第9話 荒野へと
認識阻害系の魔術を使う魔術師にありがちなミスというものがある。
それは、あまりにその状態――自分の存在感や相手の記憶に残す情報を操作出来る――が快適すぎ、常用してしまうのだ。特に必要のない状況であっても。
そして、そういった者達が行動した後には数日間は魔力の痕跡が残る。これがミスであると言われても、普通はさして気にもかけないだろう。犯罪者や賞金首となっているような状況でもなければ特に不都合のあることではないからだ。
だが、そんな追われる身となっている人間にとっては、やはりミスであった。
「あったな」
クレフは宿周辺の魔力を探知し、それらしき物を見つけ出していた。
魔王が犇めき権謀術数渦巻く街、魔力の残滓などそこかしこに――などという事態も有り得るかと思っていたのだが、通りに残留した魔力は綺麗なものだった。元の世界の王都などよりだいぶすっきりとしたものだ。
さて、後はこれを辿れば良い訳だが。
「やっぱ街を出てるよねえ」
封印街の北門前で、アーベルが言う。守衛や門番などを好んでやる人間は居ないようで、門は無人だった。
元々魔法抵抗力が高い者や対魔結界を張った人間が衛兵として付いていてくれれば、ここを通った者についての話も聞けるのではないかと思ったが、それはどうやら無理そうであった。
門の外は一面の荒野である。
固くひび割れた乾いた大地に薄い砂埃が流れてゆく。
そこは雑草など一切生えておらず生命の気配を感じさせない、灰色の世界だった。
「街の外はだいたいどこもこんな感じ。この風景なら、封印牢って名前もしっくり来るだろ?」
歩き出しながら、アーベル。
「環境調整系の能力を持った奴らが大勢集まって……は無いな、各人勝手にやってただけだから。それなりな土地にして、暇な奴らが無駄に住居を作って回ったのがこの街の基礎になってるらしいよ」
元の世界では破壊にしか興味を持たなかったような者も居たはずだが。
そんな連中ですら、何か。自分の記憶にあるものを作らないではいられなかったのだろうと。
何一つ見るべき物もなく続いてゆく荒野の道のりに、彼は語っていた。
「さて、そんな街には住み着かなかった奴らがここには散っている。ただ一人隠れ住むようなのもいるけど、大抵は似たような奴らと抗争を繰り返し、街から時折出て来る物資を略奪しって感じかな」
「そちらの方が私には理解出来る。何故あんな場所で不愉快な隣人どもと馴れ合って過ごさねばならんのか。それで生活は安定すると言われても願い下げだな」
カーラが吐き捨てるように言うと、アーベルは苦笑していた。
「たしかに、きみにはそっちの方が合ってそうだ」
「確か……抗争を繰り返すうち、彼等も今ではだいぶ統合が進んでいるのでしたね」
「そうだね。4つくらいの大きなグループになってた筈だよ。叩き潰した相手の配下や、時には魔王自身をも配下に加えて、どいつも大魔王を自称してる」
ぽつりと言ったニーアの言葉にアーベルは頷いてこたえる。
「魔王を統べる大魔王か、面白い……」
と、そこでカーラは思い出したように続けていた。
「そういえばクレフ、私の部下は何人生きている?」
クレフは暫し返答に迷った。しかし、答えないという訳にも行かず、口を開く。
「……二人だ。王都を攻めようとした最初の部隊と、魔王城近辺の守備についていた最後の部隊」
「レイリアとパメラか、なるほどな」
14の部隊があって2名。ひどく少ない。だが、当たり前の事だ。
制圧が可能なのであればそのまま殺す事も可能。その後あえて封印する意味は薄い。
初戦においてはスゥの動揺を恐れたため。最後の将はやはり強く、追い詰めた後とどめを刺すまでの間にこちらにも損害が出ると思われたため。だが、そのくらいでしか封印を選ぶ理由はなかったのだ。
