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勝利に酔いしれる火の国はお祭り騒ぎだった。浮かれている場合ではない。シエンは何度もそう自分に言い聞かせたが、あのロクサネの美貌が心を惑わす。彼女は今やこの国の支配者。彼女がお祭りだと言えばそれは決行されるべきなのだ。
花火が夜のヘルメルツに打ち上がる。色とりどりのそれは先日の謀略の汚れを取り払うには結構なものだったが、それよりもロクサネと食事にありつける事が己にとっては大きな満足に直結している自分がいた。
自分とした事が。ロクサネの放つ妖艶さはこの世のものを逸脱していた。
「シエン殿、先日の勝利は見事なものだった。アンガスを取り込めたのも貴方の策あってこその事だ」
鎧姿のロキが城のバルコニーで語りかける。
今ロクサネ軍は六千を超えていた。この勝利は瞬く間に拡まりじき兵は一万を越すだろう。
「今は暗殺が心配です。特に女王が無くなれば我々は象徴を失います」
既にヘルメルツ王に仕えていたものから有能なものはあぶり出していた。名をモルバ。ターバンを付けた肌が褐色の者だった。首をはねた先代の王への忠誠は浅く信頼できそうな男だった。
「モルバを護衛に付けましょう。あと旗本五十」
五十の旗本はシエンがロキたちに出会う前からロクサネに命を捧げてきた者たちである。
「俺はシエン殿の暗殺も怖いな。まあいざとなれば魔法が守ってくれるだろうが」
バルコニーから見渡せる夜景は壮大だった。だが南からいつ魔王軍が押し寄せるか分からない。
「俺たちはシエン殿に出会えて良かった。政治の一切を任せられるのも信用しているからだぞ」
「私もロキ将軍に会えて光栄です。あと……ロクサネ様にも」
また、花火が上がった。城下町のドラゴン教徒は浮かれ楽しんでいる。
「何を考えておいでですか?」
見れば背後にロクサネがいた。ボロボロの着物から王族の衣装に着替えた彼女の美しさに、シエンは落ち着きを取り戻せなかった。
「これはこれは我が君。男は基本女に指図されるのを嫌いますが、貴方となれば話は別。平和の象徴として永く居座ってください」
「象徴?」
クスッと笑ったように見えたが、暗くて表情は読み辛かった。
「え、ええ。それに私は顔で主君を選びませんよ、決して」
何という事だ。自分というものが有りながらシエンはロクサネの虜になっていた。気付けば二十三年間本ばかりの生活だった。女性に免疫はない。恋愛雑学も多少は読み漁ったが、いきなりこの女を相手するのは分が悪すぎる。
一方弟のロキは恋愛には無頓着なようで、なりふり構わず花火を楽しんでいる。
「シエン様」
モルバだった。黒い煙と共に突如姿を現した彼の目には静かだが燃えたぎるもながら見え隠れしていた。
「ロクサネ様の護衛、このモルバがしかと承りました」
武器は長さ三メートルの矛だった。軽々操るそうなので、腕力はかなり期待できる。
手にした情報によればヘルメルツ王はモルバに十分な給与を与えていなかった。無口で謙虚なので出世を余り望まなかったのだろう。こういう男こそロクサネ軍は必要としている。
「顔を上げなさいモルバ。それにシエンではなく私の目を見て話しなさい。貴方は下僕などではありません。このロクサネ、天下万民に平等に接します。それに親しみも無ければ護衛は務まりませんよ」
それでもモルバは深々と頭を下げた。
ロクサネの思考。自分に通ずるものがある、とシエンは見ていた。ドラゴンという象徴と共に温和な女性がこの世界を支配する。それでいて種族間の差別を少しずつ撤廃させてゆく。
その為に今自分が出来る事は南への備えだった。
もう暫くは南からの脅威に晒される事だろう。ならば櫓などを設置しても損はない。
「ロキ将軍。実のところ私は花火は浮かれ過ぎなのではないかと思っていました。だが無駄がなさ過ぎるのも困ったものですね」
笑った。ロクサネもホホホと笑い始める。
睨んだ通りモルバには女っ気がない。こうして功績を残していけばいつの日か。そういつの日か彼女は振り向いてくれる。夏の花火を望む四人は宴の声に耳を済ませる事にした。
*****
あと少し。あと少し押し出せば教徒共を駆逐できる。その一押しが足りなかった。
