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青年は見ていた。
長い黒髪の女性が道端にゲートを出現させ、姿を眩ましたのを。
非現実的なこの事象を目の当たりにして、高校を卒業したばかりのレナ・ボナパルトの好奇心は燻られ、やがてそれに触れるに至った。
ゲートに腕を押し当てると、腕の先は音も立てずに吸い込まれていく。
恐らくこれはゲーム等に登場する「異次元への扉」だとレナは見ていた。
結論から言うと彼の推測は「正解」に値するのだが、この先に待ち受ける試練を彼はまだ知らない。
レナがゲートを潜り終えると、それを待ち構えていたかの様に金色の扉は姿を消した。
石造りの廊下に放り出されたレナは、先程の黒髪の女性は何処かと辺りを見回した。
彼女の姿は既に無く、篝火の緑色の炎がこれまでの世界とは明らかに異彩である事を醸し出していた。
空はどんよりと暗く、邪悪な面影を感じさせられる。
「痛って〜。取り敢えずあの黒髪のねーちゃんを探すしか無さそうだな。確か竜みたいな怪獣の背中に乗って行った気がしたんだけど……」
と頭に付着した砂を払いながら立ち上がる。
端正な顔立ちをした金髪の十九歳は、西洋の血を含んでいる。
フードの付いたパーカーと七分丈のジーンズは、この世界では目立ちそうだ。
背後に消えた扉を再び出現させる事は勿論、食料確保の保証すらないレナは、自らの足で廊下を歩き出した。
やがて円形の建物が目に留まり、足を踏み入れた刹那前方に骸骨兵が待ち構えているのを把握した時、背筋に冷たいものが走った。
運動神経には絶対の自信があり、強豪サッカー部ではエースを務めていたが、武器を持たない事には始まらない。
「ヤベェ、逃げなきゃ殺される!」
建物に背を向け駆け出した時、何かにぶつかった。
それが金髪三つ編みの少女である事を認識した時、レナは思わず安堵の表情を浮かべた。
「ごめんごめん、アンタあの黒髪の女性の連れだろ?頼む俺を助けてくれ」
「助けてほしいのはこっちの方。奥の建物に火炎瓶があるそうだから取ってきてほしいの」
キャンディスの名を持つこの少女は、グレンウォンドと呼ばれる杖を手にしており、後に知る魔術の才は抜きん出ている。
「アタシが骸骨兵たちの注意を引きつけている間に手に入れて」
建物内は薄暗く、奥の樽にどうやら例の火炎瓶は入っている様子だった。
「貴様らを漆黒の闇へ誘う『シャドーボム』!」
若きキャンディス・ミカエラは杖をクルクルと回転させ、やがて足元に魔法陣を発生させ言った。
剣を振るう三人のアンデッドとそれに立ち向かう魔法少女。
見ているだけでレナの脳内はパンクしそうだった。
ゾロゾロと接近する骸骨兵に、紫色の光る球体を三つ同時に放つ。
下級呪文だが、放つ者の魔力次第で威力はどうにでもなる。
球体を身体に受けたアンデッド二人が絶命した。
「今よ。急いで三つ四つ持ち帰って」
レナは呆然と立ちつくす間も無く、樽の中身に手を触れた。
この赤い瓶は炎属性魔法と組み合わせる事で真価を発揮するのだが、これからそれが必要な程の強敵と対峙するのかと思うと、目の前が真っ白になった。
「覇!」
キャンディスのシャドーボムを運良くかわした骸骨兵も、二度目の魔法で生き絶えるに至った。
この少女、やはりあの女性の付き人だけあって只者ではない。
建物を出て廊下を真っ直ぐ進んだ先に螺旋階段はあった。
下りると庭に出るわけだが、どうやらそこに得体の知れない化け物はいるらしい。
雄叫びは徐々に耳に届くようになり、階段を下りきった時、レナは対象を見て絶句した。
獅子の頭部、黒い下半身のキマイラと、それに対峙する巨大なドラゴン。
ドラゴンは口や首元から血を流しており、かなり辛そうだった。
「キャンディス、アークドラゴンが虫の息だ。早くしないと取り返しのつかない事に」
肩口を押さえながら告げるこの黒髪の女性は、人狼の毛皮で出来た鎧を身に纏っており、エルフのような突き出た耳が特徴的であった。
「マチスとイザベルの幻影だ。相当手強いぞ」
と剣を振るっている。
「火炎瓶で援護する!」
この女性を死なせてはいけない。
咄嗟の判断であった。
