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1.夢の始まり



 けたたましく鳴る連続した金属音が脳を殴りつけてくる。音の出所にのみ脳を集中させ、目をつぶったまま手を伸ばして不協和音を奏でる機器を止めようと試みる。


 手を伸ばす。ない。

 手首を左右に動かす。ない。

 指先をもう少しだけ伸ばしてみる。ない。


 音の出所は確かに手を伸ばしたあたりにあるはずなのに、指先には何もかすめるものはなく、手のひらに触れるのは冷たい床の感触だけだ。


「んぁ、もう!」


 目覚まし時計に無理やり起こされることの不快さはあらゆる種類の不快レベルで最高クラスである。その不快さに声を荒げ、目を開ける。指先からあと1cmもない距離に、憎き相手が座していた。


「くそっ。昨日の自分の狡猾さがむかつくぜ……」


憎き目覚まし時計の息の根を止め、半身を起こす。いつも置いてある場所から、少しだけ離れた場所に置いてある目覚まし時計。この定位置から少しだけ離す、というのは絶対に寝坊が出来ない日の前日の夜にだけ許された超必殺技である。


「今日、そんな重要なことって何かあったっけ」


 目覚まし時計に叩き起こされ、覚醒しきっていない頭に血を巡らせるべく、首をゆっくり一回転。そんな頭に思い浮かぶのは、和気藹々と過ごしていた冒険者達。


「もう何年も、ずっとあいつらの夢を見るよな。夢に見過ぎて親近感湧いちゃうじゃねぇか」


 赤髪の青年、エルフにドワーフに獣人。夢の中で出会う彼らは、いつもとても楽し気で、その様子はとても羨ましかった。

 今日の夢は、最後にアーサーに呼びかけられた気がして、今まで見た夢の中でも一番臨場感に溢れていた。仲間、と認められた気がして充実感が胸の内に広がる。


「……夢の登場人物が友達とか、俺もそろそろやばいかな。」


 社会人にもなると、自然と昔馴染みの友達と会う機会も減っていく。

 社会人にもなると、仕事と無関係なところで友達を作る機会もあまりない。

 社会人にもなると、日々に忙殺されて、心がどんどん荒んでいく。

 そうなると、自分の時間をとても大切に感じて、人と接する機会を自ら減らしていってしまう。


「社会人にもなると、じゃないか。別に学生時代も充実してたとは言えない気がするし……よくみんな人生楽しそうに生きていけるよなぁ。ったく尊敬するぜ」


 楽しく生きる秘訣は、趣味を持つこと、というのを聞いたことがある。しかし、趣味と呼べるようなものは特にない。夢のようなファンタジーの世界に想いを馳せることくらいが唯一の趣味だ。だからきっと、鍛え上げた体一つあればそれなりにやっていけるファンタジーの世界にこの身を投じることができるのなら、魔獣を狩ってストレス発散できるし、お金も稼げて一石二鳥。心が荒むこともなく、毎日楽しくなるはず。そして心が荒むことがなければ、人付き合いも増えていく。結果、アーサー達のような日々を生きていける。そんな気がするのだ。極めて楽観的すぎるのはわかっている。


「やっぱりこの世界の労働社会の形が、諸悪の根源ということか……嫌な世界に生まれちまったもんだ。ファンタジーな世界で俺TUEEEEできなくてもいいから、ズバズバッとハンター生活でもして冒険者になりたいよ俺は。ってそんなこと言ってる場合じゃなく、今何時だよ」


 欠伸をしながら、目覚まし時計に視線を向ける。


 ――4時44分――


「いやいや、不吉すぎるだろ。てか何でこんな深夜というか朝方に目覚まし鳴ってんだよ。こんな時間に起きる必要のある重要なことなんて今日はない、絶対ない。身に覚えがない。よし、寝よう」


