ステップファーザー4
コミックス3巻が発売されました。
「さっきも言ったが我慢は良くない…ミホにも君の気持ちを正直に伝えて、徹底的に話し合った方がいいと思うんだが」
シヴァがそう提案してくれたけれど、俺は首を横に振った。
「再会した時に、言いたい事は全部言ったよ。俺に相談なく再婚した事を謝られた。でもその時に初めて妊娠した事を知ってさ、お母さん、嬉しそうに腹撫でながら俺の文句聞いてた」
シヴァは片手でこめかみを押さえた。
「レンが怒って呆れるのも当然だな」
「だよね? 悪気がないのは分ってるけどさぁ、ちょっと無神経だよ」
「すまない。恐らく君に再会出来た喜びで浮かれてたんだろう」
「うん。親子喧嘩出来るのも、子供が出来た事も嬉しいって言ってた。諦めずに生きて良かったって泣き笑いされたら、こっちもそれ以上怒れなくてさ」
どんなに文句を言っても、お母さんはニコニコと幸せそうで。
俺に会えて嬉しいって、そんな喜びいっぱいの幸せオーラを正面から浴びせられたら、到底敵わない。
意識を失っていたお母さんは「蓮に会うまで死ねな〜い!」と叫んで目を覚ました。
あの時、色んな感情で頭の中はぐちゃぐちゃだったけど、お母さんが俺の事を思ってくれているのは十分伝わってきた。
俺だって、どんな形であれ、お母さんが生きてくれた事は凄く嬉しかった。
その気持ちに嘘はない。
「それにあの時、お腹の子のお陰でお母さんの命が助かったんだし」
お腹の子がいなければ、俺の所為でお母さんは死んでいた。
まだ見ぬ弟か妹は、同時に俺の事も救ってくれたんだ。
「だが…今はその子の為にミホの命が脅かされている」
シヴァがポツリと呟いた。
「出来れば二人とも助けたいが、それが不可能な場合、私はミホの命を優先したいと思う」
「え…?」
その言葉に、俺は愕然とした。
「お母さんはシヴァさんの為に子供を産むつもりだよ」
「私の将来を案じて、家族を残してくれようとしている事はわかってる。しかしミホの命を削るくらいなら、私は未来で孤独に生きる事を選ぶ」
シヴァは沈痛な面持ちでそう言った。
「何で!? シヴァさん、子供が出来たって分かった時、滅茶苦茶喜んでたじゃん」
お母さんを刺した罪悪感。
信じていた大人達から騙されていた事へのショック。
そんな俺に止めを刺したのは、シヴァの「子供が出来た」発言だ。
あの時のシヴァは浮かれていて、お母さんに負けず劣らず無神経だった。
多分、俺に対する配慮とか、全部吹き飛んじゃうくらい嬉しかったんだろうけど。
事情を知らなかった俺が、お母さんに裏切られたと思っても仕方ないと思う。
「あんなに喜んでたのに、どうして諦めるんだよ!?」
興奮する俺を宥めるように、シヴァは静かに話し始めた。
「エルフは寿命が長い反面、子供が出来にくい。私は自分の血を分けた子供が出来ると期待はしてなかった」
「だったら尚更…」
食い下がろうとする俺を、シヴァは視線だけで制した。
「この二年間は、君にとって短かったか? それとも長かったか?」
いきなり別の質問されて、ちょっと面食らってしまう。
「…どちらかと言うと、短かったかな。勉強とか修行とか、毎日やる事が多くて目まぐるしかった」
「ミホにとっては長かった。いつも君の無事を願い、一日も早く再会出来る日を待ちわびていた」
「…そう」
「親子は互いに心の支えになっていると、私は思う。共に食事をして、お互いに色んな話をして…。
言葉にすれば普通の事だが、その日々の積み重ねがお互いの絆になり、その記憶が心の拠り所になるんだ」
そう言われて、俺のたわいない話をニコニコ笑いながら聞いてくれた両親の姿を思い出す。
何でもない日々。もう二度と戻らない、泣きたくなるような幸せな時間。
「…そうかもね」
「だが親子が一緒に過ごせる期間はそう長くない。子供はすぐに大人になり、いずれ親元を離れる。その限られた期間の貴重な二年を、君達親子は奪われた。取り戻せるのは、今だけだ」
そう言われてハッと顔を上げると、シヴァは真剣な顔をして俺を見ていた。
「どうして…? 俺の為に自分の子供を諦めるっていうの?」
シヴァは緩く頭を振った。
「君だけの為じゃない。ガロンの為でもある。血は繋がらなくても、あの子は私の息子だ」
シヴァは柔らかい表情で続けた。
「狩りの仕方や、薬草と毒草の見分け方、戦い方や身を守る方法など、ガロンに生きる方法を教えながら育ててきたけれど、初めは親というよりは、師に近かっただろう。
一緒に暮らしているうちにガロンを可愛く思うようになったけれど、それを直接伝える事はしなかった。
ミホと一緒にいると、ガロンが嬉しそうに笑うんだ。