真っ赤に染まった瓶は宙を舞い、やがてキマイラの頭部に吸い込まれていった。
「燃え盛る業火よ、我に力を『インフェルノ』」
呼応し、炎属性中級魔法を放つキャンディス。
威力は耳を塞ぎたくなるような爆発音が物語る。
頭部への炎の一撃は対象を怯ませるには十分過ぎた。
だが、体制を整え直したキマイラは自ら回復呪文を唱え、緑色の光は額の流血をみるみる内に治癒していくのだった。
石造りの造形物の庭を徘徊するキマイラは体長こそ三メートル程だったが、倍以上の大きさのドラゴンを圧倒する程の強敵であった。
黒髪のハーフエルフのサファイアの如き眼がレナを捉えた。
「奴が『鬼人化』を唱える前に決着をつけるぞ。二人共、援護を頼む」
そう言ったかと思うと女性は敵との間合いを一気に詰め、斬りつけていた。
ドラゴンを苦しめた事への恨み、憎しみのこもった一撃「閃光」は、キマイラの左後ろ脚に命中した。
そしてここぞとばかりにキャンディスが英雄の遺産グレンウォンドを使い追撃する。
グレンウォンドとは冒険家グレンが遺した杖であり、召喚士であるキャンディスを立派な黒魔導士にするには十分な性能を秘めていた。
「揺らぐ大地よ、対象に永久の苦しみを『グラビティ』」
地属性上級魔法は詠唱時間こそ長いが、威力はお墨付きだ。
「俺も役に立ってみせらぁ!」
無駄な抵抗と覚悟しながらも、傍に落ちていた石を投げつけ、敵の注意を拡散させる作戦である。
「ほう、中々肝の座った男ではないか。私はナオミブラスト、以後よろしく」
気付いた時、ナオミと名乗るハーフエルフはバク宙ですぐ傍に来ていた。
レナも愕然とする身軽さである。
そして次の瞬間には呪文詠唱が完了し、キマイラの真下の地面がパックリ割れクリーチャーは地中深くへと落ちていった。
恐らく土の圧力で身動きが取れなくなるはずだ。
「勝ったのか……?」
レナはキマイラが庭の地面に吸い込まれていくのを覗き込みながら言った。
「俺の名はレナ・ボナパルト。こちらこそよろし……」
その時だった。辺りに土煙が立ちこみ、地中に埋まっていたキマイラが鬼人の如し力で抜け出してきたのである。
「どうやら究極剣技を見舞うしか無さそうだな」
右手に雷撃剣ザンガ、左手に名剣ガイキを携えたナオミブラストが長い黒髪をチラつかせながら言った。
「待てよ、肩怪我してるんだろ?無茶せずここは俺の火炎瓶で勝負を決めねえか?」
口より先に手が出るタイプのレナはもう投げていた。
一瞬ため息をついたに見えたナオミだったが、下級炎属性魔法「フレア」を投げられた二つの火炎瓶目掛けて放ち、辺りには再び爆発音が響き渡った。
ガウウウ……
吠え声も虚しくキマイラはやがて絶命した。
だが非情な事にナオミのアークドラゴンも先程の戦いで息絶えていた。
「お姉ちゃん、また戦っちゃったね。もう失いたくなかったのにね」
と残念そうに呟くキャンディスに対し、
「ドラゴンとキマイラは召喚の契約を結んでおいてくれ。また会いたい」
とナオミ。
二頭のクリーチャーは其々別々の光となってキャンディスの指輪に吸い込まれる。
そしてレナは庭の隅に太いレバーがある事に気づくのだった。
「何だコレ?ちょっと動かしてみるぜ」
ガタン、ゴゴゴゴ……
レバーを下げると同時に隅の地面が割れ、隠し階段が姿を現した。
「これは……!」
「地下に礼拝堂の様なものがあるね。行ってみようよ」
後に知る事になるこの建物全体の名は「常闇の神殿」。
そしてここは島の南西部に位置するアンデッドの本拠地「サタン共和国」。
そしてその日は訪れる。
*****
翌朝、キャンディスが消えた。
礼拝堂にて一泊した一同だったが、突然の出来事に二人が顔色を変えたのは言うまでもない。
取り敢えず神殿中を探すしかない訳だが、丸腰のレナに危険が及ぶ可能性は十分にあった。
「神殿に有力な武器が隠されている話はよく耳にする。キャンディスを見つけ出すついでに、キミの武器も探そう」
ナオミブラストは女性にしては背が高く、綺麗な顔立ちをしている。
真っ直ぐな瞳に若干困惑しつつも「ああ」と答え、二人は石段を駆け上がった。
今日もサタン共和国の空はどんよりと暗く、そよ風が雑草を掻き分ける。
