母親の気持ち
祭壇を壊す、という事で意見は一致したけれど、ショーンさんは中々行動に移さず、祭壇の周りをウロウロと歩いているだけだった。
「ショーンさん、壊すならリアム神官が来る前の方がいいと思うんだけど」
「え、ええ。分かってます。考えたんですが、石盤に埋め込まれている6つの石を1つでも傷つける事が出来れば、召喚術は発動しないかもしれません」
石盤には、赤、オレンジ、黄色、黄緑、青、紫の美しい石が埋め込まれていた。
どれも同じ大きさで、つるりと丸い形をしている。カットして研磨すれば、宝石のように輝くかも知れない。
「まるで虹みたいね」
「ええ。童歌に『虹の橋を超えてオーロラの向こうから女神様が新しい太陽を迎える』という歌詞があるんですが、それはきっとこの事を差していたんでしょう」
「こんな綺麗な石を傷付けるのは勿体ないけど…仕方ないわよね」
「ええ。この石盤は我々人間の手に余る危険な代物です。また誰かが使ったら、新たな被害が出る可能性がある」
だから今ここで破壊しなければ、と言いながらも、ショーンの腰は引けていた。
「あの…ショーンさん?」
「…わかってます。やらなきゃいけないことは頭では分かってるんです。でもやっぱり恐れ多いというか、怖いんですよ!」
本当に怖いのだろう。ショーンはブルブルと震えて涙目になっていた。
「さっき等価交換と言いましたが、あれはあくまで自分の推測に過ぎません。神々の道具に勝手に手を加えた罰を受けた可能性もある。女神様は慈悲深いですが、同時にとても厳しく恐ろしい存在ですから」
そう言えばそうだ。この世界では女神様への誓いを破ったら死んでしまうのだから、優しいばかりではない。
「ミホさんには分からないかもしれませんが、自分達にとってこの世界の創造主たる女神様は絶対的な存在なんです。この祭壇にしてもそうです。遥か昔、我々人間の為に女神様が創りたもうた物。それを壊すのは、女神様の慈悲を否定する事になる…」
とうとうショーンはホロホロと泣き始めた。
「すみません……覚悟を決めるまで、もう少し時間を下さい」
女神様への信心と、人々を守るという正義感の狭間でショーンさんは苦しんでいた。見ていて気の毒になった程だ。
「あの、ハンマーか何かあれば私がやりますけど…」
「ダメですよ。何かあったらどうするんです?壊すのは自分の役目です」
ショーンさんは泣きながらも、自分がやると言い張った。
「あなたに何かあったらレンやシヴァさんたちに申し訳が立たない。…ああ、シヴァさんだったら、こんな風にグズグズしないでしょうね。本当に、自分が情けないです…」
「…いえ、シヴァがここにいたら、何を考えてるんだっ、て確実に怒られてますね」
そもそもここに来たのはリアムを説得する為であって、祭壇の破壊じゃない。
思いつきで行動した事を知られたら、絶対に叱られる。
「何が起こるか分からないから、ミホさんは祭壇に触れない方がいいと思うんです。もしかしたら元いた世界に戻されるかもしれませんよ?」
「ええっ! それは困るわ。蓮もいないのに一人で帰っても意味ないじゃない。私この世界に骨を埋めるつもりだし」
でも、そうか。これまで勇者があちらの世界に帰れなかったのは、世界の一部である魔王になってしまったからで、この祭壇が異世界へのゲートである以上、こちらから向こうへ行ける可能性もあるのだ。
ショーンに指摘されて、私は慌ててと祭壇から距離をとった。
端から見れば、祭壇を見つめてへっぴり腰になっている私達の姿はとても滑稽だっただろう。
祭壇は破壊したい。でも罰は受けたくない。
「…いっその事、女神様にお願いしてみようかしら?」
「は?」
「ここは女神様との繫がりが一番深い場所なんでしょう? ダメ元で祈ってみます」
私は祭壇の正面に座り、組んだ手を額に当てて目を瞑り、心の中で女神様に語りかけた。
『女神様、どうぞお聞きください。遥か昔から現在に至るまで人間と魔物は互いに憎しみあい、とうとう戦争にまで発展しました。女神様にとっては、人間も魔物も我が子のようなものでしょう。ですから彼等が憎しみあうのをやめてほしいと思っていると信じています』
私は女神様の気持ちを考えてみた。
『私などが女神様のお気持ちを測るなんて畏れ多いですが、でも母親として子供を思う気持ちは同じだと思います。女神様はきっと、人々が少しでも良い生活が出来るようにと、深い愛情と善意でこの石盤を使われたんですよね? 多分、歩き方を知らない赤子に手を差し伸べるようなお気持ちで手助けされたのでしょう。ですが何百年、何千年と時が流れた今、人々の文明は進み、自分自身で歩く事が出来るようになりました。なのでもう、この石盤は本来の役目をとうに終えていると思うのです。それどころか、この石盤は魔物達から絶えず魔力を吸収し続けて、彼等を苦しめています。これは女神様の意図する事ではなかったでしょう。どうか魔物達を苦しみから解放する為にも、この石盤を破壊する事をお許しください』
女神様に語りかけながら、私も自分自身を振り返る。
『私も偉そうな事は言えません。子供に辛い思いをさせたくなくて、ついつい口を出したりしてしまいます。もしかしたら、今まで息子の為にと思って行動していた事も、本人にとっては余計なお世話だったかもしれません。子供は親の所有物じゃありませんから、ある時期を過ぎたら個人として認め、見守るだけに留めておくべきかもしれませんね。…それが出来れば苦労しないんですけど』
いくつになっても子供は子供だ。きっと女神様にとって人間は、まだまだ歩き始めたばかりの頼りない子供なのだ。
『甘やかす事ばかりが子供のためになるとは言えません。子供の成長の為には、時には突き放し、痛みを覚えさせて世間の厳しさを教える事も必要だと思います。でもきっと大丈夫。人々は女神様が思う程、弱くはありません。痛みからも立ち直り、歩き続ける事が出来ます』
未曾有の災害から立ち上がり、悲しみを抱えながらも逞しく生きている人々の姿を私は知っている。
『この石盤は人の手に委ねるには危険すぎます。また昔のような大惨事を引き起こす前に、どうか破壊させて下さい。人間と魔物、両種族の平和の為に、どうかお願いします』
熱心に祈るあまり、私の体は随分と前のめりになってしまった。その為、いつも首にかけていた小さな巾着袋が襟元から飛び出した。
「…あ、忘れてた。今日はまだ拭いてあげてなかったわね」
中に入っているのは、以前オリヴィアから預かった「希望の木」の種だ。毎日お世話はしていたけれど、なんやかんやで植えるタイミングを逃してしまっていた。
(ここには綺麗な水が流れているから、種を湿らせるのに丁度いいわね)
私は袋から種を取り出し、水路に浸した。水に濡れてツヤツヤと黒光りする種を見て、私はふと思いついた。
(もしかしたら…!)
「ショーンさん、お願いがあります!」
読んで下さってありがとうございます。




