第5話 人の作りしもの
「では、次はクレフさんですね。こちらへ」
ニーアにベッドへと手招かれ、クレフは暫し戸惑っていた。
「何をするつもりだ」「何をするつもりですか」
そしてクレフが何か口にする前に、アーベルを吊り上げたときのテンションのままで二人が詰め寄る。
「やっぱ、仲いいですよねきみら!?」
適当に投げ捨てられ、向かいの部屋のドアにへばり付きながら言うアーベル。先代魔王とは思えぬ扱いに哀れみを覚えるが、ヒートアップしたこの二人が相手ではクレフすらも他人事ではない。
必死にわかる説明をしてくれとニーアに視線を向けて訴える。
「……治療ですが」
ニーアは小首をかしげながらそう言っていた。
「何だ、もうクレフの治療は終わったのではないのか?」
「いえ。先程彼女を起こしたのもそうですが、意識の無い状態での治療はそれなりにならざるを得ません。本格的な治療にはやはり、当人の感覚をたしかめながら行う事が不可欠なのです」
ニーアはクレフへと歩み寄り、その体を覆う魔力に触れる。
「お昼の時点では、既に出歩くことすら出来るのならと思っていましたが。やはり……今は殆ど体が動かせない状態なのですね?」
「では、これがすぐにでも解消出来ると」
スゥの問いかけにニーアはこっくりと頷く。
それを受け、スゥの表情は笑みの成分が勝った複雑なものに変わっていた。それをごまかすように自分の頬に平手をぶつけ、彼女はカーラを振り返る。
「それでは、治療の間表へ出ていましょう……貴女も」
「その必要があるか?」
と、カーラはスゥではなくニーアに聞く。ニーアが出来ればと同意すると、不愉快そうに鼻を鳴らしてアーベルを掴み、廊下を遠ざかっていった。
「待って、ちょっと、見たいんだ。治療の魔術式を……後生だよカーラ」
情けない声が徐々に小さくなる。
それを聞きながら、スゥは自身も部屋から出て、後ろ手にドアを閉めた。
そのままドアの前に膝を抱えて座り、静かに目を瞑る。
うっすらと夜が白む頃、背中でドアがかすかに軋む音を聞いて、スゥは顔を上げた。
振り返ると、そこにはまるで子犬を見るような表情をしたクレフが立っている。
「……よお」
その声を聞いて、クレフの胸に飛び込むスゥ。黒き民の女性は大柄なため、クレフとスゥの身長差は殆どなかったが、のけぞったクレフのあごに額をすりつけるような格好になる。
「大袈裟だって、これまでも動いてたし話してたし、そんなに変わりはないだろ?」
戸惑ったようにクレフが言うが、スゥは首を何度も横に振る。
「ちゃんと声が聞けないっていうのは、思ったよりも寂しいもの、でした……」
囁くように言って、顔を上げる。クレフとスゥの目が合い、そして――。
「ああクレフ、ようやく終わったのかい? 良かった、聞きたい事が沢山ぁ痛ぇっ!?」
真横に滑り込んできたアーベルが、無表情に戻ったスゥに腕をねじり上げられて悲鳴をあげていた。
続いて、音もなく忍び寄っていたカーラによって襟首を掴み上げられる。
「さてこいつ。どうしてくれよう?」
「吊るしましょう、なるべく高い木から」
「高い木か……思い浮かばんな。だが、近くの外壁に見張り櫓があった」
「それですね」
「お前らやっぱ、めちゃくちゃ仲いいじゃねぇかああぁっ!!」
アーベルは二人に引きずっていかれ、そして日が高くなるまで戻って来なかったのだった。
「いやあ、しかし凄いね。彼女の使う治療術は僕の知る形式のどれとも違う、それなのに物凄い速さと正確さで損傷が修復されていくんだ」
気力を使い果たしたニーアをベッドに寝かせ、クレフ達は宿の食堂を占拠していた。
宿泊客は他に誰も居ないので気を使う事はないのだが、それにしても興奮しきった様子でアーベルは話し続ける。
「どうだいクレフ? 君は自分の体に使われた治療術、分析出来たかい?」
「ああ……と言うより一応、知識の中にはあったんだが」
きちんと自分の舌で返答が出来る事が嬉しく、クレフは妙に上機嫌にそれに答えていた。
「通常、治療術として使われるのには3パターンある。自然治癒力を促進させる『治癒』、負傷する前の時点まで体を巻き戻す『復元』、ここまでは魔術師にも出来るな。そして神聖魔法のみが可能とするのが、体が持つ記憶を元に負傷部位を構築する『再生』だ」
「じゃあ、それが……」
「違うんだな。確かに俺が昏倒していた間、俺のばらばらになった体を繋ぎ合わせたのは『再生』だった。スゥの膝を治したのもそうだ。しかし、再度の治療で俺に使われたものは違う」
