エミリー2
ミホとシヴァが戦争を避けるために国へ帰った後、エミリーは忙しく過ごす事で淋しい気持ちを紛らわせていた。
いつもと同じように朝早くから家畜の世話をし、バターやチーズ作りを手伝う日々。体を動かしている間は、余計な事を考えなくていい。
最近は父親と一緒に広大な畑の様子を見に行って領民の指導を行ったり、帳簿をつけたりと後継者としてやる事も増えた。
エミリーはどんなに忙しくても週に一度は首都に赴き、自分の店の様子を見に行くようにしている。
ミホに協力してもらったレアチーズケーキのおかげで客足が伸び、予想以上に店が繁盛しているからだ。
ドルチェの屋台がでなくなった影響もあったのだろう。エミリーの店は今では人気菓子店の1つとして首都で名を馳せている。
しかしどれだけ人気があろうとも、同じ味ばかりではその内に飽きられてしまう。
(ミホさんがいくつかレシピを残してくれたけど、私も新商品を開発しなきゃ)
その為に店舗スタッフや客から話を聞いたり、参考の為に他のお店を回ったり。
戦争が始まってからも、エミリーの生活に大きな変化はなかった。
だが首都の様子はどんどん変わっていった。物価が上昇して人々の表情はどこか不満げだし、巡礼者や商人には見えない異国人が多数うろついていたりと、何となく落ち着かない雰囲気だ。
(何だか以前と比べて治安が悪くなってるみたい。用心の為にダミアンも一緒に来てもらおうかしら。でもお父さんはいい顔しないだろうな)
空が七色の美しい光で染まっていくのを見たのは、それから数日後の事である。
「おい! 見ろ!」
「何だ!? これは!」
従業員達が何やら騒ぎ始めたので、乳搾りの手を止めて何事かと外に出たら、空に七色の光が広がっていくところだった。みんなポカンと口を開けて、空を見上げている。
「凄い…綺麗」
エミリーもその神秘的で美しい光景に見蕩れて、しばしその場に立ち尽くした。
「こんな現象は初めてだ。何かの予兆かも知れない」
いつもは楽観的な父親が難しい顔をしている。
「エミリー、店に行くのは明後日だったか?」
「ええ」
「用心の為にダミアンも連れて行け」
エミリーは驚いた。父は甥のダミアンを可愛がってはいるものの、エミリーの婿にするつもりはないようで、これまで2人きりにならないよう手を回しているのを知っていたからだ。
「いいの?」
「あいつは騎士見習いだったから多少は腕が立つだろう。護衛代わりに連れて行け。一日くらい仕事は何とかなるから気にするな。お前の方が心配だ」
ダミアンに同行をお願いすると、久しぶりに仕事を休める事と王都に行ける事を素直に喜ばれた。酪農は病気でもない限り仕事を休めないから、気持ちは分る。
「ついでに実家に顔出してもいいか?」
「もちろんよ。お土産にレアチーズケーキを持っていきましょう」
翌日、商品を仕入れにきた馴染みの業者から、王都の南エリアに大きな魔物が突然現れてパニックになったという話を聞いた。
「ええっ! どこから魔物が侵入したの?」
「それが分らないんだ。七色に染まった空を見上げていた時、突然何処からともなく現れてさ。一目散に逃げたんだよ」
「あなたもその魔物を見たの?」
「遠目からチラッとだけ。魔物を初めて見たけどさ、緑色の大きなトカゲみたいな恐ろしい姿だった。帰らずの森にはあんなのが沢山いると思うとゾッとするね」
「無事に逃げられて良かったわね」
「ああ。幸い被害者は1人もいないらしい。聖騎士がすぐに駆け付けてくれたしな」
その言葉に反応したのはダミアンだ。
「ちょっと待ってくれ。聖騎士は戦争に行ってるはずだろう?」
「何でも少し前に戻ってたって話だ。もしかしたらあの魔物を追ってきたのかもしれない」
「ああ、なるほど。戦争が始まって1ヶ月以上経つが、戦況はどうなってるんだろう?」
「さあ? それは俺も知らないなぁ」
「一日も早く戦争が終わるといいわね」
「全くだ」
業者の男を見送った後、王都に行くのが昨日でなくて良かったね、とダミアンと顔を見合わせたのだが。
翌日、予定通りに王都を訪れた2人は、アビラス王国が魔物との戦争に敗れて滅びた事を知った。
「アビラス軍がほぼ全滅!? …嘘だろう?」
以前、騎士を目指していたダミアンはショックが大きかったのだろう、片手で口を覆って言葉を失っている。
「クリフォードおじ様がご無事で良かった。でもまさかクーデターを起こすなんて」
いつも穏やかに微笑んでいるクリフォード将軍の顔を思い浮かべ、エミリーは複雑な心境になった。
他国から王国の守護神として恐れられる将軍が、自国の王を討つ日が来るなんて誰が想像しただろうか?
