5
マチスは女神の子としてこの地に生まれ落ちた。
獅子の頭部と人間の身体を併せ持つ事から、恐らく父親は獣ではないかと予想される。
「神の子マチス」ーー人々は俺をそう呼ぶ。
サルデアの将軍の一人として、東の巨人族との戦に参加した。
自分より大きな敵と戦うのは久しぶりだったが、大した相手ではなかった。
この槍で仕留めれなかった者は過去に存在しない。
戦など退屈しのぎにすらならない彼に、唯一関心を持たせる出来事は、その戦の帰り道で起こった。
虹色の髪をした女魔道士が、木片にしがみつきながら海に浮かんでいたのである。
航路で嵐にでもあったのだろう。
マチスはそいつを自身の船に引っ張り上げ、事の経緯を問いただした。
どうやら北にあるエルフの集落へ向かう途中だったらしい。
道中で海の主リヴィアサンの襲撃に遭い、船から転落、そこへ彼の船が偶然通りかかったという訳だ。
名前はシンバ、歳は四十前後だろう。
獅子の頭部を持つ自分に対し、シンバは臆する事なく言葉を交わしてきた。
只者ではない。
少なくともサルデアの腑抜けた将軍たちに比べれば有能だろう。
レノン三世直属のカイザあたりと戦わせると、いい勝負が期待できるかもしれない。
そして不思議と初めて会ったような気がしない。少なくとも向こうは此方に面識があるようだった。
「シンバ、何故お前はそれでも北へ行きたがる?命を危険に晒してでも向かおうとする人間の真意を知りたい」
「命の恩人の言葉なら仕方ねえ、教えてやる。偉大なる冒険家の残した財宝を得るためだ。やがては南にいるアンデッドを滅ぼす」
「冒険家グレンの事か。だが俺は奴が財宝を隠し持っていたという噂など聞いたことが無い。デマかもしれんぞ」
「地図ならあるよ。このバツ印が分かるか?丁度ここから北へ真っ直ぐ行った所にあるぜ」
シンバは懐から地図を取り出し言った。
「なるほど。水でかなりふやけてはいるが、地図は偽物の匂いがしないな。だが問題はその印の指す対象が何であるか。俺はそこに金貨が埋まっているようにはどうも思えん」
「どうしてだ?お前グレンについて詳しいのか?」
「悪魔を封印した英雄だ。知っていて当然だろう。奴が残しそうな物と言えば、例えばそうだなあ、人を生き返らせる魔法陣とか、自身の魔力を宿した杖とかそんな所だろう」
「人を生き返らせる、ねえ……」
「例えばの話だ。奴は金銭にこれっぽっちも興味を示さなかった。そんな奴が唯一喉から手が出るほど欲しがったもの、それは永遠の命だ。悪魔封印後再びこの世界に舞い戻る事を期待したのなら、十分ありえる話だと思わんか?」
船は徐々に速度を上げ、やがて岸辺が見えてきた。
首都マゼラからかなり近い位置にあるこの港は、戦時中のみ扱われる。
普段貿易などは少し北にあるグレンソールで行われる。
「これからお前はどうするんだい?」
「俺は取り敢えずレノン三世に会わなければならない。一将軍として戦果を報告、といったところか」
「マゼラに行くんだな?なら話が早い。アタイもそこに行く。助けたい奴がいるからね」
「まさかあのハーフエルフの事ではなるまいな?」
「ナオミの事知ってるのかい!?」
「今朝の新聞で知った。どうやら国王に傷を負わせて逃げ果せたらしい。今では国一番の賞金首だ」
それを聞き、シンバは大きくため息をついた。
あのナオミブラストとも深い繋がりが。
全くとんでもない拾い物したものだ。
マチスは心の中で苦笑した。