 成土(なるど) 玲雄(れお)、25歳、男。

 この時眠りにつかなければ、今いる世界がどれだけ安心して暮らせる世界かを思い知ることもなかったかもしれない。




 ◇◇◇




 暗闇の中、聞こえてくるのは木々の葉の騒めき。

 暗闇の中、身体に感じるのはひんやりとした微かな風。

 暗闇の中、目に映るのは夜空の星々に照らされた森。


「夢……だよな? あいつらは、いないのか?」


 暗闇の中、木々の隙間を縫って届けられた星々の光を頼りに目を凝らしてみるも、見渡す限り森である。そこに、アーサー達はいない。玲雄は久しぶりにアーサー達の団欒以外の夢を見ていることに戸惑いながらも、きっと彼らがいるはずと、彼らを探すためにその歩を進めようとして一歩を踏み出す。そして、違和感に気づく。


「踏みしめる感触がある。風も感じる。……草の匂いも。やけに、リアルな夢だな」


 その違和感に気づくと同時に、玲雄は暗闇の中、木々の騒めきの大きさに少しばかりの恐怖を抱く。


「静かだと、結構葉っぱの音って大きいんだな……そういえば小学校のころの林間学校の時、こんな感じだったか。いや、もっとあとにも今の感じを経験した覚えがあるな……そう、そうだ。学生時代のサークル合宿だったか。あの時は酒に酔って訳の分からない感じにワイワイ騒ぐ奴らのテンションについていけずに、俺だけロッジを抜けて散歩したんだよなぁ。そうだ、あの時に似ている」


 恐怖をごまかすように、一番明るい星の場所を確認しながら、いつも以上に独り言を呟きながら、その歩を進める。


 「そうは言っても、あの時はもう少し見えた気がするんだよなぁ。あぁ~そうか、月が出てないのか。なるほどな~」


 言葉を絶やさぬように無理やりに独り言を続けるも、その時の大した思い出もないことをそう長々と話すことなどできるわけもない。誤魔化しの独り言タイムはあっという間に終焉を迎えた。


「……熊とか、出てこないよな」


 次にその口からこぼれ出たのは、発生しうるリスクの可能性。森の中で出くわす可能性のある動物と言えば、熊であることは昔からあらゆる場面で歌われており、また、聞かされていた。


「熊さんに出会ったら、あんなに陽気じゃいられねぇわな」


その時、茂みが何かに揺らされる音が響く。


(やべぇっ?! フラグ立てちまったか?!)


 身体を硬直させ、息を潜める。いくら夢の中とは言え、恐怖体験はしたくはない。熊に出会って殴り殺される。噛みつかれて喰い殺される。そんなのはごめんだ。

 茂みをかき分けるようなガサガサ音が近づいてきている気がする。どこの茂みかはわからない。ただわかるのは、自身の後方から聞こえてくるということだけだった。


玲雄は物音を正面に構え、後ろ向きに歩を進めることにした。

すり足差し足忍び足……いや、すり足は自ら命を危険に晒すだけ。抜き足差し足忍び足、というところだ。後ろ向きに進む速度はゆっくりながらも、茂みを進んでくる音との距離感は縮まる感じはしない。


(もしかして、すでに捕捉されていて、タイミングを窺っているだけとか?)


 傍から見れば達人の攻防。距離は縮まず、そろりそろりと相対するものは足を運ぶ。

 実際のところは、正体不明の何かに追い詰められる素人の悪あがきでしかない。そんな玲雄の額に一筋の汗が流れる。


(え? 汗? 今日の夢すげぇな――)


 などと思った刹那。後ろ向きに歩を進めていた踵が、木の根か何かに引っ掛かり、バランスを崩した玲雄は無様にも尻もちをつく形で転んだ。


(ヤバイヤバイヤバイ!!)


