悪夢
燃え盛る炎の中で、焼けただれた男が叫ぶ。
「お前の血の味は覚えたぞ!俺から逃げられると思うな!」
その灰色の瞳から逃げようと走るミホの足に、小鬼達が絡み付く。
転んだミホの右手に杖が刺さり、激痛が走った。見上げると神官が立っていた。
「あなたの存在は危険だ。あなたの思想は世界の調和を乱しかねない」
神官が杖に力を込めた。再び右手に激痛が走った。
「勇者の第一の試練に協力して頂きます」
男が舌なめずりしながら近づいてくる。
「生きたまま生皮はいで嬲り殺しにしてやる」
逃げ出したくても、杖に右手を縫い付けられて動けない。
絶望感に打ちのめされて、あきらめかけたその時。
「大丈夫。じいちゃんが助けてくれる」
ガロンの声がした。
「ミホ、頑張れ。みんながついてるよ」
◇◆◇◆◇◆◇◆
目が覚めると、見慣れた天井が見えた。
(家?えっ夢だったの?どこから?)
夢と現の区別がつかなくて混乱していると、ぎゅっと右手を握られた。
「ミホ、気がついたか!」
シヴァがホッとした様子で言って、起き上がるのを手伝ってくれた。
「ミホ!良かった!」
ガロンが顔を寄せてきたので額を撫でてやると、嬉しそうに尻尾を振ってそこらの家具をなぎ倒した。
(あれ?ここってシヴァの部屋じゃない?私なんでシヴァのベッドで寝てるんだろう?)
寝起きの頭でぼんやりと考えていたら、ニルスとラーソンが部屋に入ってきた。
「おお!気づいたのか」
「本当に良かった。一時はどうなるかと思ったよ」
(ああ、そうか。私はモリスの家で小麦粉を取ろうとして小鬼に襲われたんだっけ。
あの赤い男の髪に捕まって、もうダメだと思った)
皆に囲まれて、ようやく自分が無事だと確信できたら、知らないうちに涙が出ていた。
「大丈夫か?どこか痛むのか?」
シヴァが優しく頭を撫でながら気遣ってくれた。
「違うの。皆の顔を見て安心したの。助けに来てくれてありがとう。本当に、もうダメかと思った」
私の泣き笑いに、皆もホッとした様子で笑った。
ニルスが話しかけてきた。
「あんなひどい目にあって、よく頑張ったな。背中は痛くないかね?」
「ええ、何ともないわ。それより、夢の中で右手を刺されて痛かったわ」
私がさっきまで見ていた悪夢を話すと、皆が顔を見合わせた。
「あの神官、夢の中にまで現れてムカつくったらないわ。あと、あの赤い髪の男はどうなったかしら?」
「安心しろ。その男は、今モリスが魔王様に引き渡しに行っている。
氷漬けにしておいたから逃げられる事はない」
余罪がなければあの場で殺していたんだがな、とシヴァが呟いた。
「ところで地底湖で何があったんだ?私達が着いた時には、船が燃えていたんだが」
ニルスの問いに、私は嫌な事を思い出して顔をしかめた。
「あの男、飽きるまで私を玩具にした後で、生きたまま小鬼の餌にするつもりだったから、いっそあそこで死のうと思って。でも、やられっぱなしも嫌だから、船ごと爆発させるつもりで火をつけさせたの」
「火をつけさせた?どうやって?」
「小麦粉をぶちまけて、そこら中粉だらけにしたの。それであいつが怒って向ってきたところで、小麦粉の袋で頭を殴ってから湖に飛び込んだ。案の定、私を探そうとして松明の火を手にしたのね。空気中の小麦粉に引火して、一気に燃えたんだと思うわ」
私の話に、ニルスはあっけにとられた様子でポカンと口を開いた。
「・・・驚いたな。良くそんな事を思いつくもんだ」
「はっはっはっ!大したもんだ。ベルガーに一泡吹かせただけあるな」
ラーソンは豪快に大笑いした。
「まあ、詰めが甘くて、結局捕まって殺されかけたけどね」
やはり映画のようにうまくはいかなかった。皆が助けにきてくれなかったら、今頃どうなっていたかわからない。
「とにかく助かって良かったよ。では我々はそろそろ帰ろう。ミホ、お大事に」
「また遊びにこいよ。果実酒で快気祝いするぞ」
ニルスとラーソンが帰ると、ガロンが膝に顔を乗せて甘えてきたが、しばらくするとスースーと寝息をたてはじめた。
シヴァはそれを見て苦笑した。
「ミホ、少し重いかもしれないが、今は大目に見てやってくれ。昨日からずっと心配して眠ってないんだ」
「そうだったの。ありがとう、ガロン」
そう言いながら頭を撫でた。膝にかかる重みと温かさが嬉しかった。
「飲み物と果物か何か持ってこよう。食べられそうか?」
「うん、少しなら食べられそう」
「そうか、少しでも気分が悪かったり、体に不調があったら言ってくれ」
そう言ってシヴァは部屋を出て行った。
少し疲れたので目を閉じると、まぶたの裏にあの時の炎が蘇った。
本当に、死ぬかと思った。あの時の恐怖はなかなか消えそうにない。
帰って来れて本当に良かった。
あの男は魔王様に引き渡されたと言っていた。もう会う事もないだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その日はずっと三人でシヴァの部屋で過ごした。
小鬼に噛まれた傷は跡が残る事なく治り、どこにも痛みは感じないのに、シヴァはずっと私の体を気遣い、こちらが照れてしまう程優しくしてくれた。
ガロンも私から離れたがらず、何だかくすぐったい気分で一日を過ごした。
夜、そのままシヴァの部屋で寛いでいると、扉を控えめにノックする音がした。
シヴァが応対しに部屋を出ていくと、しばらくしてモリスの声がした。
「遅くにすまないな。弟達に聞いたが、ミホが無事で良かったよ。具合はどうだ?」
「ああ、おかげで良くなったよ。ニルスとラーソンにも世話になった。ありがとう。入ってくれ」
「いや、ここでいい。言わなきゃならん事がある」
モリスに挨拶してお茶でも出そうかと思ったけれど、話の流れが深刻になりそうなのでしばらく様子を見る事にした。
「どうした?まさかあの混血児に逃げられたんじゃあるまいな?」
「いや、それはない。無事に魔王様に引き渡した。ただ・・・」
「何だ?」
モリスの大きなため息が聞こえた。
「最悪だ。シヴァ、お前の予測通り、あの男は獣人の子供の誘拐に関係していた。人間相手に売春させているらしい」
「何だと?救いようのない奴だな」
「ああ、魔王様も一刻も早く被害者の救出をするべく、子供達の居場所を吐かせようとしたんだが・・・あの男、なかなか手強くてな・・・子供達の居場所を言うのに条件を出してきた」
「盗人猛々しい奴だな。その条件とは何だ?」
「・・・ミホを渡せと言ってる」
二人のやり取りをシヴァの部屋で聞いていたミホは真っ青になった。
「お前の血の味は覚えたぞ!俺から逃げられると思うな!」
頭の中で、男の声が響く。
悪夢が続いている気がした。