それは魂の記憶に従い全てを再構成する『蘇生』。その名の通り死者の蘇生すら可能にすると言われる神聖魔法の最高峰。クレフの世界でも過去の一時期、唯一神信仰が最も広まりをみせた時代にほんの僅かな期間だけ使えるようになった伝説的な代物だった。
その名を聞いてぞくぞくと体を震わせるアーベルとは対照的に、カーラとスゥは完全に興味がありませんといった表情で黙々と飯を食っていた。丁度男女でものすごい温度差だ。
「いやあ、そちらも自分の目で見てみたかったな。神聖魔法か、白き民の神官戦士達を戦場で見た時は、そこまで凄いものだとは思わなかったんだけど……黒き民でも入信すれば使えるようになるのかな?」
遂にはそんな事まで言い出すアーベル。つい数時間前、ニーアの事を怖がっていたとは思えない態度だ。
しかし流石にこれは聞き捨てならなかったか、カーラが口を開いていた。
「私には分からんな。唯一神信仰というのは、結局のところ一人の宗教家が妄想した虚構、実在しない神だろう。何故そのようなものを信じられる」
「それは……」
言い淀むアーベルに、クレフは助け舟を出す。
「俺達魔術師は信仰というもの自体が良くわからないからな。その問には答えられない。だが、唯一神信仰にははっきりとした利点と目的があるんだ」
それは、団結と協力であるとクレフは言う。カーラは更に不可解だと言うように片眉をあげた。
「唯一神信仰が生まれる前は、俺達人族……白き民も精霊神信仰だった。だが、こいつははっきりと言ってしまえば、神の数が多すぎたんだ。シェルディアとプレディケだけじゃない、火や水、氷や土、風といった大量の精霊神が居てそれぞれの部族が別の神を祀ってる状態だった」
「それは……実在するのだから仕方あるまい」
カーラが反論を返す。クレフはそれに頷いていた。
「そうだ、実在するのだから仕方ない。しかし実際問題として別の神を祀る部族同士は纏まれなかった。そこで、一人の男が神をたった一つにする事を思いついたのさ。個性のない、ただの"神"。名を呼び、区別することを許さない神。これまで祀っていた色んな神の抽象化だ。これが始まりさ」
「そんな事を認めたのか」
「ああ、黒き民の侵攻があったからな。一つの神の元に纏まって対抗する必要があった」
ち、と舌打ちをするカーラ。
「その後、最初にこれを思いついた男が死んだあとは、教会の上層部としては組織を維持して行かなくちゃならなくなった。なので、そこから色んな教義や教典、儀式やしきたりが生まれていったのさ。最初は戦争のために作られたんだ」
「良く……知っておられるようですね」
ふらふらと食堂に姿を現すニーア。その顔には未だ疲労が色濃く残っていた。
「寝ていなくても?」
誰よりも早く動いたスゥがニーアの脇に付く。
肩を貸されるのは流石に断って、彼女は席の一つに腰を下ろしていた。
「眠気はまだあるのですけれど……それよりも空腹に耐えられなくって」
恥ずかしそうに微笑むニーアの前に、カーラがパンのバスケットを押しやる。
それらの動きをただ眺めた後、クレフはアーベルと顔を見合わせ苦笑していた。こういう時どうにも、男は気の利いたことが咄嗟に出来なくて困るものだ。
「さて……クレフさん」
パンを一口かじり、コーヒーで喉奥へと流し込んだ後、ニーアはクレフに顔を向ける。
「聞かせていただきましたが、良く勉強しておられます。私の世界で一神教が出来上がったのも恐らくは同じような経緯でしょう。……やはり魔術師の方の見解ですから、受け入れ難い点も幾つかありますが」
疲労していながらも鋭い光を放つ糸目に、クレフは両手を上げる。
「すまない、貴女に宗教問答を仕掛けるつもりじゃないんだ。アーベルが知りたいのは、あとは神聖魔法についてだけだろうから、それだけ。魔術師としての見解を述べる事を許してもらえるかな?」
「……どうぞ」
ニーアはやわらかく言って、もう一口パンをかじる。
「神聖魔法とは、人間が作り上げた最古にして最大の魔術装置だろうな。俺達の世界でこれが作られたのは、さっきも言った最初の預言者が死んだ後。教会が新たな求心力のために躍起になっていた時期だ」
「魔術装置……」
アーベルが咀嚼するように繰り返す。それに頷き、後を続けた。
「それが目指したものは一つ、人造の神を作る事だ」