庭の端には林檎の木が生い茂り、左右対称の建物は何処ぞの世界遺産に酷似していたが、外装は薄汚れていた。
ナオミ曰く中央の大きな建物が異臭を放っており、そこへ赴くのは必然と言えるのだった。
高さ三メートルの正門はギギギ……と音を立てて開く。
中にポツポツと点在する緑色の炎には、相変わらず不思議な感覚を憶える。
アンデッドが潜んでいるのは、ほぼ間違いないだろう。
そんな事を思い立った刹那、二人の骸骨兵が柱の陰から飛び出してきた。
迅速に対応するは、ハーフエルフナオミ。
二つの剣を交差させ、薙ぎ払う事で首を落とす。
もう一体にも休む間も無く斬撃を浴びせ、対象はカラカラと音を立て崩れ落ちた。
「流石はナオミブラスト殿。あのドラゴンを従えただけの事はある」
拍手と共に姿を現したのは鎧の男だった。
サルデア王国元親衛隊隊長カイザの幻影で間違いなかったが、その様な事をレナは知る由もない。
「カイザ、キャンディスの居場所を教えろ」
「今の私はもはやカイザですらない。己を見失ってしまった一人の騎士だ」
「質問にだけ答えてもらおうか?」
「相変わらず男には厳しいな。ところでそこの丸腰の若者よ、武器が欲しければ私を倒し、この先にある『アンドロスピア』を手に入れる事だな」
「アンドロスピア?」
「私は剣以外の武器に興味がない。だがアンドロスピアはあのマチス将軍の槍に匹敵する優れものだぞ。まあ、私を倒せるとしたらそこのハーフエルフに他ならないのだが」
お喋りはそこまでだった。
カイザと呼ばれたアンデッドナイトは剣技「氷結」でナオミに斬りかかる。
氷の礫を纏った連続斬りを、ナオミは双剣でなんとか防いでいく。
「俺、この先にある『アンドロスピア』を持って必ず帰ってくる!待っててな!」
ナオミが止める間も与えず、レナは大広間を駆け出していた。
奥にある扉に目をつけるも、不意に放たれる骸骨兵の斬撃。
唸り声と共に放たれる一撃を何とか反射的に右にかわした。
当たっていれば命はなかっただろう。
(流石に無鉄砲過ぎたか……?)
と一瞬興ざめつつも、決死の覚悟で敵の胴体に蹴りを見舞う。
そして奥の部屋へ足を踏み入れた時、レナはそこで見たものにぎょっとせずにはいられなかった。
赤紫のマントに身を包んだ、眼帯のアンデッド。
今までの骸骨兵とは放つ威圧感、存在感がまるで別物であった。
「ようこそ」
男にしては甲高く、女にしては響きのある不思議な声だった。
「ワタシはファントム。この国の象徴にして、先駆的理想主義者、そして人間の魂を求める者……」
ファントムと名乗る眼帯の剣士はドカッと椅子に腰掛けたまま言った。
背中に携えた大剣は見る者を圧倒する。
「キャンディスの居場所を知らないか?」
ゴクッと唾を飲み込むも、レナは何とかそれを口にした。
「あの女はワタシの僕。いつの日もその記憶はワタシに支配される」
ぐったりとしたキャンディスの姿が、ファントムの背後に映し出された。
一種の幻術であり、白い衣に身を包んだ少女は、鎖で繋がれている様子だった。
「このキャンディスと百体のアンデッドナイトによって私はこの世界で再び力を蓄えやがて現実世界へ侵攻する。先程の部屋の騎士はその記念すべき一体目だ」
その時、ナオミが扉をこじ開け部屋に入って来た。
肩で息をしているが、どうやらカイザの幻影に勝利したようだ。
「異世界からの刺客、レナ・ボナパルト。ワタシはお前を試してみる事にした。悲劇のハーフエルフにお前の存在がどう影響するか、興味がある。お前の魂を奪うのはその後だ」
アンドロスピアの名を持つ槍を残し、ファントムは意味深な笑みと共にドロンと煙を巻き上げて消えた。
ナオミに急ぎ口調で出来事を話すが、流石のナオミも額に汗を浮かべている。
「ファントムは悪魔だ。桜竜の舞で倒したはずだったが、幻影として姿を残していたとは」
不吉な予感がレナの脳裏にも漂い始めていた。
ーー
その日は神殿の庭で焼き林檎を食す事になった。
メラメラ燃える焚き火に採れたての真っ赤な林檎を近づける。
ジューシーな食感がたまらなかったが、キャンディスが居ない事で心にポッカリ穴が開いた様子のナオミは、呆然とした佇まいで串林檎に噛り付いている。
