2
首都マゼラの賑わいっぷりは尋常ではなかった。
人口およそ十三万。サルデアに住む者の大部分が、一度はこの街を訪れる。
家々はレンガでできており、歩道も細かく整備されていた。
ナオミブラストは街中で懐かしい顔に遭遇した。
共に王の依頼を承った、レイヴンという名の男である。全身に刺青を施した戦士は、国中探してもこの人だけだろう。
そしてその隣にはドワーフであり、鍛冶屋でもあるジンがいた。
二人はどうやら知り合いのようだった。
「一年ぶりだね、ナオミちゃん。キミが手に入れなかった闇のエッセンスは、僕が譲り受けたよ。石像が三体に減ってたから、正直楽勝だったな」
レイヴンは黒く染まった顔に、笑みを浮かべた。白い歯が一層際立つ。
「俺がこの男の剣を暗黒剣に仕上げた。悪く思うな、ナオミ」
とジン。
長身のレイヴンの隣だと、なお小さく見える。
「闘技場で優勝したら、手に入れるのは暗黒の盾さ。最強のファイターの誕生を目に焼き付けるがいい」
「この人、やな感じですね」
ナオミの背中に隠れたキャンディスがボソッと呟き、睨まれた刹那、
「ところでジンさんは何故マゼラに?」
とお茶を濁した。
「闘技場の見物だ。今年からドワーフの入場規制が無くなったんでな」
ジンは見事な髭を靡かせながら言った。
「よし、私たちは闘技場の受付に行くとしよう。無事でいられるよう、祈っててくれ」
ナオミの言葉に、キャンディスは笑顔で頷いた。
まるで実の妹のようだった。
「ゴブリンの駆逐以来だね」
レイヴンがナオミと共に街を闊歩しながら言う。
「ああ。こうして巡り合うのも、何かの縁だろう。闘技場の予選は今日だったか?」
「そうだね。 八人になるまで武器無しの殴り合い。バトルロワイアルだ」
言って、レイヴンが受付の扉を開けた。と同時にどよめきが上がった。
「あの耳見ろよ。女エルフが闘技場に参加するらしい」
「奴隷の公開処刑だな、こりゃ」
屈強な男たちの蔑んだ眼が、ナオミに注がれた。
『出場される方はサインをお願いしまーす。
予選突破者には漏れなく豪華な食事が賄われますので、チョー頑張って下さいね!』
審判らしき女性は色っぽいドレスを着ていた。
一部の街の男共に人気があるのだろう、とナオミは思った。
「出場者は二十人前後か?」
「みたいだね。それでも普段よりはずっと多い。闇のエッセンスの価値は近年増加してるからね」
ナオミとレイヴンはサインを済ませ、参加者の顔ぶれを観察した。
身長二メートルを超える者もいたが、動きが鈍そうだった。
「女性の本戦出場は過去一回だけ。しかもエルフは不当な采配を下される傾向にあるから、優勝したら試合絡みのギャンブルは大荒れだね」
「ふん。面白い」
ナオミは不敵な笑みを浮かべた。
見た限り、レイヴン以外に強者はいない。
どさくさに紛れてドスを抜かれたりしければ、大丈夫だろう。
『では皆様を闘技場にご案内しまーす。因みに予選ではお客さんは殆どいません。
武器は全てここで預かります。予選で魔法を使ったら即失格でーす!』
審判のテンションとは裏腹に、建物内は殺気で満ち溢れていた。
ーー
結果、ナオミたちは予選を難なく通過。そして約束の食事は予想以上に豪華だった。
まあ、明後日の本戦では死人も出るそうだが。
