第一章3 『鳴く後輩と喋る猫』
春のひだまり。アスファルト。作物の植えられていない田んぼ。立ち並ぶ桜の木。
外に出るといろいろな感覚が五感を刺激する。目、耳、鼻、肌。それらのすべてが総動員し外の世界を感じようと働く。
暖かくて気持ちがいいのはいいんだけれど。
いい香りが漂っているのも悪くないけど。
舗装された道は歩きやすくて痛くないのはうれしいけど。
だけれど太陽の発する光だけは、好きになれねぇな。
歩いていると、まだ八時過ぎ、学校に通う少年少女とすれ違うくらいのものだ。いたって平和そのものの様な光景。
隣を歩くみぃちゃんも、仕事中に着る黒のパーカーではなく赤いパーカーを着て、動きにくそうなブーツ。ある意味動きにくそうな短めのスカート。それに桜の花びらをかたどったネックレスを首元にぶら下げる。
いつからだったか。俺がいつでも戦える準備をして出歩き始めたのは。大分前のことで、もしかしたら記憶を限界までさかのぼってもたどり着かないかもしれない。
……ああ、やめだ。無駄な思考は止めて、今はこの平和に溶け込もう。
そう考えた俺の腕に、彼女がしがみついてくる。
俺が見ると、笑い返してくるそれは、まさに平和の象徴たる笑顔に見えた。
少し歩いて、民家の数が次第に少なくなっていく山の方面。ちょっとだけ坂を上って、歩いているときに適当に考えた目的地へたどり着く。
丘の上の公園。そのベンチ。
目的地。
「せんぱい。公園デートですか?」
「……ああ。もうそれでいいよ」
ベンチに俺が腰かけると、それに続いて彼女も横に来る。
……別に改めて言うようなことでもないが、これは公園デートなるものではない。
俺の目的はあくまで情報収集である。
俺が睡眠中に出した結論。超一流の情報屋との接触。それが目的。
ただし、別に待ち合わせなどをしていたわけでもない。あの子、潜夜猫の連絡先などを知らない俺はそもそも連絡手段を持っていない。
だが、あの子はどこにだって存在しているのだ。あの子という存在は一人なれど、あの子は一人ではない。
「みぃちゃん、猫の物まねしてみて?」
「はい?」
「可愛い後輩の、より可愛い姿が見たいんだ」
「え? 今私のこと可愛いって言いました! ? よーし、みのりちゃんせんぱいの為に頑張っちゃいますよ!」
扱いやすすぎるだろ。可愛いって言っとけばなんでも言うことを聞いてくれそうだ。
にゃー。
両手を胸の前で、猫の手。
ああ、鳴き声だけでよかったのだけれど。
でもこれ、ちょっとおもしろいからそれでいいか。
「もっとリアルに」
「……にゃー?」
「もっともっと!」
「…………にゃ……にゃー!」
可愛い。ちょっと恥ずかしがって顔が赤くなっているところとか最高に。もうずっとこのまま見ていたい。
が、そこに来客が現れる。予想していたよりもだいぶ早いな。
「吾輩を呼んだかね?」
ああ、お前を呼んだんだ。
来客である黒猫は、こちらを一瞥し、そして俺の膝の上に飛び乗ってくる。
「え? 猫が……猫がしゃべりましたよ……ね?」
「ふむ、そちらのお嬢さんは初対面であるな。ならば初めに自己紹介をするのが礼儀というものだろう」
黒猫はみぃちゃんの方を向き、頭を下げる。言葉遣いの通り、凛々しく、そして気品すら感じさせる獣であった。
「吾輩は猫である。名前はない」
「パクるなよ」
気品がなくなるぞ?
