21.獣人族の少女Ⅰ
「っしゃぁっ!!」
勝利の雄叫びを上げるレオを諌めるように、すぐ脇を氷の槍が飛んでいく。
何事かと思って視線を背後に向けて見れば、そこには今、自身が手を下した剣山猪がもう一体、氷の槍に額を貫かれ事切れていた。
「調子に乗らないの」
レオが屠った針だらけの猪――剣山猪の向こう側から、氷の槍を放った美しきエルフは呆れたようにレオを諭す。その隣で可憐な人族も溜息をついていた。
「多少使えるようになってきたかと思えば……まだまだね」
ティナとユキの異種美人ペアだ。
並んでいるとそれはもう目の保養を超え、眩し過ぎて胸が痛くなる。
そんな美人二人にダメ出しされて扱きおろされればそれはもう辛抱堪らない――わけがない。
自身の成長を認めてほしくてレオの口からはやっかみが漏れる。
「な、何もしないユキよりゃマシだろ?」
「ご主人様に対してよくそんなことが言えるわね。さすがモブオだわ」
レオも本音ではそんなことは思っていない。
ユキは例の復元魔法程ではないが、確実に治癒魔法を身につけ始めていた。戦闘には参加しないものの、何もしていないわけではないのだ。
自分一人が足手纏いになってしまっているのではないかという焦りからそんな発言をしてしまう情けない自分を悔いる。
しかしユキはそんなレオの心情を理解しているのか、大して気にも留めずにいつものようにレオを貶すのだった。
レオも決してユキをご主人様と認めた覚えはない。ないのだが、やたらとその立ち位置を主張してくることもあり好きにさせている。恐らくは全メンバーが揃った時にパーティの中で最も使えない者と思われるのが嫌なのだろう。
しかし、このパーティメンバーにおいてそんなことを思う者がいるわけないことはレオもユキも実際のところはわかっているのだ。だからそれらの劣等感はレオとユキの個人の気持ちの問題だった。こればっかりは個々人にしか解決できない。
足手纏いからの脱却。それが二人の目下の課題であった。
二体の剣山猪を請け負ったアーサーが汗ひとつかかずして三人の元へと戻ってくる。
「大丈夫だよ、レオ。レオは着実に強くなっている。安心していいよ」
アーサーはどんな時でも優しい。求めているものが全て見透されているかのように、レオの成長を褒めてくれる。これがアーサーの魅力なのだろう。
このアーサーのためならばと、レオも頑張れるのだった。
ギフティアに到着して冒険者登録を済ませてからと言うものの、レオ達は依頼を数多くこなしてきた。
剣山猪などという元の世界では見たことのない猛獣も、アーサーの剣技指南によって何とか一人で倒せる程にはなっていた。
彷徨いの森での反省を活かし、武器は片手で持てる剣と盾にした。剣を持つのはユキによって復元された右手だ。
盾で防ぎ漏れようとも、剣で防ぎ漏れようとも、この右腕には敵の攻撃が通じない。それはレオにとって、激痛を経てユキの奇跡で得た最硬の右腕だった。硬い、というのは正確ではないかもしれない。ある程度の肌の弾力がありながらもその肌は何をも通さない、というのが正確だった。
その右腕のおかげで戦い方に勢いがついているのは事実であり、しかしそれはまた、右腕に頼った安易な戦法に陥りやすくもあった。一人前の戦力となるにはそう簡単にはいかない。
この世界の戦士の誰もが通る苦難の道を、レオは今まさに歩いているのだった。
「そろそろあるはずなのだけれど……」
アーサーが剣山猪の硬皮と肉を剥ぎ取っている傍でティナは森の中を見通そうと切れ長の目を更に細める。
依頼をこなしていくうちに、様々な情報も入手できた。
冒険者の中には有名なエルフもいるようだったが、ギフティアでさえもエルフの存在は稀有であり、ギルドに顔を出せば物珍しさとその美しさからティナに声を掛けてくる者も多かった。
もちろん、物怖じしないティナはそれらを適度にあしらった。中には引き抜き前提で近寄る者もいたが、ティナ自身の能力の高さとそれに見合った実力を持つイケメン紳士なアーサーの存在もあって最近では変な誘いも落ち着いている。
二人のコミュニケーション能力の高さのおかげもあって、レオ達の元には欲しい情報が自然と入ってくるようになっていた。
今、レオ達はギフティアから北東の大国ハイネスト領内にいる。
