アンジェリカ8
約束の時間にシャルル邸を訪ねると、ガラス張りのサンルームに案内された。
エドガーは寛いだ様子で椅子に座っていたが、アンジェリカに気付くと笑顔で立ち上がった。
「やあ、アンジェリカ。久しぶり」
「お久しぶりです、エドガー兄様。本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
礼儀ただしく挨拶するアンジェリカに対し、エドガーは頭の上から爪先までジロジロと無遠慮な視線を寄越した。
「……少し会わない間に、随分と雰囲気が変わったね。何だか知らない人みたいだ」
「以前のようなドレスや髪型では仕事の邪魔ですもの。エドガー兄様はお変わりなかったですか?」
「まさか。ソルーナ共和国になってから、仕事がしづらくて大変だよ。でもアンジェリカはもっと大変だよね。今日は、ゆっくりしていきたまえ」
アンジェリカが席に着くと、メイド達がすぐにお茶の用意を始めた。
テーブルの上には、蜂蜜がたっぷりとかかった季節のフルーツのタルトやキラキラと輝く飴細工の乗ったケーキ等、見た目も美しい菓子が並べられる。
「まあ! 美味しそう」
「アンジェリカにも僕のおすすめを味わって欲しくて用意したんだ。遠慮なく食べなさい」
エドガーはメイド達を下がらせると、飴細工の乗ったケーキを口に含み、美味しそうに目を細めた。
「はい。ごちそうになります」
ワクワクしながらエドガーと同じケーキを一口食べたアンジェリカは、すぐにフォークを置いてお茶を飲むはめになった。
(何これ? 甘過ぎて喉が焼けそう。料理人が変わったのかしら?)
見た目が美味しそうなだけに残念だ。
「あれ? 口に合わなかった? 甘い物は好きだったよね?」
「ええ、今でも好きだけど…。思ったよりも甘すぎて…」
「ああ、そうか。砂糖の量を増やしてもらってるんだった。最近どうも甘い物を食べないと落ち着かなくてさ」
「…確かに疲れた時には、甘い物がほしくなりますわね」
共感したものの、それ以上食べる気にならず、アンジェリカはコンテストの資料を取り出した。
「時間が惜しいので、早速本題に入らせてもらいますね。昨日のお手紙に書きましたように、香水瓶コンテストを3ヶ月後に行う予定です。それでヘキサドマーケットに協力して欲しいのですけれど、場所を提供してもらうのは可能でしょうか?」
「ああ、アンジェリカは香水事業部の責任者になったんだっけ」
エドガーは資料を手にしたものの、あまり興味はなさそうだ。
「ええ。思ったよりも色々とやる事が多くて大変ですが、やりがいはあります。ゆくゆくは国を支える産業の一つにしてみせますわ」
「ふふっ、夢見がちな所は相変わらずだね」
真剣に仕事に向き合っているアンジェリカを、エドガーは鼻で笑う。
「夢なんかじゃありません。私一人ではなく、一緒に頑張ってくれる仲間が一緒ですもの」
「仲間ねぇ…。そう言えば君が温室に住んでるって馬鹿げた噂を聞いたけど?」
「正しくは温室ではなく、隣に併設してる研究所ですわ」
「嘘だろう!? まさか本当だったとは…。君の境遇についてグレースは何も言わないのか?」
「ええ。だって私が決めた事ですもの。仕事をする上で都合が良かっただけで、ずっとこのままという訳ではありませんから、心配は無用です」
そう言うとエドガーは呆れた顔をした。
「君がグレースみたいに仕事に打ち込むなんて……夢にも思わなかったな」
「あら、お姉様みたいと褒めていただいて嬉しいわ」
「褒めてないよ。グレースは、子供の頃から澄まし顔で正論しか言わなくて、全然可愛くないし」
「エドガー兄様はお姉様の事がお嫌いなの?」
「嫌いというか…昔から合わないんだ。水と油みたいに」
エドガーは肩をすくめた。
「グレースが優秀なのは認めるよ。僕が知る中じゃ一番強かな女性だね。父親の仇と肩を並べて公務に励むなんて、普通の神経じゃ出来っこ無い。見た目詐欺だよね。儚げに見えるけど、実際は鉄でできてる」
「それ以上、お姉様の悪口を言うと怒りますよ」
アンジェリカが睨むと、エドガーは笑った。
「その点、君は自分の気持ちに正直でわかりやすくていい。欲しい物を全て手に入れる貪欲さや、それを当然と思う傲慢さを持ち合わせてる。それを許される立場だからね。僕はね、君の我が儘な所も甘え上手な所も好ましく思ってた。恋愛感情ではなく、妹としてだけど」
「……」
そう言われてみると、確かに以前の自分は我が儘で傲慢だった。
特にシヴァに一目惚れしてドルチェに乗り込んだのは、人生で一番の黒歴史だ。
