不幸の始まり
思い出話です。
私たち親子の不幸の始まりは、旦那を事故で亡くした時から始まったのだと思う。
蓮は、まだ11歳になったばかりだった。
旦那は中古の工業機械を海外へ輸出する会社に勤めており、とある途上国に出張に行っていた。
そこで機械の操作方法をレクチャーしていたのが、不慣れな現地スタッフが操作を誤り、二人して土砂崩れの事故に巻き込まれたという。
知らせを受けてすぐに現地に行ったが、二次災害の恐れがあるという理由で遺体は発掘されておらず、日本に連れて帰る事は叶わなかった。
花の手向けられた事故現場で呆然と立ち尽くしていると、やつれた老人が泣きながら足下にすがりついてきて驚いた。
申し訳ない、気が済むまで殴ってくれと号泣する彼は、事故をおこした現地スタッフの父親だった。 彼もまた、大事な息子を亡くしているのだ。どうして責める事ができようか。
旦那は笑顔を絶やさない、穏やかで優しい人だった。
蓮は父親が大好きだった。
「お父さん、聞いて、聞いて!あのね、今日ね・・・」
構ってほしくて旦那にまとわりつく様子は、まるで子犬のようだった。
休みの日はなかなか起きてこない旦那の顔に、蓮と一緒に水性マジックでいたずら書きして笑い合った。
「あ〜、またやられた〜、お返ししてやる」
と、落書きされた顔のまま追いかけてくる旦那に、二人でキャーキャーいいながら走って逃げた。
夏休みの工作は、3人で水車の模型やペットボトルを使った水の濾過装置を一緒に作った。
旦那の携帯の待ち受けは、工作で金賞をもらって得意げな笑顔の蓮の写真だった。
何でもない、幸せな日々が普通に続くと思っていた。
誰を恨む事もできず、空っぽの棺を前に、蓮と二人で一晩中泣き明かした。
多くの人が弔問に訪れてくれ、色々と声をかけてくれたと思うが、当時の事はぼんやりとしか思い出せない。
突然、大事な人を永遠に失ったショックに、頭と心が追いついていなかった。
が、葬儀を終えた後は、ただただ現実が待っていた。
労災保険や死亡保険の手続き、銀行の手続き、土地・家屋の名義変更などの雑務。社会の仕組みというのは機能的ではあるが、優しくはない。必要手続きには、期限というものがある。悲しみに打ち拉がれている暇はないのだ。
これからシングルマザーとして子供を育てていくには必要な事とはいえ、一ヶ月程の間、慣れない手続きに忙殺された。
こうして当面の金策はできたが、これから生きていく為には当然仕事をしなければならないわけで。
49日が終わるとすぐ、資格取得の為の勉強をし、就職活動を始めた。
たくさんの人に助けられ、なんとか仕事に就いた。毎日が必死だった。
だけど、その間、私は蓮の心のケアが十分にできなかったと思う。
あの頃の私は、蓮の目にどう映っていたのだろう。
ずいぶんと寂しい思いをさせたんじゃないだろうか。
蓮は、わがままもあまり言わず、聞き分けが良かった。
子供なりに母親が頑張っているのがわかっていたからだろう。
けれど、以前と比べてあまり笑わなくなった。