風の国のエルフ族であるリノアはたった三千の軍勢で五万ものドラゴン教徒を相手してきた。相手の装備が貧弱であったとは言え天下に名を轟かせる戦いぶりである。二十一歳。未来はある。
「射て!」
敵が潜む森に火矢を放った。エルフ族は代々自然との調和を図ってきた。だがこの風雲児リノアは違う。若き君主は敵の意表を突き、このまま総攻めに掛かる。
リノアの武器は薙刀だった。横に振るい二人三人と斬り崩す。
火攻めは用いた事は致し方ない事だった。ブラスト家存続に掛けて、心を鬼にする。
泥だらけになった頰をぬぐい一息ついたその矢先だった。
上空に無数の鳥人。東の光の国の天使たちと見て間違いない。天使なのに鳥人と呼ぶのは彼らが如何に泥臭く、如何にしたたかで如何に凶暴かを知っている者達の間だけの話である。
鳥人の矢。隣の兵長二人が瞬く間に命を落とした。
「覇!」
剣で矢をはたき落とす。熟練の者だけが成せる業だった。
駄目だこのままでは勝てない。都は陥され、風の国は天使達の手に落ちる。
「生き延びたい者は私について来い!一気に馳ける」
「目標地は?」
北東の水の国、いや……
「火の国だ」
新興国家だった。それもまだ小さい。それでも同じ女性として、女王ロクサネには興味があった。水の国の人魚姫はまだ若過ぎる。
それにしても手柄を横取りされた。五万ものドラゴン教徒にたった三千で挑み、壊滅的打撃を与えたのは他ならぬ自分である。
「覚えてろ!」
上空を飛び交う鳥人たちを睨み、リノアは馬の腹を蹴った。目指すは火の国のヘルメルツ城である。
反乱は終焉を告げた。だが、均整を保ってきた六国の力のバランスは完全に崩壊した。
これからは光の国が強大な力を持つ事になる。
馬の尻に矢が刺さった。潰れるのも時間の問題なのか。
こんなところで死ぬるか。リノアの伝説は此処から始まるのだ。火の国の墨客として力をつけ、いずれは自立してみせる。
不意に泣いている自分がいるのに気が付いた。生涯稀に見る悔し涙だった。
火の国との国境。着いて来られたのは百名ほどだった。皆殺されるか、バラバラに逸れてしまった。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
リノアは馬から降り、矢傷の手当てをする事にした。
ブルルッと肩を震わせる愛馬の名はベガ。目が紅い黒馬だった。
翌朝。ベガは元気だった。リノアを見限り離反する者もいたが止めはしなかった。
生き延びたのだ。今はそれだけが大切だった。
死なない限り、この野望に未来はある。例え隻腕になろうとも這いつくばり天下に手を掛けてみせる。
城の門を叩いた。出て来たのはターバンの黒人だった。
「風の国のリノアだ。ロクサネに会わせてほしい」
元はと言えば貴様のせいで我が国は滅んだ。呪いのようなものを言葉に宿していたが、男は眉一つ動かさずに「待たれよ」とだけ言った。
程なくして中に通され、王の間にはロクサネとその家来達がいた。弟の名をロキと言い、中々の手練れだった。黒人の男は軍人、ドワーフの男は酒飲みにしか見えなかった。シエンという男が言った。
「これはこれはリノア殿。わざわざお越しくださった要件をお聞かせください」
この男は私の情勢をおおよそ勘づいているだろう。
手には扇子を持っている。暑いのか?という言葉を飲み込み、リノアはロクサネ軍軍師に事の経緯を説明した。
風の国はヘルメルツ家に比べ教徒たちへの備えが甘かったのが災いした。だが自分はロクサネの家来になどなるつもりはない。それはシエンもロクサネも重々承知のようだった。
「それにしてもたった三千で」
ロキが目を丸くしている。
「リノア殿は客人として招き入れましょう」
どっかの誰かよりは、よっぽど信用できるといった言い草だった。見たところドワーフ、アンガスは完全には信用されていない。
「レオンが捨てた南の砦には櫓を構えております。そこにリノア殿とロキ殿を派遣しましょう」
話は纏まった。東への備えはシエン、北への備えはロクサネとそのドラゴンが受け持つ。
魔王か……。リノアはふと天井に描かれた悪魔と天使の絵を見上げた。悪魔の絵は黒く塗りつぶされていた。
*****
厄介な二人だった。砦を陥そうにも陥せない。
ロキとリノア。二人同時に相手するとあまりにも厳しい。