突然もたらされた「アビラス王国滅亡」のニュースに、街は混乱を極めている。
久しぶりに首都で街歩き出来る、と喜んでいたダミアンには悪いが、とてもそんな状況ではない。
「ダミアン、今日はもう帰ろう。お父さんにもこの事を報告しないと」
「…そうだな」
いつもは陽気なダミアンも流石に不安だったのだろう、沈痛な面持ちで馬車の手綱を握り、一言も喋らない。優しくて繊細な従兄弟を元気づけようと、エミリーは明るい声を出した。
「元気出して、ダミアン。国は滅びちゃったけど、私達はこうして生きてる。家族も領民も無事だし、家や土地も奪われてない。これってすごくラッキーな事だと思わない? きっと女神様がご加護を与えて下さったのよ」
ダミアンはチラッとエミリーを見たけれど、すぐに前を見た。
「俺、前に騎士見習いをしてただろう? あの時の同期が何人も戦争に行ってるはずだ」
「え…?」
「聖騎士は一足先に戻ってきたらしいって話だから、友人のエルマーは無事だと思う。でも他の奴らは…。そりゃ、戦争だから無傷じゃすまないだろうし、戦死する覚悟もあっただろうけど…。全滅って…何だよ、それ。あいつら…まだ18歳だぞ」
最後の声は涙で震えていた。
「ごめん。デリカシーに欠けてたわ」
自分達の事しか考えてない発言をしてしまった事を反省して素直に謝ると、ダミアンは乱暴に目元を拭った。
「うん。エミリーが俺を元気づけようとしてくれたのは分ってる。まだ知り合いが死んだって決まった訳じゃないのに、俺も感情的になりすぎた。…でも全滅ってことは、2万人近くの戦士が亡くなったんだ。その家族達の気持ちを考えたら、悲しさとか悔しさとか…。上手く言えないけど…色んな感情が込み上げてきて」
「…そうだね」
戦争が終わったからといって、平和になるわけじゃない。むしろ犠牲になった兵士達の家族は、これからの生活の方が大変だろう。
「この国はこれからどうなるんだろうな?」
「おじ様を信じましょう」
クリフォード将軍はエミリーが尊敬する大人の1人だ。幼い頃から家族ぐるみで付き合っているから、人柄もよく知っている。
小さい頃、おじ様の膝の上に乗せてもらって武勇伝を聞かせてもらった時の事。
『おじ様は強くて凄いのね。でもどうして男の人は戦うのが好きなの?』
『さあ? どうしてだろう? 少なくとも私は戦うのは好きじゃない。本当は臆病なんだ。昔も今も戦場に行くのは怖いよ』
『じゃあ、どうしておじ様は戦うの?』
『悪い奴らから家族や領民の命と財産を守る為だよ。大切な人が傷付けられたり、失われるのは、戦うよりもずっと怖い事だからね』
おじ様はいつだって、民を守る為に戦ってきた。きっと今もそうに違いない。
しばらく黙って馬車を操っていたダミアンが、ポツリと呟いた。
「俺、王都に戻ってもう一度騎士を目指そうかな」
「え? どうして?」
「2万もの兵士を失って、国の守りが薄くなった。例え魔物から支配されなくても、他国が攻めてくるかもしれない」
思ってもみない事を言われて、エミリーは驚いた。
「俺、以前友達と狩りに行った時に魔物と遭遇して、泣く程怖い目にあったんだ。その時、俺みたいな臆病者は騎士に向かないって思って、本家の家業の手伝いをする事にしたんだ」
「そうだったの」
「元々動物は好きだし、酪農の仕事はきついけど嫌いじゃないよ。でも俺も国に貢献したいんだ。こんな大変な時期に、家畜の世話なんかしてる場合じゃないっていうか…」
(…は?)
