二乗と三割の夢と密封空間
夢を見るのは脳の中で十分です。たとえそれが零割にも満たないのだけど、それはそれで満足なのです。だから、声を出さないで下さい、意志をぶつけないで下さい。それは必要ないのです。
実際、時計の針が三割動くのにも満たないのです。それほどまでに力はありませんでした。無力でした、無力でした。解っています、これは言い訳なのです。
二乗に膨張させたとしても、中身は空でした。どこまでも中身が無かったのです。無力でした、無力でした。解っています、これは言い訳なのです。
全てを受け入れたときに気づけたと言えるでしょうか、何をしようと無いものは無いのでした。だからこそ言い訳を綴る事しか出来ないのです。正確には無力では無いのです。ただ、それをしようとしなかったのです。
できることと言えば、2色に込める事だけでした。それでも、インクのビンを零しただけでは何の意味も無いのです。零距離に何を入れたとしても、満たされないのです。
つまりは、意味なんて無いのでした。どれだけの言い訳を重ねても、どれだけの黒を広げても、それにどんな意味があるというのでしょうか、本来無いものに、何かを詰め込んだとしても、それは見えないのですから、理解なんてされないのです。
誰の眼にも留まらずに、ただ虚空の中に消えていく。いえ、違います。初めから虚空の中なのでした。それでは、仕方ないです。どれだけ悲しくても仕方ないのです。
まるで夢うつつです。現実であるというのに、まるで眠っているように、現実感なんてありません。もしかして、目覚めたら、それは、夢なのかも知れないのです。
そう、虚空だからこそ
夢を見るのは脳の中で十分です。とても、満足でした。