 突然の木々の不意打ちにパニックになった玲雄。尻もちをつきながらそのまま後ずさると、森が円く開け、星々の明かりがステージのスポットライトのように降り注ぐ場所に出た。無遠慮なお星さまのおかげさまで、玲雄の姿は闇夜に潜む何かの目にはきっちりと映りこんでいたのだろう。


 獣の咆哮が聞こえる。茂みがなぎ倒される音が迫る。場所は、玲雄の正面だった。何が出てくるかわからない恐怖に身がすくんだ玲雄はそれ以上動けない。


 姿を現したそれは――


「フ……フラグ回収……」


 まごうことなき、大きな熊だった。ただ玲雄の想定と異なっていたのは、それが血まみれの手負いの熊であることだけ。何故怪我をしているのかなど考える余裕もなく、口から飛び出そうな心臓を体内に何とか押し止めるが、そこが限界だった。恐怖により、迫る巨体を直視もできず目を瞑り、せめて少しでも身を守ろうと、咄嗟に右手を掲げた。



――ボトッ――



 右後方に、何かが落ちた音がした。顔に生温かい何かが浴びせられており、鉄の臭いが鼻についた。

目を開けてみると、真っ赤な液体が宙を舞っていた。その液体の出所を見つけようと液体の軌跡の元を辿ると、そこには玲雄の右腕があった。いや、右腕しかなかった。さっきまでそこにあった玲雄の手首から先が、消えていた。


「あ……あぁ……っ」


 右後方を見る。そこには、確かについ先ほどまで自由に動かせていたはずの、玲雄の手首から先が転がっていた。自分の身に降りかかった事象がどういうことなのかを認識したことで、痛覚が覚醒する。


「あ˝ぁ˝っ!!!」


(痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ!!!!!!! 何で痛ぇんだよ夢なんじゃねぇのかよ痛覚まで再現するとか俺の頭はどうなってんだよあ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝!!!!!!!)


 玲雄は全身を焼かれるかのような熱い激痛に涙を溢れさせながら自分の腕を引きちぎった元凶に目をやる。その元凶は息荒く、玲雄の苦しむ姿を楽しむように、舌なめずりをしている。大量の血をまき散らし、耐えがたい激痛に朦朧とし始めた意識の中で、玲雄は一刻でも早くその激痛をなくすために叫んだ。


「もういい!! 殺せ!! 俺をこの夢から解放してくれ!! 早く!! 早く殺してくれっ!!」


 妙にリアリティはあるがどう考えても非現実的な世界の夢。いつもなら主役として登場するアーサー達の姿もない。であれば玲雄がこの夢の世界に留まる理由は何もない。苦しみを感じ続ける必要もない。

玲雄が叫ぶと、まるで人語を理解したかのように、目の前の血濡れの熊は鋭利な爪を生やした腕を地面から宙に浮かせた。

 その腕に自分の首が吹き飛ばされるのを覚悟し、玲雄は再び目を閉じた。


 そして自分の耳に聞こえてきたのは、頬骨が砕かれ、肉が裂け、首が千切れる音――ではなく、激しくぶつかり、こすれ合う金属の音だった。

 予想だにしない音を耳にし、玲雄はゆっくりと、閉じた瞼を今一度開く。


「大丈夫かいっ?! 今助けるからっ! 気を強く持って!」


 そこには鎧を纏い、剣を握り、熊のひと撫でを何とか受け止めた様子の一人の赤髪の青年がいた。


「お……おせぇんだよっ……バカアーサー――」


 途切れ行く意識の中、ぼやけるアーサーの背を見ながら、玲雄はもう少しだけ意識を保っていようと試みた。目の前にアーサーがいる。長年の友がいる。一方的に抱いた親近感であっても、夢であっても、このリアリティ溢れるアーサーと言葉をもっと交わしたいと思った。

 しかし、夢はいつも、いいところで終わるものだ。何とか振り絞った言葉を言い終わるや否や、玲雄の意識は暗闇へと引きずり込まれていくのであった。





ここまでお読みいただきありがとうございます。


長年の友(一方的)との、ファーストコンタクトでございます。

そう言いたくなる気持ちはわかるけど、アーサーからしたら君は初対面なんだよ玲雄。

というのは、次話で!


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