「キミについてまだ詳しく聞いていなかったな。名前はレナだったか?何故この世界に来た?」
戦いに疲れ切った趣の彼女は、名剣ガイキの剣先を鏡の様にして自らの姿をそっと映すのだった。
「退屈だったから。あっちの世界では学校が終わって工場で仕事してた。サッカー選手のなり損ないさ」
「サッカーって?」
レナは高校時代までのサッカーについて事細かく説明した。
強豪同士のスタジアムでの試合等は、ナオミも興味を示した。
「一度観てみたいものだな。夢は諦めたのか?」
「二十歳以下の代表を決める試合で怪我しちまって、この有様さ」
とかぶりを振る。
それにしても腹が減っていたせいか、焼き林檎が美味しい。
この世界に来てまだ林檎しか口にしていないが、レナはこのハーフエルフと二人で食事にありつける事で底知れぬ充実感を得ていた。
「この世界の人間には魂は宿っていないとファントムは言っていた。本当なら私やキャンディスは人形同然という事になる。それに比べてキミは良いな、来世があって」
ナオミがふと発したその言葉に、レナは言い返さざるを得なかった。
「ナオミは人形じゃねえよ。心もある、感情もある。あ、心と感情って一緒か。いやそのつまり……魂は必ずある!」
フンと鼻を鳴らしたレナの姿に、ナオミがクスッと笑った気がした。
「そうそう、さっき女神からテレパシーがあった。礼拝堂の更に地下深くに石版があるらしい。それに触れると、ある場所に瞬間移動出来るようだ」
「そのある場所とは?」
「ここから北東にあるサルデアとの国境付近で、人間の集団が我々の力を必要としているらしい」
ナオミは男嫌いとカイザは言っていたが、今の所その様な印象は感じられなかった。
今日はナオミの最愛のキャンディスが消えた日。
そして敵対者の存在が明らかになった日。
「明日は初めての実践になるな。槍は始め低く構えて、突く瞬間に上げるのが基本だ」
パチパチと燃え盛る炎の前でアンドロスピアを構えた。
初めてにしては様になっているらしいが、自分こそいつ死んでもおかしくない、とレナは思っていた。
彼女との出会いは運命だ。
俺が彼女を守り通したい。
そんな事を考えたサタン共和国の夜だった。
*****
見上げるような投石機が並ぶ内戦の最前地区。
アンデッドの襲撃に立ち向かうは元サルデア兵だった者などの寄せ集め。
その中でもリーダーを務めるのが通称髭男爵だった。
用意された宿舎で寝泊まりしたレナとナオミは早朝から自陣の見回りをし、来たる戦闘に備えるのであった。
既に朝食は済ませており、レナはやる気に満ち溢れていた。
「あちらに見えますのがご存知、ドワーフの山になります。敵は反対方向の南から押し寄せます」
男爵は太った腹を揺さぶりながら言った。
三十代半ばぐらいだろう。
酒癖が悪いようで、あまり良い印象は得られなかったが、もしかしたら人材は不足しているのかもしれない。
そんな事を考えながらも、レナは遠方にそびえる山々を眺めていた。
ドワーフ族。
エルフと共に童話に登場する代表的な種族で、どの様な風貌をしているか想像は容易かった。
それにしても景色がいい。
古びた神殿の時と違い空も明るく、小さな滝らしきものも目に止まった。
どうやら聞く所によるとサルデア王国とサタン共和国、この二国でこの島は成り立っているようだ。
そしてナオミがサルデア王国を飛び回っていた頃の知り合いが男爵陣営にいた。
名前をネロと言い、幻影にして良心を忘れなかった珍しいタイプの人間だそうだ。
口調は荒っぽく、少し俺に似ているとレナは思うのだった。
「幻影になっても己を保てたのは、ナオミの為に命を捨てたという事実があったからに他ならねえ。ドラゴンが死んだのが運の尽きだが、代わりに俺がナオミの片腕になってやるよ」
とかなり献身的だった。
ナオミが男達から人気が高いという推測は当然あったが、ネロのは恋心というより忠誠心に似ている。
坊主頭の黒人は筋肉質だったが、噂では剣の実力はナオミの足元にも及ばないらしい。
だから一般の兵卒なのだが、ナオミと行動を共にしていたレナは、運良く「将軍補佐」という形になった。