「なんだ、くだらぬ事を考えるなよ。自身がこちらへ送られるまでは、封印など死に勝る責め苦と思っていたのは貴様も同じだろうが」
カーラは鼻で笑ってみせるが、クレフの気持ちは晴れなかった。
魔力の痕跡を辿り、歩き続ける。
行く手に何やら黒い城らしき物が見えてきたのは小一時間ほどが経ったころか。
「あれがまさか、『大魔王』の城というやつか?」
「考えられるのはそのくらいかと思いますが……」
呆れたように言うカーラとニーア。続いて目の良いスゥが、城とは別のものに気付いて声をあげる。
「何か……近づいてきます」
近づく、というより全力疾走でこちらへとやってくる数人の男女。
その姿はところどころノイズに覆われていた。恐らく透明化か、それに近い魔術を使っていたのだろう。
追っている相手が認識阻害系の魔術を使っているのは明らかなので、そういった、身を隠すような術を暴くのに特化した無効化結界をクレフはあらかじめ全員に付与していた。
それにしても物凄い勢いで走っている。とりわけ先頭の、軽装鎧を着て眼鏡をかけた女性は、後ろの者が付いて来ているかなど全く考えないかのような、むしろ振り切る勢いで走っている。
「あのひとは……」
かすかに強張るスゥの表情。やや遅れて、クレフも顔色を変えた。
その黒き民の女性には、確かに見覚えがあったのだ。
「カーラ様っ!」
片膝をつき頭を垂れる女性。カーラは特に驚いたような様子もなく、彼女の名を呼ぶ。
「パメラか、二週間ぶりといったところか?」
魔王城を囲む黒き森、その最後の守備に付いていたのがこの女性、パメラであった。
「先代……と一緒にいらっしゃるのは、いえ驚きましたが理解出来るとはいえ、この者達は……」
困惑したようにパメラが言うと、カーラは肩をすくめて笑ってみせる。
「ふん。まあ、成り行きといったところだよ。私と相打ちにまで持ち込んだ者への敬意とか言っておくのが、建前としては一番無難か?」
「して、本音はどこにあるのです」
「突っ込むなお前も。まあ、良いか。こいつをだいぶ気に入っていてな」
言いながら指差したのはスゥである。
スゥはしばらく無言だったが、やがて嫌悪感もあらわにその場を飛び退いた。
「わたしっ!?」
「こいつは凄いぞ。お前も戯れる相手としては悪くなかったがな、こいつはあと数年も待てば、剣だけに限れば私を超えかねん。魔術と体術は落第だが」
カーラの言葉を聞き、ひどく可哀想なものを見る目をスゥに向けるパメラ。
それに対し、もはや投げやりな表情でスゥは答えていた。
「ああ、いえ。どうやら気持ち悪い方向性ではないようですので、わたしは構いません。望み通りにブッ殺してあげればいいんですよね? なるたけ早くヤれるよう努力します」
「あぁ……そういう所ですよねえ、気に入られたの」
「ぬぅっ……いきなり走り出してどうしたのかと思ったが……」
ようやく追い付いてきた虎の顔を持つ獣人の男が、荒い息を吐きながら言う。
「その様子を見るに、かつての主か。話し合いだけで済むのであれば、それに越した事はないが……?」
「ほう? この地の魔王に降ったか、貴様」
カーラが面白そうにパメラを見ると、パメラは身を震わせて平伏した。
「は……はっ! カーラ様が勝利されたなら二度とお目にかかる事はなく。万一敗れ、封印されることとなったなら、生きてそれを迎えなければと……恥を忍んで命を乞いました」
「それは別に構わん。このような事になった以上、私に忠義立てする必要もない。しかし、お前が目立った負傷もなくあっさりと軍門に下った相手か……」
カーラはきらきらとした目でパメラを見る。
「大魔王とやらは、強いのだな?」
「う……」
そこで焦れたように虎面の男は槍を振り回した。