「今日の出会いは母なる女神の齎した偶然。船が岸に着いたら、ナオミを捜すなり何でもするがいい」
それだけ言うと、マチスは酒を口に注いだ。
俺はカイザなどと違い、王に心から服従していない。
それは当のレノン三世も気付いている事だった。
奴が死のうがナオミが死のうが、自分にははっきり言ってどうでもいい話だった。
取り敢えず北には英雄の残した何かがある。
それだけは頭の片隅に入れていても損はしないだろう。
船はやがて岸に到着し、シンバは一礼して我々の元から去っていった。
「この事は誰にも他言するな。特に地図の事は、な……」
マチスは虹色に染まった魔道士の髪を見送りながら、部下たちに告げるのだった。
「それにしてもナオミブラストか。金貨百枚の賞金とは大袈裟な」
銅貨十枚で銀貨一枚分、銀貨十枚で金貨一枚分の価値があるとされる。金貨三枚が庶民の年収に相当するので、金貨百枚が如何に馬鹿げた数字かがよく分かる。
「恐らく神殿のゴーレムを一人で倒したので、国王様も念には念を入れておられるのでしょう」
部下の一人が放った言葉に、マチスはピクリと反応した。
「母上の神殿に勝手に足を踏み入れ、生きて帰られただけでもかなりの強運の持ち主だな……。だがそれももう終わりだ。このマチス様に目を付けられたからな」
唸るように鼻息を立て、マチスはマゼラに向けて歩き出した。
自然と歩幅が大きくなる。
何故ならマチスの母女神に対する冒涜はこの世で一番許せないものであるからだ。
「つ、続け!」
部下の一人が慌てて掛け声をあげるのが聞こえた。
ーー
「マチス将軍長旅ご苦労であった。これで巨人族から年貢を調達でき、民の暮らしも楽になるであろうて」
レノン三世は上機嫌だった。
下女に団扇を仰がせ、ニンマリとした笑顔を見せる。
「有難きお言葉」
マチスは形だけ礼を言った。
これも全てこの後の行為への伏線である。
「其方の欲しい物は何じゃ?何でも申すがよい」
「ナオミブラスト暗殺の任務を俺に遂行させて下さい。必ずや仕留めてみせます」
「おおそうか。将軍自ら儂の恨みを晴らしてくれるか。それは願ったり叶ったりじゃわい。それとこれはこの間の戦の褒美金貨二十枚じゃ、取っておけ」
王は愉快でたまらない様子で金貨の入った袋を手元に投げたが、マチスはそれを拾う前にこう告げた。
「ですが俺以外の者にこの任務を任せないで下さい。絶対に邪魔されたくないので。もし邪魔が入るようでしたらこの槍が黙っていないでしょう」
「よし、マチス将軍にこのレノン三世自らが任務を下そう。ナオミブラストの首を取って参れ」
こうして神の子と謳われる将軍の、ハーフエルフを追う旅が始まった。
先ずはマゼラ一と呼び名の高い占い師イザベルの元を訪れるのが無難だろう。
彼女なら瞬時にナオミの位置を特定できるかもしれない。
イザベルは絶世の美女としても有名だが、貴族の生まれだったおかげでレノンの下女とならずに済んだ。
一目見ただけで男を虜にすると言われているが、自分に限ってそれはないだろう。
イザベルの住む屋敷の戸を叩いた。
サルデアで十指に入る金持ちらしいが、どうやら噂は本当らしい。
大理石で出来た壁を見上げる事、数分。
やっと下手人からの許可が下り、中へ通された。
「ここがイザベル様のお部屋でございます」
イザベルは赤髪だった。
口紅から目元の粉まで、美しさを取り繕う苦労は凄まじかったが、案の定母上には及ばなかった。