ナオミの要望でネロは彼女の部隊に組み込まれる事になるわけだが、片腕とは大袈裟な。
そんなネロを含む四人は斥候の帰還と鉢合わせした。
「男爵殿、敵の数は三千を超えています。じきに現れましょう」
ナオミ曰く、神殿でみた骸骨兵の装備は充実していた。
恐らく今のナオミでも一人で内乱を解決するのは不可能に近いだろう。
何より敵にも将軍がいる。
「率いているのは烏天狗を中心とした幻影達と思われます。移動速度にも定評があります」
決戦の時は近い。
あの川を越えた所には、もうアンデッドの精鋭部隊が差し迫っているわけだ。
そうなるとネロの武器が鎖付き鎌というのも気になるが、本人は納得しているらしい。
「しかし流石はサタン共和国だ。アンデッドの本拠地だけあって次々幻影が現れるな」
とナオミ。
今や一流の魔道剣士は先日のキマイラとの戦いで肩を負傷している。
と言うより彼女はもう傷だらけだ。
この島には精霊たちの花園と呼ばれる傷を癒す場所があると男爵は言っていたが、残念ながら詳しい場所までは明らかになっていない。
宿舎に戻ったレナは島の大まかな地図を見てフームと唸った。
北東に砂地、北西に森、真ん中に山があるのは分かるのだが、どうも共和国内がはっきり記されていない。
「この島の未開の地か……」
と呟くと、隣にいたネロが
「俺たち幻影の謎を力を合わせて解明してくれ」
と言った。
ネロが宿舎に出入り出来たのもナオミの顔が立っていたからに他ならない。
特にここ数週間の彼女の活躍はめざましいらしく、伝説になりつつあると言う。
「お尋ね者だった私がこの待遇か。ついにレノン家の権力は完全に潰えたわけだな」
腕を組んで壁にもたれ掛けていたハーフエルフは、鎧を脱ぎ傷の手当てをし始めた。
白い肌が見え隠れしているが、上半身は包帯でグルグル巻きとなっていた。
「さて……」
身体から青白い光を放ってはいるが、アンデッドにしては原型を留めたままのネロが、レナの肩にもたれ掛かってきた。
「どうやらナオミに気があるようだが、あの女の男を寄せ付けない『壁』は鉄壁だ。アンタは確かに色男だが、よっぽどの事がない限り交際は無理だと覚悟しといた方がいい」
耳元での囁きに顔を赤らめたレナだったが、言い返す言葉が見当たらなかった。
宿舎の中は埃っぽく淡い雰囲気などこれっぽっちもなかったが、一緒に寝泊まりしたところを見るとナオミは心を許しているはずだ、と心の中で勝手に決めつけ頬杖をつく。
この世界に来てまだ三日目だが、既に魔法やクリーチャーや瞬間移動を目の当たりにしたレナ。
徐々に落ち着きを取り戻しつつあるが、このハーフエルフの存在が、彼の心を取り乱すのもまた事実だった。
「この戦に勝利すれば、この島の人間やドワーフは活気付きます。将軍補佐のレナ殿、これは男爵からの贈り物です。受け取られよ」
使いの者が運んで来たのは青銅の鎧だった。
古代ギリシャの装備を彷彿させるそれは、思っていたよりも軽く、丈夫そうな印象だった。
「ありがと。おっさんに『必ず勝つ!』って伝えといてくれ」
明日にでも始まる戦への、準備は完全に整ったと言えた。
ーー
二年前、サッカースタジアムにて。
「何で俺にパス回してくれねーんだよ、絶対勝てたのに」
帰って来る言葉は曖昧だった。
チームメイトの俺への嫉妬だ。
今思い返せば、確かに態度が悪い部分もあったかもしれない。
それでもチームが負けるくらいなら、ストライカーの俺にパスを回し続けるのが筋のはずだ。
昔からスポーツは嗅覚を頼りに、センスだけで戦いを制して来た。
だが次の戦は、恐怖がないと言ったら嘘になる。
将軍補佐、つまり副将として為すべき事は?
そしてナオミブラストを護り抜けるのか?
いやそれ以前に果たして生き残れるのか?
頭の中を回り続ける不安がレナを襲う。
アンドロスピアは疑う余地もなく優秀。
だとしたら後は自分の闘争本能を何処まで呼び覚ませるか。
先鋒を任せて貰おう。
それで死ねば其れっきりだ。
俺は根っからのストライカー。
護りは別の誰かに任せればいい。
そこまで思案したレナは机でうつ伏せになって眠りについていた。
なんだかんだ疲労も溜まっていたのだろう。
忘れられない想い出は、いつの日も彼を蝕むのだった。