エミリー4
「ああ、とうとう空になっちまった」
夕食後にエールを楽しんでいた父親のジェフが、心底残念そうに呟いた。ジェフはドルチェのエールを知ってからは、他の酒を飲む事がほとんどない。
「ダミアン、悪いが明日の朝、ドルチェに寄ってエールを2樽買ってきてくれないか?」
「わかりました」
「あ、それなら私もいくわ。ラーソンさんにこの間のお礼もしたいし」
ミホとシヴァが去った後も、ラーソンはドルチェに残って熟成用の樽作りをして過ごしている。
一ヶ月前に父に頼まれて酒を買いに行くと、ラーソンは嬉しそうに出迎えてくれて、あれこれと話に花を咲かせ、1人じゃ食べきれないからと畑の野菜や果物を持たせてくれた。
食べ物に困ってはいないだろうが、新鮮なミルクや卵はきっと喜んでくれるだろう、と言うとジェフも頷いた。
「そうか。ラーソンに宜しく言っといてくれ」
「うん」
翌朝、ダミアンと共に近隣の村に品物の配達を終え、ドルチェに向う馬車でエミリーは物思いに耽った。
基本的に朝の配達はダミアンの仕事なので、エミリーが村人達と言葉を交わすのは久しぶりだ。皆、元気ではあったが、やはり国の変化に戸惑っている様子で、話題は最近発表された国名と政策についてだった。
エミリーは膝の上に卵をいれたバスケットを大事に抱えながら呟いた。
「ソルーナ共和国…つまりこれから私達はソルーナ人ってことね。何か変な感じ」
「慣れるまで時間がかかりそうだな」
エミリーの呟きにダミアンが同調して頷く。
まだ10代のエミリー達がそう思うのだから、年配の村人達はもっと違和感を感じているだろう。
ソルーナ共和国となって、日々色んな事が変わってきている。
当初はクリフォード元首を裏切り者呼ばわりしていた声も、兵士が次々に生還してくるにつれて小さくなっていった。
『足先から石化していく恐怖と絶望感は、今でも忘れられない。あの時、俺はもう死んだと思ってた。こうして生きて帰って来れるなんて奇跡だ。全部クリフォード将軍のお陰だ』
『気がついたら寝かされていて、側に魔物がいてビックリしたんだけどさ、温かいスープを目の前に差し出しながら、
‘戦争は終わった。早く怪我を治して家族の元に帰れ’って言われて。よくよく見たら怪我した腕や足に包帯巻かれててさ。もう何が何だか…。だって戦闘の時は本当に恐ろしかったんだぜ!? 腕に噛み付かれた時は喰われるかと思った。なのに戦争が終わったら、すっげぇ親切にしてくれてよぉ。
’助かって良かったな。お前らの将軍に感謝しろよ’ なんて言うんだぜ。参ったよ』
そして彼等は口を揃えて言う。
『魔物は俺達が信じてきたような悪しき存在じゃなかった。だが絶対に敵に回しちゃいけない。絶対にあいつらを怒らすな。少なくとも俺は彼等と戦いたくないし、二度と帰らずの森に行きたくない』
と。
「確かに魔物…亜人種は強い。だが攻撃せずに適切な距離を置けば問題はない。共存は可能だ」
というクリフォード元首の言葉を裏付ける証言をしてくれたのだ。
(まあ、森に入らない限り魔物と遭遇する事はないから大丈夫よね)
そう思っていたエミリーだったが、やがて国が正式に魔物の神殿参拝を許可した、というニュースを聞いて物凄く驚いた。
「まだ魔物に反感や恐れを抱いてる人は沢山いるわ。本当に大丈夫かしら?」
「当然、安全対策はとってるだろう。それに実際に戦った兵士からの証言がある。まともな奴は関わろうとしないさ」
心配するエミリーに、ダミアンが肩をすくめながら言った。
「そういえば、ダミアンは騎士を目指すんじゃなかったの? もしお父さんに言いづらいなら、私も協力するわよ」
「いや、あの時は軍が全滅して国防の危機だって思ったから。今は兵も半分帰ってきたし、もうしばらく様子を見てみる」
「でも最近、仕事が終わって夕食までの間、剣の素振りや弓の練習をしているじゃない」
「ああ。いざという時に備えて、勘を取り戻そうと思ってさ」
「いざという時?」
「変化についていけなくて、そのうち盗賊とかに身を落とす奴も出てくると思うんだ。うちは首都の食を支える農場だ。荒らされるわけにはいかないだろう? 次期領主様」
ダミアンは冗談めかしていったけれど、この間のエミリーの言葉に思う所があったらしい。
