2 夏の日の夢
「かぁちゃん! 機関車が居る!」
演奏会の行き道、海岸線沿いを車で走らせている時だった。助手席で次男が指し示した先に、塀から飛び出た黒い塊が目を掠める。
「行ってみたい!」
「ぼくも!」
母はちらと車内にある時計を見る。混雑を避ける為に早目に出たので、開場までにはまだ時間があった。
母は黙ってギアを三速、二速と落とす。
「ありがとう、かぁちゃん!」
「やったぁ!」
緩まった速度に、子らは諾を得てはしゃぐ。
母は口元を緩ませ、閑散とした駐車場へ入っていく。
子らは先に降りて走って行ってしまった。
普段なら止める所だが、自分達以外、人一人居ない。咎める理由は無い。
車をゆっくりと出て、鍵を閉める。
塩の風になぶられながら子の後を追う。
子らは、黒い塊の前に距離を置いて佇んでいた。
何故、もっと近くに行かないのか、理由は程なくして理解した。
漆黒の塊は圧倒的質量でそこに鎮座していた。自分達の三倍はあろうかという背丈。
車輪は太く、直径が母の首あたりまである。子らからすれば、自分達の身丈よりも大きい。
母は車輪の主軸を触った。
ひやりとする硬い感触に、少し身震いする。
乗ってみる?
機関室へと繋ぐ細過ぎる梯子に手を掛け、子らに聞いた。
長男は黙って首を振った。
次男は恐る恐る母に近付き、一緒に、と珍しく自ら手を握った。
急斜の梯子を一歩一歩登る。
入った機関室は恐ろしく狭かった。
ほぼ全てが黒く、理解出来ない取手の数々。動力車に乗っているのに、前が見えない。
「ぼく…戻る…」
握った手をするりと離して、次男は及び腰に梯子を降りていった。
母は黙って機器を見た。
小さな座椅子の前にある、黒光りする鎖。
吸い寄せられるように、手を伸ばした。
フゥウオオォォォォォォォォッ
シューーーーーーーッ
ザッ シュッ ザッ シュッ
ザッシュッシュッ
ザッシュッシュッ
ザッシュシュ ザッシュシュ
フオッ
ッシュシュ ッシュシュ
「かぁちゃんっ!」
はっと手を離す。
外を見ると、子らがこちらを凝視していた。
長男はシャツの端が伸びてしまう程握りしめている。次男は右母指の爪を噛んでいる。
二人、空いた手を握り合っていた。
母が梯子を降りると、前と後ろに抱きついて来た。
母は苦笑し、頭を撫でる。
ぼくも…
後ろにいた長男が遠慮がちに言った。
入れ替わって先程より大きい頭をゆっくりと撫でる。
母はそっと漆黒の機関車を見上げた。
機関車は何も言わなかった。
母も、何も言わなかった。
行こうか
二人は頷いて、いつもは繋がない手を繋いできた。
母は、そっと笑って歩き出す。
後ろは振り返らなかった。
やがて、誰も居なくなった。