山々に囲まれたこの国には、獣人族の集落が多いという情報を手に入れたからだ。
獣人族の集落がある、という情報だけで仲間の一人を探すのは些か無理がある話だったが、レオ達はその情報に縋ることしか出来なかった。
仲間の一人、明朗快活な獣人族のミーシャを探しに来たのだ。
そしてハイネスト領内の山中へと立ち入り、剣山猪に遭遇して襲撃を受けたのだ。
「まぁ焦ることはないんだし、ゆっくり探そうよ。肉も大量に獲れたし、今日はここらで休もうか?」
日も暮れ始めており、アーサーのその提案を拒む者は誰もいなかった。
◇◇◇
レオがこの世界に来てティナが仲間に合流してから認識を改めたことがある。
それは『エルフ族も肉を食べる』ということだ。
エルフ族は森の恵み(植物)しか口にしない――というのはこの世界でも一般的な認識として間違ってはいなかった。
しかし、ティナは食べるのだ。
何の躊躇もなく肉を食べるのだ。
その光景に最初はレオも驚きを隠せなかったが、ユキは夢見の頃から知っていたようで「何を今更……」と呆れられた。
アーサーは基本『みんな違ってみんないい』精神の持ち主であるため「エルフが肉を食べてもいいじゃないか」と言うだけだ。
「もちろん、無駄な殺生はしないわ。食べるためと自衛のためなら仕方ないって割り切ってるの。流石に意思疎通が可能な子達を狩ろうなんて思えないけどね」
というのがティナの弁だ。
この『意思疎通が可能な子達』と言うのは、どうやら所謂草食動物を指すらしい。
元の世界で得たファンタジーの予備知識など、所詮ファンタジーであり、ただの偏見になってしまうのだとレオは考え方を改めた。
剣山猪の肉を美味しくいただいて、各々が寝る準備を始めたところで、レオは用足しのために野営地を離れる。
この世界に来てからの唯一と言っていい程の不満が、用足しだった。
詳しいことは敢えて言うまい。
街中であれば問題はない。しかし野営となれば、水洗生活が当たり前だったレオにとっては最初は苦痛でしかなかった。
この世界に来てから数ヶ月経って漸く諦めもつき慣れたが、ユキはさぞ不満だろうと思う。
(もちろんそんなこと聞けねぇけどな)
などと思いながら野営地の焚火がギリギリ見えるところまで離れて用足しポイントを探す。
すると野営地とは反対側、レオの視線の数十メートル先で何かが動いた。
レオの脳裏にトラウマがフラッシュバックする。
(大きくねぇし……今の俺なら大丈夫だよな)
盾は置いてきた。しかし、剣は常に携えるようにしている。
腰の剣を確かめると、闇の中で騒めく影にゆっくりと近づいていく。
すると影の向こうから複数の人型が迫るのが見えた。
その影は狩りで追われているのか、茂みを隠れ蓑にしながら少しずつ、しかし素早くレオに迫る。どうやらレオには気付いていないらしい。
(よし……やれそうだ)
そう思った刹那――
――パキッ。
小枝を踏み折る微かな、ほんの僅かな音。
「グル゛ル゛ルルァァァァァ!!」
「!!」
途端に影が獣たる咆哮を上げて茂みからレオへと飛びかかる。
剣を抜こうとするも急激に間合いを詰めるその速度に間に合わないと判断。
その先にいた複数の人型の塊――狩人達から「いたぞ!」とか「あそこだ!」と声が上がるのを耳にしながらレオは咄嗟に右腕を掲げる。
その右腕を掴まれ、咬まれる感触と共に押し倒される。
「くっ……」
「グルルルルッ!!」
獣は小柄でありながらも、思ったより力が強かった。右腕を咬む力を弱めることなく、咥えながら唸り続け、レオを組み敷く。
「レオ! 無事か?!」
騒ぎを聞きつけたアーサー達も向かって来ている。
しかし、アーサー達の到着は狩人達よりも少しだけ遅れそうだった。
目の前の獣越しに人影が4人分走ってくる。
その内の2人が剣を抜き、そのままレオの上に覆い被さる獣へと剣を斬りつけようと振りかぶった時、雲間から顔を出した月明かりが、獣を照らした。
「!!」
剣が振り下ろされる刹那、レオは身体を横に跳ね上げ回転させると、自分を襲ったものと身体を入れ替える。
反転したおかげで一太刀は躱した。
しかし、立て続けに迫るもう一太刀は躱しようがなく、レオはその背に刃を受ける。
「ぐっ!!」
「グルルルルッ!」
レオは自分の胸の中にいるものに刃が届かぬよう、押さえつけながら覆い被さる。