優先順位が自分と違っただけで、ダミアンもこの農場と仕事を大事にしてくれている。それが分かって嬉しくなった。
「そうね。頼りにしてるわ、未来の騎士様」
「やめろよ、反省してるって。酪農の仕事は嫌いじゃないって言ったろ?」
「ふうん。まあ、許してやってもいいわ」
「うわっ、偉そう」
「次期領主ですもの。実際に偉いのよ」
目指すのは父と同じか、それ以上に良い領主になる事。
(色々と不安もあるけれど、農場の仕事に変わりはない。むしろもっと良くなるよう、頑張らなきゃ)
そんな事を話している間に、ドルチェに着いた。
「ラーソンさん、起きてるかしら?」
そう言いながら門の横にある紐を引っ張ると、カランカランと心地良い音が響く。しばらくして中から人の気配がして門の横にある勝手口の扉が開いた。
「ラーソンさん、おはようございます。朝早くにすみませ…ん?」
扉を開けてくれたのはラーソンではなく、黒い髪と瞳をした見知らぬ少年だった。エミリーと同じ年頃だろうか、誰かに似ている気がする。
予想外の出来事に驚き、固まってしまったエミリーに、少年は愛想良く笑った。
「おはようございます。ラーソンさんにご用ですか?」
「は、はい。エールを買いたくて」
「すぐに呼んできます」
そう言って踵を返そうとした少年に、ダミアンが話しかけた。
「…レンじゃないか?」
「え?」
少年はダミアンをまじまじと見た後、破顔した。
「ああ、エルマーの友達の! ええっと、ダミアン! 久しぶり!」
「覚えててくれて嬉しいよ。前より背が伸びたんじゃないか?」
ダミアンがそう言って親しげに肩を叩く。
「知り合い?」
「エルマーの友達のレンだ。俺も会うのは二度目だけどな」
「半年位前だったかな? ダミアンがエルマーを訪ねて来た時、俺も丁度その場にいて、一緒にご飯を食べたんです」
「あの時は楽しかったな。あ、こいつは俺の従兄弟のエミリーだ。よろしくな」
レンはエミリーを見て軽く頭を下げた。
「はじめまして。レンです。エミリーさんもエルマーと友達ですか?」
「いいえ、ダミアンからよく自慢されるけど、本人に会った事はないの」
「そういえば、そうだっけ。俺も今じゃ滅多に会えないからなぁ」
ダミアンがそう言った後、不思議そうに首を傾げた。
「レン、お前こんな朝っぱらから、ここで何してるんだ?」
「朝ご飯を食べに来たんだ」
(わざわざ首都から?)
レンの答えに思わずダミアンと顔を見合わせた時。
「おお! 誰かと思えばエミリーとダミアンじゃないか。元気か?」
レンの後ろからラーソンがひょっこりと顔をのぞかせた為、微妙になった空気が一変した。
「あ、ラーソンさん。おはようございます。エールを買いに来たの。あとこれ、この間のお礼」
ラーソンは差し出した籠を受け取ると、嬉しそうに笑った。
「おお、有り難い。今から門を開ける。中に入ってくれ」
「あ、気が利かなくてごめん」
レンがエミリーとラーソンの両方に謝った。
(レンってちょっと変わった所はあるけど、素直で好感が持てるわ)
中に入って馬車から降りると、食堂からひょろっとした男が出てきた。
「レン、そろそろ…おや、おはようございます」
「「おはようございます」」
男はエミリー達に気付くと、礼儀ただしく挨拶をしてくれた。30歳位だろうか。纏う空気がとても穏やかで落ち着いている。
エミリー達も慌てて挨拶を返した。
「先生、こちらエルマーの友達のダミアンと、従兄弟のエミリーさん」
「ほう、エルマー君の。世間は狭いね」
(この人もエルマーの知り合いなのね)
共通の知り合いがいる事で親近感が湧いたのだろう。3人が和気あいあいと話し始め、エミリーがほんの少しだけ寂しい思いをしていると、ラーソンが食堂に向かって大声を上げた。
「おーい! 客が来たぞー!」
(え? まだ他に誰かいるの?)
そう思って食堂を見ると、シヴァが外に出てきた。
「シヴァさん!?」
「誰かと思えばエミリーじゃないか。久しぶりだな」
「え? エミリーが来てるの?」
シヴァに続いてミホが顔を出したので、エミリーの胸いっぱいに驚きと嬉しさが広がっていく。
「お帰りなさい! ミホさん、会いたかった!」
エミリーは満面の笑みで2人に駆け寄り、ミホに抱きついた。