「いや、しかしこれが真実なのだ。吾輩のことを呼ぶ人間自体が少ない上に吾輩の名付け親足りうる彼女は別段吾輩に名前をくれるわけでもない。よって吾輩に名はない。好きに呼ぶがよい」
猫はそう言って、もう一度頭を下げ、よろしく頼む、と言った。
「あ、私は……山桜みのりです……? よろしくお願いします? 」
みぃちゃんはまだ現実が受け入れられていない様で。だけれど、とりあえずの流れとして自己紹介をする。
「ふむ、山の桜が実る、か。よい名だ。お嬢さんと同じでとても美しく、力強さを感じる。大切にするがよい」
「あ、はい……」
「して、いつきの小僧よ。吾輩を呼んだ理由を聞こうか」
ダンディズム溢れる黒猫はそう言って、俺の膝の上でまるまった。
潜夜猫。情報屋のトップである潜夜家の第三位。潜夜の隠れ猫。
彼女の異常性は、猫限定での「動物と話せる能力」だと理解されている。が、厳密に言えばそれは間違っていて、彼女の異常性は「猫のレベルを人と関われるレベルにする能力」である。
自己の能力上昇ではなく、他者、この場合は他猫と言うべきかもしれないが、他猫に干渉する能力。
しかも実際に猫は話しているわけではなく、これはテレパシーのようなもので、はたから見ればただの猫と変わらず、この猫もにゃーにゃ―言っているだけだ。
だからこそ第三者に盗み聞きをされる心配なく、また、ただの猫を装いながら、彼女は情報を集め拡散する。
他にも猫一匹一匹の視覚、聴覚はすべて彼女に伝わっているらしく。
まあなんというか。情報屋にうってつけの異常性だった。
そんな彼女の部下の一人。いや、一匹に、俺は本題を切り出す。
「黒猫、黒神家、『黒神一門』を知ってるか? 」
「……小僧も知っているとは思うが吾輩の記憶と猫嬢の記憶の交換は一方的である。吾輩の記憶は吾輩と猫嬢のものなれど、猫嬢の記憶は吾輩のものではない。知っていて、吾輩にその情報を売れ、と言っているのか?」
「ああ。とりあえず一万円な? 猫のお姫様本人からの情報は百万ぐらいで買うが」
俺がそう告げると猫は少し考えた素振りで、「ふむ」といい、俺の膝から飛び降りる。未だ結論は出ていないようでその場をぐるぐる回り。
だがそんなに待たないうちに立ち止まる。
「小僧よ。契約は成立した。まずは先払いで料金をいただこうか」
そういった猫。
その答えに俺は、ポケットの財布から一万円札を取り出して。小さく丸め、猫の首輪に挟み込む。
「よかろう。我が青い瞳に誓って、見聞きしたことを話そう」
猫はその瞳を細め、その場に小さくしゃがみ込み、口を開かず、語り始める。
「まず、初めてのお嬢さんがいるのでな。吾輩の情報をお嬢さんに与えよう。吾輩がどれだけ使い物になる情報屋なのかを、知ってもらおうというわけだ。速い話が新規顧客の獲得、であるな。
「はじめに、吾輩は猫嬢……潜夜猫の眷属である。これは猫嬢と契約を結び雇われた、と理解してもらうのがいい。
「だが、吾輩はただの雇われではない。いうなれば……中間管理者、だ。猫嬢の欲しがる情報を、吾輩は部下を使って集めさせる。……もちろん吾輩も探し回るがね。
「だから吾輩の情報収集能力は、部下のものも合わせ、猫百匹分だと思ってもらって構わない。猫はどんな暗闇にも潜み込む。吾輩たちに探れない情報などないのだよ。
「吾輩から情報を買いたくなったら、また鳴くがよい。今回の鳴き声は中々にいいものであった。羞恥に染まる表情が吾輩を呼ぶ合図になる」
……そこまで言って。猫は空を見上げる。
「猫嬢の性癖でな。羞恥の顔を見るまで契約をしてはいけないと仰せつかっているのだ。初めは吾輩も理解できなかったが、しかしこう何度も見ていると中々に趣深いものである。……この小僧だけは猫嬢の申しつけでその過程は省くが……しかしお嬢さん! 貴方の羞恥は最高であった! 」
「少し黙れ……。みぃちゃん引いてるから」
……初耳だった。てっきり猫と対等になれる、見下さない人間を探すための手段だとばかり思っていたが、しかし裏にはとんでもない真実が隠されていたものだ。どこにでも、知らないほうがいい真実ってものが存在しているもんだなぁ。
って言うか猫ちゃんの性癖をばらしてやるなよ……。それでもプロか?
