ストレス
翌日の夕方、約束の時間に間に合うよう、ショーンとレンは馬車で神殿に向った。
停留所で馬車を降りて神殿に向っていると、参拝帰りの集団とすれ違った。
聞くつもりはなかったが、彼等が大声で話しているので、会話の内容が嫌でも耳に飛び込んできた。
「今までの教えが間違っていただと? 何を馬鹿な事を!」
「リアム神官ともあろうお方が、あんな事を仰るなんて!」
「だが終戦条件を見れば、確かに魔物は悪しき存在ではなさそうだ」
「魔物は人を喰らう。それを悪と言わず何というのだ!?」
「気持ちは分かるが…言われてみれば確かに人里が襲われた事はないしなぁ」
「ああ。敗戦したにも関わらず、土地も生け贄も要求されなかったしな」
「お前達、正気か!? どうしてそんなに物わかりがいいんだ?」
「この間、魔物が南エリアに現れたって騒ぎを覚えてるか?」
「ああ、勿論だ。空の色が変わった日だろう」
「誰も食べられなかったどころか、逃げる途中具合の悪くなった老女を助けたって話だ」
「まさか!? ただの噂話だろ」
「いや、助けてもらった老女と孫娘だけじゃなく、その場に居合わせた若者数人が聖騎士に証言してる」
彼等に悪気はなかっただろう。しかし、意図せずに親子で傷付け合った人生最悪の日を思い出してしまい、レンの気分は激しく凹んだ。
その原因を作ったリアム神官とは、あの日以来会っていない。
男達の話を聞く限り、人間と魔物の共存に協力しているようだが。
ふと、後悔と申し訳なさと寂しさが交じったアルヴィンの眼差しが思い出され、口の中に苦い味が広がった。
リアム神官も、レンに対して後ろめたく思っているだろう。この先ずっと会う度に、懺悔と謝罪を聞かされるのかと思うとうんざりする。
(こんな時、きっとお母さんなら、自分の怒りをはっきりと口にして相手にぶつけるだろうな)
心の中で澱のように淀んでいる怒りと悲しみを、感情のままに吐き出す事が出来るなら、少しは楽かもしれない。
しかしレンは、本気で怒ると黙ってしまう性質だった。
本音を言えばリアム神官の顔も見たくないし、口もききたくないのだ。
(大事な話し合いとは言え、なんで嫌な相手と食事しないといけないんだろう……)
鬱々とした気分のレンとは対照的に、ショーンは嬉々としていた。
「終戦条件は民の間で浸透しているようだ。共存についての反応も思ったより悪くない」
「え〜!? 疑ってた人もいるじゃん」
「まあ、それは仕方ないよ。魔物に対する恐怖や嫌悪は民の心に根付いてるからね」
「…そういうのって払拭できるものなの?」
心配になって聞くと、ショーンはニコッと笑った。
「難しいけど、きっと不可能じゃないよ」
***
約束の時間より少し前の訪問にも関わらず、二人は待たされる事なくリアムの待つ部屋へと案内された。
「どうぞ」
開かれた扉の向こうに、部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルが見えた。燭台の明かりが揺れながら、皿に盛られたパンやチーズ、スープの鍋や果物を照らしている。
先に席についていたリアム神官とアルヴィン隊長が立ち上がり、やや緊張した面持ちで二人を迎えてくれた。
「……」
レンはムスッとしたまま、ショーンの後を歩いて無言で部屋に入った。不機嫌さを隠そうともせず、二人と目も合わせない。
態度が悪い自覚はあるが、レンに対する彼等の仕打ちを考えれば、これ位当然だろう。
「ようこそ。お呼び立てしてすみません」
「いえ、早々に面会する時間を作っていただき、感謝します」
「心ばかりの食事を用意しました。食べながらお話をお聞かせください」
リアムに促され、ショーンとレンは並び合って席に着いた。席に座って顔を上げると、正面のアルヴィンと目が合って思わず視線を反らす。アルヴィンは何も言わなかったが、視界の端に寂しげな表情が見えた。
「ご苦労様です。後はこちらでやりますから、休んでいて下さい」
「畏まりました。何かありましたら、お呼び下さい」
リアム神官は給仕を終えた侍女達を下がらせると、手を組み目を瞑った。隣でアルヴィンも同じようなポーズをとっている。
「我らの糧となる恵みを与えて下さった女神様の愛と慈悲に、心からの感謝と祈りを捧げます」
二人が祈っている隙に、レンはショーンに体を傾けてそっと囁いた。
「気分悪いから、出来るだけ早く終わらせて」
ショーンは心配するような眼差しでレンを見た後「わかった」と頷いた。
「……」
祈りが終わり、静かに食事会が始まった。ショーンはスープを一口飲んでから、話を切り出した。
「人間と魔物の共存について、リアム神官も積極的に活動されておられるようですが、民の反応はいかがでしょうか?」
「皆ショックを受けています。私の机は各国から届けられた抗議文が山になっていますよ。素直に耳を傾けてくれるのは一部の方のみです」
