新しい国3
扉をくぐり抜けるとグレース王女は涙を拭い、決意の籠った目でクリフォード将軍を見つめた。
「時間が惜しいです。城に戻るまでに今後に向けての話し合いをしましょう」
「そうですな。まずは終戦条件を周知させましょう。特に冒険者達に向けた条件を徹底させないと」
「では私は宰相と手分けして地方にいる領主や他国へ親書を書きます。今ならまだ元王女の肩書きも通用するでしょうから」
「例え王女という肩書きがなくなっても、あなたの価値が損なわれるわけではありません。この国の未来にあなたは必要な方です」
将軍の言葉に、グレース王女はニッコリと笑って胸を張った。
「必ずや、ご期待に応えてみせますわ」
***
建国に向けて、しばらくは誰もが寝る間もない程忙しい日々を送る事になった。
まず悲鳴をあげたのは文官達だ。近日中に膨大な量の終戦条件を書くよう命じられ、多くの者が弱音を吐いた。
「国中に知らせる為とはいえ、本当にこの量を書く必要があるのか?」
「全くだ。民のほとんどは碌に文字も読めないって言うのに、無駄な事をさせるもんだぜ」
「だいたい、魔物と共存なんて無理に決まってるだろう」
「この終戦条件も、俺達を油断させる罠に決まっている」
するとそれまで黙って作業をしていた一人の若い見習いが立ち上がった。
「皆さん、聞いてください。俺は以前、騎士を目指していました。でもある事がきっかけで、その夢を諦めました」
突然の事に皆驚いて話すのを止め、見習いのアレックスを見た。
「俺は父から炎の魔剣を買ってもらう程度に剣術が得意でした。ある日、友人達と狩りに行った時、2匹の小さな魔物を見つけたんです。俺達は狩りの獲物を魔物に変えて、森の中に入りました。だけど逆に魔女の罠にかかり、泥の中に沈められたんです」
それを聞いた文官達は真っ青になった。
「おいおい、マジかよ」
「アレックス、お前よく生きて帰って来れたな」
アレックスは頷いた。
「はい。その時魔女は俺達に取引を持ちかけました。武器を捨てて二度と魔物に危害を加えないと女神様に誓えば、森から無事に返してやる、と。凄い屈辱でしたが、追いつめられた俺達はその条件を飲んで、森から出してもらえたんです」
「…まあそんな状況なら仕方ないよな。誰だって命は惜しい。恥に思う事はないさ」
優しい先輩のフォローに、アレックスは首を振った。
「いえ、俺は恥ずべき事をしました。森を出ると、魔女は武器を返してくれたんです。でも魔物に馬鹿にされた事で頭に血が上っていた俺は、森に帰ろうとしている魔女の背を炎の剣で斬りつけました。その結果が、これです」
アレックスは上着を脱ぐと、背中の傷跡を見せた。赤く盛り上がった皮膚は、どれだけ酷い火傷だったかを物語っており、部屋は静まり返った。
「俺の攻撃は跳ね返されました。女神様の誓いを破った罰を受けたんです。あのままだったら俺は確実に死んでいたでしょう。こうして生きているのは、魔物が情けをかけてくれたお陰です。魔女はこんな事で死ぬなと俺を励ましてくれました。魔物は悪だと教えられたけど、それが違う事を俺は身を以て知りました。彼等だって平和を願っているんです。だから俺は、この終戦条件を信じます。どうか皆さんも先入観を捨てて下さい」
アレックスはそう言うと上着を着直し、机に座って作業の続きを始めた。
文官達は顔を見合わせて頷くと、それぞれ黙々と作業に取りかかり、己のノルマをこなす事に集中した。
***
文官達によって書かれた終戦条件は、連日、親書とともに早馬によって王国の各地に届けられた。
国境近くに領地を持つリード伯爵もその一つ。彼はクリフォード将軍の古くからの友人でもある。
だからこそ此度の戦争の顛末は到底信じられなかった。
彼は近隣の領主に呼びかけ、話し合いの場を設けることにした。
皆、先行きが不安だったのだろう。近隣の領主達はすぐに集まった。
アビラス王国滅亡の知らせに嘆く者、国王の死を悼む者、クリフォード将軍を罵る者。
反応はそれぞれ違ったが、唯一同じだったのは終戦条件の内容に対する考えだ。
条件付きでの魔物狩りの許可、戦争遺族に対する補償。
こちらに有利な条件であるからこそ、逆に裏があるのでは?という疑いが涌き上がる。
「クリフォード将軍は命惜しさに魔物の傀儡になったのではないか?」
「いや、あの方に限ってそのような事はないだろう」
「だが現にクーデターを起こして元首の座についているではないか」
「国王と折り合いが悪かったという噂だったしな」
「しかし犠牲が少なくすんだのも事実だ」
建国に協力して欲しい、との呼びかけに応じたものかどうか、領主達は頭を悩ませた。
魔物と共存する等、到底考えられない。
だが地方の領主同士で結託して反乱を起こしても、クリフォード将軍相手に勝てるとは思えない。
いっその事、隣国へ下るか? いや、しかし…。
そんな風に今後の身の振り方に悩んでいる時、戦地から兵士達が帰還したとの知らせが入った。