「ナオミちゃん……暗黒剣を手にしてから、極端に気分が良くなったり、逆に吐き気がしたりするんだ。何でだと思う?」
「さあ?悪魔の呪いか?」
と、ナオミが七面鳥を口にした時、勢いよくドアが開いた。
ジンである。
額からは血を流していた。
「ナオミ!キャンディスが攫われた!フードを被った小柄なやつにだ!」
流石のナオミも顔色を変えずにはいられなかった。
「ゼオは連れてきてるか!?」
「噴水の前まで誘導してある」
「分かった」
ゼオはナオミの愛馬である。
直ぐさま支度を整え、建物を跡にする。
後方でレイヴンの嗚咽が聞こえた。
「だからこの街は嫌いだ!」
黒馬ゼオに跨り、夜の街を駆け巡る。
血が沸騰しそうになったその時だった。
「ナオミブラストさんでお間違いないですね?」
ゼオが嘶きと共に、前足を高々と上げた。
白い煙と共にフードの男。スーッと何処からともなく現れたのだ。
そして右手にはぐったりとした、金髪の少女。
「キャンディス!」
「先日、コカトリスを倒したそうですね。素晴らしい。五分のワタシと戦っても、中々いい勝負が期待出来そうです」
言って男はフードをとった。
頭部は……骸骨だった。
「ワタシの名はファントム。アンデッドを束ねる者。ワタシに勝てばこの少女を返しましょう。なに、本気で戦うわけではありません、ご心配なく。しかし貴方が負ければ……」
ファントムは続ける。
「貴方の剣『ガイキ』を貰い受けましょう」
「ふん。舐めた真似を」
ナオミはインパクトを放った。
突風が、ファントムを後方の壁へ吹き飛ばす。
間髪置かずに、ナオミはゼオの背中から空中に飛び上がり、剣先を下に向けた。
「串刺しにしてくれる!」
ガイキは確実に頭部をとらえたように見えた。
しかし、実際はすり抜け、ナオミは思わずバランスを崩しそうになった。
「ワタシに物理攻撃は通用しません、よ!」
とファントムは右手から炎を発射した。魔術「フレア」とみて間違いない。
「ぎっ……、くっ……」
服がオレンジ色の炎で包まれる。
ナオミはリジェクト魔法を発生させる間もなく、その場に崩れ落ちた。
「この剣はワタシが貰います。そして貴方を誘いだすために連れ攫った少女は……ワタシ好みの駒にしてしまいましょう。ヒハハハハハ……」
意識が遠のいていく。
突然降り出した雨が、彼女の頬を滴り落ちていった。
ーー
その日は風が冷たかった。
森中のゴブリンを駆逐せよ。
任務は単純明解だった。
レイヴンが
「いくらゴブリンでも可哀想だ」
と言っていたのは、
今でもはっきりと覚えている。
そしてそれには自分も激しく同意したものだ。
その頃は魔法を習得したばかりで、剣技は「桜花」と「迅竜」しか使えなかった。
レイヴンの腕周りも痩せ細っていた。
二人とも若く、幼かった。
一匹目。
殆ど力むことなく、胴体を貫いた。
血は緑ではなく、赤。 呻き声と共に絶命した。
命の脆さに唖然とする。
そして休む間もなく次のターゲットへ。
雌や子供も皆殺した。
烏がその死体を貪り食う。
これが何百人の命を救うのだ。
そう自分に言い聞かせ、剣を振るった。
途中、レイヴンが涙ぐんでいるのが分かった。
人も魔物も同じ動物。
なのに何故ーー?