「役目を忘れるなパメラ。この者達が強いことは見れば分かる。大人しく我等の同士となってくれるとはとても思えんのもな。勝てぬまでも決して逃さぬのが我等の役目」
「それは――」
迷うように言うパメラ、を待たずに獣人へと踏み出すカーラ。
彼女はその槍を掴んで止め、口を開く。
「御託は良い、さっさとお前達の頭目を連れてくるがいい。あの城に居るのだろう? 否だと言うのならお前の首を手土産に、こちらから出向いても良いのだが」
「こういう方ですので、特に必要無いかと」
「うぬ……何の気負いもない、ただひたすらに嬉しそうな目。なるほど戦闘狂の類であったか」
しかし、と虎面の男は続けた。口許に笑みらしきものを刻みながら。
「そなたは思い違いをしている。いや、気付かぬのも無理からぬことだが……あれは城などではない。あれこそが、我が主。大魔王グランゾ様の姿よ!」
その言葉と共に、城が立ち上がっていた――。
地響きを立ててこちらへと歩む巨体。
咄嗟に探査術式を発動し、アーベルは呆然と呟いていた。
「身長18メートル、かぁ……」
「これはまた、とんでもないものが出て来たものだな」
どうという事もなさそうに言うカーラに、虎面の男は高笑いをあげる。
「見たか、あれを! あれこそが、あの御方が居た世界において古代文明が作り上げた魔神機と呼ばれる代物よ。あれと渡り合える戦力などこの世には存在しない!」
「確かに、封印するしか無さそうな……ようやくそれらしいものが現れましたのね……」
ニーアはそう言って、ふと首を傾げてみせた。
「あら。そういえば封印って生命体だけだったのでは?」
「服とか鎧とか、その辺として扱われたんじゃないですかねえ、ほら、皆だってこっちに来た時全裸とかじゃなかったでしょ?」
そう言っている間にもずんずんと大魔王は近づいて来ていた。
最終的に300メートルほどの距離を開けて止まる。
『待っているだけで良い、と言われたが……本当にそちらから現れるとはな』
拡声術式を使い、更に指向性をかけて叩きつけられる声。目を眇めながらカーラは叫び返す。
「やはり、お前もこの女を狙う者か?」
『その通りよ。しかし、そうでなくともやる事は変わらん。我と出会った者全て捻り潰し、持っている物全てを奪う。自ら差し出すと言うのであれば、拒むものではないが?』
「笑えない冗談だ」
カーラがにぃ、と歯を剥き出すと、大魔王もまたその声に笑みを載せた。
『で、あろうな。ではいつも通りだ。我に降るかどうかは、終わった後もし貴様がまだ生きていたなら、その時に再び訊くとしようぞ』
「ふん、何故そこまで部下を欲しがる。というか、何故今それを呼ばん?」
『愚問だな。異界の魔王すら従える、その事実がただ心地よいだけ。言わば我がコレクションに過ぎぬ。獲物を狩るのに必要とするどころか、譲る気も無いわ』
言って、大魔王は構えを取った。
両肩の装甲から突き出している円錐形の物体に分割線が入り、延長、展開してゆく。
「くっ……!」
アーベルは咄嗟に呪文を詠唱すると、加粒子槍を次々と連射していた。
今回は小規模版ではなく、クレフにも見覚えのある巨大な光の槍が尾を曳きながら大魔王へと迫る。
だが、それらは全てガラスの球体に水をかけるかのように拡散させられ、弾かれていた。
「無駄なことだ。魔神機は両肩に、呪詛を利用した対魔法フィールド発生器をそなえている。あらゆる魔法を偏向防御し、接近する者の身を呪いによって灼く鉄壁の防御。これを破ることなど不可能!」
懐から何やら紙の束を取り出し、読み上げる虎面の男。
馬鹿馬鹿しくそれを聞きながらも、アーベルの顔には焦りが強くなっていった。
「そんな、どうすりゃいいってんですか!」
「うろたえるな阿呆ゥ! あんな物は大した代物ではない」