一片の表情も変える事なく席に着いたマチスに若干の苛立ちを感じさせつつも、イザベルはどんな事でも占ってみせると断言した。
占い師としてのプライドというやつだろう。
マチスはナオミブラストと呼ばれるハーフエルフについて知るだけの事を事細かく説明した。
「なるほど。ナオミブラストという名の魔導剣士はこの国に一人しか居ませんわ。恐らくアラモ村という集落に六〜九人ほどの仲間を従えております。しかしその中で有能なのは一握り。マチス様の槍に敵うほどの者はいませんわ」
「と言う事はこの任務は成功すると?」
「それは断言できません。何故なら……」
一呼吸置いてイザベルは言った。
「今のナオミブラストは一人ではないからです。『友情』というものかしら。兎に角気は抜かないように。アラモ村は深き森の中央にございます。では御機嫌よう」
イザベルの男を見下し慣れた不敵な笑み。
この世界の人間の醜さの象徴として覚え置こう。
マチスは占いへのお礼もそこそこに、彼女の屋敷を跡にした。
*****
アラモ村に到着した。
思っていたよりずっと小さく、見窄らしいこの村に、ナオミブラスト率いる集団が現在いないのはすぐに分かった。
事情を探るべく民家の戸を叩くと、中にいたのは夫婦らしき若い男女だった。
男の名はリアムと言い、ドレッドヘアーが特徴的な若者だったが、マチスの姿を一目見て震え上がっていた。
「ナオミブラストという名前のハーフエルフを捜していると言っている。情報をくれないか?」
「し、知りません!」
リアムは手で顔を覆うようにして叫んだ。
全く分かりやすい奴だ。
ここまで嘘が下手だと逆に好感が持てる。
「情報の質次第では、お前たちの願いを一つ聞いてやってもいい。まあ、教えない場合はこの槍が黙って……」
「ひいいいっ!」
マチスが言い終わらない内に、リアムは額を地につけて土下座していた。
ドラゴン教の祈りにも近いその格好に、マチスは思わず吹き出した。
「心配するな。お前みたいな男は殺す気にもならん。取り敢えずお前らの望みは何だ?暇潰しにオオカミ退治でもしてやろうか?」
目に大粒の涙を浮かべるリアムの肩に手を置き、マチスは言った。
するとそこへ彼の妻が数日前から出る幽霊について口を挟んだ。
リアムよりずっと肝が座っていると見える。
聞けばどうやら成仏されなかった村長の孫娘が、度々現れては村人に悪戯するらしい。
「幽霊退治か。暇潰しにはもってこいじゃないか」
どうせナオミブラストは一日で遠くへは向かえまい。
集団でいる分、徒歩での移動を余儀なくされるからだ。
「よし、幽霊が出る場所へ案内してくれ」
墓は首都マゼラのモノとは比較にならない程粗末なものだった。
まず供え物が何もない。石が無造作に置いてあるだけである。
もはや貧乏である事以前の問題、これで幽霊が出ない方がおかしいというのがマチスの見解だった。
『お兄さん強そう。ウチの事、退治しに来たの?キャア怖い、死んじゃうアハハハ』
七歳程の少女の姿をした緑色に光るそれは、下半身が溶けてなくなっていた。
危険な魔術を使う恐れがあるが、まあ自分の敵じゃないだろう。
「フン!」
左手から念力を放った。
母である女神から授けられし力、その一つがこの念力である。
先ずはこれで動きを封じ、後は魔力を注いだ槍で成敗する。
これで終わるはずだった。
だが幽霊は念力を跳ね返してみせた。
予想外の展開に、マチスは思わず度肝を抜かれた。