争いは絶え間なく続く。
そして敗者は勝者の奴隷となる。
かつてサルデア全土のエルフ族が、そうであったように。
泣きたいよ。
私だって泣きたいんだよ。
平静を装うのに疲れた私は、人生二度目の涙を流した。
森も、泣いている。
そんな気がした。
ーー
首都マゼラに潜む王の影が、ナオミの脳裏にあの任務の虚しさを蘇らせているのだった。
殺すのに躊躇いを感じなくなったのも、あの頃である。
報酬に貰ったガイキが無くなった今、 そして何よりキャンディスがいなくなった今、ナオミに湿った歩道から起き上がる理由は、どこにも見つからなかった。
*****
ナオミは小鳥のさえずりと、ハープの音色で目を覚ました。
日の光に対して目をこすり、両手を重ねて伸びをする。どうやら王宮のベッドで寝ていたようだ。
「連れてこられたのか」
昨夜の出来事を思い出し、辺りを見回す。
大理石の立派な部屋には、数々の絵画が飾られていた。
「気がついたか、ナオミブラスト。ハープの音も、時には癒しとなろう?」
庭で演奏していた白髪の男が、歩み寄ってきた。
彼こそ、サルデアという大国を治める、レノン3世である。
「似合わんな。男がハープなど」
とナオミ。
「女性に剣も似合わん」
ナオミはこの変わり者と名高いサルデア王を、臆することなく睨みつけた。
「何だその目は。儂がお前さんをここまで連れてきて、傷の手当をしたというのに」
そういえば、痛くない。
溜まりに溜まっていた疲労感もかなり消えていた。
「私の身体を見たのか?」
「見たのは使用人だ。それより名剣ガイキを盗まれたそうだな?」
「…………」
「あの剣は特別な素材で出来てある。悪しき者の手に渡ると危険だ」
「どういう風に?」
「あの剣は異世界の扉の鍵なのだ」
レノン三世は平然と言った。
「馬鹿な。異世界だと?」
「信じる信じないはお前さんの勝手だ。しかしナオミブラストならば、あの剣を奪われることはないと踏んでおったのだがな……」
「で、異世界には何があるのだ?」
「異世界とは即ち死後の世界だ。魂の亡霊が蔓延る場所と言われている」
なるほど、アンデッドが好きそうな場所だ、とナオミは思った。
「しかし、肝心の扉は何処にある?まさか知らない訳ではあるまいな」
「この街のはずれにある井戸から通じる洞窟の先にあるはずだ。ナオミブラストよ、そこへ向かい、再び扉を閉じに行ってくれ。悪しき亡霊が街に解き放たれる前に」
久々の任務だった。
しかし今回は理にかなっている。そして死後の世界に行きたい理由は他にもあった。
「いいだろう。報酬は?」
「金貨十枚だ。妥当だと思え」
それだけ聞くと、ナオミは部屋を跡にした。
ーー
黒馬ゼオの背中に乗って約三分。
井戸の近くに到着した、その時だった。
「出やがったな!」
井戸から動く骸骨が一人、また一人と現れたのだ。扉から湧き出た死者と見て間違いない。
「剣技、桜花!」
ナオミは「名もなき剣」を振るい、剣技を見舞った。
回転する際、花びらがひらひらと散る。美しき範囲攻撃である。
ファントムと違い、骸骨たちには物理技が通用するようだった。
すぐさま井戸の中へと進む。
目的は扉を閉じること。
だが、死後の世界に少しだけ踏み込みたい。
あの人に会うため。
ガウウウ……
アンデッド化したオオカミが、下で待ち伏せしていた。
名剣「ガイキ」でない分、殺傷力が劣るこの剣でアンデッドに勝つのは、至難の業に思えた。
「小癪な」
ナオミはオオカミに腕を噛みつかれた。
痛みが全身に駆け巡る。
蹴った。
体術には自信がなかったが、咄嗟の蹴りは意表を突いたと言える。
そして斬撃。
二匹同時に首を斬ることに成功した。
「ハア……ハア……」
