サバイバルの始まり
現実世界で過ごした最後の日です。
ようやく仕事にも慣れ、まとまった休みが取れるようになったのは、蓮が中学生になってからだ。
「蓮、夏休みにキャンプ行かない?」
「キャンプ?お母さんと?」
「うん。やっと連休がとれたの。お母さんも、久しぶりに蓮と出かけたくて。候補をいくつか絞ってみたんだけど」
私はキャンプ場のパンフレットを広げた。
「こっちのキャンプ場は、きれいな湖があってボートとか釣りができるんだって。設備も整ってるみたい」
へ〜、と蓮はパンフレットをパラパラと眺めた。
「こっちはブッシュクラフト体験講座とかもあるやつ。よりアウトドアを楽しめる感じなんだって」
「火をおこしたりとか?」
「そうそう、ワイルドな感じのやつ。インストラクターの人が教えてくれるから、初心者でも大丈夫みたい」
まだ反抗期前とはいえ、思春期の男子だ。母親と一緒は嫌がるかも、と思ったが、蓮は素直に喜んでくれた。
「行く!面白そう。俺、焚き火でマシュマロ焼いて食べてみたい」
久しぶりのキラキラした笑顔が見れて、本当に嬉しかった。
一緒にキャンプに必要な道具を買いに行って、あれこれと計画を立てながら楽しい時間を過ごした。
充実したキャンプだった。
薪拾いやかまど作り、ロープの結び方など、普段はやらない事すべてが新鮮で楽しかった。
「やった!ついた!俺の勝ち〜」
インストラクターの指示に従って、かまどに火をつけた蓮は、得意満面で私を見た。
他の家族が和気あいあいと協力して火をおこしている中、私達はどちらがうまくやれるか競争して、別々のかまどを作っていた。
「くっ!負けた」
わざとらしく悔しがってみせたが、私の狙いは別にある。せっかくかまどが2つあるのだ。同時に別の料理を作ろうじゃないか。
蓮と一緒にカレーを作る傍ら、私は自分のかまどにこっそりローストビーフを仕込んだ。下味をつけた肉に焼きめをつけた後、アルミホイルに包んで放置しておけばいいので楽である。
「サラダを用意するから、カレーよそっといて」
「は〜い」
普段は渋々やる手伝いも、ここでは嬉々してやるのだから不思議な物だ。
蓮にカレーの準備をさせる間、私は仕込んでいたローストビーフをスライスしてサラダの上にのせた。
私のもくろみは大成功だった。
「何これ、すげ〜!いつの間に作ったの?お母さん、すげ〜!」
思わぬごちそうに食べ盛りの蓮のテンションはあがりまくりだ。
どうせなら特別感のあるものをと思って、奮発して正解だった。
その日のカレーは、私にとっても格別だった。
夕食後は、蓮の希望通り、焚き火でマシュマロを焼いた。
焚き火を眺めているうちに、なんとなく旦那のことを思い出して、昔の話をした。
「そういえばお父さんとね、こんな事があったんだよ」
出会ったばかりの事。
喧嘩した事。
蓮が生まれた日の事。
焚き火のせいだろうか?
不思議と穏やかな気持ちで、思い出話ができた。
亡くしたばかりの頃は、思い出すのもつらかった。
ぽっかりとあいた穴をごまかすために、気づかぬうちに忙しくしていたのかもしれない。
蓮も、火を見つめながら静かに聞いていた。
「お父さんに会いたいね」
「うん」
お互い、素直な気持ちで向き合った瞬間だった。
よく朝、蓮はどこかさっぱりとした顔をしていた。夏休みの良い思い出になったのかもしれない。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
それぞれの荷物を背負い、森の中を歩いて帰る途中の事だった。
「お母さん、俺ね、お父さんと約束した事があるんだ」
「約束?」
「うん。今まで言えなかったけど。あのね・・・」
次の言葉を聞く事は叶わなかった。
突然、周りの空気が変わったのだ。
異様な空気に鳥肌が立つ。
それまで聞こえてきた鳥のさえずりや川のせせらぎの音が消え、人が一人通れそうな黒い穴が突如現れた。
蓮の体がぐらりと傾き、上半身が闇に消えた。
「蓮!!」
私は必死に手を伸ばし、蓮の腕をつかんだ。
そうして、一緒に闇に呑まれたのだった。
次回からようやく異世界での話になります。