それを見て、やはり子供にとって母親は必要なんだと思ったよ。
抱きしめられたり、笑いかけられたり、そういった愛情を注がれる事で、子供は安心するんだな。
ガロンがあんなにも表情豊かになったのは、ミホのお陰だ」
(この人は本当にガロンの事を大事にしてるんだな)
きっとガロンも同じくらいシヴァの事を大事に思ってるだろう。
「私は二百年以上生きて色んな経験もしているし、孤独にも慣れている。
私の将来よりも、子供達の今の心境の方が心配だ。
レン、君は幼くして父親と死別した。ガロンは実の両親と生き別れた。
そんな二人の子供から、母親を取りあげる真似はしたくない。
きっとミホだって、まだまだ愛情を注ぎ足りないと思っているぞ」
鼻の奥がツンと痛くなって、涙が出そうになる。
(お母さんがこの人の子供を産みたいって気持ちが、少しわかった気がする)
シヴァの優しくて深い愛情に報いたいと、そう思ったんだろう。
俺の存在がお母さんの生きる支えになったように、産まれてくる子供がシヴァの支えになればいいと。
未来でもシヴァが幸せであるようにと、祈りにも似た気持ちで。
自分よりも誰かの幸せを願う事は「愛」だと思う。
シヴァはガロンだけじゃなく、お母さんと俺の幸せも願ってくれている。
そしてお母さんは、そんなシヴァの幸せを願って…。
「ガロンにも話をしなければ。…子供が産まれるのを楽しみにしていたから、ガッカリするだろうが、ミホの命がかかっていると分かれば納得してくれるだろう。
いざという時は、三人掛かりでミホを説得しよう。レン、協力してくれるな?」
きっと三人掛かりで説得しても、お母さんは納得しないし、ぜったい喧嘩になると思う。
そして全員が悲しい思いをする事になるんだ。
お互いに相手を思いやる純粋な気持ちでいるのに、そんな風になるのは残念過ぎる。
「あのさ、お腹の子は俺の弟か妹でもあるんだよ? 俺だって無事に産まれてきて欲しいと思ってる」
そう言うと、シヴァは驚いたように目を見開いて俺を見た。
「仮にガロンもシヴァさんと同じ考えだとしても、多分、お母さんの説得するのは無理だよ。三対一になったって、絶対に引かずに喧嘩になって気まずくなるよ。
それに子供を諦める事になったら、お母さんは絶対に悲しむ。その後の生活に暗い影を落す事になるよ。
だったら、赤ちゃんが無事に産まれて欲しいって言う全員の願いを叶えようよ」
「しかし、ミホの寿命が…」
「前例がないって事は、死んだ人もいないってことだよね? そもそもの寿命だって誰にも分らない。お父さんだって、凄く元気だったんだから」
お父さんが突然この世から去るなんて、二度と会えなくなるなんて、あの頃は夢にも思わなかった。
当たり前の日常が突然崩れ去る悲しさを、俺は知っている。
それなのに、いつしか家族が欠けた日常に慣れてしまって、大切な事を忘れていた。
「母子共に無事でいられるよう、皆で協力しようよ。お母さんの体を労りたいなら頭から反対するよりも、子供の為に無茶をするなって言う方が、きっと素直に聞いてくれるよ」
「…君は、本当にそれでいいのか?」
シヴァは俺の意見に戸惑っているようだ。
「うん。シヴァさんの言う通り、一緒にいられる時間って限られてるもんね。
俺、ちゃんと逃げずにお母さんに向き合うよ。言いたい事も言うし、親孝行だってする。
シヴァさんにも遠慮なんかしない。お父さんとは呼べないけど、お母さんの再婚相手がシヴァさんで良かったって思ってる。すっごく複雑な家庭環境で、戸惑ってるのは事実だけどさ」
そう言ってニッと笑うと、シヴァも口の端をあげた。
「そうだな。ミホを娶った時、魔王様にも面白がられた」
魔王様か。
色々な事がありすぎて、あれから会っていない。
俺が落ち着くまで待ってくれるって言ったけど、一度話をした方がいいかな。
大体、この世界の管理者って言われても、全然実感がわかないし、何したらいいか分らない。
「世界平和の為に人類を滅ぼそう」という誘いは断るつもりだけど、どう説得したもんか。
(お母さん一人説得出来ない俺に、魔王様を説得出来るのかなぁ?)
そんな事を思っていると、シヴァがポツリと言った。
「君は本当に優しい子だ。何か私がしてやれる事はないか?」
「え? 別にいいよ、そんなの」
「そう言わずに何かさせて欲しい。さもなければ、抱きしめて頭を撫でるぞ」
どうだ、気持ち悪いだろう? と真顔で言われて、思わず吹き出してしまった。
「あはは。シヴァさんがそんな冗談言うとは思わなかった」
「私は本気だ。君がもう少し幼ければ実行しただろう」
「…え? 何で?」
(突然どうしたんだろう?)