ナオミの呼吸が洞窟に木霊する。
進むと、すぐに青白い光が目に飛び込んできた。
ゲートである。
名剣ガイキは使用済みのようで、見当たらなかった。
「行くか」
ナオミは死後の世界に足を踏み入れた。
十一年ぶりの出会いを求めて。
ーー
「私も死んだらここに流れ着くのか」
一面真っ白な世界だった。
ポツリポツリと人が霧の中から現れては消える。
エルフ、ドワーフもいた。そしてゴブリンも。
その時、中央から誰かが歩み寄って来るのが見えた。
「貴方はまだここに来るべき人ではない。やり残した事があるはずです」
黒髪、そばかす。あの人だった。
泣くかと思ったが、涙は出てこなかった。
「僕の名前はジョセフ。その剣と白い肌で、すぐに分かりましたよ。お久しぶり」
「お、お久しぶりです」
ナオミは生まれて初めて敬語を使った。
頬を若干赤らめ、目を伏せる。
このジョセフと名乗る男は川で溺れそうになったナオミの身代わりとなった、命の恩人である。
「じ、実は……」
ナオミは昨日会ったファントムについて話した。
「なるほど……。どうやら僕を含む死者の誰もがゲートを潜ると、アンデッドになってしまうようですね。これは不味いです。先程とんでもない強者が出て行かれましたから」
「?」
「蒼眼のエルフ。貴方のお父様です」
父か。一度会ってみたかった。
よりによってアンデッドになってしまうとは。
「どうやらファントムたちと戦うには、これを託すしかないようです」
ジョセフは赤い指輪を懐から取り出した。
「これは過去に倒した獣を数分間召喚する、魔法の指輪。勿論魔力は消費します。それに伴い体力も消耗するでしょう。しかし、きっと貴方の役に立つはずです」
ナオミは、目まぐるしく起きる出来事に若干困惑しつつも、指輪を受け取った。
「何体まで契約できるの……ですか?」
「魔力の許す限りです。しかし現段階では二体までが無難です」
「ここには?」
それを聞き、ジョセフはニコッと笑い口笛を鳴らした。
奥から現れたのは体長四メートルの……コカトリスだった。
「今ではすっかり僕になついています。上手く使いこなせば、どんな剣にも勝る『力』になるはずです」
ナオミは言われた通り指輪に手を添えて「コカトリス」と名を唱えた。
すると彼は緑の光になって指輪に吸い込まれていった。
「ジョセフさんとは、もう二度と会えないのですか?」
「死とはそういうものです。しかし僕は一瞬たりとも、貴方を助けたことを後悔していません。生き延びてください、あの国の未来のために」
抱擁を交わすジョセフの身体が、少しずつ消えていった。
「「さようなら」」
声が重なる。
後ろを振り向き、ゲートを潜った。
「ん?」
サルデアの兵士たちが井戸を降りてくるのが見えた。
「ナオミ殿。このゲートは我々が責任を持って死守する。城へ戻って、報酬を受け取られよ」
隊長らしき人物に言われ、ナオミは地上に舞い戻った。
ーー
「蒼眼のエルフ、お前さんの父親か……」
レノン三世は大きくため息をついた。
「私は明日闘技場に出場した後、グレンソールにいる師匠を訪ねる予定だ」
「なるほど。しかしその剣で闘技場を制するのはちと厳しいな」
レノン三世の口元が薄っすら笑った。
「報酬の金貨の代わりに、この剣をお前さんにやってもいい。世界に二つとない斬れ味を誇る『雷撃剣ザンガ』だ」
王はビリビリと紫色の光を放つ剣を、クルクルと回して見せた。
かなり軽そうだが……。
「ファントムに通用するのか?」
「電気を帯びた攻撃は、必ず何らかの形でダメージを与えるはずだ。儂を信用しろ」
ナオミはゆっくりと電撃剣を譲り受けた。世界一の斬れ味かはさて置き、金貨十枚分の価値はありそうだ。