以前去るときに取り壊した砦は櫓と共に復活していた。ロキとリノアが交互に出撃し、こちらの勢いを殺している。
「将軍、副将のフィーネ様がお呼びです」
陽動隊隊長のフランが言った。
フィーネは白髪の魔女だった。魔法で若作りしているが既に五十過ぎだという噂だ。
それにしてもリノアが。風の国陥落からこんなにも早く火の国が手名付けたのはロクサネの名声が為せる業なのか。
レオンはフィーネの元へと歩を進めた。魔王は光の国の奇襲に備え、南東で待機している。
「魔王軍は完全に復活したと世界に拡める絶好の機会よ。死に物狂いで向かってらっしゃい」
「この軍の総大将は俺だ」
「だからこそです。総大将が捨て身となれば皆活気付きます。魔王は貴方に期待しているのですよ」
暫しの沈黙の後、レオンは僅かに頷いた。攻める。ロキとの一騎打ちを制し、そのまま勢いに乗ってみせる。
馬を進めた。ロキ。表情まではっきり見えた。ロキの鎧は青黒い。金髪がうっすら見え、武器は剣と盾だった。
「一騎打ちを願おう、ロキ将軍。それともこのレオンが怖いのかな?」
「いいだろう。姉上の弟の名にかけて受けて立つ」
空を見上げた。烏が悠々と空を舞っている。
この世界は残酷だ。そしてとても美しい。
僅かに砂の感触を手で確かめ、戟を握った。
馳違う。剣。耳元を掠めた。
「素早い奴だ」
と戟を力任せに振り回す。ロキはそれを盾で防いでいた。
若い頃から戦ばかりしていた。それはこの男も同じだろう。一つ相違点があるとすれば彼は普通の人間の姿をしている。
やはり、鬼人か。
地の国で姉を護る為、十年山で修行したと言われている。腕力で劣るはずの戦いを技術で見事に制している。
「ロキ!」
リノアらしき者の声が聞こえた。フランも何処かで見ているはずだ。
友と言えばヘルメルツ王とフランだけだった。皆自分を忌み嫌い、あらゆる方法で排除しようとしてきた。
では魔王は?
悪魔の化身とされる冷酷この上なき魔王は少なくとも自分を恐れてはいない。
剣。浅く、自分の肩を抉った。自分に傷を負わせる相手は久しぶりだ。
腹の底から雄叫びを上げた。それでもロキは冷静だった。
皆、自分が怖いから忌み嫌うのではないのか?ロキを見ているとそんな気がしてくる。では何故今嫌われなければならないのだ。
戟と剣が擦れる音が砂上に鳴り響く。ロキは攻撃の手を緩めはしない。
何がこの男を此処まで強くさせるのか。姉への忠義心では説明出来ない何かが、彼にはあった。こいつとシエンとロクサネか…。ヘルメルツ家が叶わないのも無理はない。
「将軍!」
フランの声が聞こえた。その次の瞬間何が起きたのか分かった。
腹を貫かれたのだ。鮮血が口から滴り落ちる。
砂地に膝を着いた。砦の者達から歓声が上がる。
人は何の為に生まれ何の為に死んでいくのか、分からないまま彷徨う。だがせめて、最期だけでも華々しく散りたい。
レオンは首を差し出した。
「共に来い。ロクサネは其方を歓迎する。生きて生きてその先にある幸せを共に探そうではないか」
武人らしくない言葉だった。良く言えば情深いが自分の気は済みはしない。
「殺せ。それでも勇者かロキ」
「説得はシエン殿にお任せしよう。手枷を付けろ」
フランとその下にいた人間族が次々に投降していく。戦いは半ば終わったも同然だった。
「まさかここまでとはね……ロキ。自分より強い男は初めて見た」
見事な黒馬に乗って駆けつけたリノアに手枷を嵌められ、レオンは生涯初の敗北を喫した。
この先にあるものは何だ?生き恥を晒して野垂れ死ぬのか?ロクサネに仕えるなど自分の中ではあり得なかった。
砦に案内され、取り敢えずは地下に幽閉される。食べ物を持ってくる係はフランに決まったようだ。フランは懸命に説得しようとしてきたが、レオンは耳一つ貸さなかった。
「ロクサネ……?」
次の日現れたのは何と当主のロクサネだった。シエンが来るとばかり思っていたレオンは度肝を抜かれた。
「レオン将軍。腹の傷はまだ痛みますか?」
答えなかった。その事で驚いた様子のロクサネは兵にお茶を持って来るよう命じた。
「毒入りか?」
「まさか。我々は将軍の力が必要なんです。結構有名なんですよ?」
「だが貴様の弟に負けた」
「弟は鬼人です。それに……彼は特別なんですこれは言ってはいけないのだろうけど……」
「なら聞くまい。だが貴様俺が怖くないのか?」
