過失とも言えます」
「過失…ですか」
「もしも、の話になりますが。……あの時、竜巻によって砦が壊れていたら、我らが勝利していたかもしれません。たとえ同じだけ犠牲が出たとしても、突破口を開いたアンジェリカ様は勝利の乙女と讃えられていたでしょう。犠牲になった兵士達は、魔物と果敢に戦ったが惜しくも破れたとして、名誉を守られたと思いますよ」
思ってもみなかったのだろう、グレースの目が大きく開かれる。
「同じ事をしても結果によって評価は変わります。勿論、アンジェリカ様に罪が無いとは申しません。ですが、あれは不幸な事故でした。どうか必要以上に責任を感じないで下さい。その責めを負うべきは、あの場にいながら助ける事が出来なかった自分達にあります」
ショーンに静かに諭されたグレースは、少しの間を置いて頷いた。
「わかりました。ありがとうございます。少しだけ、心が軽くなりました」
「それなら良かったです」
ショーンは微笑んでカップを手に取ったが、既に空だった。
「あ…」
「新しいお茶をお願い」
察したグレースが隅に控えていた侍女に指示すると、すぐに温かい紅茶が準備された。
常にグレースの要望を予測しているのだろう。侍女は新しい紅茶を注いでそっと置くと、机に広がっていた書類をさりげなくまとめて、静かに下がった。
(流石はグレース様の侍女だけあって、有能だな)
ショーンは温かいお茶を有り難く飲みながら、色々な考えを巡らせる。
「自分も以前から識字率をあげたいと思っていました。引退した文官の方達に、教師になって頂きたいと思ってるんですが、安定した給金を支給すれば可能でしょうか?」
「そうですね…。彼等の多くは写本で生計を立てているそうですから、興味を持つでしょう。ですが肝心の生徒が集まるかどうか。字を覚えれば役立ちますが、生活に余裕の無い民は、勉強よりも働く事を優先するのではないですか?」
グレースの最もな意見に、ショーンは紅茶を一口飲んみながら考えて、ニコッと笑った。
「文字の練習代わりに写本をさせればいいんですよ。勿論、ある程度のレベルに達するまで訓練する必要はありますが、文字をただで習えるだけでなく、お小遣い稼ぎにもなるとなれば、子供だけでなく大人も参加すると思いますよ。休みの日に一時だけとか、仕事終わりの短時間とか。まずは首都から実験的にやってみたいですね」
「そんな短い時間で効果はあるでしょうか?」
「学ぶ事に慣れてないから、長時間だと集中力が途切れます。それに教師陣も高齢ですから、無理をさせられません。短時間交代制にしたほうがいい」
ショーンの頭の中では既に教育体制が整えられているらしく、すらすらと対策が語られていく。
チラッとグレースが侍女に視線を寄越せば、彼女は心得たとばかりにショーンの言葉を書き留めはじめた。
「ただで教えるのは、国の財政的に厳しいのでは?」
「写本代から授業料を差し引きましょう。紙やペンもこちらで用意するのですから、文句は言わせません」
「それなら、議会も納得させられますね」
「首都で上手く行けば、徐々に各地に広げましょう。引退した文官達が故郷で活躍して、多くの人が計算も出来るようになれば、もっと素晴らしいですね。写本だけでなく帳簿付けなど職の幅が広がります。戦争遺族だけでなく、多くの子供達にとっても、将来の選択の幅が広がります」
グレースがニコッと微笑んだ。
「文官達と言えば、ショーン様が提案した新しい文書形式のお陰で、作業効率が格段に上がったと喜んでいました。確かに画期的でしたわ。私からもお礼を申し上げます」
「あれはレンの手柄ですよ。文書の仕分けを手伝ってもらってた時、書類を仕分ける魔法って開発できるかなって呟いてたら、紙に線を引いて、
『そんな魔法の開発に時間かけるより、こうやって必要な項目を書いた紙を用意して、それに記入してもらったらいいじゃん』と呆れながら言われました。
目から鱗でしたよ。お陰で会議でも役立ちましたし、何より応用が利く。レンの故郷は教育レベルが高く文明が進んでいるようです。レンの母親のミホさんも聡明な方ですし」
グレースが頷いた。
「お噂は私も伺っています。とても素敵な方のようですね。人間でありながら魔王軍幹部に抜擢されたなんて、本当に凄いですわ。一度お会いしてご挨拶したいのですが、お忙しいかしら?」
「ミホさんは快く応じてくれると思うんですが、シヴァさんの許可が下りないと無理でしょうね。現在ミホさんはご懐妊中の為、それはもう大事にされてるんですよ」
ニコニコと目を細めるショーンを、グレースが不思議そうに見つめた。
「何だか凄く嬉しそうですね」
「はい。レンもようやく新しい家族に馴染んで、今では赤ん坊が産まれる日を楽しみにしています。アビラス王国の都合で運命を歪められた親子が、ようやく幸せになれそうで、本当に良かった」
「……そうでしたね。亡き父に代わってお詫びしたいと、お二人に伝えてもらえますか? お許しいただけるなら、私から伺わせていただきます」
「わかりました。必ず伝えましょう。でも、いつになるかはわかりませんよ?」
「構いません。気長に待ちますわ」
グレースはそう言うと紅茶を傾け、ふっと口元を綻ばせた。
「? どうしました?」
「いえ、アンジェリカだけでなく、ショーン様も随分変わられたと思って。以前は図書館に籠りきりで人との関わりを避けていたのに、今は大勢の前でも堂々と話すし、寝癖もないし」
「人並みになるまで大変でしたよ。聖騎士訓練所に通ってた時は、時々気分が悪くなった事もあります」
情けない顔をするショーンを見て、グレースがフワッと美しく微笑む。
「ふふっ。でも、こうしてお茶を飲みながら、次々に色んなアイデアを出されるところは、全然変わってないですね。
私、いつかお祖父様みたいに、ショーン様とお茶を飲みながらお話したいなぁって憧れてたんですよ。夢が叶って嬉しいです。これからも、宜しくお願いしますね」
信頼と親愛の籠った笑顔を真っ直ぐに向けられ、ショーンの心臓がドクンと跳ねた。
「えっ、あ……、は、はい……」
(何だ? 何で今更、グレース様に緊張するんだ?)
その視線に耐えきれず、ショーンは目をそらして紅茶をお代わりを注ぎ、一気に飲み干した。
「あっつっ!!」
お久しぶりです。更新が遅くてすみません。
現在、利き腕を痛めてまして、キーボードを打つのに時間がかかってます。
そんな訳で、しばらくは無理せず、ゆっくり更新したいと思います。
誤字報告、ありがとうございます。