「今日は泊まっていけ。戦いの鬼にも休息は必要だ」
レノン三世はくぐもった声と共に、暗い別室へと姿を消した。
サルデアの城から見渡せる絶景は、ナオミに戦う意味を、僅かだが残らしめる。
「またいつか」
柱に手を添え、あの世のジョセフに語りかけた。
*****
弾けんばかりの歓声は、戦士たちの緊張感を限界にまで高めている。
彼らが何故怯えるのか、今のナオミなら理解はできた。
『皆さんお待たせしましたー。
見事予選を勝ち抜いた八人の猛者たちには、これから生き残りを賭けたゲームに挑戦して頂きます~』
角笛の音と共に、ナオミブラストは大股で堂々とゲートを潜り、入場。
闘技場の空は晴れ渡っていた。
隣のゲートからはレイヴン、その隣からはスキンヘッドの黒人が続いた。
「嫌な予感がするよ、ナオミちゃん。僕たちはとんでもないバケモノと対峙することになりそうだ」
レイヴンの声は、いつに無く焦りを含んでいる。そしてその予感は的中した。
「それでは登場してもらいましょう!地獄の番犬『ケルベロス』です!』
派手なドレスを着た司会者の声。
ナオミには、いつに無く腹立たしかった。
闘技場の床が割れた。
地下から耳障りな雄叫びと共に、三頭犬がその姿を現す。
何日も食事にありつけていない様子だった。
「私たちを……」
「食べる気だぜ」
ナオミの言葉を遮って、筋肉質の黒人が口を開いた。
なんと彼、武器を身につけていない。
「八人の団結力が試されるぜ。 だが予選の動きを見た限りでは、頼れるのはアンタら二人だけだ」
「ヤバイよ、あのキバ……」
動揺を隠せない二人の男を横目で見つつ、ナオミは剣を抜いた。
昨夜王に貰った雷撃剣である。
早々に斬れ味を試す時が来たのだ。
ケルベロスは涎を垂らしながら、闘技場の中央を徘徊していた。
黒い毛を纏った三頭犬。
危険度は、恐らくコカトリスすら凌ぐ。
一人、そのキバの餌食となった。
断末魔が逆に観客の心を奮い立たせる。
彼らの殆どは血を見に来たのだ。
隣にいた赤毛の男は、背を向けて逃げ出そうとする始末。
レイヴンも黒人も攻撃を躊躇っていた。
「剣技『迅竜』!」
ナオミは「ザンガ」を下から突き上げた。
竜の飛翔の如きモーションから放たれる青白い光は、ターゲットである怪物に向かって一直線に突き進んでいく。
しかし、気づいたケルベロスも負けじと光線を吐き出す。三つの口から放たれる橙色の光は、ナオミの剣技『迅竜』とぶつかる。
歓声をかき消すほどの爆発音。
レイヴンは盾で衝撃を防いでいた。
やがて視界から煙が消えた時、ナオミは一人ケルベロスと対峙していた。
観客が「ブラスト!」と、ナオミの苗字を叫び出す。
「はっ!」
ナオミは氷属性魔法「フリーズ」を、ケルベロスの顔面にそれぞれ放った。
下級魔法だが、牽制にはなる。
その隙に、得意の剣で足を攻撃。
雷撃剣ザンガの斬れ味は予想通り凄まじく、骨ごと斬れたような手応えがあった。
魔法には炎、風、氷、土、光、闇の六種類が存在し、それぞれ下級、中級、上級に分類される。
身長二メートルを超える大男が、ケルベロスの後ろ足に斧を振り下ろした。
血が、闘技場の土を紅く染める。
やがて黒人が逃げ惑う赤毛の男から槍をひったくり、参戦した。
槍を器用に動かし、相手の注意を拡散している。
『お~っと、これは予想外の展開です。女エルフの斬撃が、ケルベロスの右前足を完全に負傷させた模様』
興奮する司会者の隣には、国王レノン三世が意味深な笑みを浮かべながら座っている。
「ナオミちゃん!中級魔法『ナイトメア』の詠唱完了まであと一分くらいだよ!」
レイヴンが、手の平を合わせながら叫ぶ。
彼の周りには紫色の魔法陣が浮かび上がっていた。