「怖くありません。腹の傷が癒えるまで、この砦にいる事とします」
悪い気分ではなかった。ロクサネの美貌に溺れる事はないだろうが、ただの美人といった訳でもないようだ。綺麗な心をしている。
リノアに続き自分までもが。安らかなひと時を満喫している間に、いつしか眠りに落ちていた。
*****
ラファレアスは光の国の密偵として三年間、地の国に潜伏してきた。編み込んだ髪と刺青は東から来た事を示唆していたが、それでもラファレアスは耐え凌ぎ、大天使への忠誠を忘れぬまま遂に任務決行の日を迎えたのである。
地の国当主の暗殺。長年分家との抗争で揉めていた、うつけ者である。
雪降る夜の城。内部へはそうは入れまい。
ラファレアスは門番のドワーフに通行証を見せた。怪しまれたら一巻の終わりだ。
「王へのお届け物があってラファレアスが参ったと伝えてくれ」
じーーっと見つめるドワーフの表情は何処か訝しげだったが、やがて中へ通された。
さあ問題はここからである。
僅かな篝火を頼りに、廊下を進む。兵二人が待機していたが、油断している隙に槍で突き殺す。
「来たんだね」
声の主は三年の間で内通したエルメスだった。エルメスは最上級魔法の会得を目指す天才で、その彼女を失うとは地の国は崩れ始めている。
「ああ、行くぞ」
ラファレアスはごくりと唾を飲み、王の寝室に押し入った。
「何事じゃ!」
飛び起きたのは六十半ばのアマツカミ王。自分やエルメスの半世紀近く歳上である。
「今日がアンタの命日だ。アマツカミ王」
「そうかラファレアス、エルメス、貴様ら謀反を企ておったか。だがアマツカミの王は負けはせんぞ。金山で採れた金を売り捌き、手に入れた呪いの玉その名も『髑髏』。これを使えば変身が可能じゃ、そうこのように!」
王は煙と共に黒い蜘蛛に変身した。
「儂の部下たちが援護に来るまでの間、相手になってやろう」
体長五メートルに達するであろう大きな蜘蛛はシャーーッと威嚇してみせた。
槍。
投げつけたが、一撃で仕留めるには遠く及ばなかった。
「ならばこれはどうかしら」
エルメスは懐から杖を取り出し、呪文を唱え始めた。
次の瞬間、燃え盛る炎が彼女の杖から発射された。恐らく火属性魔法「インフェルノ」と見て間違いない。
「ぐああーっ!儂はロクサネを手に入れるまで死んではならんのだ!おのれー!」
それがアマツカミ王の最期の言葉だった。分家の者を嫌ってばかりいると思われていたが、本心では何を考えているか分からない。
任務は完了した。後は光の国に帰るだけである。
「髑髏」を、拾った。何かに使えるはずだ。
ラファレアスは背中から翼を生やした。
「捕まれ」とエルメスを抱え、夜の空に飛び立つ。背後から矢が放たれていたが時既に遅く、ラファレアスは遥か上空へと飛び上がっていた。このまま風の国まで休まずに飛ぶ。
長い任務だった。実に三年間、王を殺すのに費やした。だが得たものは大きい。腕に抱える若き魔道士の才はもはや計り知れまい。
このまま統率者を無くした地の国は、ますます混乱し落ちぶれていくだろう。北東の水の国は光の国ではなく、地の国を攻めるに違いない。その間に地盤を固め、やがては闇の国に進行する。見えているのはそこまでだった。
明け方。火の国と風の国の国境付近で妙な集団を見かけた。
「ロクサネにうつつを抜かしているからだ。この馬鹿め!」
大声を出しているのはドワーフ。縛られているのは細身の人間である。
下りてみた。彼らが向かっているのは風の国である。
今風の国は光の国の手に落ちた。ナオミが勇猛だったあの戦いは先月終結している。
「どうした?」
飛ぶのに疲れたラファレアスは若干息を弾ませながら言った。ドワーフの名をアンガス。捕らえられているのはあのシエンと言う。
「このシエンを手土産に光の国に寝返るところだ。ちょうどいい。鳥人のお前が案内してくれ」
鳥人という言葉を無視し、ラファレアスは興味深げにシエンの顔を覗き込んだ。どうやら本物らしい。
「シエンが捕らえられたとなれば火の国の脅威は滅んだも同然よ。私達の時代が来たわね」
エルメスが思わず笑みを浮かべる。
遂に。遂に光の国が、天下に大手をかける。
水の国との関係は良好で、火の国の軍師は捕らえられた。後は闇の国をどうするかだけである。
「よろしい。俺が案内しよう」