「君があまりにも健気だから、甘やかしたい気持ちになったんだ。何か願いはないか?」
(ガロンが小さい時、そんな風に褒めてたのかな?)
二人の姿を想像したら、小さい時にお父さんに撫でてもらった記憶が蘇ってきた。
大きくて温かくて優しい手を思い出して、俺は首を振った。
「俺の願いは誰にも叶えられないよ。女神様だって、死んだ人を生き返らす事は出来ない」
「…父親に会いたいのか」
「無理なのは分ってる。せめて写真があれば良かったんだけど」
「シャシンとは何だ?」
聞いた事のない言葉に、シヴァは首を傾げた。
「えっと、本物そっくりの絵だよ。俺の記憶を絵にする事が出来ればいいのに。そんな魔法ある?」
俺の無茶な願いに、シヴァは真剣に考え込んだ。
「そんな魔法はないが、夢を見せる事は出来ると思う」
「本当!?」
全然期待してなかったのに、思いがけない答えが返ってきて、俺は身を乗り出した。
お父さんが死んでから、夢でいいから会いたいと思っていた。
でも俺もお母さんも、ただの一度もお父さんの夢を見る事が出来なかった。
「時間や内容を操る事は出来ない。私が出来るのは、君の記憶の中の人物を夢に導く事だけだ。あと記憶を引き出される時は、かなりの不快感を伴うぞ」
「それでもいい。シヴァさん、俺にお父さんの夢を見せて」
「…わかった。同意の上なら不快さも半減されるが、覚悟はしておいてくれ」
「うん」
「夢の内容が気に入らなくても、やり直しは出来ない。一度だけだ」
「どんな内容でも文句は言わない」
「君が寝る直前に頭に触れる事になるが、大丈夫か?」
「全然問題ないよ」
「ならば、君が夢を見たい日に声をかけてくれ」
「わかった。シヴァさん、ありがとう!」
「礼を言うのはまだ早いぞ」
シヴァはそう言って笑いながら立ち上がった。
「随分話したから喉が渇いたな。ハーブティーを淹れよう。何か飲みたい物はあるか?」
「俺、ハーブはあんまり良く知らなくて。あまり癖のないやつがいいな」
「わかった」
そう言ってシヴァはキッチンへ行き、しばらくしてカップを二つ持って戻ってきた。
「もし味が気に入らなければ、蜂蜜を入れればいい」
「え? ハーブ以外の物を入れてもいいの?」
「ああ、カップの底にフルーツを入れて飲む事もある」
「へ〜、詳しいんだね」
「私は料理は下手だが、お茶だけは普通に美味しく淹れられるんだ」
「ふ〜ん」
カップを傾けると、清涼感のある香りと味が口の中に広がった。ミントだ。
「スッキリして美味しいね。先生にも飲ませてやりたいな」
「ああ、それなら持って帰ればいい。おいで」
シヴァはそう言って外に出ると、畑の方へと歩き出した。
「この一角にハーブを植えている。さっき飲んだのはこれだ」
そういって可愛い葉っぱを指差した。
「これは、このままお湯を注ぐだけでも飲める。香りを楽しむなら、乾燥せずに摘みたてのほうがいい」
「へ〜」
シヴァの説明を聞きながら畑を見渡すと、ハーブの他にも沢山の野菜が目に飛び込んできた。
この畑の作物はどれも美味しい。そしてそれを育てているのはシヴァだ。
「野菜や果物を上手に育てるのって、料理と同じかそれ以上に難しいと思うけどな」
「料理が下手だからこそ、調理せずに食べられるものを育てる必要があったんだ」
(お母さんと出会うまで、野菜を生で食べてたのかな?)
そりゃあ、胃袋を掴まれるはずだ。
「そうだ。一緒に料理してお母さんを驚かせようよ。俺、簡単なスープとかなら作れるよ」
「私は何も作れない。絶対に失敗する」
「野菜を切る事は出来るよね?」
「まあ、それくらいなら」
「じゃあ、下拵えをお願い。俺、材料の野菜をとってくる」
「必要なものを言えば、私も収穫を手伝うぞ」
「シヴァさんは、お肉を用意して。できれば鶏肉がいいな」
「わかった」
「それから…」
更に頼み事をしようと振り返ると、シヴァは肩を揺らして笑っていた。
「何がおかしいの?」
「いや、遠慮しなくなったレンは、ミホそっくりだと思ってな」
「……」
少し前、ダンさんにも言われた。
俺はお父さん似だって、ずっとお母さんに言われてたけど、他人から見たらお母さん似らしい。
嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気分になった。