ああでも、対価を払って、それが例え主の性癖だろうと、新規顧客を得るのはむしろプロの中のプロともいえるかもしれない。
「黒猫、もう一万やる。……だから今後、猫ちゃんの性癖はばらしてやるな」
「口止め料であるな? それが契約ならば、受け入れよう」
首を上に向け、お札を入れやすいポーズをとる。
プロ……なんだけどなぁ……。
お札を、今度は丸めずに挟もうとしたところで、しかし猫は一言付け加えた。
「まだ契約が完了しているわけではないから一つ言うが……猫嬢はこういう類の情報を吾輩たちに流されることによる屈辱、羞恥をも自分で愉しんでおるぞ?」
無言で札を挟み込んだ。
昔々、と言っても十年前。その時点まで黒神という悪の組織が存在しました。
彼らの性質は「強きを挫き弱きを助く」というわかりやすいもので、混沌とし始めた世界では非常に重宝されます。
初めは対暴力団として、悪者を次々とやっつけていきます。
誰も依頼などせず。噂話の伝言ゲームによって聞きつけた悪者を、彼らは皆殺しにしていきます。
次々と。次々と。
悪意を持ち、或いは利益だけを求めて非道なことをする輩は、やがて彼らに駆逐されつくしました。
もっとも、彼らの耳の届く、小さい世界の中での話でしたが。
しかしその小さな世界に異物が入り込み始めます。それが戦争です。
世界各国から悪人が入国してきます。ここでいう悪人とは、「どんな理由であれ人を殺す人」のことです。戦争中で、だからこそその小さな世界の中に、外側から多くの悪人が入り込んできたのです。
次々と。
それを彼らは。
また同じように殺します。次々と。次々と。
そのころから彼らは武装集団、黒神一門と呼ばれ始めました。名前を誰もが知るようになり、だけれど誰の前にも姿を見せない。
誰もが恐れる集団へと姿を変えたのです。
もし少しでも悪いことをすれば、彼らに殺されてしまう。「弱きを助く」。その集団が守るべき存在に恐れられ始めたのです。
しかしそれでも、黒神は止まりません。悪を探し、悪を殺し。無限ループ、と言うのでしょうか。次々……殺していきます。
殺して殺して殺して。
助けて助けて助けて。
ここまでが黒神一門の「表」の評判です。
ここからは黒神一門の「裏」の真実です。
戦争が始まり、最終期に入るまでの、お話。
そのころ、最強の武装集団と謳われた黒神に、転機が訪れます。
それは一人の男の子から始まりました。
男の子は黒神で生まれ、黒神で育ち。だからこそ彼も黒神の枠にもれず、十歳にして最悪を冠するほどの殺し屋になります。
子供として近づき、子供のままに殺す。彼の本質は残虐性でした。一息で殺しません。削って削って、剥いで剥いで。折って折って。泣き叫ぶ声を聴きながら、殺人を続けます。
彼の悪名は世界に轟きました。黒神の守る小さな世界だけでなく、その外にまで。
人類最悪の存在。黒神極檻。
檻を極める。小さな枠組みを檻で囲って、鳥かごの中を安全に保つ。黒神の本質のような名前の少年。
しかし、少年は悩みました。
僕の殺した相手は、人殺し。死ぬべき存在。
しかしそれを殺す僕もまた、人殺し。死ぬべき存在。
自分の中の、黒神の中の善悪に彼は疑問を持ち始めたのです。
お父さんに聞いても、お母さんに聞いても、彼の疑念は消えず。どころか次第に大きくなるばかり。
そして戦争は最終期に入りました。もっとも当時の人々からすればそれは察知できるものではなく、いつまで続くのかわからない恐怖に心を病んでいたでしょうが。
ともかく。
そのころ。
彼は決意したのです。
少年は刃を取り、異常性を発揮します。それは彼にとって疎ましい異常性でした。
「すべてを破壊する能力」。それを彼は、初めて自分の意思で発動させたのです。
楽しくない、悲鳴も何も聞こえない殺人は彼にとってつまらないものだったでしょうから。
それでも彼はその能力を使って。
黒神を殺し始めました。
触れれば崩れる。彼にとって人間とはそういうものです。
