エミリー3
「エミリー! ダミアン!」
エミリー達が家に帰り着くと、丁度外に出ていた父親のジェフが驚きながら出迎えてくれた。
「お父さん、ただいま」
「お帰り。日が落ちる頃に戻ってくると思ったのに、随分早いじゃないか。何かあったのか?」
「ええ、実は…」
敗戦とクーデターによりアビラス王国が滅んだ事を伝えると、ジェフは「何て事だ…」と呆然と呟いた。
「この間、空に異変が起こったのは、王国滅亡の前触れだったのかもな。夜の時代の厳しさは子供の頃に爺様から散々聞かされたが…、まさか国が滅びるとは」
ジェフは心配そうに首都の方角を見ながら言った。
「首都の様子は?」
「ショックと不安で混乱してる。アビラス軍が魔物に全滅させられたと聞いて、人目をはばからずに泣き叫んでる女性もいたわ」
恋人か伴侶を亡くしたのだろうか、往来に力なく座り込み、
「全滅なんて…嘘よ、生きて戻るって約束したもの。…ねえ誰か、嘘って言ってよぉ!」
と、半狂乱になりながら泣き叫ぶ女性の、痛ましい声と姿が忘れられない。
「ふむ、しばらくは混乱が続くだろうが、クリフォードの事だ、全く考えなしで動いてる訳でもあるまい。今頃、各地の領主宛に、事の顛末と今後について親書を書いてる頃だろう。それまで待つ事にしよう。2人ともしばらくは首都には行くな。自棄になった市民が暴動を起こすかもしれんからな」
予想通り、翌日の午前中に親書が届けられ、ジェフは1人で執務室に籠った。
(何が書かれてるのかしら?)
いつものように乳搾りをしながら、エミリーは親書の内容が気になった。ダミアンや他の従業員達も同じ気持ちなのか、ソワソワと落ち着かない。
やがて昼時になって食堂に全員が集まると、ジェフもやってきた。物凄く複雑な顔をしている。
「お父さん、親書にはなんて書かれてたの?」
皆を代表してエミリーが問うと、ジェフは「ああ、これから話す」と言いながら席に着いた。
「色々と予想外だった。ちょっとまだ気持ちの整理はついてないが、全体的には悪い内容じゃない。ただ俄には信じ難い話でな」
何から話せばいいか、と考えているジェフに、ダミアンが質問した。
「アビラス軍が全滅したって本当ですか?」
「ああ。残念ながらアビラス軍は全滅した。戦闘力の差は歴然で、全く歯が立たなかったそうだ。…目の前で兵士が次々に石化され、成す術もなかったという」
しーんとその場が静まり返り、誰かがゴクリと唾を飲み込んだ音がやけに大きく聞こえた。
「クリフォード将軍は、敵の手に落ちるくらいならと自らの首に刃を突き立てたそうだ」
その言葉に全員が息を飲む。エミリーもその場面を想像して、両手で口元を押さえた。
「だが魔物の慈悲によって生かされた。驚くべき事に魔物はこれ以上の争いを望まず、平和的な終戦条件を提示されたそうだ」
え? どうして? と皆が戸惑い顔を見合わせる。残酷で血に飢えた魔物が、争いを望んでいないなど、ありえるだろうか?
「信じられないかもしれないが、魔物は我々と同じく女神様を信仰しているそうだ。神殿もこの事を認めた。近いうちに、魔物が悪しき存在であるという古くからの教えが間違いだったと、全世界に向けてお触れが出されるそうだ」
「「「「「「ええっ!?」」」」」
「まさか!?」
「嘘だろう!?」
全員がショックを受けて大声を上げた。
「静かに! まだ続きがある。幸い魔物は我々人間を支配するつもりはないらしい。
普通、敗戦国は莫大な賠償金を支払ったり領地をとられたりするが、魔物からはそのような要求は一切なかった。終戦条件に提示されたのは、国王の首と兵の完全撤退。そして戦死者遺族への生活支援を法で定める事。魔物に対する非人道的な犯罪を行わない事、だそうだ」
ジェフはここまで一気に話すと、ふーっとため息をついた。
「国王の助命を願ったが、流石に許されなかったらしい。まあ当然だな。
魔物は両種族の平和を願っており、条件付きで特定の魔物を狩る事も許可したらしい」
信じられない、と誰かが呟く。エミリーもその気持ちがわかる。だってあまりにも好条件過ぎるのだ。何か裏があるのでは? と勘ぐりたくなる。
「最終的に将軍は魔物を信じて、民の為に主君を討つ事を決意した。それで魔物の信用を得て、石化して仮死状態だった一万の兵士を返してもらえる事になったとの事だ」
うおぉぉぉぉっと従業員達が雄叫びをあげた。ダミアンも拳を上げて喜んでいる。
「国は共和国となる。国づくりの基盤ができるまでは、クリフォードが元首を務めるが、その後は議会による投票で国のトップを決めることになるそうだ。色々と思うところはあるだろうが、民の平和の為に協力して欲しいと書かれてあった」
(色んな事が変わっていくのね。アンジェリカ王女様は、今頃どうしてるのかしら?)
父親の言葉を聞きながら、エミリーは同じ歳の王女の顔を思い浮かべた。
「協力って具体的には何をすればいいですかね?」
「これまで通り、真面目に仕事していれば十分だ。ただ、クリフォードは魔物との共存を目指している」
魔物との共存? そんな事が可能なんだろうか?
その場にいる全員が、戸惑ったように顔を見合わせた。
「魔物は亜人種と魔獣の2種類に分けられる。冒険者が狩っている大部分は魔獣だな。クリフォードによれば、亜人種は恐ろしい見た目に反して理知的で、統率の取れた社会を構築しているらしい」
「確かに終戦条件を聞いたら、思ってたような残虐非道な性質では無さそうだけど…。だからといって危険が全くない訳じゃないでしょう?」
エミリーの言葉にジェフは重々しく頷いた。
「ああ。クリフォードはこうも言ってる。二度と魔物と争ってはならない。彼等を本気で怒らせるとどうなるか、アビラス王国は見せしめになったのだ。これまで我々が平和に暮らせていたのは、単に見逃してもらっていただけで、その気になれば首都など一日で制圧されるだろう、とな」
ゾクッと背中に寒気が走り、エミリーは周りを見渡した。ダミアンも他の従業員達も、真っ青になっている。
「冗談だろう? そんな危険な存在と、どうやって共存出来るってんだ!?」
怯えたように誰かが呟いた。
「心配せずとも、帰らずの森に近づかなければ魔物と遭遇する事はないだろう」
「でもこの間、南エリアに魔物が出て大騒ぎになったって」
「その魔物は誰かを傷付けたり殺したりしたのか?」
「…わからない。聞いた話だもの」
エミリーが正直に言うと、ジェフは頷いた。
「すぐに魔物を信じられない気持ちは分る。俺だってそうだ。だが、クリフォードは信頼出来る男だ。クーデターを起こしたのも、戦争を終わらせる為だ。おかげでこれ以上犠牲が出なくてすんだ。俺は領主として、クリフォードを支持する。平和が一番だ」
1つの国が終わり、新たな国として生まれ変わる。
自分達は今、大きなうねりの中にいるのだ、とエミリーは感じた。
(きっと色々な事が変化する。私はそれから逃げずに、向き合わなきゃいけない。お父さんのように柔軟な考えを持たなくちゃ)