国に貢献したいという考えは尊いけれど、最後の言葉はいただけない。
「何言ってるの? 戦うばかりが人を守る方法じゃないわ。我がコックス家は首都の食を支えているのよ。生きる源を供給してるの。家畜の世話も畑仕事も、十分人々の役に立ってる。誰に笑われても私は己の家業に誇りを持っているわ。家業を軽んじる発言は二度としないで」
きっぱりとそう言うと、ダミアンは目を瞬かせた後、クスクスと笑いはじめた。
「何がおかしいのよ」
「悪い。さすがは本家のお嬢様だなって思って」
「もしかして馬鹿にしてる?」
「違うよ。しっかりして頼もしいって思った。なんかミホさんみたいだった」
「本当!? 嬉しい!」
憧れの女性に似てると言われ、エミリーは機嫌が良くなった。そんなエミリーを見て、ダミアンも普段の調子を取り戻したようだ。
「ミホさん達、元気かな。またドルチェのお菓子が食べられるなら、張り切ってバターを作るんだけど」
「そうね。きっとまた会えるわよ。戦争が終わったら帰ってくるって約束したもの」
それから後は普段通りの会話を続ける事が出来たけど、ダミアンの何気ない言葉は小さな棘となってエミリーの心に刺さったままで。
(悔しいけど、お父さんがダミアンを婿にするつもりがない理由が分ったわ)
エミリーにとってダミアンは、従兄弟であると同時に一番親しい異性である。ダミアンはいつも優しく、2つ年下のエミリーの事を妹のように可愛がってくれて、側にいて居心地が良かったのだけれど。
(仕事は真面目に頑張ってくれてるけど、未だに手伝いっていう感覚みたいだし、私の伴侶には向いてないわね)
エミリーはコックス家の後継者として、家と領民を守る責任がある。
(まあ元々ダミアンは私に恋愛感情がなかったし、さっきの発言も悪気がないのは分ってる。そりゃあ、華々しい騎士の活躍に比べたら、家畜の世話は地味で格好悪いわよね)
騎士になって国を、民を守りたいという気持ちは尊い。彼の言い分も一理ある。
だけど。
領民と共に汗と泥にまみれながら働く父の姿は、全く貴族らしくないけれど最高に格好良いとエミリーは思っている。
領主自ら率先して働き、共に苦労して同じ目線で話をするからこそ、領民もよく働き、結果コックス領は豊かなのだ。
家畜の世話なんか、なんて言って欲しくなかった。好意を持ってる相手の言葉だからこそ、尚更悲しい。
エミリーは自分の手を見た。毎日ケアをしているけれど、どうしても日焼けするし荒れてしまう。お店の販売スタッフの方が、よっぽど白くて綺麗な手をしており、正直ちょっと羨ましい。でもこの手は頑張っている証拠だ。
伴侶には一緒に仕事をして欲しいし、それが無理ならせめて尊重する気持ちを持ってほしい。
(いつか、この荒れた手を躊躇わずに取ってくれる人と巡り会えるといいな)
こうしてエミリーの淡い初恋は終わった。