もちろん黒神の人間も、いくら最強と言っても人間です。
だから彼は、全ての黒神に、触れました。
そして、皆死にます。
最強と謳われた黒神一門は、こうして最悪の黒神に、滅ぼされました。
「だが、黒神極檻が最後にどうなったのかは、猫の噂にも届いていない、な」
黒猫は自分の知っている情報を話し終えたようで、またも膝の上に飛び乗り、丸まり。
「吾輩たちが知っているのはここまでだ。小僧、質問は聞いてやるぞ?」
そう締めくくった。
黒神、噂に聞く最強の武装集団。それがなぜ滅んだのか。それが黒神にまつわる最大の謎だったのだが、しかし内部分裂なのであればわからなくない。
というかそれ以外に納得できる答えはないだろう。
質問はいくつかある。
一つ目、その情報の信憑性。
「信憑性はない。吾輩たち猫は子の時に親から話をよく聞く。人間でいうところの読み聞かせのようなである。なにぶん吾輩たちには書を書き纏めることはできないのでな。そうやって吾輩たちの生まれる以前の噂を身に着ける」
つまりはこれも伝言ゲーム。親から子へ。繋がれる話。
二つ目、黒神極檻の生存率。
「高くはない、だろうな。だが、生物と言うのは自分から死ぬ事を忌避する存在であるがゆえに。そして加えて、その者がいくら壊れていようとも、黒神の呪いからは逃げられないであろう。と言うよりも、呪いのせいで、か。全ての黒神の抹殺。自分がやり残していれば大問題だと考えれば、極檻とやらは死ねんよ」
極檻は自ら死を選ぶことができない。加えて所持するは最強、いや、最凶の異常性。黒神という言葉の具現化のような男。
今でも生きている確率は高くはなかろうと、可能性はなくはない。
三つ目、これは今の話とは違うが、黒神は生き残っているのか。
「極檻が始末し損ねるとは考えられない。が、認識していない黒神であれば可能性はあるかもしれぬな。世界も混沌としていて、だから情報がどこかで途絶えてもおかしくはないであろう。今の極檻も、生きている可能性はあるのだからな。しかしそういえば……」
黒猫は続ける。こちらをしっかりと見据えて。
「黒神世界。そんな名の人間が最近台頭し始めた。そんな噂を聞いたことがある」
そうか。
黒神世界。それが黒神一門の人間なのか、或いはそれに憧れた模倣者なのかは今までの話からはわからない。しかし、可能性はあるのだから辿ってみるのも面白いか。
ネーミングセンスからして黒神の人間である可能性は低くない気もするし。
「ありがと。いい話を聞かせてもらった」
「情報屋の名と、この瞳に賭けて、値段分の情報は渡すのが吾輩である」
「あと少し足したらもっと出てくる?」
「それに答えるには追加の料金をいただこうか」
そうかい。
俺の顔が少しにやけて、ふふっと笑い声を発する。
まったく、お前はプロだよ。
「また頼むよ」
そう告げると黒猫は俺の膝から降りて。
「ふむ、またいつでも呼ぶがよい。できることならそのお嬢さんを使って、な」
そう言って、俺たちに背を向ける。
少し歩いたところで、だが一度振り返り、今度はみぃちゃんに話しかけた。
「お嬢さんよ。吾輩の楽しみは人間と話をすることである。が、吾輩の職業柄話しかけられる人間には一定の制限があるのが事実。守秘義務、と言うやつであるな。世間話でも愚痴でもよい。暇があったら吾輩を呼んで欲しい」
「わかりました。黒猫さん。私もお話が聞けて良かったです。また呼びます」
みぃちゃんがそう告げると、満足げに頷いてこの場を去る。
まだ日の高い中を悠々と歩き去る黒猫。
やはりどこか気品を感じさせるいで立ちだ。
やがてその姿は見えなくなって、だから俺はみぃちゃんに確認した。
「アレを呼ぶってことはまた恥ずかしい鳴き声を上げないとな」
「え? ……あ。あぁ……。ふんっ、いいです。今日帰ったら『せんぱいに公園で穢された! もうお嫁にいけない!』って叫びまくりますから」
とんだ藪蛇だったか。今日帰ってからの修羅場を考えると、なるほど。猫の手も借りたいぐらいに荒れそうだ。