「魔物が悪しき存在だと言う教えを否定するのですから、当然の反応でしょうね」
ショーンは頷いて言葉を続けた。
「これまでの常識が間違いだったという、確たる証拠がなければ民は納得しないでしょう」
「ええ。しかしどうやって証明すればいいか見当もつきません。ショーン殿の提案をお聞かせ願えますか?」
「はい。神殿を魔物にも開放して下さい。彼等も我らと同じく女神様を信仰していると広く知らしめるには、それが一番です」
「なっ…!?」
思っても見なかった提案に、リアム神官とアルヴィンは固まった。
「お二人が危惧される事は分ります。ですから我々も対策は練ってきました。まずは聞いてもらえますか?」
ショーンの真剣な様子に、リアム神官はカトラリーを置いて軽く手を組んだ。
「伺いましょう」
「まず前提として、民が魔物を恐れるように、魔物もまた人間を恐れています。実を言うと、この提案は魔物側からもダメ出しされました。お互い余計な干渉をしない方が平和だろうと」
その通りだ、と二人が頷く。
「しかし遠目から神殿を見ただけで感涙する魔物がいるのも事実です。知らなかった頃はともかく、魔物だからという理由で門戸を開かないのは差別ではないですか?」
「……確かに。しかし仮に開放しても、魔物を見た民が大騒ぎするでしょう」
「ええ。魔物と交流しても問題ないと知ってもらうまでは、他の参拝者とは会わせない方が良いでしょうね」
「では、どうすれば…?」
リアム神官の戸惑った様子に、ショーンは苦笑した。
「一つ、参拝する魔物は事前に魔王様の許可を得る事。
これは人間社会に害をなさない為の配慮です。人間に恨みを持つ者も多いですからね。
人から攻撃されない限り、手を出す事はしないと誓ってもらいます。
二つ、参拝時間は夜に行う事。
一般参拝は日暮れまでですし、巡礼者の奉仕が終わってからなら、彼等と接触する事はない。
勿論これは神殿側と、聖騎士の皆さんの協力が必要になりますが。
皆さんの負担を少なくする為に、1日の参拝者の上限は10人までを想定しています。
三つ、参拝希望者は事前に申請をし、通行許可証を発行してもらう事。
四つ、神殿までの移動は姿を見られないよう、指定の馬車を使用する事。
これについては現在、クリフォード元首と魔王軍幹部で調整しています」
ショーンは、つらつらと対策案を語り終えると、思い出したようにスープを一口飲んだ。
「ご質問やご意見があれば、どうぞ」
反対されたらガツンと言ってやろうと思っていたレンだったが、幸か不幸か、出番はなかった。
対策案が功を奏して、2人の発言は概ね前向きだったからだ。
実行した場合に想定される受け入れ側の問題点をあげて、ショーンと一緒に解決策を講じている。アルヴィンは、移動中の護衛に聖騎士を2名つけると申し出てくれた。
最終的に魔物の参拝は週に一度行う事に決まった。ただし今後の様子を見て回数を増やす見込みである。
「私が責任を持って神殿の皆を説得します。会議で可決次第ご連絡しますので、数日お時間をいただけますか?」
「ええ、勿論です。では我々はそろそろ御暇します。おいしい食事をありがとうございました」
ショーンが立ち上がり、レンもそれに倣った。
「お見送りします」
そう言って、リアム神官とアルヴィンも立ち上がったが、ショーンはレンをチラッと見て首を緩く振った。
「いえ、見送りは結構です」
「そうですか。……お二人とも、本日はありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
リアム神官とアルヴィンが、胸に手を当て頭を下げるのを、レンは何とも言えない気持ちで眺めた。
「何もしてないのにお礼を言われたから、気持ちが悪い」
帰り道、ショーンにそう言ったら苦笑された。
「いや、レンは良い仕事してたよ。二人に対して無言の圧をかけてた。お陰で話し合いがスムーズに進んだ」
「そうだね。懺悔や謝罪で余計な時間を取られなくて良かった」
本音だが、半分は嫌みだ。しかしショーンは素直に受け取ったようだ。
「許すつもりがないのに謝られても迷惑なだけだからね。それに謝罪するなら向こうが来訪するのが筋だ。二人ともそれが分ってるから、今日はレンに何も言わなかったんだと思うよ」
「……」
ショーンの言う通りかもしれないが、何だか面白くなくてムスッとしていると、ショーンの大きな手が伸びて来て、頭をガシガシ撫でられた。
「言いたい事があったら、溜め込むまずに吐き出せ。そうじゃないと、いずれ毒になって心が蝕まれるぞ」
「色んな感情がぐちゃぐちゃして、上手く言葉にできない」
「だったら思いっきり体を動かすなり、好きな事をするなりして、ストレスを発散した方が良いな」
「好きな事…? 明日、三日月班の村に行くから、カイルをモフらせてもらおう」
「…………カイル殿のストレスになるから、程々にしなさい」