情報を集める為に、リード伯爵は兵士を呼び集めて話を聞く事にした。
「俺は戦争に行くまで、実際に魔物なんて見た事なかったです。だけど冒険者に倒せるなら、俺らだって倒せると思ってました。でも間違いだった。間違いだったんです」
兵士の一人は目を瞑って頭を抱え、ブルブルと震えた。
「帰らずの森は恐ろしい場所でした。毒のある草木、ヒルだらけの沼。そして何より、魔物達の強さは想像以上でした。大きな虎の獣人は、片手を一振りしただけで屈強な兵士をまとめて吹っ飛ばし、下半身が蛇の魔物は、一睨みで周りの人間を石に変えました。指の先から石に変わっていく恐怖がわかりますか? 我が軍は全滅させられました。俺はもう二度とあいつらと戦いたくありません」
他の兵士達も一様に頷く。
「全滅? 半数の兵士達が無事に帰還したと報告があったぞ?」
「ああ。それに見た所、そなたたちの誰も怪我もしていないようだが?」
領主達の言葉に、兵士は顔を上げた。
「クリフォード将軍のお陰です。将軍が魔物の条件をのみ、泥を被る覚悟を決めて下さったお陰で、俺達はこうして生きて帰る事が出来ました。あの方は真の英雄です」
「我々に怪我がないのは、魔物達が治療してくれたからです。体力を回復するようにと温かい食事も与えてくれました」
「帰る際には、魔獣に襲われないようにと、森の外まで送ってくれたんですよ」
「魔物…いえ、獣人やエルフ等は、確かに恐ろしい力を持っています。しかしこちらから仕掛けなければ、襲ってくる事はありません」
「遺族への補償をするように、との終戦条件をお読みになりましたか? 弱い立場の者を思いやる心がなければ出てこない言葉です。彼等は悪ではありません」
兵士達の言葉を受けて、領主達は一旦様子を見ることにした。
まずは各々の領地に暮らす民達を安心させねばならない。
リード伯爵はクリフォード将軍に向けて手紙を送った。
「クリフォードへ
まずは無事の帰還、嬉しく思う。
しかし此度の親書には驚かされたぞ。
戦争を終わらせる為とはいえ、まさか貴殿がクーデターを起こすとは夢にも思わなかった。
正直な所、魔物と共存できるとは信じられないが、帰還した兵士達の話を聞いてしばらく様子を見る事にした。
まずは領内の民へ終戦条件を広める事にする。
しかし当然反発する者も出て来るだろう。遺族は特に簡単に納得はするまい。
戦争遺族の補償についての具体的な策があれば教えて欲しい。
それから、アビラス王国の滅亡は、当然他国にも知れ渡っているだろう。
国防の為にも、しばらく私は領地から離れられない。
どうか理解して欲しい。
貴殿の興す国が、平和な良き国となるよう切に願う。
リード」
「リードへ
新しき国の名が決まった。ソルーナ共和国だ。
聡明な貴殿なら古代語の太陽と月の組み合わせだと気付いたことだろう。
魔物と共存する国として、昼と夜の象徴から名前をとったのだが、なかなか良い名だと思わないか?
先の親書でも述べた通り、国の基盤を固め、後継が育ったら、私は元首の座から降りるつもりだ。
先代国王陛下を共に支えてきた盟友である貴殿にも、ぜひ中央で力を振るって欲しいが、現在の状況ではそれも厳しかろう。
終戦条件を広めつつ、領内を平和に治めてくれるようお願いする。
遺族への補償については、我々の案を賢者殿にみてもらい、まとめている所だ。
まず国から一時金を支給するので、各領主には遺族の数を報告してもらいたい。
尚、虚偽や横領をした者には、相応の罰が下ることになると周知してくれ。
首都からどれだけ離れていようとも、不穏な動きをしている団体や、隠れて魔物を所有している者の情報は逐一入ってくる。
気付いていないだろうが、既に多くの魔物がこの国に侵入して監視しているんだ。
魔王軍幹部に至っては、戦争前に城に堂々と姿を現している。
最もその時は、仕事熱心な好青年にしか見えなかったがね。
この意味が分かるか?
彼等はいつでも国を滅ぼす事が出来たが、それをしなかった。
我らはずっと、魔物の情けによって生かされていたのだ。
しかし戦争を仕掛けた事で、とうとう魔王の怒りを買ってしまった。
彼等は国王の首一つで我々を見逃してくれたが、人間を信頼してはいない。
まあ、当たり前の話だが。
ソルーナ共和国の建国は、彼等がくれた最初で最後のチャンスだ。
未来の為にも、彼等との共存を阻む者には、少々手荒い対応をするかも知れない。
そんな事をしなくてすむよう、どうか貴殿の領内の民を導いてくれ。
国が落ち着いたら、また一緒に酒を飲もう。
陽気なドワーフが作ったとびきり美味い酒をごちそうするよ。
クリフォード」
以前、新国家の名前を募集した時、数人の読者の方からご提案がありました。
どれも良かったのですが、その中から河原毛様の考案して下さった「ソルーナ」を採用させていただきました。
素敵な名前を考えて下さり、感謝しております。
ありがとうございました。