よくあんな恥知らずな真似が出来たな、と自分でも呆れてしまう。
「アンジェリカ、僕らは似た者同士だ。今の状況は辛いだろう? 僕と手を組むなら助けてやれるけど?」
「……どういう意味ですか?」
エドガーが目をスッと細める。
「わかってるだろう? クリフォードはただの反逆者で魔物の傀儡だ。グレースも然り。何が魔物との共存だ。戦争に惨敗して恐れをなしているだけだろう。
神殿の手の平返しにも呆れたよ。魔物も女神様の信徒だから、悪しき存在じゃないって? だったらどうして昔から争いや犯罪が消えないのか説明して欲しいね」
「何て事を…」
アンジェリカは真っ青になって辺りを見渡した。
「僕らの他には誰もいないから安心して。それに口に出さないだけで、みんな同じ事を思ってるよ。クリフォードのせいで、世の中おかしな事になったって」
「そんな事を思うのは、魔物の恐ろしさを知らないからよ。クリフォード元首が決断してくれなかったら、もっと悲惨な状況になってたわ」
エドガーは首を緩く振った。
「確かに魔物による侵略や虐殺は免れた。けれどこれまでの価値観は覆され、じわじわとあいつらの都合のいいように洗脳されてる。このままだと人間は奴らに飼い殺しにされる羽目になるよ。僕はそんな未来、真っ平御免だ」
アンジェリカはゴクリと唾を飲み込んだ。
「シャルル宰相も同じ考えなのですか?」
「父上? フッ、いいや、父上は長い物に巻かれるタイプだ。だからこそ宰相でいられるのさ。
僕は政治家として表舞台に立つつもりは無い。でもね、僕なりに国の事を思ってるし、この現状に甘んじるつもりも無いんだ。時間はかかるかもしれないけど、本来あるべき姿に戻すつもりだよ」
「あるべき姿?」
「どれだけの人間が魔物に殺されたと思う? 共存なんて出来るわけないだろう」
「犠牲者やその家族には本当に申し訳ないと思っています。だからこそ、お姉様達は彼等の生活を支えるべく、毎日必死で模索してるんです」
エドガーは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「戦争遺族からしてみれば、金をやるから我慢しろと言ってるも同然だ。彼等の悲しみや悔しさを無視して、少々の施しを与えて自己満足してるに過ぎない。グレースは君まで巻き込んで色々と動いているようだが、所詮は苦労知らずのお姫様の綺麗事だ」
アンジェリカはムッとして言い返した。
「お姉様は何も考えずに施しを与えてる訳ではありません。賢者様にも相談して、彼等が自力で生きていけるよう対策しています。この香水事業もその一環です。この事業が成功すれば、多くの人の雇用が産まれ、我が国の発展にも貢献出来ます」
「発展ねぇ…」
エドガーはオレンジタルトを食べながら、資料に目を通した。
「ヘキサドマーケットでも香水は取り扱っているけど、全体的に見れば売上高は低い。金持ちだから許される贅沢品だからね。国を豊かにしたいなら、もっと人が生きていく上で必要な物を売らなきゃだめだよ」
悔しいが、エドガーの意見は一理ある。
「そうですね。織物産業や加工食品に、もっと力を入れるべきかも…」
アンジェリカの言葉にエドガーは薄く笑った。
「アビラス王国が他国より発展した理由は何だと思う? 魔石を世界一保有していたからさ。ヘキサドマーケットの主力商品も魔石だ。生活に必要な動力源だから、値上がりしても人々は買い求める。誰しも便利な生活を手放したくないからね」
「それは、そう……ですけど」
アンジェリカはブルッと身を震わせた。
「私は二度と魔物と争いたくないし、誰も傷付けたくないんです。綺麗事と言われても自分に出来る事をするだけですわ。二度と戦争を起こさず、誰もが平和に暮らせるように」
そう言ってエドガーを真っ直ぐに見ると、彼は面白くなさそうに口を曲げた。
「あ〜あ、つまんないな。まるでグレースと会話してるみたいだ」
「エドガー兄様、本当に国の事を考えておられるのなら、魔物と争う事はやめて下さい。これ以上、血が流れるのを見たくありません」
「…そうだね。確かに真っ向勝負だと、勝ち目は無いよね」
何となく含みのある言い方に不安を覚える。
「何をするおつもりですか?」
「そんなに心配しなくても、クーデターなんか起こさないよ。僕じゃあ、魔物どころかクリフォード元首にさえ敵わないからね。
でも僕なりに、戦争遺族に寄り添ってやるつもりだ。彼等に手を差し伸べるのは、別に悪い事じゃないだろう?」
「…ええ」
(階級意識の強いエドガー兄様が、平民を気にかけるなんて。どういう風の吹き回しかしら?)