ラファレアスの口元にも薄っすら笑みが見受けられた。
*****
火の国の首都ヘルメルツを新たにゼラートとした。ロクサネはヘルメルツ家とは異なる事を暗示している。
アンガスが裏切ったのはその最中だった。ロキが顔色を変えたのは言うまでもない。
「シエン殿は火の国に必要です。今こそ鳥人どもに総攻撃を」
姉のロクサネは攻撃を躊躇っていた。シエン無しで果たして勝てるのか。いやシエンがいたとしても彼なら別の策を用意したに違いない。
「今民は疲弊しています。総攻撃は我が国の滅亡に繋がるのじゃないかしら」
「姉上!」
南への備えは新参のレオンに任せてある。ナオミと共に総攻撃を仕掛ければ勝機はある。風の国で今や英雄となりつつあるリノアは、敵領内で反乱を巻き起こす事すら可能だからだ。彼女の名声を利用する時は今しかない。
説得の末、ロキは遂に火の国当主の心を動かした。目指すは此処から東の方向にある、風の国である。
天使(鳥人)たちを率いているのはこの世界の神を名乗る男である。ドラゴン教徒たちの天敵と言える。
「確かに地の国が混乱している今こそ東へ侵攻する絶好の機会かもしれませんね。私も従軍します」
ロクサネはドラゴンの契約者である。当主が死んでは元も子もないので、護衛のモルバも連れてゆく。
「私も連れて行ってください」
フランだった。レオンの部下として活動していたが、どうならロクサネを気に入ったらしい。
「いいだろう。お前は俺の軍の副将にしてやる」
ロキはスキンヘッドのフランに言った。
準備は整った。ドラゴンが真価を発揮する時だろう、と睨んでいる。
「風の国いるドラゴン教徒が、こぞって此方に味方します。リノアを連れて行くのは下策かと」
滅多に口を開かないモルバが作戦に口を挟んだ。
広間は一瞬静まり返ったが、程なくして
「いやリノア殿の風の国での人気は大変なものです。此処は一つ、賭けてみるのもいかがかしら」
とロクサネ。モルバはそれを聞いた途端、今の発言は無かった事に、と引き下がった。
リノア。たった三千で五万を返り討ちにした女である。世界に人は沢山いる、とロキは思った。
総勢一万の軍は東の砦へ向かう。先鋒は他ならぬ自分である。
「敵の数は二万を超えているようです、ロキ様」
フランが言った。元々は鍛冶屋をやっていたようで、武器の修理はお手の物だった。
頷き、ロクサネに合図を送る。この戦いの鍵となる
ドラゴン召喚の合図である。
敵の砦が見えてきた。そこにシエンは幽閉されているようでアンガスもいるようだった。
友よ直ぐに助けに向かう。心の中でそう呟き、剣を抜いた。レオンに勝利した事は兵達も知っているようで、それだけで歓声が上がった。
鬼人ロキ、此処にあり。フランも負けんばかりの声を上げている。
敵の先鋒はラファレアスという槍使いだった。誰だろうと関係ない。この剣で薙ぎ倒すだけである。
ドラゴン。上空を舞っていた。乗っているのはロクサネとモルバ。既に炎を吐き、敵を錯乱していた。
地理に詳しいナオミは後方で待機している。追撃役である。
ラファレアスが必死に指揮を執っているのが見えた。彼を倒せば、敵の士気は下がるに違いない。
先頭を走っていた。盾で矢を塞ぎ、フランもそれに続いている。
お前は何故レオンの元を離れた。聞いたところで仕方がなかった。彼もまた姉ロクサネの美貌の犠牲者である。
大量の矢が、敵の砦から発射されていた。
「怯むな!我らはロキ軍だ!突撃!」
兵達が口々に言っているのが聞こえた。レオンに勝った事がここまで役に立つとは正直思っていなかった。
頷き、ラファレアスの前に躍り出た。又もや一騎打ちである。
「お前ががロキか。鬼人がどんな男かと見てみれば外見は普通の人間のようだな」
「ふん。悪いが死んでもらう!」
飛びかかった。一瞬で槍を叩き落とし、次の攻撃は肩を掠めた。山で籠もっている時に編み出した早技である。
「くっ……思った以上にやるではないか。だが変身後の私には勝てはしまい」
そう言うと、ラファレアスは大きな蜘蛛に変身した。
大きな脚で踏み潰そうとしてくるのを、ロキは右に前転してかわした。
そして、斬る。一本、二本とその脚を切り刻んでいく。上に飛び乗った。そしてら脳天への一撃。勝負はそこまでだった。兵達が歓声を上げる。
ロキ軍は士気を高め、翌朝には砦を包囲した。