『ウチの事甘く見たでしょ〜。ウフフ、こう見えても冒険者グレンの末裔なの!今度はこっちの番!』
幽霊は炎属性中級魔法「インフェルノ」を瞬時に唱えてみせた。
この早さ、グレンの末裔という話はハッタリじゃない。
「くっ!」
マチスは三メートルにも及ぶ己を槍をぶん回し、燃え盛る炎を四方に拡散させ防いでみせた。
『すごーい、お兄さんやっぱり強〜い』
「遊びは終わりだ」
マチスは間髪入れずに間合いを詰め、口から大量の水を吐き出した。
獅子の聖水を頭から被った少女の身体はみるみる内に溶けてゆく。
「この水はあらゆる物を分解する成分を持つ。お前の悪行を今日で終わりだ。続きは向こうでするんだな」
跡形もなく消え果てた幽霊を目の当たりにしたリアムとその妻は深々と頭を下げた。
だが問題は貴様らにもある。
せめて花だけでも備えておけば、少女も悪さはしなかっただろう。
「今夜はここで厄介になろう。偶にはこの様な村で寝泊まりするのもいい経験だ」
「分かりました。貴方様には逆らえません。ナオミさんについて少しだけお話ししましょう」
焚き木が用意され、マチスは傍に座り込んだ。
どうやらリアムたちはナオミに恩があるらしく、彼女たちの行き先までは言わなかったが、西の方角に七人で向かっているとは言った。
西といえばサルデア国内で唯一未開の地とされており、ドラゴン教徒が住んでいるだの、盗賊の本拠地があるだの、色々囁かれているが、ナオミが何故そこへ向かっているかは謎である。
「ナオミさんは妻の病気から救ってくれた命の恩人です。殺されるなどとても耐えきれません」
「母である女神の神殿を荒らした。その罪は死でのみ償われる……」
炎が徐々に弱まってきたので、リアムは悲しそうに木の枝を焚べた。
サルデアの西の果て。
冒険家グレンすら向かわなかった未開の地に、ナオミたちは行こうとしているのか。
全くもって馬鹿馬鹿しい。
「変わり者の考える事は分からん。何故西なのだ。俺なら迷わず北へ行くがな」
「貴方を始めとするレノン三世の追っ手からの戦闘を避けるという理由もあるでしょうが……本当のところは分かりません……シンバという女性が鍵を握っているようですが」
「シンバか……」
今奴は北にいない。昨日溺れていたのを助けたばかりだ。
冒険家グレンの秘宝を得るのは、果たして誰になるのか。
それがこの国の命運を左右すると言っても過言ではない。
ナオミを始末し、その後北の秘宝を手に入れる。
そうすればサルデアに新たな王朝を築きあげる事すら可能だ。
人々はこのマチスの名を千年いや、一万年と語り継ぐ事になるだろう。
焚き木がメラメラと燃え上がるのを見届けた後、マチスはそのまま満足そうに横になった。
北のエルフ族の反乱。
十三年前に勃発した戦争に、マチスは参加していなかった。
もし自分がサルデア側に加わわっていれば、エルフ族は一人残らずまだ奴隷のままだったはずだ。
ナオミブラスト。
奴隷の子孫である彼女が、今国中の話題を集めている。
何が起こるか分からないのが、この世界の面白いところだった。
『マチスよ。ナオミブラストを殺しにいくのか?』
青白い光を帯びた女神である母上が、夢の中で語りかけてきた。
『行けばお前は生涯初の敗北を味わい、百年も待たずに人々の記憶から消える。それでも良いのなら……行きなさい』
自分が女エルフに負ける?
たった七名の集団に、このマチスが殺される?