モヤモヤするけれど、今日はこんな話をしにきた訳じゃない。
「話を戻しましょう。ヘキサドマーケットの一角をコンテスト会場として提供していただくことは可能ですか?」
「…うん。昨日手紙をもらってすぐ、第4周目の女神様の日を空けるよう調整した。マーケットの中央広場を使っていいよ」
「えっ!? 本当ですか!? ありがとうございます!」
てっきり断られるだろうと思っていたので、アンジェリカは驚いた。
「でもこっちも商売だから、場所の使用料は請求させてもらうよ」
「はい。当然です」
使用料は決して安くはなかったけれど、一日貸し切りと考えれば妥当な値段である。
「感謝しますわ、エドガー兄様。絶対に成功させますね」
満面の笑みでお礼を言うアンジェリカを、エドガーは複雑な顔で見つめた。
「うん。頑張って。僕が君の我が儘を聞いてあげるのは、多分これが最後だ」
「やっぱり、迷惑でした?」
「そうだね。場所を押さえたいなら、遅くとも半年前には動いておくべきだ。名誉会長特権で無理矢理ねじ込んだから、失敗したら色んな人から恨まれるよ」
「肝に銘じます」
アンジェリカは使用許可書と場所代の請求書を受け取り、中身を改めた。
文面におかしな所は無いし、しっかりとエドガーのサインもある。
書類を鞄にしまってから、アンジェリカはお茶をゆっくりと飲んだ。
「ごちそうさまでした。エドガー兄様、ご協力ありがとうございます」
「もう帰るの?」
「ええ。報告書を作らなくちゃ。責任者だからやる事がいっぱいで」
「君はもっと人を使う事を覚えた方がいいね」
「お姉様にも同じ事を注意されました」
「ふ〜ん」
「私はまだまだ未熟で叱られてばかりだけど、いつかお姉様を支えられるよう頑張ります」
「…どんなに叱られても、アンジェリカはグレースを選ぶよね。僕の方が優しくしてあげたのに」
その言葉に幼い頃を思い出す。
私が我が儘を言う→お姉様がやんわりと嗜める→エドガー兄様が仕方ないなぁと許す→2人が喧嘩をして、私が大泣きする。
エドガー兄様が私を安心させようと手をつないでくれたけど、それじゃ足りなくて、私は泣きながら、もう片方の手をお姉様に伸ばす。お姉様に手を握ってもらって、ようやく私は泣き止んだ。
「比べられて嫌な思いをした事もあったけど、お姉様の事はずっと好きよ」
私を叱るのも心配してくれるからだって、今ならわかる。
「そうか。君はそっち側なんだね。君と僕が望む未来の形は、違うみたいだ」
エドガーは少し淋しそうにアンジェリカを見つめた。
「アンジェリカ、覚えておくといい。現状に不満を持つ人は多いし、どれだけ頑張っても報われない事もある。現実の辛さに君が打ちのめされない事を願うよ」