言いながら、クレフはニーアの様子を伺う。彼女は普段どおりの微笑をその顔に貼り付けていた。
「実在する神、精霊神たちは信徒からほんの僅かずつ魔力を吸い上げて糧としている。何か願いをかなえてもらおうなんて時には生贄、つまり大量の魔力を捧げて気を引くなんて事を、精霊使い達がした事もあったそうだな」
だがこれは結局のところ神次第だ。意思のある存在なのだから当たり前だ。
「だが、魔術装置である作られた神には意思がない。信徒から同様に魔力を徴収するが、それは彼自身のしたい事には使われず、ただ蓄えられるだけだ。そして信徒達が願えば、集めた魔力を惜しみなく与えてくれるのさ。……これが、神聖魔法と呼ばれるものだ」
「……なるほど」
ニーアが口を開いた。わずかに肝が冷える。
「こんなものを教会が作ろうとしたのは、まず教会に所属する分かりやすいメリットを作るためだ。神聖魔法は若干の魔力制御を覚えれば、元の才能に関わらず簡単なものは行使出来た。教会が提供する信徒限定のサービスとして、傷や病気の治療を無料、あるいは格安で、どこででも受けられるって売りを作ろうとしたんだ」
教科書の受け売りだが、アーベルには新鮮な話だろう。
その先、教会が徐々に拝金主義へと突っ走っていく流れについては流石にこの場では省く。
「もう一つは、魔術師への対抗だ。当時、代々の精霊騎士と多数の精霊使いを抱えた魔術師達は、精霊神信仰の最後の砦みたいな扱いをされていた。教会とは自然と対立し、教会は魔術師に抗し得るだけの戦力を自前で用意しなきゃならなくなった」
「そりゃ無茶だ。魔術師抜きで魔術師に対抗するって、弓なしで戦をやるようなものでしょう?」
アーベルの言葉に頷いてみせる。彼も続く言葉は分かっているのだろうけど。
「そのための神聖魔法だ。100人の戦えない一般人から集めた1の魔力で、本来魔術師になれる素質のなかった兵士一人を同等の存在にする、そのくらいを最初は目指していた」
だが、実際それが動き始めた後、誰もが気付いたのだ。
それどころではない代物が出来てしまったという事に。
「人が増えるほど、時間が経つほどそれは顕著になった。一万人の信徒から集めた100の魔力、これを使って戦う100人の神官戦士は、100人の魔術師と同格ではなかった。はるかにそれを凌駕する存在だったんだ」
1の魔力を持った者100人と、100の魔力貯蔵庫を共有する100人。
瞬間的な出力でも持久力でも、また部隊としての耐久性でも、そこには恐ろしいほどの差があった。
「その後はまあ、力が増えれば気も大きくなるもんだよな。教会による異端狩りの嵐が吹き荒れ、今では魔術師すらも表向きは唯一神信仰って事になってる。精霊騎士がプレディケの名前すら忘れちまうって事態になった訳さ」
「……気に食わん」
カーラが鼻息荒く呟いて、クレフの講義は終了していた。
「なるほど、良く分かるお話、ありがとうございました」
ニーアが穏やかに言う。どうやら彼女を決定的に怒らせる事はなかったかと、クレフは胸を撫で下ろした。
しかしニーアはその後すぐに、深い溜め息を吐き出してみせる。
「ですが、残念です。わたくしがクレフさんをお救いしたのは、恥を恐れず申し上げれば下心あってのもの」
やや腰を浮かしかけるスゥとカーラ。一体何を想像したんだ君らは。
「しかし、わたくしの願いを聞き届けていただくのは難しいと、今の話を聞いて……」
「いや、改宗してもいいぜ」
こともなげにクレフは言っていた。その場に居た全員が、目を丸くしてクレフを見る。
「言っただろ? 魔術師も今は唯一神信仰って事になってるって。昔の異端狩り時代を生きた魔術師ならいざ知らず、今の魔術師にはもうこだわり自体が無いんだよ。俺も月に一度は教会へ行って小銭を寄付してた。そのくらいの信者でいいんだったら構わんよ」
「……ああ、神よ! 感謝します!」
がっと両手を組み合わせるニーアと、良く分からないといった表情を浮かべる他の三人。
「あの、なんでそんな不真面目な信者一人加わるのが嬉しいんです?」
恐る恐る聞くアーベルに、クレフは答える。
「神聖魔法にとって、信者の数と質こそがあらゆるパワーの源だからな。質と言っても敬虔さ度合いじゃない、魔力の供給量なんだが。ま、どうせ余らせてる魔力だ、命の恩人に使ってもらうなら願ってもないさ」
あまりにぶっちゃけ過ぎた物言いではあったが、ニーアはあえて訂正する事もなかった。