苦笑せざるを得なかった。
この忠告をどう受け取れと言うのか。
目を覚ませば、リアムが自分に布団がわりの布をかけているところだった。
「恩にきる、リアム」
その日は風が冷たかった。
サルデアはいよいよ冬の季節に差し掛かろうとしている。
「妻を大切にな」
何となく、言った。
それでもリアムは深々と平伏していた。
自分の姿が怖いのだろう。
いつもの事だった。
強い者が幸せになるとは限らない。
この姿に生まれて良かったと思った事は残念ながら一度もなかった。
ゆっくりと目を閉じ眠った。
焚き木の炎は、まだ赤いままだった。
*****
深き森に微かにする人間の匂い。
それをマチスは逃さなかった。
木から木へと飛び移り、ナオミブラスト達の元へと一直線に進んでいる。
無論、殺すために。
集団は七人と聞いていたが、実際戦えるのは三、四人だろうと睨んでいる。
この自分が敗れるなどあり得なかった。
身に纏う鎧は神々の授け物であり、槍は歴戦の末に得た優れものである。
身長は二メートルを優に超え、体力も衰える事を知らない。
つまり負ける要素が無いのだ。
数々の戦を経験してきた自分にとって、ナオミブラストなど赤子同然、のはずだった。
「……あれか」
マチスは木の陰から、その集団を見下ろした。
長い黒髪の女性が彼女だろう。
王に仕えていたクリスティと言う名の女もいたが、殆どが初めて目にする者たちだった。
奇襲を仕掛ける必要もない。
マチスは堂々と地面に降り立ち、ナオミたちの行く手を遮った。
自分の獅子の頭部を見て顔をしかめたのは、先頭を行く刺青の男だった。
「こいつ多分マチスって名の将軍だ。一筋縄じゃいかないよ」
刺青の男レイヴン。
既に盾の上に剣を添え、構えていた。
「……レノン三世の刺客とみて間違いないわ。城で二度ほど見た事がある」
とクリスティ。
「……母上の神殿を荒らしたそうだな、ナオミブラスト。死を持って償ってもらうぞ」
「なるほど。あの女神の息子にあたるのか。悪い事をしたな」
ナオミブラストの蒼いサファイアのような眼は、驚くほど澄んでいた。
だが関係ない。
「……俺は殺すために生まれ、殺すためだけに生きてきた」
地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
槍による渾身の一撃はレイヴンの盾に命中し、その者を後方に押し崩した。
「覇!」
左右からナオミブラストと黒人の男が斬りかかる。
が、マチスは片手で構えた槍で双方の剣を受け止めてみせた。
ーーやはり、弱い。
左手で念力を黒人ネロに見舞った。
成すすべもなく吹き飛ばされた彼は木に叩きつけられ気を失ったようだった。
間髪入れずに次のモーションに移ろうとしたが、クリスティの魔法がそれを遮る。
「クエイク」の連続魔法である。
岩はマチスの胴体に幾度となく命中したが、神の鎧の前に余りにも無力だった。
「久しぶりに手応えのある敵かと……少しでも期待した俺が馬鹿だったようだな!」
槍を後方に投げつける。
それは森に血の花を咲かせ、一人を再起不能にさせた。
「クリスティ!」
ナオミブラストの声も虚しく、彼女は眼を見開き、額からは血が止めどなく滴り落ちていた。
王や自分ではなく、このハーフエルフに加担した者への制裁である。
「次はお前だ、ナオミブラスト」
と腰に刺した剣に手を携えた時、妙な違和感を覚えた。
金髪の少女。
歳は14、5歳前後だろうが、クリスティのものとは比較にならない程の魔力を感じたのである。
『ギィィヤァァア!』
グリフォンの召喚は、僅かだかマチスの気持ちを昂らせた。
灰色の羽で勢いよく飛翔する召喚獣。
神々しさすら感じさせるそれだったが、所詮獣に過ぎない。
こうなれば少女も、子供エルフも皆殺しにするしかあるまい。
心の中でそう決心したマチスは雄叫びを上げた。
六人のうち一番厄介な召喚士目掛けて抜刀切りを見舞おうとしたが、レイヴンの盾が遮った。
「クリスティを殺したツケは大きいよ、ライオン君……」
怒りで身体を震わせる彼から放たれる邪悪なオーラ。
自身とは対照的な闇、即ち悪魔の面影を彷彿させる。