カーラが叫ぶもそれで納得する者など誰も居ない。知らず後退しながら、クレフは言う。
「だが……近づく事も出来ない、遠距離からの攻撃も無効化されるんじゃあ……」
「攻撃の仕様もありません。そう思えますが」
肩をすくめるカーラ。
「そもそもだ、良く考えてみるがいい。あんなでかい人型が、これほど小さい標的に対して攻撃しやすかろう筈もなかろうが」
『ほう……』
薄く笑う大魔王。虎面の男も紙の束をめくりながら何やらにやついていた。
『なるほど確かに、そうであるな。せいぜいが踏み潰す程度であろう。だが、これならどうかな』
大魔王の詠唱に応じて空中に現れる、100を超えるプラズマ球。一斉に降り注いでくるそれを、アーベルとクレフは防御――は無理と判断し、大量の斥力障壁を生み出して弾いてゆく。
辺りは一瞬にして爆炎に包まれた。
「つまり、攻撃手段は結局のところ魔法にたよるしかないというわけだ」
「充分だと思うんですけどぉ!?」
「確かに魔神機は対人を想定した兵器ではない。しかし魔神機の魔力増幅器と呪詛演算機により、操縦者の魔法力と魔法制御力は数百倍までも高められるのだ。拡大された対人魔法で、人の軍勢など蹴散らすのには十分。しかも脳波コントロール出来る!」
虎面の男は、自身もプラズマ球の着弾から逃げつつ律儀に紙を読み上げる。
いい加減鬱陶しくなってきたそれを蹴倒しつつ、カーラは大魔王を振り返っていた。
「そこで、だ。アーベル、クレフ、暫くの間私を防御しろ」
足を止めて剣を振りかぶるカーラ。その後ろに付いてアーベルとクレフはプラズマ球を弾く。
面制圧ではなくはっきりと狙いを定められつつある火球の群れを捌くのはなかなかの苦労だった。
近場に弾いてしまうと、爆発と熱が危険なレベルで身体を焼く。
「あまり持たないよ! ……いったい何をするのさ」
「こうだ」
身体強化を重ねて腕力と脚力をブースト。更に二、三度の回転を乗せて、剣を投げるカーラ。
アーベルは悲鳴をあげながらも魔術を発動していた。
強風の渦が生まれて回転する剣に絡み、その軌道を補正。そしてアダマンタイトの剣は対魔フィールドをあっさりと貫通すると、大魔王の左肩で唸る発生器に直撃する。
『ぬぅっ……!』
対魔法フィールド発生器は小爆発をあげて停止していた。破片がばらばらと降り注ぐ。
一瞬怯んだ大魔王だが、それでも本体へのダメージは皆無だ。気を取り直したかのように笑いを響かせていた。
『ふ、だが、無意味だ。自己修復により二分もあれば機能は回復する。片側の発生器が沈黙したとはいえ、貴様らに出来る事など――』
「だ、そうだが?」
こきこきと首を鳴らし、もう仕事は終わったと言わんばかりのカーラ。
それに、大魔王の足首付近へと走り込んでいたスゥが返す。
「二分もあれば……充分です」
ヒヒイロカネの剣をくるぶしへと突き込む。分割された刀身は内部機構をずたずたに切り裂き、分解していっていた。ままに、膝を屈めて下から手をかけ、一気にすねを斬り上げる。
『ば――』
自重によって崩壊してゆく大魔王の左脚。落ちてきた膝に再び剣を埋め、同様に切り裂く。
『馬鹿な、貴様……おのれぇぇっ!』
手を付いて叩き潰そうとする大魔王に、寸前で離脱するスゥ。続いてアーベルとクレフの加粒子槍が対魔フィールドの隙間から次々と大魔王の頭へと叩き込まれた。
『ありえぬ、こんな事は、まさか……おおぉぉぉぉおぉぉっ!!』
各部から爆発の炎を吹き上げさせる大魔王。そして、黒煙に包まれてようやく、それは沈黙していた。
「やるやるとは思ってたけど、本当に投げちゃうんだものなぁ……」
「だから、所詮レプリカだろうが」
残骸を前にがっくりと肩を落とすアーベル。カーラはどうでも良さそうに言い、それでも剣を回収すべく大魔王の残骸へと歩き出していた。