「だ……大丈夫だ……ミーシャ。絶対、絶対に俺達が守ってやるっ!!」
レオに襲いかかったのはミーシャだった。
理由はわからないが――いや、この4人組に襲われているからだろう――ミーシャは興奮している。
そして更に顔も知らない者達に囲まれればどんな行動に出るかもわからない。下手したらアーサー達に危害を加えてしまうかもしれなかった。
レオは痛みを堪えながらも目の前にいる仲間を安心させるべく力強く呼びかけ、押さえつけるのをやめない。
名前を呼ばれた獣人ミーシャは唸り声の勢いを落とすと、右腕を咥えたままでレオをじっと見つめた。
「アーサー!! 俺の下にミーシャがいる!! コイツらはミーシャを殺そうとした!! 頼む!!」
「何だコイツ! 生きてやがる!」
「構わねぇ! 殺っちまえ!」
ミーシャに殺されていると思われていたのだろう。
死体と思っていたレオからの叫び声に4人は驚きの声を上げる。
しかし、それも一瞬。
レオが生きていようが死んでいようが関係なかった。
即座に態勢を整えると、1人の男がレオの背へと剣を突き立てた。
「ガハッ……」
「レオ!!」
アーサーの叫びを聴きながら、腹からこみ上げる血の塊を留めておくことが出来ず、レオの口からは血が流れる。
背に刺さった刃が腹から突き抜けていないことを確認すると、安堵と共にミーシャに詫びる。
「すまんミーシャ……お前の可愛い顔……汚しちまった……」
レオの背後で閃光が煌めき、斬撃の音と醜い断末魔の声が響く。
そしてすぐ傍でユキの声がした。
「よく守ったわね、モブオ。私も全力で、あなたを死なせないわ」
ユキの優しい温もりを感じながら、レオの意識は、深い闇へと落ちていった。
◇◇◇
「ミーシャ、私よ? ユキよ? わかる?」
「グルルルルッ」
「無理でしょ。私もユキのことわからなかったんだから」
「……みたいね」
焚き火の傍で寝かせているレオの傍を離れようとしないミーシャにユキは声を掛けるも、唸り声を前にミーシャの興奮を抑えられないと諦める。
レオを治癒した時にミーシャはレオから逃げるように跳び離れた。しかし、今は傍で寄り添っている。
恐らく離れたかったのは、ユキ達とだったのだと思われた。
「ん……」
「起きたわ。現状を改善できる英雄が」
「……お、わっ! ミーシャ近っ!」
目の前にはミーシャの顔。
状況を把握しようとレオが頭を巡らそうとすると柔らかいものが顔を包む。
ミーシャが目を覚ましたレオの頭を思い切り胸に抱き締めたのだ。
「ふがっ! みーひゃ! 息がっ――」
「あうっ。ごめんなさいなんだな」
「あら、このコちゃんと喋れるじゃない」
「よかった。喋れないのかと思っていたよ」
ミーシャの豊満な双丘に顔が埋まっているレオのことなど御構い無しにアーサー達の意識はミーシャに向いていた。
身体を起こしてミーシャの頭を撫でると、レオはアーサー達に向き直る。
「この状況、何?」
アーサー達は焚き火を挟んで反対側だ。
レオは1人、ミーシャに抱きつかれながら孤立していた。
「そのコが近寄らせてくれなかったんだ」
「愛されてるわね、レオは」
「命懸けでミーシャを守ったんだし、それは評価してあげるわ」
3人は笑顔でレオとミーシャを見つめる。
ミーシャの顔を見れば、鼻をフンフンと鳴らしながらレオの腕へと頬擦りしている。
「なぁ、ミーシャ。少し話してもいいか?」
「っ! 嫌なんだな! 離して欲しくないんだな!」
「え、いや、でも話さないと――」
「いーやー! 離れたくないったら離れたくないんだな!」
「ん? 離れたくない?」
「なんだな!」
どうやらミーシャとの会話が噛み合っていなかったようだ。
言葉は難しい。聞き間違いということもあるが、互いの優先したいことが脳内で都合のいいように受け取られてしまうことがある。
認識の齟齬をなくすためには、一つ一つ誤解のないようにしなければならない。
「離れなくていいさ。その代わり、お喋りしてもいいか? 色々と共有したいんだ」
「うん? もちろんなんだな」
ミーシャの弾力を感じながら、思わず緩む頰をレオなりのポーカーフェイスで隠しながら会話の時間を持つことを提案するが――
「イヤラシイ……モブオ、許してあげるのは今日だけよ」
ユキにはバレバレだった。