真ん中にあるケルベロスの首が、下級魔法「フレア」を吐いた。
燃え盛る炎が黒人を容赦無く襲う。
が、眩い円形の光が男を包み、見事に攻撃を防いでいた。
ナオミが間一髪、光属性魔法「リジェクト」を発動させたのだ。
「いいぞ、ナオミ!」
観客席の最前列で見守るジンが、思わず声を上げていた。
年長ドワーフは額に包帯を巻いている。
しかしその数秒後、背後から斧で攻撃していた大男が、捕らえられた。
左の首に噛みつかれた彼は高々と持ち上げられ、その身体は真っ二つにへし折られる。
流石のナオミも直視するのを躊躇った。
『残る戦士はあと六人です。果たしてレイヴン選手の詠唱まで持ちこたえられるのでしょうかー』
言い終わるまでにまた一人、キバの餌食になった。
「物理攻撃は大したものだ」
ナオミが吠え狂う犬を見上げて言った。
だが、あのフレアの威力はファントムに遥かに劣る。
彼女は既に勝利を確信していた。
「皆んな、離れろー!」
レイヴン。
呪文詠唱を終え、両手を前に突き出す。
中級魔法は戦士たちは疎か、観客を巻き込む可能性を秘めている。
直径百メートルの闘技場。
保証はなかった。
「ナイトメア!」
レイヴンの真上に隕石のような物体が、突如現れた。
戦士たちは、既に四方に散っている。
隕石の衝突による爆発音。
覚えているのはそこまでだった。
ーー
中級魔法「ナイトメア」によってケルベロスは死んだ。
また防具が薄かった戦士一人、観客三人が犠牲になった。
生き残った四人の戦士の中から投票で優勝者が決定する事になったのだが、観客を巻き込んだレイヴンは除外された。
ナオミ、黒人、赤毛の男の三人。
公正な判断が下されれば、ナオミの優勝は間違いなかった。
だが、エルフへの差別が今だ解決されていないのも事実だった。
『投票結果を報告しますー。優勝者は……ネロ選手に決定しましたー!』
ナオミの優勝を期待した観客からは、激しくブーイングが起こった。
ネロは黒人の本名で、彼は自分が優勝した事にひどく驚いていた。
「闇の石はホントに俺が貰っていいのか……?」
「構わんさ。それより私にはやることがある」
赤い光が指輪に吸い込まれた。
ナオミはかがみ「ケルベロス」と名を唱え、召喚獣としての契約を結んだのだった。
ナオミとネロは拍手を浴びながら、闘技場を退出していった。
ーー
「聞けばネロは闇の石を、金貨二十枚で売るつもりらしいじゃねえか」
「しかもそのお金で、借金を返済したいそうよ」
「何でレイヴンが一番活躍したのに、優勝じゃねえんだ?全くギャンブルは大荒れだぜ」
マゼラの宿屋の一階は、闘技場の話で持ちきりだった。
そんな中、ナオミ、レイヴン、ジンは二階の寝室でこれからの事について話し合っていた。
「俺はドワーフの洞窟に帰るぜ。いい土産話も出来たしな」
とジン。
「僕は明日、死んじゃった人の遺族に頭下げに行くよ」
ベッドに座ったレイヴンが悲しげに言った。
彼の放った「ナイトメア」の威力は暗黒剣によって確実に底上げされていたのだ。
「私は……」
壁にもたれていたナオミが口を開いた、その時だった。
部屋の扉が開き、ネロが入ってきたのである。
「ナオミ。俺は今日、アンタのおかげで命拾いした。この借りを返してえんだが……」
ナオミは、キャンディスという名の少女と、彼女を連れ攫ったファントムを探している。
それには故郷にいる師匠の協力が不可欠だが、この男もまた才能溢れる人材であることは確かだ。
「いいだろう、お前も一緒に来い。我が故郷、グレンソールへ」
男嫌いのナオミが、知り合ったばかりの男性を受け入れた。
この時のナオミの選択が、後に彼女の運命を左右することになるが、それはまだ先の話……。