背中から翼を生やし、飛び上がったレイヴンの暗黒剣による一撃は、マチスの剣を地面に叩き落とす程の威力であった。
が、次の攻撃に移る前にレイヴンの両足を掴み、投げ飛ばした。
土の地面をのたうち回る堕天使まがいのレイヴンは、苦しそうにこちらを見た。
「どうした?お前の本気はその程度か?」
煽った刹那、上空から十数個もの火の玉が自分目掛けて降り注がれてきた。
グリフォンの仕業とみて間違いない。
占い師の言った通り、ナオミは一人でない。
そしてあのクリスティを殺した事が、火に油を注いだかのようだった。
身体中を焼け尽くすかの如く、直径一メートルを超える無数の火の玉がぶつかってくる。
グリフォン特有の技「流星群」である。
流星群は威力こそ高めだが魔力の消費量も大きい。
大技を使用した召喚獣は光に姿を変え、少女の所持する指輪に吸い込まれていった。
「おのれ……」
次の瞬間、黒い何かが右から現れては消えた。
他でもないナオミブラストだ。
巷では「閃光」と呼ばれている剣技だろう。
紫色に光る剣の斬れ味は眼を見張るものがある。
そして怯んだ直後に頭部に激痛が走った。
今まで戦闘に参加していなかったドワーフが、ここぞにばかりに斧を振り下ろしてきたのである。
「ドワーフの分際でこのマチスに傷を負わすとは……」
舐めた真似を。
口から聖水を吐き出し、ドワーフの頭から浴びせた。
鎧姿のドワーフの悲鳴が、そこら中に響き渡る。
身体は見る見るうちに溶けて行き、やがて悲鳴は止まった。
七人のうち二人が絶命した。
怒りを沸々と露わにしたのはナオミ、レイヴン、そしてキャンディスの三人である。
ナオミブラストは想像していたよりずっと感情的で、今のところ大した動きは見せていない。
注意すべきは残りの二人である。
刺青だらけの戦士は暗黒剣と言う名の諸刃の剣を所持しており、その威力は高い。
また金髪の少女は底知れぬ魔力の持ち主で、これが上級魔法も使えるとなると厄介である。
その時だった。
死角から何かが刺さった。
それが毒の付いたナイフで、子供エルフが木の上から投げたものだと把握した時、マチスは生まれて初めて「死」が自分にも身近なものなのだと感じた。
解毒剤は持ち合わせていない。
ここから村まで走れば間に合うが、そもそもあの貧相な村に解毒剤があるかも分からない。
次点で近いのはマゼラだが、そこまで戻るとなると再びナオミブラストを探すのは困難を極める。
何より自分に逃げるという選択肢は存在しないのだ。
首に刺さった毒ナイフを引き抜いた。
浅かったため出血は遅いが、毒が回るのも時間の問題である。
「逃げろ、アルク!」
叫ぶナオミブラスト。
レイヴンは何やら呪文のようなものを唱え始め、キャンディスは既に何処かに身を隠していた。
「連携」か……。
他人を信用しない俺はしない、というより出来ない。
この森が英雄マチスの死場所となるのか。
最後の敵が奴隷の子孫とは全くもって面白い。
だがこの身体に毒を注いだ馬鹿だけは絶対に殺す。
いや気を失っている黒人諸共皆殺しにし、無事マゼラに帰ってみせる。
マチスはクリスティに刺さった己の槍を瞬時にもぎ取り、ナオミブラストと、その傍で眠る黒人ネロを睨んだ。
あの木の裏に召喚士の匂い……近い。
だが先に殺すべきは……アイツだ。
レイヴンの方向に念力を放った。
紫色の魔法陣は歪な模様を描いていた。
恐らく上級魔法「ジャッジメント」。
対象者に確実に死を齎すとんでもない技だが、詠唱時間は長いはずだ。
爆風にも近い衝撃を受けたレイヴンは思わず尻餅をつき、詠唱は中断された。
「さて……」
背中の弓に手を掛けた。
幼少期に先代の王レノン二世から譲り受けたものだったが、使った事は殆ど無い。
この矢で一人ずつ撃ち抜く。
先ずは、お前だ。
(木の陰に隠れたつもりか……この子供エルフが)
矢は木の幹半ば貫通する程の威力。
足を踏み外したそれは地面に落下し、やがてキャンディスの微かな悲鳴が聞こえた。
三人目をあの世へと送った。
その時、何かが光った。
腕で顔面を守ろうとしたが、一瞬毒が回って反応が遅れた。
涙が額にポツリとかかった気がした。
誰の攻撃か分からなかったが、自分が今死のうとしている事をマチスははっきりと感じていた。